第28話

 シィとの依頼を終え、王都に帰ってきた。雨は止んだが空には重苦しい雲が立ち込め、辺りは薄暗い。大通りには点々と魔石灯の光が灯り、人々の歩みに合わせてゆらゆらと揺らめいている。


「それじゃあ、また明日」

「はい。お疲れ様でした」


 ギルド前でシィに手を振って別れる。


 また明日、か。シィにはそう言ったが、もう何度同じ事をシィに言えるだろうか。二回か、三回か。いずれにしろ旅の資金が貯まるまでもうスグだ。


 シィは何やかんやで三週間もの間、本当に無報酬で働いてくれていた。実際の依頼はシャグマ一人で十分だったから、正直なところ何か役にたったかと言うと首を傾げざるを得ないが。とはいえ、その頑張りには報いたい所だ。

 少しシャグマにも相談してみるか。


 〇


「リンネさん、研究所でのお給金を持ってきたんでぇ、余裕で資金が足りるようになりましたよぉ。明日には王都を出ますねぇ」

「マジか」


 机に広げた硬貨の前で笑みを浮かべるシャグマ。

 そういえばシャグマは死ぬつもりで研究所を出て、そのまま王都に来たんだよな。そりゃ研究所には色々と残したままだよな。

 いや、それよりも明日か。


「そりゃ、ずいぶんと急だな」

「用もないのに長居する意味もないですよぉ。馬車も予約済みですしぃ、荷物は纏めて置いて下さいねぇ」

「……わかった」


 シィに何かしてやりたいとは思っていたが、そんな余裕は無さそうだ。

 俺達の旅は時間制限つき。機が熟したなら、すぐにでも旅立たなければ。


 〇


 翌日、空は生憎の雨だった。馬車が欠便になるほどの土砂降りでもなく、雨具が要らないほどの小雨でもない。意識の片隅にまとわりつくような、不快な雨だ。


 俺とシャグマ、そしてシィは城門付近の馬車の待ち合わせ場所で顔を合わせた。


「本当に行くんですね」

「……ああ。急な話でごめんな」

「いえ。分かってたことですから」


 見送りに来たシィのどこか縋るような問いに頷きを返す。行かないという選択肢はない。ただ、少し別れが急すぎて戸惑っているだけだ。


「今までお世話になりました。シャグマさん。リンネさん」

「……ああ。俺もだ」

「お疲れ様ですよぉ」


 正直言って不安だ。旅立つことがではない。この危なっかしい傭兵を残していく事がだ。

 昨日の事で少しは落ち着きを取り戻してくれていればいいんだけど、人はそう簡単には変わらない。目を離したらまた功を焦ってゴブリンの群れに突撃していくんじゃないかと不安でしょうがない。


「? リンネさん、どうしたんですか? 難しい顔して」

「ああ、いや」


 その不安を解消する方法が一つだけある。

 簡単だ。シィが無茶しないように俺の視界の届く所に置いておく。つまり、シィを俺達の旅に連れていく事だ。

 だがそんな事は誰も望んじゃいない。シャグマからしたら背負う必要のない荷物が増えるだけだし、シィだってこの国を出る事を望まないだろう。

 要は完全に俺の自己満足だ。そして俺はそこまで恥知らずになる事はできない。


「シィ。まあ、なんだ。あんまり無茶はすんなよ」

「大丈夫です。昨日リンネさんと話して目が覚めました。もう一人で突撃したりはしません」


 ホントかなぁ……。

 そんなキラキラした瞳で言われても、今まで何度も突撃してるのを見てる身としては何も……


「信用、できませんよねぇ」

「おい。言ってやるなよ」

「だからコレを渡しておきますよぉ」


 シャグマが懐から1つのペンダントを取り出し、シィに渡した。


「ありがとうございます。……これは?」

「護身用の魔道具ですよぉ。魔力を流せば飾り部分に刻まれた魔法が発動して傭兵さんを守ってくれる、らしいですよぉ」

「ええ! そんな貴重なものを!? そんな、いただけませんよ!」

「いえいえ。傭兵さんは見ていて危なっかしいですしぃ、受け取ってくれないと安心して旅立てませんよぉ。ほら、ワタシ達を助けると思って」

「うう、そこまで言われるなら。ありがたく頂きます。ありがとうございます」


 シィは感動した様子で、震えながらペンダントを首にかける。飾り気のないペンダントは質素な輝きをもってシィの胸元で揺れている。

 シャグマ、いつの間にそんなものを。くそ、これじゃ何も用意してない俺がめっちゃ薄情なやつみたいじゃないか。


「おいシャグマ。なんだよアレ。聞いてないぞ」

「昨日研究所に帰った時に同僚から貰ってきたんですよぉ。試作品らしいですけどぉ。ワタシにしては気がきいてると思いませんかぁ?」

「ききすぎて俺が惨めだ。って試作品なのかよ。効果の方は大丈夫なのか?」

「装飾を付けてないから売り物としては微妙なだけで、効果だけなら問題ないらしいですよぉ」

「ならいいんだけど」


 俺だって旅立つのが今日になるって分かってりゃ用意したのに。なんか俺に出来る事はないか? 石刀でも作るか? いや逆に困るか。


「シャグマ・アミガサさーん! 出発しますよー!」


 そうこうしている内に時間が来た。俺達は御者に答えると、最後にもう一度シィに手を振った。


「じゃあな、シィ。達者でな」

「また縁があれば、という奴ですねぇ」

「はい。色々とお世話になりました」


 馬車の荷台に乗り込む。幌を打つ雨の音が騒々しい。俺達が乗り込んだ事を確認すると、御者は馬のような生物──エクテスに鞭を打った。


 幌の間から後ろを見れば、遠ざかる景色の中、シィがペンダントをぎゅっと握りながら手を振っているのが見えた。

 やがてそれも雨の中に紛れて見えなくなる。


「……ふぅ」


 適当な木箱の上に腰を下ろす。

 サスペンションのあまり効いていない荷台はお世辞にも座り心地は良いとはいえない。だが何となく気が抜けて、何かに寄りかかりたくなった。


「やっぱり別れっていうのは寂しいものですねぇ」


 シャグマも同じ気持ちなのか、その顔にはどことなく憂いが浮かんでいる。わずか三週間とはいえ、ともに時間を過ごした相手だ。その気持ちは痛い程わかる。


「というか俺はちょっと意外だよ。お前はシィの事、やっかんでると思ってたからさ」

「失礼ですねぇ。手のかかる子ほど可愛いて言うじゃないですかぁ。ワタシはリンネさんと同じくらい傭兵さんの事を可愛がってましたよぉ」

「おい待て。俺はシィほど面倒な奴だった覚えはないぞ」

「ひひひ。じゃあそういう事にしておきましょお」


 納得いかない。いかないが……そう言われるとそんな気がしてきた。俺はまだ研究所を出てから何も役に立ってないし。まあそれは今後の働きで挽回していこう。


 ……にしても馬車の中は暇だ。窓もないから景色を眺める事も出来ない。こんな事なら本でも買っておけばよかった。次の町についたらまず暇つぶし用の本を買おう。


「そういえばこの馬車って何処に向かってるんだ?」

「王都の南にあるローバッツという小さな町ですよぉ。馬車で四刻ほどですねぇ」

「そうか。……早くもケツが痛くなってきたんだが」

「お金ないんだから我慢してくださいよぉ」


 どうやら今回はこの馬車の護衛もかねて居るらしい。この幌馬車は荷台だ。つまり本来人が乗るようには出来ていない。そりゃキツイわけだ。


 四刻とはだいたい四時間ぐらいだ。まだ王都を出て一時間ぐらいしか立ってないのに、もうキツイ。座ってるのが木箱だし、揺れも激しいし、まあしょうがないんだけど……お?


「止まった?」

「みたいですねぇ」


 馬車はゆっくりとスピードを落とし、やがて停止する。何かあったのか。俺はケツを擦りながら立ち上がると、幌馬車から顔を出して御者に声をかけた。


「すいませーん。どうかしましたか?」

「あいや、なんかうちのエクテスが動こうとしないんでさぁ。ちょっと待っててくだせぇ」

「そうですか……わかりました」


 うーん。エクテスという動物について何も知らないから何とも言えない。うんこでもしたくなったか?

 って待てよ。


「前の方から誰か来てますよ。でもなんか、歩き方がおかしい様な」

「あん? どうせ浮浪者かなんかでさ。気にするこたないですぜ」

「いや、でもなんか……違和感が」


 視力を強化してよく見てみる。強まった雨足のせいでかなり見えづらい。だが確かに見えた。

 足を引きずり、腕を抑え、蒼白の顔に苦痛を浮かべながら歩く男。身に纏う革鎧は壊れ、その肩からは矢のような物が飛び出しており……


「っ! 怪我人か!」

「あ! お客さん!」

「シャグマ! 怪我人だ! 手当の準備を!」

「はぁい」


 荷馬車から飛び出し、怪我人の元へかけ出す。この雨じゃどんどん体力を奪われる。事情は分からないが、まずは助けなければ。


「大丈夫ですか!」

「……あ、ああ。よかった。人だ。助けてくれ。奴らが、ゴブリンが」


 ゴブリン? ゴブリンにやられたのか。確かに武装もしていない一般人じゃ仕方ないが、この人は武装している傭兵だ。まさかシィみたいに一人で群れに挑んだのか? いや、今はそんな事はどうでもいい。


「ひとまず馬車へ! 肩を貸します」

「ああ、ありがとう……ありがとう……」


 男性は既に意識が朦朧としている。無理もない。流血しているうえに、この雨で体力を奪われ続けている。1秒でも早い治療が求められる。


 怪我している部分を刺激しないようにしながら、馬車へと進み、御者のおっちゃんに声をかける。


「すいません! 手を貸してください!」

「ああもちろんでさぁ。俺は何をすれっがっ!!」


 横から飛来した弓が御者を貫く。

 御者のおっちゃんは肩口に突き刺さった弓の勢いに押され、地面に落ちる。


「おっちゃん!」

「がっ……ああ。痛てぇな。ちくしょう。何が」


 まだ息はある。致命傷では無かったようだ。だが安心はできない。矢が飛んできた方を見ると、緑色の影が木々の影で動くのが見えた。


「シャグマ! 敵襲だ! 俺達も狙われてる!」

「……困りましたねぇ」


 突然馬車を囲うように石の壁がせり上がり、俺達を守る即席の壁が出来上がった。雨の喧騒もどこか遠く聞こえる。荷馬車から魔法で灯りを灯したシャグマが現れ、ため息をついた。


「これはシャグマが?」

「時間稼ぎにしかならないですけどねぇ」

「いや、充分だ」


 俺達は御者のおっちゃんと負傷した傭兵を荷台に乗せた。容態は芳しくない。とくに傭兵の体力の消費が深刻だ。


「シャグマ。この場で治療はできるか?」

「応急処置ぐらいならぁ」

「魔法で治したりできないのか?」

「治癒魔法は教会が独占してるんですよねぇ」

「く。無いなら仕方ない。応急処置を頼む」


 俺は立ち上がり、幌馬車の外に向う。


「リンネさんは?」

「俺は外の敵を倒してくる。その傭兵の話じゃゴブリンらしい。壁の一部を開けてくれ」

「一人で大丈夫なんですかぁ?」

「俺を誰だと思ってる。俺は死なない事が取り柄の男だぞ。最悪の場合、俺は置いてってくれて構わないからな」


 刀を精製し、シャグマに視線で合図を送る。

 石の壁が開かれた。


「ギ?」

「やべ」


 瞬間、ゴブリンと目が合った。突然現れた石壁を前にどうするか思案していたのだろう。虚をついた形になったが、それはこちらも同じだ。


「おぉ!」

「グギャ!」


 突き出した刀がゴブリンの喉元に突き刺さる。そのままの勢いで外にとび出た俺が見たのは、シャグマの石壁を取り囲む何十匹ものゴブリンだった。まずい……!


「シャグマ! 早く閉めろ! 思ったより数が多い!」


 刀を引き抜きながら、その横にいたゴブリンに切りかかる。しかしそれは鎧に阻まれ、致命傷にならない。……って鎧!?


 周囲を見渡すせば、どのゴブリンも革の防具に身を包んでいる。ボロ布を纏ったり、下手すれば何も着ていないのがほとんどだったのに。


「ウソだろ……」


 今までにも短刀や盾など、武器を持ったゴブリンはいた。だがそれはゴブリンが作ったわけではない。死んだ傭兵から剥ぎ取った物や捨てられた武器を運良く拾ったゴブリンが使っていたに過ぎない。

 だが鎧を装備したゴブリンは今までいなかった。それは一重にゴブリンの体格に合う鎧がないからだ。ゴブリンは子供ほどの大きさしかない。そんな体格に合った鎧が落ちているわけがないのだ。


「まさか作ったのか……?」


 そんな知能がゴブリンにあるなんて聞いた事もない。だが現実として目の前のゴブリン達は全てが鎧を身につけている。


「くそったれ!」


 嫌な予感がする。だがそれを確かめるのは今じゃない。


「『風じ』って危な!」


 視界の端に弓を構えるゴブリンが見えて咄嗟に屈む。その隙にゴブリンは後ろに下がってしまった。


 一定の距離を取って盾を構えるゴブリンの列。その後ろではゴブリンアーチャーが弓を構えている。

 ……やばい。


「『石柱』!」


 咄嗟にはった壁に弓が突き刺さる。

 危なかった。石柱が無かったら今頃針の山だ。


「グギャギャ!」

「うおっ!」


 石柱で視界が狭まった隙をついて、左右からゴブリンが襲いかかってくる。まずい。石柱が邪魔で切り払えない!


「『石柱』!」


 俺の足元に石柱を出す。いかに鎧をつけているとはいえ、結局はゴブリン。その体格は小さい。少し高い所まで上がれば届かない。……だが。


「っく!」


 射線が通った俺を狙って狙撃がくる。頬を掠めた矢が一筋の傷を作る。あちらを立てればこちらが立たずだ。


 なら強引にでも、まずは後衛のゴブリンアーチャーを倒そう。


 石柱から飛び降り、ゴブリンアーチャーに向けて駆け出す。しかしその道を阻むように盾を持ったゴブリンが割り込んでくる。


「どけぇ!」


 勢いのままその盾に前蹴りを叩き込む。だが、重い。ゴブリンはゴロゴロと後ろに転がっていったが、俺も勢いを失ってしまう。


「があっ!」


 立ち止まった俺を狙撃が襲う。太ももに突き刺さった矢に思わず膝をつく。

 やばいやばいやばい。動け動かないと


「グギャギャ!」

「ギャギャ!」

「ギャッギャッ!」


 隙だらけの俺を前後からゴブリンが襲いかかってくる。

 足を潰された。武器を振るえる体制じゃない。俺の魔法じゃ決定打にかける。

 これは負けだ。……俺は死ぬ。間違いなく。

 だが、タダで死んでやるワケにはいかない!


「『自爆』」


 俺の体内で暴れ狂う魔力が、周囲を白く照らす。異常を察したゴブリンが慌てる様子を後目に、俺の意識は白く染め上げられた。


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