第一章 ③
イーストエリアでも荒くれもの共が住まう住宅街の一角に、リジェッタが拠点としているアパートがある。
外見は良い意味で風情があり、悪い意味で古臭い。壁のコンクリートはボロボロで階段は赤錆が浮かぶほど老朽化している。
木造ではないだけマシ、そんな貧相丸出しなアパートだった。
ワンルームの室内は、さらに悲惨な有様だった。
床はコンクリートのままで、家具らしい家具はベッドとクローゼット、棚くらいなものだ。刑務所の個人独房とどっちがマシだろうか。
壁に埋め込まれているストーブには薪がくべられ、濃い橙色の炎を上げている。熱を背にして、リジェッタが椅子の代わりに座っているのは、子供でも隠れられそうな大きさの木箱だった。それとは別に用意した一回り大きな木箱はテーブルの代理で、ティーカップとポットが用意されている。
手狭な室内を満たすのは、芳しい紅茶の香りだった。
一口飲み、ホッと息を吐く。
「今日も美味しく淹れられましたね」
紅茶はよき文化だ。
その味に香り、全てが癒しとなる。
「とても、幸福なことです」
テーブルには、紅茶セット以外にレインシックスが鎮座していた。ホルスターから抜かれ、夜よりもなお濃い闇色の裸体を外気に晒している。
己が片腕よりも長い銃身は掃除するだけでも一苦労だ。
煙突の掃除をする妖精の気持ちがよく分かる。
細長い棒に布を巻き付け、銃身内部の発射カスを拭い取る。鼻歌交じり、まるでバイオリンを奏でているかのように優雅な動きだった。
「今日の仕事が終わったのです。綺麗にしませんと」
凶悪な魔物に対抗するには、魔造手術か銃器以外の選択肢はない。レインシックスは精度ある暴力を求めた到達点の一つだ。鬼才と謳われた銃職人(ガンスミス)によって開発された、世界で唯一リジェッタのための力だ。
六発用の回転式弾倉は溝が彫られていない(ノンフルート)。その分、重量を増して耐久性を増加させている。
撃鉄はしっかりと指がかかるように肥大化し、横溝が彫られている。
引き金は軽さを追求しつつも暴発を防ぐ機構を備えている。
銃身を飾る薔薇模様の刻印も、表面積を稼いで効率良く放熱するためだ。
豪快な破壊力を叶えるために、細部まで職人魂が際立った工夫が施されている。
まさに、弾を吐き出すために生まれたカタチある破壊だ。
テーブルの隅に転がっている弾薬は、貴族の奥様方が使う口紅のケースよりもなお太くて長い。
ただし、唇を紅で飾るのではなく、標的の魂もろとも朱で染める。
魔物、強盗、殺し屋、組織、その他諸々。
好き勝手に倒し続け、掃除屋は《偽竜》となった。
そう、偽りの竜だ。
「……本物、ではない」
竜、ああ、竜。
魔物の中でも最上位。その爪は万物を切り裂き、その吐息は猛火となって大地から永久に緑を奪う。その翼を広げれば天空を支配し、その両眼は未来さえ見通す。
現在、純血種の竜は人間界では確認されていない。一説によれば《この世ならざる箱庭》に隠れ住んでいるとされている。希少価値は天井知らず。オークションで出回ったのは、リジェッタが知っている中では五年前が最後だ。子供の手の平よりも大きな竜の鱗が一枚、値段は貴族の豪邸が三つ買えるほど。
欲しい。なんとしても。いくら自分が強くとも所詮は偽りなのだ。本物には遠く及ばない。
真なる竜となる。それこそがリジェッタの望みだった。
しかし、だからこそ疑念があった。
どうしてロデオは私にオークションを教えたのだろうか。
買わせるため? 違う。掃除屋として何年も働いてきたが、そんな大金などない。
奪わせるため? 違う。向こうが組織では、通すべき流儀がある。街で生きる以上、人間社会の理を壊せば待っているのは破滅だ。
なにより、ロデオは見返りを求めなかった。
ただ、教えただけ。
そこに、どんな意味がある?
あれは、無駄なことはしない主義だ。
必ず、恩を着せようとする。
リジェッタはレインシックスを置き、おもむろに立ち上がった。窓際へと歩を進め、黄色いカーテンを開ける。
窓からは、通りを行き交う者達の姿がよく見えた。近くに風俗店が多いせいか、それ目当ての客と呼び込みの女性が多い。
ほとんど下着にひとしい格好の女性は、乳房が顔よりも大きく肌は褐色だった。体温が高いのか、寒々しい秋夜なのに汗を浮かべている。別の女性は猫の耳と尻尾が生えていた。背が異様に高い者、半獣の者、肌の色が赤や青の者までいた。下半身が馬となった女性が四本脚で歩きながら看板を掲げている。
大陸歴一九二〇年。人体へと魔物のパーツを移殖する魔造手術はグローウエン帝国の一大産業と化した。人が人のカタチを捨てることは、もはや珍しくない。
そして、技術の発展と保護のために医療協和都市リベレイズが誕生した。
「オークションです、か……」
結局、利益のために金と権力が渦を巻く混沌と成り果てた。このイーストエリアを仕切るのだって、マフィアである。
人を助けたいなどと、崇高な理由で医療の道を歩く者などいない。
皆が、生と死の境界が曖昧な血と修羅の道を選んだのだから。
リジェッタは木箱に座り直し、カップを傾けた。やや温くなった紅茶を胃へと流し入れ、レインシックスのメンテナンスを再開する。
少なくとも、行かないなんて選択肢はなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます