第30話

『緊急魔物警報発令! 緊急魔物警報発令! 傭兵の皆様は至急傭兵ギルドまでお越しください! 都民の皆様は至急お近くの避難所にお集まり下さい! 』


 王都には、普段とは異なる喧騒が満ちていた。空に立ち込める鈍色の雲は人々の心模様を表しているかのようだ。それぞれ指定された避難所に向かっていく人々の中を、俺達はその流れに逆らうようにギルドへと向かっていた。


「なあシャグマ。これって……」

「……」


 しっ、とシャグマが唇に指を立てるのを見て、俺も口を噤んだ。この場で不用意に憶測を話す事は、周囲の人を徒に怖がらせるだけだ。どうせ傭兵ギルドに行けば詳しい説明がある。考えるのはそれを聞いてからでいい。


 傭兵ギルドには多くの傭兵がひしめいていた。みな一様に険しい顔つきだ。何が起きているのかは分からなくとも、昨日王都を立った騎士団を見て、何かが起きている事は察しているのだろう。


「あれ。シャグマさんにリンネさん」

「あ……シィ、久しぶりだな」


 かけられた声に振り返れば、亜麻色の髪の女傭兵が驚いた顔をしている。一昨日、今生の別れみたいな別れ方をしたのにもう会うとは。若干気恥しい。


「お久しぶりです。でもどうしてココに? 王都を出たはずでは?」

「あー、乗ってた馬車が事故ってな。王都に引き返してきたんだ」

「そうだったんですね。それは災難でした。しかもこんな事に巻き込まれるなんて」

「……ああ」


 巻き込まれるというか、当事者というか。


「それにしても緊急魔物警報なんてあたし生まれて初めてです。いったいどんな魔物が出たんでしょう。リンネさん達は何か聞いていますか?」

「……さあ? 知らないな」


 耳をすませば周囲でも同じような話題が多い。やれドラゴンだ、魔族の侵攻だと噂している。だが、中にはゴブリンの群れだと言い張る者もいるようだ。ギルド長が箝口令を敷いていたはずだが、人の口に戸は立てられないと言うやつか。


「すぐにギルド長が説明してくれるさ。ほら、来たぞ」


 浅黒い肌の筋骨隆々とした男が壇上に上がると、周囲の視線はそちらに集まった。皆、この異常事態の理由を知りたがっている。


『あー、全員集まったか知らんが時間が無いからもう始めるぞ。王都近郊、トーゴの森にてゴブリンの支配種(ロード)が発生した』


 それを聞いた傭兵達の反応は大きく二つに別れた。絶望的な表情をする者と、ゴブリン程度で騒ぎすぎだとバカにする者だ。


「おいおいただのゴブリンかよ。心配して損したぜ」

「な。支配種(ロード)つってもゴブリンだろ? 俺でも倒せるぜ」


 そんな声がそこかしこから聞こえる。

 そういう反応をしているのは、若い傭兵に多い。ゴブリンの脅威を知らないのだろう。


 ウォルドヘイムはそういう若手に一瞥をくれると


『一流の傭兵なら分かると思うが、これは王国の存亡の危機だ。既に昨日、支配種(ロード)討伐のために騎士団一個中隊が送られたが全滅したそうだ』


 その言葉にざわめきが広がった。

 騎士団が負けたと聞いて、舐めた口を聞いていた若手達も事態の重さを理解したのか、顔を青くしている。


 にしてもあの騎士団。まさか全滅するなんて。緊急警報が出た時からそんな気はしていたが。


「うう……」


 呻くような声に横を見ると、シィが肩を震わせている。周囲の人の不安に当てられたか?


「おいシィ、だいじょ」

「王都……危機……救ったら、英雄……えへへ」

「うわ」


 違った。どうやら武者震いのようだ。

 やっぱり人はそう簡単に変わらない。なんだか今すぐにでもゴブリンの群れに突撃しそうだ。


『今回は騎士団と協力してゴブリンの掃討に当たる。まずはゴブリンの特性を鑑みて、大きく戦闘部隊と後方支援部隊に分ける』


「あ、あたしは戦闘部隊に」


『基本的に男が戦闘部隊、女は後方支援部隊だ』


「そんな!」


 愕然とするシィには可哀想だが、相手はゴブリンだ。どんな生物でも孕ませるゴブリンに女が捕まれば、相手の戦力強化に繋がってしまう。妥当な判断だ。


『それでは戦闘部隊は俺に、後方支援部隊は服ギルド長についていけ。それでは行動開始!』


 号令とともに人波が動き出す。

 さて、俺達も動かなければ。


「ワタシは後方支援部隊に行きますねぇ」

「え、なんでだよ。シャグマの実力ならギルド長に言えば戦闘部隊に入れてもらえるんじゃないか?」

「ワタシの病気をお忘れですかぁ? あんまり考えたくはないですけどぉ、もしワタシがゴブリンに捕まって犯されるような事があれば大惨事ですよぉ」

「うっ……確かに」


 シャグマの『土蜘蛛の呪い』はセックスと感染者の殺害で伝染る。普通のゴブリンなら問題はないと思うが、今回は普通じゃない。シャグマでも負けるようなゴブリンがいるかもしれない。もし『土蜘蛛の呪い』を持ったゴブリンが大発生したら……考えたくもないな。


「じゃ、じゃああたしが代わりに戦闘部隊に」

「ダメだ」

「やだやだやだやだ! 絶対戦闘部隊に行きます!」

「絶対ダメ」


 功を焦ったシィがゴブリンの群れに突っ込んで孕袋にされるのは想像に難くない。絶対に即落ち二コマみたいになる。俺は子供のように駄々をこねるシィをシャグマに預けて戦闘部隊へ集合した。


 〇


 王都にいる傭兵、約500名。そのうち戦闘部隊に当てられたのは約450名。後方支援部隊が約50名だ。

 今回の作戦に当てられた騎士団は3000人。それと比べると傭兵の数はだいぶ少なく感じる。ちょっと不安だ。


 今回傭兵達に与えられた役割は遊撃だ。

 傭兵というのは普段から数人規模のパーティを組んで戦うのには慣れているが、逆に言えば軍隊のように集団として戦う事には慣れていない。下手な連携はむしろ邪魔になる。だったら初めから好きに動かさせようという事だろう。


 王都の城壁の外に作られた野営所でそういう話を聞いた。


 野営所では方々で慌ただしく傭兵達が動いている。いつでも戦闘が始まってもいいように準備をしているのだろう。傭兵達は戦闘が始まったら好きにしていいとは言われているが、一応足並みは揃えるようで、各50人ほどの分隊に分けられた。まあ何体いるかもわからないようなゴブリンの群れに二、三人で飛び込むのは自殺行為だしな。


「リンネさぁん。調子はどうですかぁ?」

「シャグマ、とシィ。まあ、ぼちぼちかな」


 シャグマと、その後ろから恨みがましい目で俺を睨みつけるシィが顔を出す。


「なんだよシィ。まだ拗ねてんのか?」

「なんで、なんでリンネさんばっかり。あたしだって戦えるのに」

「おいおい。しょうがないだろ。こればっかりは」

「……あたしが女だからダメなんですか。女だから機会も与えられず、男に守られてろって言うんですか」


 その通りと言えばそうなんだが、それをそのまま言うのははばかられる。

 今回は英雄になりたいシィにとっては絶好の機会だ。俺だってシィには出来ることなら戦わせてやりたい。だが悲しいかな、シィでは力不足だ。

 俺も男と女は平等であるべきだとは思っている。だが男女には性差がある。そしてゴブリンはその性差が大きな差になる相手だ。シィの実力では前に出せない。


「シィ、分かってくれ。後方支援だって戦いには欠かせない重要な役割なんだ。お前が後ろで待っていてくれるからこそ、俺達は心置き無く戦えるんだ」

「あたしは、リンネさんを支えるために傭兵になったわけじゃないです」

「そりゃそうだけど」

「もう今回を逃したらこんな機会は無いかもしれないんですよ。こんな機会を指を咥えて見ているようなら、家出なんてしてないです」


 まいったな。

 完全にシィの英雄病がぶり返してしまってる。どうすれば納得してくれるんだ。

 俺は助けを求めてシャグマを見た。シャグマはため息をつくと


「よくわかんないですけどぉ、傭兵さんは女だからって機会を与えられないのが嫌なんですよねぇ?」

「はい」

「じゃあ今からリンネさんと手合わせでもすればいいんじゃないですかぁ? 」

「え」

「傭兵さんが勝てば傭兵さんには実力がある、リンネさんが勝てば傭兵さんには実力がないとわかる。名案じゃないですかぁ?」

「なるほど。それはいいですね」

「え、え」


 すらりとシィが白刃を引き抜き、俺に突きつける。


「リンネさん。決闘です。あたしが勝ったら戦闘部隊に入る権利を譲りなさい」

「ちょ、ちょっと待て」


 俺はシャグマの肩に腕を回し、シィに聞こえないように声を潜めながら


(おいシャグマ! 何焚き付けてんだよ!)

(あれ? 何か間違えてましたぁ?)

(間違えてるっていうか、そもそも戦闘部隊に入る許可を出すのは俺じゃなくてギルド長だろ。どうすんだよこれで俺が負けた上に戦闘部隊に入れてもらえなかったら。アイツ一人でゴブリンの群れに飛び込みかねないぞ)

(? 負けないでしょう? リンネさんなら)


 何を言っているんだ、と言わんばかりのシャグマに逆にこっちがたじろぐ。信頼してもらっている、と考えていいんだろうか。そんな目をされると応えないわけにはいかないだろ。


「あーもー。分かったよ。やればいいんだろ。やれば」


 俺はシャグマを解放するとシィに向き直った。


「おいシィ。もし俺が勝ったら大人しく後方支援部隊に入れよ」

「当たり前です。リンネさんこそ、約束は守ってくださいよ」

「じゃあ審判はワタシがやりますねぇ」


 俺はシィから一定の距離を取ると石刀を作り、中段に構えた。それを見たシィが不審そうな顔をする。


「なんですか? その不格好な石の武器は。いつもの鉄の武器はどうしたんですか」

「実はあの武器はシャグマからの借り物なんだ。別にあっちを出してもいいんだけど今回は殺し合いじゃないしな。今回はこれでいいかと」

「……いい度胸ですね。つまりあたしには手を抜いても充分だと」

「あ、いや。そういうわけじゃ」


 舐められていると思ったシィが額に青筋を浮かべる。そんなつもりじゃないのに。


「おいおいなんの騒ぎだ?」

「ケンカらしいぞ」

「片方女じゃねぇか。痴話喧嘩か?」


 気づけば異変に気づいた傭兵達がギャラリーと化している。こんな切迫した状況だというのに。いやむしろ切迫した状況だからこそ、ストレスの発散場所を求めているのかもしれない。


「おい! 見せもんじゃねぇぞ!」

「いえ。むしろ見てもらいましょうよ。彼らには証人になってもらいます。あたしだって戦えるという事の」


 なぜかシィはむしろヤル気を出している。シィがいいなら別にいいんだけど。


「両者構えてぇ」


 シャグマの声に渋々構える。どんな動きにも対応出来るような中段の構え。

 対してシィは左手の盾で半身を隠した姿勢だ。片手剣と盾の攻防一体の構え。そのまま突撃してシールドバッシュも出来るし、盾で攻撃をいなしてから剣で攻撃も出来る。オーソドックスだが隙はない。

 そういえばシィがまともに戦っている所を見るのは初めてかもしれない。パーティの時は俺やシャグマが取りこぼしたモノにトドメを刺すような形がほとんどだったからな。


「はじめぇ」

「はぁ!」


 シャグマの気だるげな号令とともに、盾を前面に押し出してシィが突撃してくる。なかなかの気迫だ。俺の脳天をかち割ってやろうという気概が伝わってくる。目標のために一直線に進もうとするシィらしい。

 ……だがシィのそれは、どちらかというと盲目的だ。


「……『石柱』」

「えっ」


 それは石柱というよりは段差だ。しかしシィにはそれで充分だった。

 盾により視界の狭まったシィは、足元に現れた僅かな段差に気づかずにつんのめる。何とか転ぶ事は堪えたが、そんな隙だらけのシィを逃す俺ではない。その喉元に石刀を突きつける。


「はい、終わり」

「なっ、いや、今のは違う! ちょっとつまづいただけで!」

「それも俺の魔法だって」

「え……」


 振り返ったシィが、地面から不自然に現れている石柱を見て愕然とする。気づいてなかったか。一応詠唱したし、魔法陣だって出していたんだけどな。やはり攻撃しようとするあまり、視野が狭まっていたようだ。


「き、聞いていない! 魔法を使うなんて!」

「それはそうだけど」


 一々言う必要あるか? いやでも俺だってステゴロのケンカだと思ってたのに相手が突然ナイフ取り出したら慌てるわ。事前にちゃんとルールは決めるべきだったな。


「わかった。じゃあ今のは無かったことにしよう。次が本番だ。その前にルールの確認だ。魔法の使用はどうする?」

「……無しです」

「わかった。勝敗の決め方は? ギブアップ、もしくは審判の制止が入ったらでいいか?」

「それでいいです」

「反則はどうする? 金的とか目潰しとか」

「全部アリで」

「了解」


 俺とシィは再び距離をとると、シャグマに視線で合図した。シャグマはまだやるのかと顔に書いてあったが、律儀にやってくれた。


「じゃあ魔法以外全部アリでぇ、はじめぇ」


 シィは今度は突っ込んで来なかった。文字通り足元をすくわれて頭が冷えたのだろう。ちょっとやりづらいな。

 俺の石刀ではシィの戦い方は相性が悪そうだ。石刀を鉄の盾で受けられれば、こちらが一方的に壊される。一応魔力で強化しているとはいえ限界はある。あまり打ち合う事はしない方がいい。


 まあそれなら師匠に習ってやるだけだ。


 俺は刀を下ろすと、自然体で散歩でもするように距離を詰める。突然歩き出した俺に、シィは当然警戒を強めた。


「……何のつもりですか」

「いやぁ。いつまでも睨み合いを続けても意味ないしな」

「舐めたまねを……っ!」


 間合いに踏み込んだ俺を、シィの片手剣が出迎える。俺はそれを余裕を持って避ける。


 うーん、大丈夫だとは分かっていても目の前を刃物が通り過ぎるのは怖い。あれを紙一重で避けているんだから、シャグマはやはりレベルが違う。


 続けて振るわれる攻撃も全て避けていく。……遅い。魔力で感覚を強化した今なら余裕だ。


「はぁ……はぁ……。なんのつもりですか。攻撃もしないで、避けてばかり。おちょくっているんですか!」

「違うって。そうカッカするなよ」


 避ける事はできる。だがやはり盾が邪魔だ。攻撃で生じた隙も盾で塞がれるし、不用意に近づけばシールドバッシュで距離を取られる。

 さて、どうしたものか。


 シャグマはこういう時どうするか。

 俺とやった時は確か……避けて避けて、その後に。

 そうだ、思い出した。


「バカに……するな!」

「おわっ」


 焦れたシィが放ったシールドバッシュをくらって地面に転がる。やはり面での攻撃は避けづらいな。俺も今度シャグマと手合わせする時は盾を持って行こうかな。


「たあっ!」


 好機と見たシィが剣を振り上げる。まあ今の俺は隙だらけに見えるよな。そうなるようにしたんだから。

 俺は握りこんだ砂をシィの目にめがけて投げつけた。


「うっ!」


 目を潰されたシィの後ろに素早く回り込み、刀の柄を喉元に宛てがう。シィが暴れ出さないように剣を持つ手を抑えて置くのも忘れない。

 正真正銘、チェックメイトだ。


「はい、終わり」

「なっ、違う! 今のは」

「勝者、リンネさぁん。おめでとぉございまぁす」


 やる気なさげな拍手をするシャグマ。シィはまだ不満がありそうだが、審判が認めたんだから俺の勝ちだ。シィを解放してやる。


「おいにいちゃーん!女相手に大人げねーぞ!」

「そーだそーだ! ちったぁ華持たせてやれ!」

「ヒキョウだー! ヒキョウだー!」


「うっせぇ! 野次馬ども! 見世物じゃねぇつってんだろ!」


 刀を振り回して野次馬を追い払う。どうせもう決闘は終わったんだ。彼らももう見所が無いことがわかり散っていった。


「ったく。シィ、大丈夫か?」


 地面にへたり込むシィ。俯いているからその表情はわからないが、地面にぽたりぽたりと落ちる雫が全てを物語っていた。


「なあシィ。これで分かっただろ? お前はまだ弱いんだ。今はまだ焦らずに力を溜めて、次の機会を……」

「……ですか」

「え?」

「今はまだ、今はまだって! じゃあいつ来るんですか! あたしの機会は!」

「あっ、おいシィ!」


 シィは目元を拭って何処かへと駆け出してしまった。言葉を間違ったかな。それともやり方がまずかったか?

 いずれにしろ、失敗した。


「はぁ。しょうがないですねぇ」

「シャグマ。シィを頼む」


 シャグマは頷くとシィが駆け出した方へ向かっていった。


 はぁ……。俺はどうすれば良かったのだろう。

 ぴちょん、と鼻っ柱に冷たいモノを感じて空を見上げれば、重苦しい黒雲からいく筋もの雨粒が降り出していた。瞬く間に黒く染め上げられる大地を眺め、俺はため息をついた。

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