ヴァレリィ

――数時間前。

 大陸国家企業連邦ソユーズグラード航空宇宙軍基地内。

 その一角に設けられた、対外諜報局S.V.R.の区画に向かって歩いている男が居た。

 その身に纏う気配の違いは極力抑えられ、制服が違うことにすら気取られることもなく、航空宇宙軍のA.S.F.格納庫を横切る。


たるんで居るな……」


 特務十三分隊中佐ヤーン・ヴァレリィ。

 環太平洋経済圏シーオービタルに慣わせば、特殊作戦群十三番目のA.S.F.飛行隊という意味になる。その飛行隊長がヴァレリィだった。

 しかし、グラードの特殊作戦群は、大小合わせて十二番までしかなく、特務十三分隊は公式には存在しない。

 粒子センサネットワーク以後、対外諜報局S.V.R.というスパイ組織は、サイレンサー・ピストルをA.S.F.という大きな得物に持ち替えて存続していた。


「そう言ってやるなヴァレリィ。彼らはグラードの空を支える勇士様だぞ」


 諜報局区画に入るなり、隣に現れたマロウ局長が、少しばかりの嫌味を効かせたセリフを口にした。


「空……ね。皆、電磁波に頭をやられている」


 言葉を交わしながら、二人は粒子遮断ダストシールコートの施された部屋に入る。

 中ではすでに、ヴァレリィの部下が待機していた。


「今回の任務は何です隊長? 言いつけ通り、対アンサラー戦の仮想演習はやっておきましたが……」


 部下の一人、ブラドがそう言った。


「例のカドクラとか言う、複合産業体の計画妨害だ」


「……黒い新型A.S.F.と戦った……時の? また、あの作戦絡みですか?」


 彼はその時の作戦で撃墜されているから、いい思い出ではないだろう。苦虫を噛み潰したような顔をする。


「揃っているな。なら、さっそく本題に入ろう」


 マロウ局長が目配せすると、彼の秘書が照明を落とし、古風なスライド映写機プロジェクタのスイッチを入れた。

 スクリーンに随分と低い解像度で、作戦概要が映し出された。

 この部屋は粒子遮断ダストシールコートが施された、演算領域ラプラスに対する暗室であるため、情報力学と粒子センサネットワークに依存する、現代のネットワークやコンピュータ技術は使えない。


「――あのスレイプニル社と言うのは、計画を継続しているのか? 潜入チームはニール博士の暗殺に成功したと聞いたが」


 映し出された作戦情報を記憶しながら、ヴァレリィはマロウ局長に改めて聞いた。


「いや、彼の研究は二つの部署に分けられてはいるが、そのすべてに継続判断が成されている。ニール・ランディ博士……厄介な研究を遺してくれたものだ」


「あれだけの襲撃を受けても手を引かないか……ベンチャー企業にしては、肝が据わっているな」


 ヴァレリィはスレイプニル社の資料を睨むように言った。

 褒めているわけではない。むしろ、対外諜報局S.V.R.を相手に意地を張るなどは、蛮勇の類だと考えていた。

 何せ電子戦闘空域が設定されて以来、表の戦争はクリアになったが、裏の顔である諜報戦では、その後ろ暗さを増す一方だからだ、

 ヴァレリィには、若い世代の無謀に映る。


「カドクラの長女と次女、それぞれ直轄じゃないか。デカい獲物だな」


 資料を読み込んでいた部下のアンドレイが、ピュゥと口笛を吹いて軽口を言った。


「格納庫ごと爆破したという対象は?」


「アイドリング状態のAIGISアイギスが、自立で防御して無事だったらしい。経過報告によると半壊状態のA.S.F.は運び出され、現在は洋上の空母で改修中たそうだ」


「試験機にしては、随分と練度の高いAIGISアイギスだな」


 AIGISアイギスの自立防御や脅威判定などの精度は、その戦闘経験値に影響される。

 レベル7の粒子遮断ダストシールコートを装備した潜入部隊の爆破工作に気づき、更にはアイドリング状態にあるにもかかわらず、自己判断で戦闘用の自立防御を行うなどは、特A級のAIGISアイギスの反応速度だ。


「それだけ、連中も重要視していたという事だろう。一部情報公開したところだけが腑に落ちないが……」


 マロウ局長が、煙草に火を付けながら言った。

 煙草を吸わないブラドが嫌な顔をするが、口には出さない。


「続けよう。こちらが現在の対象Aと対象Bだ」


 スライドが切り替えられ映し出されたのは大型海上施設と、空母の姿だった。


「最初の粒子端末グリッターダスト精製散布炉ノースポイントに、旧時代の空母――フェザントの『やくも』……と読むのかなコレは?」


 ブラドが資料にある空母の、フェザント名を読むのに苦戦している。


海上施設メガフロートに空母、シーパワーを信奉する環太平洋経済圏シーオービタルらしい発想だな」


 そうヴァレリィは寸評するが、それを聞いてマロウ局長は難しい顔をした。


「お前たちには関係のない話だが、実際これでは、電子戦闘空域の欠陥を使って、工作部隊を送り込むのは困難だ。その為、今回はお前たちだけで、目標の破壊まで行ってもらうことになる」


「破壊? データの奪取ではなく……か? A.S.F.戦だろう?」


「ああ。カドクラが計画を継続してくれたお陰で、上は御冠でな……研究データの奪取のついでに、研究の継続が不可能になるまで叩き潰せ、とのお達しだ」


 煙草の紫煙を、溜まったものと一緒に吐き出しながら、マロウ局長は言った。


「……局長――フォン・ブラウンは順調なのか?」


 符丁のような仕草で、ヴァレリィは聞いた。


「だからこそ、カドクラの計画は脅威になる。潰さねばならん。航空宇宙局は、既に第二案の準備も始めている。もし、この作戦が失敗すれば……」


 苛立ちと共に、マロウ局長は煙草をもみ消す。


「何とかしよう」


 マロウ局長とは一緒に仕事をして、もう随分と長い。

 ヴァレリィは事の進退が、対外諜報局S.V.R.に留まらないことを察した。


 ブリーフィングを終え、出掛けにアンドレイが問う。


「隊長、フォン・ブラウンって言うのは?」


「航空宇宙局の最高機密だ。詮索はするなよ? 首が飛ぶぞ」


 お調子者のアンドレイも隊長の言葉を察して、それ以上は聞いてこない。それきり私語を止めた三人は部屋を出ると、自分たちの商売道具であるSu-77パーヴェルのある秘匿された第十三格納庫に、厳しい顔で向かったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る