第35話
拠点での夕ご飯は配給制だ。飯の時間になると列に並んでシチューとパンを受け取る。何となくこの形式は研究所での食事を思い出して懐かしい気持ちになる。
その日も俺はいつものようにシチューを受け取ろうと、いくつかある列の一つに並んでいた。
そこでシチューをよそっていた亜麻色の髪の少女と目が合った。
「あ」
「……チッ」
しまった。普段はシィの担当する場所は避けていたのに、脳死で並んでしまった。めちゃくちゃ気まずい。いや、でもどうせシチューをもらうだけだ。とっとと貰って離れよう。
俺はシィから器を受け取り……
「……どうぞ」
「おい、待て。空じゃねえか」
少ないとか、そういう次元じゃない。何も入っていない。突き返すとシィは嫌そうにオタマを傾けた。
「チッ。これでいいですか」
「いや良くねえよ。一雫しか入ってねぇじゃんか。俺は雀か」
これがホントの雀の涙、とか言ってる場合じゃない。思春期の娘の反抗期どころか、完全に嫌がらせだ。
「おい分隊長。後ろがつかえてんだよ。ゴネてねぇで早くしてくれ」
「そうだそうだー。腹減ったー」
後ろに並んでいる傭兵からブーイングが飛んでくる。ええ? これ俺が悪いんか? 正当なクレームだと思うんだけど。
これ以上いても俺の立場が悪くなるだけだと思ったので引き下がろうとした時だ。横から受付嬢がかけてきた。
「いたいた。リンネさん、シィさん。お手紙届いてますよ」
「ん?」
「ホント!?」
シィが喜色を浮かべて手紙を受け取る。さっきまでの不機嫌そうな顔が嘘のように嬉しそうだ。そんなに嬉しいのか。
ああ、そうか。きっと父親からの手紙だな。前に手紙を書いてみるとか言ってたしな。きっとその返事が来たのだろう。
俺のはきっとオルグからだな。そういえば前に援軍を頼むみたいな手紙出したわ。まあこの戦況ならもう必要ないかもしれないけど。
とりあえず今見るわけにもいかないので適当に懐にしまった。後で時間がある時に見よう。
「♪」
手紙が届いて機嫌がよくなったシィは、大事そうに手紙をしまうと鼻歌混じりにシチューをよそい始めた。
……でも俺のは入れてくれないのね。
〇
拠点の寝床は雑魚寝式だ。一応無料で雨風を凌げる場所で寝れるという利点はあるが、プライバシーの欠片も無いし、寝床は硬い。あまりいい環境とは言えない。
まあ金払って宿屋に行けばいいんだが、せっかくタダだしな。王都に家を持っている傭兵以外はだいたいここで寝ている。かくいう俺もその一人だ。
俺は自分の寝床に寝転がると、オルグからの手紙を取り出した。にしてもここから研究所まで大した距離でもないのに随分と時間がかかったものだ。だいたい一週間ぐらいか? 何か向こうでも問題があったのかな?
まあ何でもいいか。俺は手紙の封を開け……ようとして宛名が違う事に気づいた。
「シィ・オルグへ……?」
裏面を見ると、送り主はちゃんとヴィ・オルグとなっている。あの受付嬢が間違えたんかな? まったくドジな事するなぁ。……ってシィ・オルグ!?
え、どういう事? シィと
確かにシィの話していた父親の事と、オルグの特徴は一致する。元は傭兵、爵位を貰っているとか。
そういえば前にオルグは娘がいるみたいな事言ってたな。娘には戦闘の才能がない、とも。あれはシィの事だったのか。
でも全然似てないな。強さとか見た目とか。髪の色は……オルグは禿げてるから分からんし。
「……」
やべぇ。読みたい。あの最強オタクが自分の娘にどんな事を言っているのかすごい気になる。アイツも娘の前では父親らしくなるのか、それとも変わらず最強最強言ってるのか。きっとシィを家出させるぐらいだから相当なダメ親父なんだろうなぁ。
でもさすがに読むのはダメか。オルグにもシィにも失礼だ。
でも少しぐらいなら……
いやいや、さすがにそれは……
ほら、印籠で開けたかどうかはバレちゃうし……
でも気づかずに開けちゃったけど、読む前に気づいたって言えば……
いやそもそも取り違えに気づかなかったって事にしちゃえば……
…………………。
「リンネさん!」
「はい! まだ読んでません!」
「? 何の話ですかぁ?」
唐突に響いたシャグマの声に思わず手紙を隠す。
俺の奇行に疑問符を浮かべたシャグマだったが、すぐにその顔に焦りを浮かべた。
「それより大変ですよぉ! 傭兵さんが居なくなってしまいましたぁ!」
マジで?
「え、どういう事? トイレとかじゃなく?」
「はい。先程までやたらと上機嫌だったんですけどぉ、少し目を離した隙にどこかにいってしまいましたぁ。周りの人に話を聞いたら武器を持って出ていった、と」
武器を持って……。まさか森の中に入ったんじゃないだろうな。夜の森はただでさえ危険なのに、いまだにゴブリンが彷徨いている。シィが入るのは自殺行為だ。
いやさすがにシィだってそこまでバカじゃない。その証拠に今日までシィは悪態をつきながらも、勝手に戦闘に加わるような真似はしなかった。シィだってわかっているんだ。自分の実力が足りていないという事が。
じゃあいったいどこに。
「あ、そうです。シィさんがいた場所にこれがぁ」
「これは……手紙?」
その手紙は真っ二つに破かれ、くしゃくしゃに握りつぶされている。怒りか、悲しみか、正確には分からないがシィの激情が伝わって来た。
「ってこれ、俺宛ての手紙じゃん。やっぱりシィの方に行ってたのか」
「どういう事ですかぁ?」
「さっきオルグから手紙の返事が届いたんだけど、受付嬢から受け取る時にシィのと入れ替わったらしい。そうそう、シィってオルグの娘らしいぞ」
「それはそれはぁ……なかなか驚きですねぇ。それよりぃ、その手紙に傭兵さんの行先のヒントが書いてあるかもしれないですよねぇ。何て書いてあるんですかぁ?」
「ちょっと待て。破かれてるから読みづらいな。なになに?」
『すまないが私は今研究資料を探すためにアルメント王国にいるのだ。なんとか努力はするが、援軍には間に合わないかもしれない。だが、リンネ。お前の力ならゴブリンの支配種(ロード)程度どうという事はないだろう。お前は研究所を出る時言ったな。『いつか最強になって帰ってくる』と。それならばまずはここで証明してみせろ。お前の力を。お前の活躍に期待しているぞ。
追伸
私の娘のシィもどうやらその戦いに巻き込まれているらしい。亜麻色の髪の少女で、年は18だ。誰に似たのか、目的の為には盲目的になる所がある。どうか見かけたら目をかけてやって欲しい』
なるほど。オルグは援軍に来れないのか。目的のために盲目的になるのは完全に親譲りだと思うが……まあいい。
「うぅん。結局傭兵さんはどこに行ったんですかねぇ?」
「……わからん。でも行くなら森しかないだろうな」
ここ最近のシィの追い詰められた様子を思い出す。限界ギリギリの精神状態が、この手紙の何かがきっかけとなって弾けてしまったのだろう。
「とにかく探しに行こう。念の為、ギルド長に報告して応援を頼もう」
〇
ギルド長は事情を話すと数人の傭兵を貸してくれた。しかし今は明かりをつけて大々的に捜索する事はできない。不用意にゴブリンを刺激して夜戦になっては大変だからだ。
よって感覚強化で明かりがなくても夜目が効く、少数精鋭での捜索となった。それでも俺とシャグマの二人でこのだだっ広い森を探すよりは圧倒的に効率がいい。ゴブリンとの戦争中で戦力になる傭兵はしっかり休養をとりたいだろうに、たった一人の少女のために動いてくれる彼らには頭が上がらない。
夜の森は不気味なほど静まり返っていた。他の生物達はみな、人とゴブリンとの戦争に怯えて隠れてしまったのか。生物の気配がしない森というのは何時にも増して不気味だ。
(くそ、どこに行ったんだよシィの奴!)
小声で悪態をつく。
捜索は魔力で感覚強化をしている関係上、時間制限がある。俺の魔力ならそこそこの長時間行けるが、他の傭兵はどうだ? 帰る時間や明日の事を考えるとどれだけの時間を探索に掛けれるのか。
くそ、闇雲に探し回ってもダメだ。
何かないか? シィが行きそうな場所は。思い出せ。どんな些細な事でもいい、シィの行先のヒントは……。
シィは英雄になろうとしている。そして森に飛び出したのは戦果を上げるためだ。なら一番戦果を挙げられそうな場所はどこだ?
決まっている。ゴブリンの巣だ。おそらくそこに残りの支配種(ロード)もいる。そいつらを討ち取れば間違いなく英雄だ。だがそれを知っているのは分隊長とギルド長、それとその時斥候に出ていた者達ぐらい。シィはそれを知らないはず……。
「……いや、そういえば」
思い出した。ゴブリンの巣の発見に沸き立つ本部。その窓の外で揺らめいた亜麻色の髪。あいつ、あの時盗み聞きをしていたのか。
「くそっ」
コンパスを取り出して方角を確かめてかけ出す。効率を考えてそれぞれの傭兵はバラバラで動いている。こういう時にすぐに連絡できないのは不便だ。スマホとはいかなくても携帯ぐらいは欲しくなる。
〇
シィは暗闇に支配された森の中を魔石灯の光を頼りに走っていた。起伏の激しい森の中は走るのに適していない。何度も何度も転びそうになりながらも足は止まらない。
その目に宿るのは怒りの炎。
力の無い自分の不甲斐なさ、女だからと機会すら与えられない現状、そして何より……
「許さない……っ! リンネ! リンネ! リンネッ!!」
手紙の内容を思い出し、奥歯を噛み締めた。腹の奥底からドロドロとしたものが湧き上がり、カッと体が熱くなる。
シィは手紙がリンネ宛のものと取り違えられていた事には読む直前にしっかりと気づいていた。もちろんそこで読むのを止める事はできた。だがそれよりもなぜ自分の愛する父親がリンネに手紙を送っているのか、そしてその内容は何なのか、そちらの方が気にかかり、思わず読んでしまった。
そしてその選択をすぐに後悔することになる。
「あぁぁああっっ! ふざけんな! ふざけんなっ! あの野郎!」
手紙の最後に添えられた一文。
『お前の活躍に期待しているぞ』
社交辞令ともとれる、その一文がシィを狂わせた。
「どうして、どうしてお前が期待されている! あたしには期待してくれなかったのに!」
今でもシィは鮮明に思い出せる。シィに戦闘の才能がないと分かった時の父親(ヴィ)の顔。失望、落胆、幻滅。父親にそんな顔をさせたのが申し訳なくて、もう一度期待して欲しくて。シィはそれからも必死に努力した。
しかし、それ以降、父親(ヴィ)が戦闘の訓練を見てくれる事は無かった。
「ぅぅぅううっ!」
頭を掻きむしりたくなるような絶望に、ケモノ如き唸り声が漏れ出した。迫り来る壁に追い立てられるような焦燥が心身を焦がす。もはやその場でじっとしている事など出来るはずがなかった。
(期待も、応援も、愛も、全部あたしが欲しかったのにっ!)
「どうしてっ! どうしてお前ばっかり!」
魂の震えのような叫びは夜の木々に吸われていく。
乱れた髪を振り乱し、血走った瞳をギラギラと輝かせるその様はさながら幽鬼がごとし。その視線が闇の先で松明の光とそれに照らされる緑の影を捉えた。
「……殺す」
明かりに照らされたゴブリン達も当然シィに気づいている。にわかに殺気立ち、騒ぎ出すゴブリン達を、シィは冷ややかに見ていた。
もしかしたら自分は死ぬのかもしれない。そう思わなく無かったが、それでも止まるわけには行かなかった。
シィにとって偉大な父親に認められる事はアイデンティティだ。逆を言えば、父親に認められないのなら自分ではない。この先もシィ・オルグではなく、ただのシィとして生きなければならないぐらいならば死を選ぶ。
(ああ、壁がくる)
背後からシィを追い立てる幻の壁だ。このままではいけない。何かしなければならない。成長し続けなければならない。──英雄にならなければいけない。そう囁いてシィを押し出す幻の壁。
今までもずっとこの壁に追い立てられてきた。そして今も。
「腐れゴブリン共。死んであたしの糧になれ」
この壁に追い立てられた先は、行き場のない断崖絶壁なのかもしれない。だがそれでも構わなかった。このまま緩やかに生き続けるぐらいなら、喜んで死を選ぼう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます