第六章 細工師
6.1.仏の顔も三度まで
山から下りてきた冷たい風が下町に吹いていく。
それに身震いする者もいれば、運動の後で火照った体を冷やす者もいるようだ。
だが森の中はそこまで風が通らない。
しかし日が当たらないのでそれなりに寒かった。
ここはライルマイン要塞の外を出て数分の近場の森だ。
安全な場所であり、若い冒険者はここで鍛錬をしたりすることが多い。
木こりもこの辺に住んでおり、ここは良い作業場にもなっている。
その為切り出されてきた木が大量に置いてあるのだ。
コッコッコッコッコ……。
シャクッ、カコッ、シャッシャッ……。
木材をナイフで削る音がする。
鑿を使って丁寧な彫り物をしている様だ。
その人物は、真剣に木材とのやり取りを楽しんでいた。
黒い短髪だが、頭には手拭いが巻かれており鍔で作った眼帯を左目にしている。
赤黒い和服を羽織り、獣の皮で作ったであろう腰布を巻いて寒さをしのいでいた。
皮膚の皮は分厚く、ごつごつとしている。
この事から長きに渡って木材とやり取りをしてきたのだろうということが分かった。
職人気質特融の顔で、まさに棟梁と言わんばかりの顔つきだ。
しかしまともなものを食べていないのか、それとも彼の体質なのかとても細い。
頬がこけている様にも見えるが、それが彼の威厳を保っているかのようにも見えた。
大きな手は木材をしっかりと抑え、職人らしい手つきで木材を削っていく。
時々日の光に当ててその線を見る。
次に刃を見て刃こぼれを確認した。
「
この世界の砥石は、刃に砥石を当てて撫でる物しかない。
普通は反対だろう。
置いてある砥石に刃を置き、そして研ぐ。
この世界の研ぎと職人の常識は桁外れに使い物にならない。
何とか刃が悪くならないようにしてきたつもりだが、流石にこの鑿ももう駄目だ。
刃が丸くなって使い物にならなくなっている。
だが、そうは言ってもこの鑿はまだまだ切れる。
羊皮紙なども簡単に斬れるほどの切れ味があるが、彼はその切れ味に不満を持っていたのだ。
もっと切れなければ、仕事にならない。
彼は仏を掘っている。
これで六体目だ。
だがそれだけ掘ってしまえば鑿の切れ味も駄目になっていく。
これ以上の作業を続けるには、一度本格的に研がなければならない。
しかし砥石らしい砥石がないし、探しに行こうにもここには山がない。
石材屋もないのであれば、もはやどうすることもできないのだ。
これはギルドとやらに頼んで砥石を取ってきてもらった方がいいだろうか。
しかし金がない。
道具もないのでまともな仕事ができない。
金を生み出せる力が、今の彼にはなかった。
大きくため息を吐いた後、鑿を木箱に仕舞っていく。
この完成している五つの仏を売れば金が稼げるだろうかとは思うが、そんな事はできない。
今まで殺してきた六人の為の供養なのだ。
そこで、後ろから声がかかる。
「おい! おっさん!」
「……」
ギョロッと動かしたその眼球が、冒険者に向けられる。
仕事の最中だった彼の目線は研ぎ澄まされており、朗らかな表情をすることはできなかった。
周囲にいた取り巻きたちがその目に怯える。
見られただけでこれだけの圧。
とても敵わないと一瞬で理解させられる。
しかし一番前に立っている冒険者は、それに怯むことなく剣を抜いた。
「今日こそぶっ殺してやる!!」
冒険者はこの男の鑿を興味本位で触ったことがあった。
その時こっぴどく叱られ、謝らなかった彼は殴られてしまったのだ。
これは職人の命とも言える大切なもの。
それを勝手に触られては怒るのも無理はない。
が、彼らにはその感覚が分からなかった。
それに逆行した冒険者は、剣を抜いて戦った。
だが返り討ちにされてしまう。
もう一度立ち向かったが、それも返り討ちにされて地面を舐めた。
であれば、数でせめて今度こそぶっ殺そうと考えたのだ。
のそりと隣にあった刀を手に持った男は、ゆっくりと立ち上がる。
「手前は……三度目だっちゃなぁ……」
「ああ!?」
「仏の顔も三度まで……」
男が持ったのは、赤い装飾が施されている柄の日本刀。
鞘には獣の毛皮が巻かれており、何かの尻尾のようにも見える。
だがそれは普通の日本刀ではない。
長かったのだ。
人の背とほとんど変わらないその日本刀は、俗にいう大太刀と呼ばれるものだった。
野太刀、背生い太刀などとも呼ばれるが、この男は大太刀と呼称する。
三尺以上の業物をそう言うのだ。
だがこの大太刀は刀身が百三十センチ。
三尺、九十センチという長さを優に超えてしまっている。
全長にして百七十センチはあるだろう。
流石にこれは普通には抜くことができない。
しかし彼のその業物には鞘と鍔が紐で結び付けられており、抜刀することはできないようになっていた。
「けんど、
「おいお前ら! やっちまえ!!」
『おう!』
怯みはしたが、その数は十五人。
普通に手玉に取るには多すぎる数だったが、それでも彼は抜刀しない。
走ってくるならず者に対し、鞘付きの刃を向ける。
「獣や獣、おういおい。素早い鼠よ、おういおい」
そう言って、彼は走り出す。
その速度は見た目以上の物であり、彼らの眼前にすぐ男が飛び出した。
次の瞬間、二人が吹き飛んだ。
長い業物を乱暴に振り回し、その鞘で腹部を攻撃したのだ。
並んで向かってくる者があるかと心の中でつぶやいた後、後ろにいた敵を見ることなく倒す。
柄を握って柄頭で鳩尾を狙ったのだ。
攻撃を喰らった敵はすぐに倒れる。
「三人」
「うおおおお!!」
「獣や獣、おういおい。犬猿の猿よ、おういおい」
振りかぶったその攻撃が繰り出される前に接近し、顔面を思いっきり殴る。
片手で殴っただけだというのに彼は簡単に吹き飛んだ。
次々に襲い掛かってくる敵を素手だけで往なし、敵同士をぶつけ合い、足で蹴とばして距離を取る。
「七人……。
あっという間に七人が倒された。
残っているのは八人であり、その強さに身を震わせる。
聞いていた話と違うと言って、他の七人は逃げ出してしまった。
首謀者らしき男は叫びながら逃げている奴らを止めようとするが、既に聞く耳持たずといった様子で脱兎のごとく逃げて行く。
だがここまで来て諦めるわけにはいかない。
すぐに構え直して切っ先を向ける。
「……三度目の小僧か」
彼は結んであった紐を解いた。
そして、抜刀する。
刀の抜き方は、頭の後ろに回して首に担ぎ、両手を伸ばすものだ。
そうすることで、この長い大太刀は抜き放たれる。
左手に持っている鞘を腰に差す。
「
その刀は綺麗な曲線を描き、他の日本刀よりも分厚い。
刀身には刀身彫刻が施されており、龍と虎が彫り込まれていた。
そして刃を、向かってきている彼に向ける。
「うああああ!!」
「獣や獣、おういおい。牙向く虎よ、おういおい!!」
ギャキンッズバンッ!!
脇構えより水平に薙いだその攻撃は、防いだはずの剣すら切り裂いて冒険者を両断した。
泣き別れた胴体が、水っぽい音を立てて転がっていく。
大太刀を軽々と振り回し、血振るいをして布で血を拭った後、刃を同じやり方で納刀する。
そしてもう一度紐で固定した。
その後、大事な商売道具を懐に入れて、仏たちを風呂敷に包む。
人が死んだ場所で作業はできない。
そろそろ小屋か何かを借りるべきだろうかと思いながら、その場を後にした。
それが彼の名前である。
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