鬼滅の刃はなぜ流行ったのでしょうか?
男の子が泣いていました。
その男の子はジャンプ漫画の主人公です。
その主人公の名前は炭治郎です。
僕は最初、弱虫で情けない主人公なのかもしれないという固定観念や先入観から作品が気になりました。
しかし、泣いているのはそれなりに何か理由があるのかもしれない。
アニメを第一話から見始めて、暫くして僕は理解しました。
炭治郎は自身の私利私欲の為に泣いているわけではなく、自分では無い他の誰かの為に一生懸命泣いているということをです。
自分や自分の身内だけに関わらず、
どういう決断をくださなければならないかという結果どうこうよりも、相手の気持ちを理解することの方を一番大切にする部分。
また、例え他人のことであったとしても自分自身のことのように喜び、そして悔しがり涙を流せる炭治郎の姿はとても魅力的で人間らしく映ったのです。
以下はあくまで僕の個人的な想像の一例です。
自然界の数多くの動物は日々成長し大人になる。
成長し経験から学習していく過程で、
最初はできなかったことが段々とできるようになっていく。
もちろん自然界の一員である僕達ヒトにだって
同じように、簡潔に当てはめることが出来ると思う。
しかし、何故なんだろうか?
いつから僕はそう思うようになったんだろうか?
人は物心ついたころから、それぞれに自分なりの理想の生き方や人生の物差しというアイデンティティーを大切にするようになる。
そして、人には時に
人生の中で自分自身の決断を迫られる局面が訪れることがある。
その時、僕達はいったい何を選び生きていくのだろうか?
さて、鬼滅の刃の作品から僕は以下のように考えさせられました。
バトルのある作品だけど、
表面的な善悪や勝負の勝ち負けよりも大切な、
感情を持つ存在としての本質的な部分をテーマにしていると思う。
価値観や生き方の自由という現代的な人権風潮においては、人は自分の生き方に迷いやすい。
だからこそ、自分が何を目指し、何を大切に想い生きていくのか、
その明確な理由を持って死と隣り合わせの中を
日々一生懸命生きている登場人生達がかっこよく映る。
異能の能力設定が専門知識が必要な程インフレし過ぎず、誰もが理解しやすい。
他にもまだまだ出てきそうですが、
考えだしたらいくらでも出てきそうなので、
ここまでで止めておきますね。
みなさんは、鬼滅の刃の流行る理由はどこにあると思いますか?
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