第40話

 ゴブリンキングが討伐されたのはそれからすぐだった。

 戦争も終盤になるとゴブリン達には最初のような勢いはなく、装備の質も練度も低いゴブリンばかりだった。


 俺とシャグマは元の活気が戻りつつある王都を歩きながら、ゴブリンとの戦争の事を思い返していた。


「なんか、思ったより呆気なかったな」

「そうですかぁ? 何百人も死んでるんですよぉ?」

「あ、いやそうなんだけど。最初は国の危機とか言われてたからさ」


 散々脅かされた割には思ったよりすんなりいったというのが俺の印象だ。


「そりゃあゴブリンは町を落としてからが真骨頂ですからねぇ。早期に対応できればこんなものじゃないですかぁ?」

「そういうもんか」

「逆にロクに傭兵もいないような田舎でゴブリンキングが生まれてたらこうは行かなかったでしょうねぇ」

「ゴブリンキングは生まれる場所を間違えたってか」


 生まれる場所は選べないとはいえ、いきなり王都を攻めようとしたゴブリンキングは運がなかったという事なのか。


「そういえば結局ヒーローはどうなったんかな」


 ゴブリンキングが死んだ後、散り散りになった残党のゴブリンを駆除するために森で掃討作戦が行われたが、ヒーローの死体や痕跡は見つからなかった。


「死んだって事でいいんじゃないですかぁ? それとも何か気にかかる事でもあるんですかぁ?」

「いんや。そういうわけじゃないんだけど」


 正直あれだけ強かったヒーローが自爆一発で塵も残さず消えるとは思えないんだよな。まあこれは俺がヒーローを過大評価してるだけかもしれないけど。


 そうこう話していると乗り合い馬車の発着場が見えてきた。今回はゴブリンヒーローを倒した褒賞とやらでそこそこ金が入ってきたから、前回と違いちゃんとした乗り合い馬車だ。乗り心地には期待できる。


「リンネさん。忘れ物はないですかぁ? やり残した事は? 今度こそもう王都には帰ってこないですよぉ」

「ああ。食べ物、よし。暇つぶしの本、よし。着替え数着、よし」


 俺達は今日、王都を旅立つ。なんやかんやで一月以上王都には世話になった。期間にしてみればそこまででもないが、その時間は濃密だった。いざ旅立つとなると感慨深い。


「あ、リンネさん、シャグマさん」

「おう、シィ見送りありがとうな」


 俺達を見つけて笑顔で手を振るシィに手を振り返す。


「傭兵さん、ワタシ達が旅立っても元気にやってくださいよぉ」

「もう、シャグマさん。あたしはもう傭兵じゃないですよ」


 そう言うシィの服装はいつもの鎧ではなく、普通の町娘のようなラフな格好だ。


「シィは研究所に行くんだっけ?」

「はい。研究所でお父さんの研究のお手伝いをするつもりです。ですから、しばらく傭兵はおやすみです」


 あれからシィは研究所に帰ってきたオルグと話をしたらしい。そして研究員見習いとして研究所で働く事になった。シィ曰く『あたしがしたいのは、お父さんの助けになる事ですから』という事らしい。


「そうなるとぉ、これからは見習いさん、と呼べばいいんですかねぇ」

「シィでいいですよ。……あれ? そういえばあたしってシャグマさんに名前で呼ばれた事ない?」

「……そんな事無いと思いますよぉ」


 はたと気づいたシィがシャグマを見つめる。シャグマはさっと目を逸らしたが、俺はその背中を叩いた。恨みがましいシャグマの視線が突き刺さる。


「ローバッツ行き乗り合い馬車。もうすぐ出まーす」


 鐘を鳴らしながら乗り合い馬車の御者が周囲に声を張り上げる。


「時間みたいだな」

「そうですねぇ」


 俺達は最後にシィに向き直り手を振った。


「じゃあな、シィ。研究所でも元気でやれよ」

「お元気でぇ…………シィさん」


「はい! お二人も、ご武運をお祈りします!」


 俺とシャグマを乗せた馬車が動き出す。俺は手を振るシィに笑顔で手を振り返した。今はもう、王都を出る事に不安はない。

 自分の命をかえりみない無謀な英雄は死んだ。今のシィならもう大丈夫だ。


 〇


 そこはとある森、いつかの時間の、どこともしれぬ場所。

 そこで一匹のゴブリンの命が尽きようとしていた。


 それはゴブリンと呼ぶには大きかった。成人男性と同じぐらいの身長に精悍な顔立ち、顔を斜めに走る傷すら、その身を彩るアクセサリーのようにすら見える。

 その体を覆う緑の皮膚だけが、その生物がゴブリンである事を主張していた。


「ギィ……」


 浅く、早い呼吸を繰り返す。

 そのゴブリンは左腕が肘から先が切り飛ばされていた。全身を覆う緑の皮膚は赤く焼けただれ、ゴブリンの命を一秒ごとに削っている。


「…………」


 死の間際、ゴブリンの脳裏に浮かぶのは憎き二人の人間だ。いつものように狩りをしようとしたゴブリンとその仲間達を惨たらしく殺した二人。あの日からその二人に復讐する事だけを夢見て生きてきた。

 しかし結果はどうだ。返り討ちにされ、自らもまた死のうとしている。


 無念。ただひたすらに無念。

 悔しさに奥歯を噛み締め、怒りを燃やしても、もはや体は動かない。ゴブリンは失意の中、ゆっくりと瞳を閉じ……


「たはーっ! せっかく勇者を探しに来たのに、勇者は勇者でもゴブリンの勇者かいっ! 間違えちった」


 騒々しい声がゴブリンの眠りを妨げる。ゆっくりと目を開けたゴブリンの目に写ったのは、人型の何かだった。しかしその背には二対の翼が生え、頭部からはねじ曲がった一対の角が生えている。


「僕? 僕は魔族のアシュレイタント。気軽にアシュたんって呼んでね。キミの名前は? え? ゴブリンに名前はない? ひゃー、それは不便極まりまくりだぁー」


 ゴブリンは何も喋っていないのに、魔族は一人でベラベラと喋り続けている。

 不思議な事にその魔族は、まるでモザイクでもかかっているかのように輪郭がボヤけ、どんな顔をしているのか、どんな体つきをしているのか、性別はなんなのか、一切の情報が伝わってこなかった。それはゴブリンが死にかけて認識能力が落ちていることだけが原因ではない。


「ところでゴブリンの勇者さん。略してゴブ勇はどうしてこんな所で土に還ろうとしてたりしなかったり?」

「…………」


 ゴブリンの脳裏に浮かぶ、屈辱の夜。卑怯にも二体一で襲いかかってきたニンゲン。背後から腕を切り飛ばしたニンゲン。死んだフリで騙し討ちをしてきたニンゲン。

 ギリ、と奥歯を噛み締める。


「なるほどなるほど。つまりゴブ勇は人間に負けちゃっちゃーと、そういうわけだ」


 まるで頭の中を見透かしたかのような物言い。しかし今のゴブリンにそれをおかしいと考えられる程の余力は残っていなかった。


「ねえねえゴブ勇。どうして人間に負けたか知りたくない? 知りたくなくなくない?」


 当然だ。知りたいに決まっている。


「それはね、仲間の力さ。人間は仲間と協力する事で何倍もの力を発揮するんだ。絆、友情、愛。それらの前ではキミ一人の力なんてカス同然。それが敗因さ」


 魔族は芝居がかった口調でくるくると踊るように騙る。その言葉、何もかもが薄っぺらい。まるで羽のように飛んでいきそうな程に。しかし魔族はその軽さを楽しむかのように軽快に、軽薄に喋り散らかす。


「キミにも信頼しあえる仲間がいれば! 背中を預け、明日を語らい、将来を誓うような仲間がいれば! ああ、どこかに落ちてないかなー、そんな仲間が──はい! ココに居ます!」


 ドンとその胸を叩く魔族。


「我々は仲間を探しています。より強く、より非道で、より盲目的な仲間を。すんばらしい! キミは全ての素養を満たしている。満たしまくりでもはや溢れかえってるってね、やかましいわ!」


 魔族はゴブリンにその手をのばした。救いの手を差し伸べる女神のように。悪辣なイタズラをする子供のように。


「さあ! ともにゆきましょう。我らは終焉を見届ける者『エンダバンズ』。あれ? 『エンダーバン』だっけ? まあ名前なんてなんでもいいのです。我らはキズナで繋がった仲間なのだから!」


 びしりと決めポーズを決めた魔族。チラリとゴブリンの様子を伺う。だが既にゴブリンの瞳は閉じられていた。


「ちえっ気絶してやんの。軟弱者のゴブ勇。略して者勇め。ま、どっちにしろ連れてくんだけどね」


 魔族はゴブリンに手をかざした。するとその手の先からモザイクが広まり、それはやがてゴブリンをも覆い尽くしていく。だんだんとゴブリンの輪郭はボヤけ、モザイクの中に溶けていき、やがてモザイクが晴れるとゴブリンの姿は跡形もなく無くなっていた。


「転送完了。んーっ、仕事したぁー。るんるんるんのらんろんれーん♪ 縺雁ョカ縺ォ蟶ー繧阪 」


 魔族はピョンピョン跳び跳ねるようにスキップすると、次の瞬間耳障りなノイズとともに闇に溶けるように消えた。

 後には嘘のような静寂だけが残った。

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おお勇者よ!死んでしまうとは情けない おちょぼ @otyobo

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