【777の揃え方】

 あー、今日も負けちまったな。


 俺はパチンコ屋の店内に併設してある喫煙所で、電子タバコを吹かしていた。吐き出した煙に溜息が混ざる。別に毎日負けてる訳じゃないし、生涯トータル収支はプラスなんだろうけど、時給に直せば恐らくコンビニバイトくらい。無為むいに時間を潰す毎日。折角、入学した大学にもほとんど通っていない。段々と腐っていく。何が腐ってるのかは、自分でも分からないけれど。


 寝ても覚めても、頭に浮かぶのはスロットの事ばかり。勝った時の快感。負けた時の苦痛。当たりを引いた時に輝く台の夢を何度見た事か。スロットで掛かる音楽BGMは中毒性の高い物が多く、数回打つだけで口ずさめる。頭から離れなくなるほどだ。


 両親もギャンブル中毒だった。あれだけ嫌ってた両親と同じ道を辿っているのが、自分でも笑えてくる。所詮しょせん、俺もあのくず達と同じ血が通ってるんだな。DNAってマジで怖えぇ。自嘲じちょうしながら、喫煙ルームを出た。機種を変えて、もう少しだけ打とう。俺は店内をグルグルと歩き回って、当たり易そうな台を探した。


 ふと、昔からの定番シリーズである機種に目が行った。データを見ると、当たりが近そうだ。この台にするか、と椅子に座って千円札を入れた。右隣には、ニコニコと笑いながら楽しそうにスロットを打つ老女が居た。どうせ年金生活の老人の暇つぶしか何かだろう。歯牙しがにも掛けずに、俺はスロットに集中し始めた。


 数分すると、右隣の老女が当たりを引いた。俺は横目でソレを確認して驚いた。数万分の一のプレミアの当たり。羨ましいな、と思いながら何度か自分のスロットのボタンを叩く。老女は少し困った様子で、スロットのボタンを押していた。目をしばたたせて、リールを見つめている。あー、目押し出来ないのか。


 目押しとは、回転しているリールを無作為に止めるのではなく、対象の絵柄を意図的に狙って止める事で、当たりを引いた後の取りこぼしを防ぐ事が出来る技術だ。これがないと、収支が大分変ってくる。俺は不憫ふびんになって、老女に話し掛けた。


「ばあさん。良かったら、俺が少し打ってやろうか?」

「いいのかい?」

「ああ。今日は調子が悪くて、暇だし、こんな珍しい当たりに触れられたら、少しは自分の目も良くなるかな、って」

「じゃあ、お願いしようかね」

 俺は老女の席に座って、スロットのボタンを押した。


 小一時間ほどして、当たりのゾーンを抜けた。流石、プレミア。数千枚のメダルが溜まって、老女は満足そうだった。


「ありがとね。良かったら、この後、ご飯でも一緒に食べないかい?おごらせておくれよ」

「お?ばあさん、優しいね」

「こんなにもメダルを出してくれたんだ。少し高い店にしよう」

 老女に連れられて、俺は店の外に出た。


 換金を終えた老女は店の前にタクシーを呼んだようだ。店から十分程の繁華街に移動する。メインストリートを一本、南に入った所に和食のレストランがあった。立派な店構え。見ただけで高級店だと分かる。


「ここだよ」

「えらく高そうだけど、いいのかよ」

「構わないよ。ちょっと高いけど、どうせなら良い物を食べたいだろう」

 店に入ると、店員が老女を見てペコペコと頭を下げた。


若林わかばやし様……ご連絡頂ければ、良い席をご用意出来たのですが、生憎、本日は、カウンターしか空いておりません。申し訳ございません」

「いいよいいよ。突然来た私が悪いんだ。あんたもカウンターでいいね?」

「お、おう」

 なんだ、この老女。何処かの会社の社長か何かか?


 店員に案内されて、カウンター席に座った。目の前に、一目見ただけで新鮮だと分かる、色艶の良い魚が冷蔵されて並んでいた。


「あんた、好きな魚とか苦手な魚とかあるかい?」

「いや、好き嫌いはないよ」

「そうかい。じゃあ、寿司にするか」

「寿司?いいのか、ばあさん」

「若いやつは、寿司が好きだからね。私も好きだし、そうしよう」

 老女がカウンターの奥に居る料理人に、寿司のコースを、と注文した。


「アンタ、名前はなんて言うんだい?」

小林こばやしたくみ。よろしく」

若林わかばやしみどりだ。こちらこそ、よろしく」

 数分して、美味しそうな寿司がカウンター越しに運ばれてくる。一口食べて、目を見開いた。こんなに美味い寿司を食ったのは初めてだ。寿司と言えば、コンビニやスーパーで買うパックに入ったやつか、回る寿司しか食った事がない。


「若いんだから遠慮せずに沢山食べな」

 老女の言葉に俺はうなずいた。どうせ一度限りの事だろうし、遠慮する方が損だ。俺は損する事が大嫌い。パクパクと寿司を口に運ぶ。


「いい食べっぷりだね。大将、もっと握ってやっておくれよ。私は少し休憩して、酒にする」

 大将と呼ばれた男が頭を下げて、店員を呼んだ。若林翠は店員に日本酒を頼んで、俺の方を見て言った。


「アンタ、呑めるかい?」

「ああ。酒も好きだ」

「じゃあ、呑みなよ」

 メニューを渡されたが、並んでいる日本酒の種類を見ても良く分からないので、生ビールを頼んだ。直ぐにコップに注がれた生ビールが運ばれてくる。ソレをグイっと飲んで、深く溜息を吐いた。美味い。今日は幸せな一日だ。


「なあ、言いたくなかったら言わなくてもいいんだけど」

「なんだい?」

「ばあさんは何処かの会社の社長とか?」

「そうさね……まあ、そんなに大きい会社じゃないけど、良いポジションに居るよ」

 飯を平らげて、タクシーで最寄り駅まで送ってもらった。ばあさん、今日はありがとう、と言うと、若林翠は微笑みながら、また行こう、と言った。


 数日後、店で打ってると若林翠に再会した。会社の重役なのに、何故スロットなんて打つんだろうな、と思いながら、深く関わるのはよそうと思って、俺は会釈えしゃくだけした。若林翠も会釈を返して、俺とは違う機種の台を打ち始めた。ソレを見て、俺も自分の好きな台に座った。


 その日の調子は最悪だった。八枚目になる一万円札を入れても、台は、うんともすんとも言わず、俺は苛々して台を叩いた。それを店員が注意しにくる。睨みつけて、舌打ち。するとそれを遠目で見ていたのか、若林翠がやってきて、俺に言った。


「あんた、苛立つのは分かるけど、物に当たっちゃいけないよ」

「うるせえな」

「腹が減ってるんじゃないかい?飯にしよう。さ、出るよ」

 若林翠は強引に俺の手を引っ張って、店の外へ出た。俺は、ばあさん、有難迷惑なんだよ!と言って、その手を振り払った。


「アンタは良いよな!良い会社の重役やっててさ!人生勝ち組って感じがするぜ?胸糞悪い。アンタみたいな人間は、こんな所に来るなよ!」

「……」

「なんだか惨めな気分になんだよ!そんな目で見るな!」

 若林翠の瞳は、憐憫れんびんの情に溢れていた。


「……兎に角、飯にしよう。空腹だと苛立つし、惨めな気持ちにもなる。良い事なんて一つもないよ」

 若林翠は、もう一度、俺の手を取って近くの喫茶店に入った。


 ホットコーヒーを飲んで、軽食を口に運ぶ。人心地つくと少し冷静になってきた。感情的になって、若林翠を怒鳴りつけた事が恥ずかしくなってきて、俺は頭を下げた。


「ばあさん。さっきは悪かったよ。ちょっと負けが込んでて熱くなってしまった」

「いいよ。そんな時もある」

「……本当はさ、スロットなんて止めたいんだ。でも止められないんだよ。毎日、毎日、俺の頭の中にスロットの効果音が鳴るんだ。自分で自分を止められないんだよ」

 俺は自分の中にある重苦しい想いを独白するように、呟いた。


「……あんたは恐らくギャンブル中毒なんだね」

「ああ、そうだろうね」

「セラピーを受けてみないかい?」

「俺を病気扱いすんのか?」

「止めたいんだろう?後悔する前に行動するべきさね」

「……あんたみたいな立場の人間には分からないさ。毎日、幸せなんだろう?」

 羨む気持ちが止められなくて、俺は口を尖らせて言った。





「私はね、もう直ぐ死ぬんだ」




 若林翠の突然の告白に、時が止まった。


「どういう事だよ?」

「癌さ。ステージ4。もう絶対に助からないって言われてる」

 若林翠は重苦しい口調で続けた。


「病院のベッドで過ごせば、少しは長く生きられるそうだが、そんなのごめんだね。私は最後の時間を自由に使う事にしたのさ。ずっとパチンコって物に興味があったんだけど、働いてる時に触れる機会がなくてね。それで、あの日、初めてパチンコってのを打ってみたんだ。楽しいね。でも、あれは楽しむものさ。アンタみたいに苦しむ為にやるもんじゃない」

「……」

 老い先短い老人の言葉は、俺の胸に刺さった。


「なあ、後生だ。セラピーを受けてみないかい?」

「なんで俺にそこまでしてくれるんだよ」

「私はね、とある企業の会長でね。その業界の闇を抱えて生きてきた。最後くらい、あんたみたいな若者を救いたいのさ」

 若林翠は俺の手を握って言った。





 それから、セラピーに通い始めた。徐々にパチンコ屋に行く回数は減っていった。大学にも真面目に通うようになった。たまに若林翠に連絡して、美味い飯を奢ってもらった。


 ある日、学食で飯を食っていて、ニュースキャスターが発した単語が俺の耳に刺さるように入ってきた。


「大手パチンコチェーン店、○○○の会長、若林翠さんが亡くなりました。享年、78歳でした」

 その数十秒程のニュースを聞いて、俺は動けなくなった。大学の友人達が、不思議そうに俺を見つめていた。


 スマホで斎場さいじょうの場所を確認して、葬式に出る事にした。大きな斎場だ。香典を用意して、俺はタクシーで向かった。


 受付で香典を渡すと、ちょっと待っててください、と言われた。何か失礼でもあったのか、と思っていると喪服を着た美女がやってきた。


「貴方が小林巧さん?」

「は、はい」

「私は若林翠の孫のまれと申します」

 深々とお辞儀をする若林翠の孫に、俺は慌ててお辞儀を返した。


「実は、祖母が貴方にと、少額ですが財産を分与したいと遺書を残しておりまして」

 その言葉に俺は強い拒否反応を示した。


「要りません!そんな目的で来たんじゃないんです。若林さんに生前、どれだけお世話になった事か……俺は純粋に若林さんに、お礼を言いに来たんです!」

「そう言うだろう、とも書いてありました。これ、母からの手紙です。受け取って下さい」

 手渡された封筒を直ぐに手で千切って、中の便箋びんせんに目を通した。


「巧、私は後悔ばかりの人生だったよ。父から受け継いだ小さなパチンコ屋を大きくする事だけが私の目的だったのさ。辛い事も多かった。けれど、あんたの言う通り私は世間的に見れば成功者ってやつにはなれた。それは誇らしく思ってるよ。でもね、巧。私達の商売は何人ものギャンブル中毒者を殺してきた。自己責任と言い逃れする事は出来るだろうけど、命を奪っているのは否めない。その事が、ずっと私を苦しめてきた。マスコミに広告費と銘打って、大量の金をばら撒いて、その事実を隠蔽いんぺいするようにもなった。だからね、巧。私は最後にパチンコってやつに触れてみたかったのさ。私のしてきた事が、どれだけ罪深いかを知りたかった。そんな時にあんたに出会った。これは私の最後の使命だと確信したね。巧、あんたはまだやり直せる。もうギャンブルの世界からは足を洗いなさい。あれはあくまでも楽しむもんだ。苦しむものじゃない。最後に200万ほど、あんたに預けるよ。どうせ留年する程の単位しか取れてないんだろ?ちゃんと卒業するように。じゃあね。あっちに来たら、また寿司でも食おう」

 その手紙を読んで、俺は涙が止まらなかった。その日、パチンコ屋に預けていたメダルを換金した。三枚だけ残して。




 数日後、若林翠の墓を訪れた。


 ばあさん、俺は必ずギャンブル中毒から立ち直ってみせからな。


 墓標に三枚のメダルを置いて手を合わせる。俺は新しい人生のリールを回す事にした。











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