瞳の観測者

「そろそろ予定地点に着くよ」


 グラードの飛行隊が突然出現した地点から、演算領域ラプラス範囲外の位置で遊佐ユサが告げる。


「そのまま『ハッブルの瞳』での観測を開始してくれ」


「了解。トリス、対象地点周辺を『ハッブルの瞳』で光学走査」


【了解しました遊佐ユサ。『ハッブルの瞳』、レンズ解放。中距離望遠モードへ。ピント修正――光学観測、開始します】


 トリスがシークエンスを告げるとスレイプニルの艦橋にも、大海原を映し出した映像データが送信されてきた。


「これって、演算領域ラプラスの観測データで作ったCGじゃないのよね?」


 阿佐見アサミが好奇心の目で映像を見つめながら言った。

 映像としては、演算領域ラプラスの作る見慣れたCGに比べると、光源補正やエッジの切り出し効果なども掛かっておらず、単純に幾らか見づらい。

 しかし、その映像は人間の生来の『眼』が映し出す視界に近いせいか、ただの海原の映像にも拘らず、独特の華やかさが感じられた。


 補正や加工のしやすさから、粒子センサネットワークを使ったカメラや映像作品が世界中に溢れる中、レンズカメラを愛好する写真家や映像家が、未だにプロアマ問わず相当数居るのも納得だ。

『ハッブルの瞳』の制作自体、カドクラ情報大学の光画部に相談し、今もカメラレンズを製造している町工場を紹介してもらっている。


 すこしの間、そんな美しい大海原の映像が流れ――


【想定対象物を発見】


 流れていた映像が止まると、彼方の海の一点を淀みなくズーム。黒い点が見えて、それはみるみる内に、見慣れた船型の船になった。


【種別は空母です】


ASF-X03Sフェイルノート演算領域ラプラス干渉寸前の位置を飛んでいるのにレーダー類に反応がない所を見ると、やっぱり粒子遮断ダストシールコートで間違いないな」


 作戦前に月臣ツキオミはトリスに、以前見た粒子遮断ダストシールコートの技術から想定できる可能性を幾らか入力していた。空母を覆うのも想定した一つ。

 しかし、それとは別にグラードがワームホールのようなモノの開発に成功した可能性も夢想したが、そちらでなくて少し残念に思う感情もある。


「でも、どうするの月ニイ、領海侵犯船だけど、演算領域ラプラスを展開してないから、無条件では攻撃出来ないよ?」


 AIGISアイギス演算領域ラプラスで制御されている社屋空母スレイプニルとは違い、小型の空母とは言え通常の機関運用だと千人近いの乗組員が乗っている筈だ。そのことを知らない遊佐ユサが無自覚に相当物騒な事を言った。


「手は出さなくて良いわよ遊佐ユサちゃん。そいつは一種の潜水艦のようなもので、A.S.F.を載せて敵地に運ぶのが役目。作戦を終えた味方の回収の為にまだそこに居るだけで、何かをするわけじゃない……あ! でも予備機の有無、確認出来たら確認して」


 阿佐見アサミが元少佐らしい要請を出した。


「了解……ってもどうすればいいの?」


 演算領域ラプラスの干渉できない相手への調査を言われて、方法が思い当たらなかった遊佐ユサは、月臣ツキオミに助けを求めた。


「ああ、それなら――トリス、周辺映像から空母の排水量を計測できるか?」


【可能です】


九朗クロウ、あの空母の空の排水量とか分かるか?」


「あのグラードの軽空母の? 旧式艦だし、多分フェザントのデータバンクにあるんじゃないか? ――あったぞ」


「それ、トリスに送ってくれ――トリス、排水量のデータを比較。A.S.F.が積まれている可能性を出してくれ」


 空中に表示したデータのウィンドウを、九朗クロウが指で上に滑らせる。


「送った」


【カタログの排水量と対象の排水量は艤装、物資、乗組員を含めて、試算の誤差範囲内です。A.S.F.の予備機が搭載されている可能性はありません】


「月ニイすごい……」


 遊佐ユサが尊敬の眼差しで月臣ツキオミを見つめた。


「戦闘の役には立たないから、このくらいはな」


「あ、マズいわね」


 後ろでエレインが急にそんなことを言った。


「どうしました?」


ASF-01Fムラクモが一機落とされたわ。今、ケイちゃんが――あ、一機落とした。でも九対六が、八対五になって戦力差は開いたわね」


 エレインが海上施設メガフロートから送られてくる戦況データを読み上げて言う。


「確かにマズいですね、ソレ。阿佐見アサミさん、こっちの調査は切り上げて、遊佐ユサを送りますか?」


「もう一機落とされたら、さすがのケイちゃんでもどうしようも無くなりそうだし、遊佐ユサちゃん向かわせますか? 社長」


 スレイプニルの最終決定権は九朗クロウにある。まあ阿佐見アサミやエレインが、飛び越して動いているケースも良くあるが。


「よし、遊佐ユサちゃ……」


「まって社長、なにかマズい」


 九朗クロウの言葉を遮るように、遊佐ユサが言った。


「今度は何がマズいんだ?」


 機先を制された九朗クロウがバツの悪そうな顔で聞くと、トリスがスレイプニルの艦橋に、現場の映像を表示した。


【戦闘車両のようなモノが、甲板に搬出されています。データベースに該当形状の車両は無し。月臣ツキオミの判断を請います】


 見ると、トリスの言う通り戦闘機用のエレベーターを使って、甲板に戦車が姿を現していた。

 トリスが『戦闘車両のようなモノ』と曖昧な表現をする通り、左右八個の大型タイヤを履いた装甲車両のような車体の上に、レンズの付いた箱状の物が乗っている。


「判断を請いますって言われても、何だこれ……レンズが付いてるってことは、光学式の何かか?」


「車体は多分グラード軍の装甲車両の流用として、上に乗ってるの……アレ、どっかで見た気が……」


「このタイミングで甲板に意味のないもん出す軍隊は無いでしょう。何か意味があるはずだ。思い出してください阿佐見アサミさん」


「うーーーん。何で見たんだったかなー……」


 九朗クロウが発破をかけるが、阿佐見アサミは腕を組んで、体が真横になりそうなほど頭を捻るが、出てこない。


「ああ……アレだ。レーザー目標指示装置。爆撃指示とか、ミサイル誘導に使う。アレに似てるんですよ。大きさが全然違いますけど」


 横で見ていた篠崎シノサキが、手ぶりで一抱え程の箱のような形を表して言った。


「ああーー! ソレだ篠崎シノサキ君! レーザー目標指示装置!」


 それを見た阿佐見アサミが、天啓を得た預言者のように飛び起きて、篠崎シノサキを指さす。


篠崎シノサキ君ありがと――でも、確かそれって粒子センサネットワークの電磁障害以降は使われていない装備よね?」


「今は天候に左右されない演算領域ラプラスの誘導の方が高精度だから使われてないどころか、昔の電子機器を使ってるから電磁障害を受けて……」


「ん? 遊佐ユサ、その車両も粒子端末遮断ダストシールコートされてるのか?」


「甲板に出てるけど演算領域ラプラスで調べられないから――そうかな? 『ハッブルの瞳』では見えるけど、演算領域ラプラスだと観えないよ」


 恐らくコックピット内の表示を切り替えてみたのだろう。一瞬間を空けて答えた。


「でも変だな……そのレーザー目標誘導装置ってのは、爆撃機とかミサイルを誘導するのに使うんだろう? 見た感じ、甲板に爆撃機もミサイルもないぞ?」


 九朗クロウが顎を掻きながら不思議そうに言う。

 それで、艦橋に居た残りの全員が気付いた。


「……社長、それは……」


「爆撃機とかにも粒子遮断ダストシールコート出来ますよね」


月臣ツキオミ君!」


「……いやまてまてまて九朗クロウお前! トリス、『ハッブルの瞳』で、海上施設メガフロート周辺の空を全部走査できるか? ザックリでいい。対象は演算領域ラプラスで検出できない飛行物体だ!」


【少々時間がかかりますが】


「構わない。大至急でやってくれ」


【了解、観測開始。少々お待ちください】


 その時間を、遊佐ユサとスレイプニルの一同は無言で待った。一分も掛かっていない筈だが、随分と長く感じられた。


「月ニイ、あの戦闘車両、なんか動いてる。レンズを海上施設メガフロートの方に向けてる!」


「やっぱり何かを誘導しているのか? 光波レーザーなら確かに演算領域ラプラスの電磁障害を受けずに使えるけど……やっぱり爆撃機か?」


 演算領域ラプラスには観えない爆撃機。もしそんなものが有るとすれば、それを撃墜出来るのは、ハッブルの瞳を持つASF-X03Sフェイルノートだけだ。

 見逃すわけにはいかないが――


【観測完了。該当機無し】


「見えない爆撃機は居ない……良いのか悪いのか……」


 表面上は良い報告だが、現実的には悪い報告だ。

 単純に見えない爆撃機が飛んで居てくれれば、ASF-X03Sフェイルノートが撃墜して済む話だったが、こうなってくるとグラードの腹案の正体を暴かなければならない。


「どうする? ここは放っておいてケイちゃんの方に援護に行かせるか? あっちもマズいんだろう?」


 合理的な思考で、九朗クロウが即断気味の事を言った。

 まごついている時間はないという事だ。長い付き合いだし、九朗クロウそういうところの嗅覚が突出しているのはよく知っている。

 しかし、時間も無いが、月臣ツキオミは少し躊躇していた。

 あの粒子遮断ダストシールコートで隠されたレーザー目標誘導装置は、何かが決定的にマズい。

 技術者としての直感がそう告げていた。


「……仕方ない。ケイに聞くか」


「ちょ、ケイちゃん戦闘中よ!?」


 阿佐見アサミが目を見開いて驚くが、こちらの状況も一刻を争う。


「構いませんよ。どうせ今聞かなきゃ、後から『何で私に聞かなかったんだ』って怒られるだけです――トリス、急いでデュプレと直通回線を開いてくれ」


ASF-X02ナイトレイブンは現在交戦中で危険を伴いますが、よろしいですか?】


 トリスの目が赤い。これは阿佐見アサミのように驚いたわけではなく、AIGISアイギスの規範による警告文だ。


「構わない。ケイの知恵が借りたい。繋いでくれ」


 月臣がトリスを見つめてそう言うと、瞳の警告色は解除され、元の菫色の瞳へ戻る。


【了解しました月臣ツキオミ。デュプレへの直通回線構築――ASF-X02ナイトレイブンのパイロット、神耶ケイの承認を確認。映像プレート、出します】


月臣ツキオミ、このバカッ! 今忙しいのよ!」


 開口一番。パイロットである遊佐ユサを飛び越えて月臣ツキオミを名指しで罵倒する辺りが彼女らしい。


ASF-X02ナイトレイブンの戦闘状況をスレイプニルに転送します】


 そう言ったのはデュプレ。

 映し出された映像は、ASF-X02ナイトレイブンが二機のSu-77パーヴェルに追われている様子だった。


「あのケイちゃんが苦戦してるわね……」


「仕方ないですよ対外諜報局S.V.R.ってグラードでも電子戦闘空域での諜報活動に特化したエース部隊ですから。フェザントはもちろん、カドクラも大分彼らに情報盗まれてる筈ですよ」


 エレインと阿佐見アサミがソレを見て言った。


「いや、戦闘の方はどうでもいい」


「いや、どうでも良くないわ! つーきーおーみーッ!」


 追いすがる二機からのザッパーを、フレアも使わずに空戦機動マニューバだけで華麗に躱しつつ、ケイがイライラしながら月臣ツキオミの名を叫んだ。


「ケイ、さっきグラードの空母を調べてたら、甲板上に光学系の誘導装置のようなものを発見した。トリスに『ハッブルの瞳』で周辺を観測させたんだが、見えない爆撃機のようなものも存在しない。多分、時間がない。答えをくれ」


 月臣ツキオミは真剣な表情。


「真剣な顔で戦闘中に無茶振りするな!」


「真剣な話だ」


 月臣ツキオミは技術的な話をするときの声のトーンを思い出して、念押しをするように静かに言った。


「ああ、もうッ! 分かったわよ遊佐ユサ、調査データ全部こっちに寄越しなさい!」


 ケイが被りを振って折れた。もちろん、グラードのエリート集団が操る最新鋭機二機を相手に、激しい空戦を繰り広げながらだ。


「……なんか、プロポーズみたい」


 と、横で見ていた阿佐見アサミがポツリと零した。


「……! ……良いから真面目に仕事してください阿佐見アサミさん」


 横で若干吹き出しそうになった篠崎シノサキが、何とか真面目な顔を維持してそう言った。

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