【パフュームオブレター】

 友人が欲しい。デジタルな繋がりではなく、温かい遣り取りがしたい。そんな風に思っていた時、ネットで「文通倶楽部」というサイトを見つけた。文通……こんな令和の時代に、そんなアナログな物があるなんて。興味をそそられて、私はサイトに登録する事にした。


 文通相手の事を、今は「レタ友」と言うらしい。そのサイトを使えば、住所を知られる事なく色々な人と文通をする事が出来る様だ。料金は三ヵ月で3000円。最初の一ヵ月は無料とあったので、物は試しだ、と言う気分で登録した。


 私は東京で働いている。


 上京して三年。田舎から出てきて、最初の数か月は、目に映る物全てが眩しく見えて、毎日が楽しかった。けれど半年もすると、飽きた。東京ここには何でもあるけど、何もない。


 雨上がりもカビや排ガスの匂いがして、吐きそう。この匂いの事をペトリコールと言うらしい。私の地元でした、雨で湿った土の匂いとは大違いだ。高層ビルの所為せいで、空が狭い。水すら塩素の匂いがする。もう限界。仕事のストレスも相まって、胃痛で苦しむ毎日だ。


 同僚との仲は良かったが、やはり仕事仲間。友人とは呼べない。私は「友人」が欲しかった。こっちには、同郷の知り合いは居ない。デジタルな出会い……所謂いわゆる、出会い系などに登録すればいいのだろうが、食指が動かなかった。


 助けて欲しかったのかも知れない。


 精神的な温もりを求めて、私は何通かの手紙を出した。簡単な自己紹介と、現状をつづる。ただ単に、寂しいとは違う感情。どう表現すればいいのだろうか。


 手紙を送って四日後、「文通俱楽部」から手紙が来ていた。1つ1つ大切に目を通す。文字から伝わる温かい物に触れて、心がポカポカするのを感じた。


 今年、還暦を迎える女性。男子高校生。コピーライター。様々な人が居た。


 とある手紙の封を開けて、私は思わず目を見開く。懐かしい香りがする。手紙を読もうと、封筒から取り出すと、橙色の小さな花がハラリ、と落ちた。


「初めまして。貴方の手紙を読んで、少しでも癒しになればと思い、金木犀きんもくせいを添えさせて頂きました」

 綺麗な文字。田中たなか修一しゅういち、と最後に自分の名前が書いてあった。文面からは、男性としか分からない。何歳なのか、何処に住んでいるのか。


 何故か興味が湧いた。田中修一。どんな人だろうか。


「お返事ありがとうございます。私は東京で働いている荒城こうじょう秀美ひでみと言います。趣味は読書です。こんな風に書くと無趣味の様に感じられるかも知れませんが、毎月5冊は読んでます。修一さんの趣味は何ですか?」


 手紙を出して数日。返信が中々来ない。毎日、郵便受けを覗く。そこにはポスティングで入って来る広告の紙しかなかった。


 もう来ないだろう。残念に思って、その事を忘れ始めた頃、郵便受けを確認すると、青い封筒が入ってた。彼だ。確信があった。直ぐにその場で開封する。水色の封筒、青い便箋びんせん。そして一枚の写真。そこには真っ赤に染まった風景があった。夕焼けをバックに紅葉が写っている。あまりの美しさに息を飲んだ。


「秀美さん。中々、返事を返せなくてごめんなさい。僕の趣味は写真を撮る事です。先日、地元の寺院にて撮った写真を同封します。秀美さんは読書が趣味なんですね。僕はほとんど本を読みません。何かオススメの本とかありますか?今度、秀美さんがオススメしてくれる本を読んでみようと思います」

 嬉しかった。何故、こんなにも感情を揺さぶられるのかは分からない。一度、手紙の遣り取りをしただけなのに。私は写真をコルクボードに飾ってから、便箋にペンを走らせた。


「修一さん。返事は自分のタイミングで返してくれれば大丈夫です。写真、拝見しました。とても綺麗です。部屋に飾りました。オススメの本のタイトルを書いておきますね。読みやすいと思うので、是非読んでみて下さい」

 数冊の本のタイトルを列挙した。どれも読みやすくて面白いと個人的に感じている作品だ。


 数日して手紙が届いた。


「秀美さん。オススメしてくれた本、とても面白かったです。特に『1/全校生徒』という短編集が気に入りました。他にもオススメを教えてください。今回は地元の海の写真を添えました。気に入ってくれると嬉しいです」

 朝焼けが映える写真。綺麗だ。文通って、こんなにも楽しいのか。田中修一だけでなく、他の人とも文通は続いていたが、彼から来る手紙を一番待ち望んでいる自分が居た。


 それから数か月、何度も手紙の遣り取りをした。


 本音を言えば会いたいし、声も聞きたい。いっそ通話ツールのIDでも書いてしまおうか。そんな風に考えていた2月。彼からの手紙のペースが段々と遅くなっていった。何かあったのだろうか?自分のペースで大丈夫ですよ、と書いた手前、文句は言えないし、そもそも私は彼女でもなんでもない。


 そして遂に手紙は来なくなった。


 何か気に障ることでも書いてしまったのだろうか。「文通倶楽部」を通じて手紙の遣り取りをしているので、彼の住所も知らなければ、連絡先も知らない。顔も、年齢も、仕事も。手がかりは何もないのだ。小さな恋心がついえたのを感じる。チクチクとした痛みを抱えたまま、私は毎日を過ごした。


 手紙を書く勇気はなかった。


 田中修一は、私にとって大事な存在になっていたのだな、と自覚する。追撃の手紙でも書けば良いのだろうか。その事に悩む日々が続く。会社でPCのキーボードを叩いている時も、家でTVを見ている時も、ふとした瞬間に田中修一の事が思い出される。


 3月になった。田中修一からの手紙が途絶えて二週間。ようやく、彼の事を忘れ始めた頃、郵便受けに水色の便箋が入っていた。いつも田中修一が送って来る便箋。はやる気持ちを抑えて、ゆっくりと封を開いた。


「秀美さん。ずっと手紙を出せなくてすいません。実は仕事で海外に行ってました。その時の写真を送ります。今週、東京で写真の個展を開く事になりました。もしも、お時間があれば、来てください。チケットを同封します」

 嬉しくて泣きそうになる。良かった。田中修一との縁はまだ切れていない。


 チケットを確認すると、私の家からそう遠くない場所で個展は開かれるようだ。そこで急に怖くなった。会った瞬間に落胆されたらどうしようか。私は第一印象が、そんなに良い方ではない。顔も体型も十人並みだし、性格も暗い方だ。会った時、何を話せばいいのだろうか。


 ぐるぐると不安感が頭の中を支配する。


 それでも会いたい。この気持ちは本物だ。

 私は当日、出来るだけお洒落をして会場に向かった。


 個展会場は小さなレンタルスペースで開催されていた。受付にチケットを渡して、名簿に記名する。中に入って、飾られている写真をゆっくりと見て回った。何枚かの写真は、手紙に添えられていたものだ。どれも美しい景色。素敵な時間を過ごせた。


 田中修一は会場に居ないようだ。忙しいのだろうか?残念な気持ちと安堵の気持ちが混じる。そろそろ帰ろうと出口に向かった瞬間、入口の方からスーツ姿の男性が現れた。私を見て微笑んで駆け寄って来る。


「荒城さんですか?」

「田中さん?」

 正直、イメージとは違った。


 繊細な風景を撮るカメラマンというより、企業に勤める営業マンに見える。


「はい。僕が田中修一です。ようやくお会いできましたね」

 笑顔で握手を求められた。それに応じて田中修一の手を握る。冷たかった。


「荒城秀美です。私も会いたかった」

 その言葉を聞いて、田中修一は安心したようだ。


「これから食事に行く予定なんです。良かったらご一緒しませんか?」

「いいんですか?」

「はい。少しお話したくて」

 田中修一の提案を私は受け入れた。彼の為人ひととなりを、もっと知りたくなったのだ。


 その後、近くのイタリアンレストランで軽く食事をしながら、お互いの事を色々と話した。田中修一は、ずっと建築系の企業で営業マンをしていたが、カメラ好きが高じて、今では兼業でカメラマンをしているようだ。


「本当はポートレート……人物を主な被写体とした写真の方が、お金になるんですけど、僕は風景がの方が好きなんですよ」

 そんな風に語る田中修一の目は、子供のようだ。


「でも荒城さんの写真は撮ってみたいです」

「え……恥ずかしい」

 私は思わず拒否した。自分の顔に自信なんかないし、言葉通り純粋に羞恥心がある。


「じゃあ……いつかってことで」

「はい」

 そう言って、その日は別れた。


 家に帰ってから、通話ツールのIDを交換していなかった事に気付く。ここまで心の距離が近づいたんだから、交換しておけば良かった。


 その日は、よく眠れた。


 それから又、文通が始まった。


「秀美さん、今度またソチラへ行く予定が出来ました。よかったら食事でも」

 数週間後、短い文章での食事の誘い。そこには通話ツールのIDが載っていた。嬉しくなって直ぐに返答を書く。


「何処で待ち合わせしますか?」

「僕、東京は詳しくないんです。何処か良いお店とかありますか?」

「じゃあ、こちらでセッティングしておきますね!」

 二回目のデート。待ち遠しい。気付けば田中修一と文通を始めてから、胃痛に悩まされることがなくなった。


 デート当日。


 田中修一は少し遅れてやってきた。


 デートは楽しかった。食事中、田中修一がたまに上の空になる。何かあるのだろうか?帰り道、不安に思っていると、田中修一は鞄の中から一通の手紙を取り出してきて、私に差し出した。


「秀美さん。これラブレターです。受け取ってください」

 頬を紅潮させて言う田中修一に思わず突っ込む。


「先にソレを言っちゃいますか?」

「僕、口下手だから」

「直ぐに返事書きますね」

 家に帰ったら田中修一への想いを綴ろう。こんな古風な恋愛があってもいいな、と私は思った。










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【1/全校生徒】 三角さんかく @misumi_sankaku

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