蒼穹と漆黒

【成層圏を突破】


 AIGISアイギスアルテミスがそう告げる。

 白色まで達した荷電粒子の巨大なバーナーを曳きながら、ASF-X02/X03セレネは更に上昇していく。

 どこまでも青い空が、無数の輝きと漆黒のヴェールに染まり始めた。


「ケイ、遊佐ユサ、まだ聞こえるか?」


 映像がやや粗い月臣ツキオミがそう言った。


「少し荒いけど聞こえてる」


 ASF-X02/X03セレネはVer2.00の演算領域ラプラスで稼働しているが、成層圏の高度では、粒子端末グリッターダストはもう殆ど浮遊していない。

 それがボトルネックとなって、映像通信程度ですら阻害している。


「赤外線通信アレイ、準備できたよお姉ちゃん」


「ありがと――月臣ツキオミ、光学通信に切り替えるわよ」


「中間層を超えたら境界線カーマン・ラインか……了解だ。こっちの準備も出来てる」


 カーマン・ラインは旧世紀に設定された境界線だが、現在は粒子センサネットワークの論理限界高度として知られていた。

 高度408kmの熱圏を飛ぶ国際宇宙ステーションへ補給のため、特殊な高高度A.S.F.はこのラインでAIGISと演算領域ラプラスを停止し、旧電子機器による制御への切り替えミッションを行った後、慣性飛行で宇宙ステーションへ到達する。


【空母スレイプニルの赤外線通信アレイを確認。リンク】


 荒い映像が一瞬消えて、少しだけ良くなった画像と音声が返る。。


「こちらスレイプニル。聞こえるか? 見えてるな?」


「こちらASF-X02/X03セレネ。うまく繋がったみたい」


 ケイの返事に、月臣ツキオミがフウ、と息を吐く。


「何から何までテストしてないからな……こっちの出力はASF-01Fムラクモに融通してもらってるが、グラード側が混乱しているとはいえ、まだ戦闘中だ。あまり時間は無いぞ」


「それで月臣ツキオミ、弾道ミサイル撃墜のプランは?」


「え、あ……」


 映像プレートの向こうで、月臣ツキオミが苦い顔をするのが見える。


「ケイを上げてしまえば、何とかしてくれると思ってた……んだよな」


「……でしょうね」


 ケイが良く聞こえるように溜息を吐く。嫌な気がするわけではない。こういう男だと、長い付き合いだ、分っては居たけれども。

 しかし、丸投げである。

 そう思って見たところで始まらないし、たくさんの人の命も掛かっているせいで、嫌がって投げ出すわけにも行かない。

 本当に計測限界値の情報処理IQアンサラーというものは、そしてそれに絶大な信頼を置く月臣ツキオミは、ケイにとっては厄介だった。

 父や月臣ツキオミのような行動力を持ち合わせて居れば、少しは違っていたのだろうか? と自問したことは何度もあるが、その度に自分の導く最適解が、自分を雁字搦めにした。


「ザッパーなりプラズマ溶断光刃アークスライサーなりで、弾頭を破壊すれば何とかならないか?」


「雑ッ……そりゃ弾頭部さえ破壊すれば、起爆せずに海に落ちるでしょうけど……」


 落下した核物質による海洋汚染や、核弾頭発射による政治的、国際的混乱。

 それを海上施設メガフロートやスレイプニル、周辺海域への被害を天秤にかける程、ケイはやさしくは無いのだが。なんとなく、そうするのは、とても気に食わなかった。

 腹立たしくさえあった。


遊佐ユサ電磁加速砲レールガンって、使えるの?」


「えっと……? うん、ラムジェットやロケットブースター用の粒子制御板を外せば、まだ電磁加速砲レールガンとしても使えるはず……かな? たしか猪神シシガミさんが?」


 ケイが問いかけると、『ハッブルの瞳』で弾道ミサイルを探していた遊佐ユサが慌てて答える。


「良いわ。『ハッブルの瞳』はこっちに。機体の制御、任せていい? 出来るだけ軸を合わせてくれると助かる」


「任せて、お姉ちゃん。電磁加速砲レールガンを使うってことは、お尻を向けたら良いの?」


 察しの良い遊佐ユサに居心地の良さを感じて、気づかずに笑顔がこぼれた。


「それでお願い。精密射撃になるから、出来るだけ震動やブレも抑えてね」


「分かった」


「――デュプレ……いや、今はアルテミス……で良いのよね?」


【はい。デュアルレイド中は、アルテミスと呼称ください】


 黒と銀の手抜きアバターが答えた。後でアルテミスのアバターを新造しよう。と心に誓い、それを心のバックヤードに仕舞う。


「OK、アルテミス。電磁加速砲レールガン、スタンバイ。『ハッブルの瞳』は超長距離モード。弾道ミサイルを補足して」


【了解しましたケイ。『ハッブルの瞳』ユニットを後方視点へ。リニア・ダスト・ロケットブースター、および、ラムジェットの付属オプショナルパーツをパージ。レールガン・バレルを展開】


 ASF-X03Sフェイルノートの後方、尻尾のような部分に付属していた、尾翼のような粒子制御板が、爆発ボルトで全て弾き飛ばされて、黒と青の狭間に舞い、電磁加速砲レールガン本来の、二股に割れた槍のような解放式バレルが姿を現す。

 機首が首を曲げ、『ハッブルの瞳』が後方を向く。

 その姿はASF-X03Sフェイルノート自体が、ASF-X02ナイトレイブンに吊り下げられたスマートガン・システムの様。


「弾道ミサイルは……」


 アルテミスに予測数値を入力し、演算。


「――見えた」


 打ち上げロケットのような弾頭。既に第二ブースターも切り離されて、落下コースに入りかかっている。

 ギリギリのタイミングだ。距離は約480km。

 ふと、試射の時、父が指示したのが500kmでの精密射撃だったことを思い出す。こうなることまで、考えていたのだろうか?

 偶々だ。その考えも、今は心の隅に退ける。

 誤差は許されない。

 完全なエイムを。環境データを限界まで入力。係数を設定。偏差を演算。


【バレル・アレイ展開。翼式徹甲弾アロウアレイ形成、装填】


 ブースター・アレイに似た円形の具現領域マクスウェルが、電磁加速砲レールガンのバレルを覆うように三枚。ガイドレールが砲の先端から伸びる様に形成。


「撃て」


 ガオォンッ――という轟音が震動となって伝わる。熱圏にはその音が響き渡るほどの空気は無いが、その咆哮はASF-X02/X03セレネの機体を震わせた。


「軸戻し。震動補正」


 機体のコントロールを担当している遊佐ユサが、砲撃でズレた軸と戻し、震動を補正して打ち消す。


 少し遅れて、電磁加速砲レールガンの赤い砲弾が、弾道ミサイルの弾頭部を打ち抜く様子を『ハッブルの瞳』が静かに伝えた。

 それを見たスレイプニルの艦橋で、大きな歓声が上がる。

 月臣ツキオミ九朗クロウは肩を組んでガッツポーズ、阿佐見アサミ篠崎シノサキはハイタッチ。エレインはケイに手を振っている。

 だが――


「まだよ」


 スレイプニル艦橋の様子とは対照的に、ケイが緊張した面持ちで言った。


「どういうことだケイ? 核弾頭は破壊しただろ?」


「こんなモノ、私は海にだって落とす気はないわよ月臣ツキオミ


【バレル・アレイ再展開。指向性炸裂弾ブラストアレイ形成、装填】


遊佐ユサ


「機体安定。いつでもいけるよ、お姉ちゃん」


 一射目は弾頭破壊を兼ねたデータ収集の為の計測射撃。初弾で弾頭を打ち抜くのはケイにとってそう難しい事ではない。

 問題は二射目だった。

 それは計測限界値の情報処理IQアンサラーが、無意味と否定する行為だった。実際、誰が見ても自己満足の類だろう。

 だが、父や月臣ツキオミにケイが追いつくには、このぐらいはやって見せなくてはいけないように思う。それは無意味な感情なのだろうか?


【ケイ、私は……高潔で、そして臆病な君に見せたかったんだ】


「――!」


【挑み続けたその先に在る世界を――】


「――……撃て!」


 ケイの意思によってのみ放たれた真紅の砲弾が、漆黒と蒼穹の狭間を飛翔。それは弾道ミサイル下部の、完全な位置で炸裂した。

 後部の最終加速用のブースターが破壊されて吹き飛び、弾頭部だけとなった核弾頭は、そのまま煌めく漆黒の海へ。


 AIGISアイギスアルテミスからスレイプニルに送られて来たのは、衛星軌道を超えて、地球を飛び出す弾道ミサイルの軌道予測図。

 二射目の砲撃は落下コースに入る前の弾道ミサイルの軌道を無理やり変えて、文字通りに、圏外へ吹き飛ばしてしまったのだ。


 衛星軌道を外れ、弾き飛ばされた核弾頭の向かう先は――太陽だった。


「お姉ちゃん、綺麗だね」


『ハッブルの瞳』が、飛び去って行く核弾頭を追っている。

 下には海の青を映す空が広がり、上には輝く星を纏った漆黒のヴェール。それを隔てるのは、太陽の輝きが織りなすダイヤモンドリング。


「そうね……特等席だわ。遊佐ユサ


 父の贈り物が、そこにあった。

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