第27話

「今日はシャグマがいないから休みだ」

「いやです」


 依頼書を掴んで離さないシィに思わずため息が出る。こいつはどうしてこう、戦いになると向こう見ずになるんだ。


「シャグマさんがいなくても、二人で行けばいいじゃないですか」

「そうはいっても二人だけじゃ危険だろ? 俺達ははっきり言って弱い。もしも事故が起きたらどうするんだ」

「……あたしだって、もう一人前の傭兵です。自分の責任は自分でとります」


 シィは俺を無視して受付に行こうとする。俺はその肩を掴み押しとどめる。


「待てって」

「離してください」

「冷静になれよ。ほら、外は小雨で視界も悪い。それに相手はゴブリンの群れか? 一人でやるには分が悪い。明日にはシャグマも帰ってくるんだ。その依頼はシャグマが来てから……」

「離して!」


 肩を掴む手が弾かれる。

 振り返ったシィの瞳には、明確な怒りが宿っていた。


「恥ずかしくないんですか? 何かあればシャグマシャグマって頼って。シャグマさんはいつでも居てくれるわけじゃないんですよ。たまには自分一人の力でやってやろうって思わないですか? それでも本当に……」


 シィはそこまで言いかけると、急に気の抜けたようにため息をつき、背を向けた。


「もういいです。リンネさんが来ないならあたし一人で行きます」


 シィはそう吐き捨てるように言うと、受付に依頼書を叩きつけた。そのまま俺に一瞥をくれることも無くギルドを出ていく。


 まいったな。止められなかった。

 なんであんなに機嫌が悪いんだ? 昨日、もうすぐ王都を出るって行った事で何か思う所があったのか。

 理由はなんであれ、一人で行かせるのはまずいよな。

 ……仕方ない。


「おーい! わかったよ! 俺も行く!」


 〇


「別に無理して着いてくる必要はないんですよ」

「おいおい。寂しいこと言うなよ」


 俺とシィは小雨の振る中、目的の村に向けて草原を歩いていた。雨を弾くコートも着てきたので雨自体は大したことない。

 問題なのはシィの機嫌だ。シィはいまだに虫の居所が悪いようで、やたらと冷たい。


「どうせリンネさんは、シャグマさんがいないと何も出来ないんでしょう」

「そんな事ないぞ。確かに最近はシャグマに頼りすぎてたけど、俺だってやる時はやるんだ」


 シィに言われて気づいた。確かに俺はシャグマに頼りすぎていた。甘えていた、と言ってもいい。俺が無理言って連れ出したにも関わらず、金勘定や今後の予定、戦闘まで任せっきりだ。正直今のままでは俺がいる意味が無い。

 シャグマの病気が治ったら、次は俺の帰還方法を探すことになる。その時にシャグマが居てくれるとは限らない。今からでも自立できるようにならなければ。


「俺はこう見えてシャグマに勝った事もあるんだ」

「……期待しないでおきます」


 やっぱり冷たい。

 仲間の不和はコミュニケーションの不足に繋がり、コミュニケーションの不足は命の危機に繋がる。特にこういう命を落とす危険性のある場所では。

 できればシィの機嫌が悪い理由を聞いておきたいが、どう聞くべきか。普通に聞いて答えてくれるのか。


「着きましたよ」


 シィの声に顔を上げると、目の前に鬱蒼とした森が広がっていた。小雨が降っている事もあり視界が悪い。霧がかったような景色は、どこか薄気味悪かった。


 どう聞くか考えている間に着いてしまった。仕方ない。聞くのは依頼を終えてからだ。


『ゴブリンの駆除

 報酬:ゴブリン一体につき2500ギル

 概要:村近くの森にゴブリンが住み着いている事が分かりました。村民がよく山菜取りに行くので、いつ被害が出るか分かりません。早急に駆除してください』


「この依頼って何体ぐらいゴブリンを倒せばいいの?」

「全部です」

「全部? 何匹いるかわからないのに?」

「はい。いわゆる人気のない『残飯』です。……リンネさんがもっと早く来てくれてたらこんな『残飯』に手をつけなくて済んだんですけどね」

「……ごめん」


 朝一のギルドはより割のいい依頼を取ろうとする傭兵でかなり混み合う。今日はもともと依頼を受ける気は無かったし、その混雑に巻き込まれるのが嫌だったので少し遅れて行ったのが仇となったか。

 まあ受けてしまったものは仕方がない。

 俺はシャグマから教えてもらった魔法陣で刀を精製した。


「とりあえず行くか。俺が前に出るからシィは後ろに」

「逆です。あたしが前に出ますから、リンネさんは後ろをお願いします」

「あ、おい」


 シィは一方的に告げると、すたすたと進んでしまう。仕方なくその後ろをついていく。


 ……やっぱり先に話し合った方がいいか? いつも通りと言えばそうなんだけど、シャグマのいない今、あまり無茶はできない。

 でももういつゴブリンが現れてもおかしくない。悠長に話し合っている訳にはいかないよな。いや、今だからこそ話すべきか? ゴブリンが出てからじゃ遅いし。


「なあシィ」

「いた!」

「えぇ!?」


 シィは突然叫ぶと、森の中へと駆け出した。考え事をしていた俺はスグには動けず、遅れをとる。


「ちょ、待てよ!」


 くそ、霧のような雨のせいで視界が悪い。一瞬でシィを見失う。


「グギャ!!」

「っ! そっちか!」


 ゴブリンの断末魔が聞こえてきた方にかけ出す。

 その先にはゴブリンに片手剣を突き刺したシィがいた。ゴブリンは既に事切れているのか、ぴくりとも動かない。


「はぁ、はぁ、リンネさん、ようやく来たんですか。もう終わ」

「バカ! 後ろ!」

「え?」


 シィの背後の草むらに隠れていたゴブリンが飛び出し、短刀を振り上げる。もう終わったと思って油断していたシィに防ぐ手段はない。

 くそ、間に合え……!


「『石柱』!」

「きゃっ!」

「グギャ!?」


 シィの足下からせりあがった石柱がシィを持ち上げる。ゴブリンの短刀は狙いを外れ、石柱に弾かれた。


「はっ!」

「ギィィ!」


 隙だらけのゴブリンを刀で切り裂く。その小さな体を袈裟斬りにされたゴブリンは、いとも容易く絶命した。

 周囲に他にもゴブリンがいない事を確認し、刀についた血を払う。


「よし、今度こそ片付いた。シィ、降りてきていいぞ」

「あ、うん。ありがとう……」


 ぽかんと間の抜けた表情をしていたシィがおずおずと降りてくる。その間にゴブリンから魔石を剥ぎ取っておく。


「よし、じゃあとっとと離れるか。血の匂いに他の魔物まで集まってくるかもしれない」

「はい……」


 死にかけたせいか、シィに覇気がない。いつもなら俺を追い越して前に出ようとする所なのに、とぼとぼと俺の後ろをついてくる。

 ……これは良くないな。気負い過ぎてから回るのも問題だが、気が抜けて注意散漫になる方も問題だ。


「シィ」

「はい」

「一回休憩にしよう。そこの木の影でいいか?」


 適当な木の影を指差す。シィがこくりと頷くのを確認し、木の根に腰を下ろした。

 霧のような雨もここまでは届かない。俺は刀についた血を布で拭きながらシィに問いかけた。


「あーその、なんだ。本当は今回の依頼が終わってから聞くつもりだったんだけどさ。なんで今日はそんなに気負ってるんだ?」


 気負い過ぎてから回るのはいつもの事だが、今日はまた一段とひどい。焦っているのか、それとも別の理由か。


 シィは俯いたまま何も言わない。それでも俺は辛抱強く待った。

 木の幹に寄りかかる。シィに不要なプレッシャーをかけないように、降り注ぐ霧雨を眺めながら。


「頼ってたのは、あたしなんです」

「ん?」

「さっきはリンネさんに『シャグマさんに頼ってる』って言いましたけど、あれはあたしの事だったんです」


 顔を上げたシィの瞳は濡れている。きっと雨のせいだろう。


「あたし、英雄になりたいんですよ」

「英雄?」

「はい。王都、いや国中にその名を轟かせ、知らない人が居ないぐらいの英雄に」


 そういえば前に言ってたな。『あたしと一緒に王都で英雄になりましょう』みたいな事。あれは本気だったのか。


「それはなんで?」

「あたしの父は凄い傭兵だったんです。強いだけじゃなくて頭も良くて、爵位を貰うぐらい凄い人なんです。父はあたしに強くあるよう望み、あたしも偉大な父の期待に応えようとしました。……でもあたしには才能がなかったんです」


 度々シィは口にしていた。『あたしに才能がないから』『あたしが弱いから』と。それはきっと父に失望されたというコンプレックスから来ているのだろう。


「父に見放されたあたしは、それを認めたくなくて家を出て傭兵になりました。いつか英雄と呼ばれるような成果を出せば、父もあたしを認めてくれるはずだと」


 なるほど。何となくわかった。シィがやたらと成果を出そうと前のめりになる理由。成果をあげるために傭兵になったはいいが、いつまで経ってもそんな兆しは見えない。そうやって時間ばかりが過ぎるなか、焦りと現実に背中を押され続けていたのだろう。


「いつしか傭兵を始めたばかりの頃からの仲だった仲間にも愛想を尽かされ、あたしは一人になりました。そんな時に出会ったのがシャグマさんとリンネさんです。様々な魔法を手足のように操るシャグマさん、そして莫大な魔力を持つリンネさん。お二人の力があれば、あたしも英雄になれるんじゃないか。あたしがお二人の仲間になろうとしたのは、そういう下心があったからです。」

「なるほど。でもあんまり役には立たなかったんじゃないか? 戦闘とかはシャグマがほとんど一人で片付けちゃうし、俺は魔力だけの男だし」

「その通りです。あたしが出来る事はほとんど無かった。でも、それでも良いと思ってました。この人達について行けば、あたしもいつかは英雄になれるって。そう思っていました。……でもそれはあたしに都合のいい妄想でした」


 俺とシャグマは王都を、そしてこの国を出る。この国で英雄になるというシィの夢は叶えられる事はない。


「結局あたしは何も変わらないまま。ただ凄い人の傍に立って、自分も凄くなったと勘違いしているだけの無能なんだって。気づいてしまったんです」

「それがシャグマに頼っていた、って事か」

「はい。でもそんなの認めたくなくて。あたしは一人でもやれるって事を証明したくて。でもやっぱりダメですね。あたしは結局、リンネさんにも迷惑をかけてしまいました」


 今日シィの様子がおかしかったのはそういう理由だったのか。ようやくわかった。

 いつまでもパッとしない現実。焦りばかりの中に見えた光明。でもそれは幻に過ぎないと分かってしまった。焦りが増すのは当然か。


 シィは言いたい事は言い切ったのか、それっきり顔を伏せて黙りこんでしまった。

 さて、こういう時なんて声をかければいいんだろうか。何か気の利いた言葉でも出せればいいんだけど、生憎そういう事には縁がない。


「シィ、そんなに自分を卑下する事ないぞ。世の中にはアレがしたい、コレがやりたいと言うばかりで、その実、何の努力もしないような奴らばかりだ。それに比べれば、前に進もうと藻掻いてるぶん立派さ」

「それが実るはずも無い、無駄な努力だとしてもですか?」

「そんな事誰が決めた? お前まだ18だろ? 人生長いんだから、あと80年やって無理だったら諦めりゃいい」

「80年も生きられませんよ……」

「ああそうさ。だから夢を諦めるのは死ぬ時だ。ベッドの中で孫息子に看取られながら、『届かなかった』って思いながら瞳を閉じる。そこまでやって届かないなら、諦めもつくってもんだ」

「なんですか、それ」


 シィの顔に微笑みが浮かぶ。シィは手の甲で目元を拭った。よかった。なんとか持ち直してくれたみたいだ。


「でも何だか楽になりました。確かにまだ諦めるには早いですよね。もうすぐ死ぬわけでもないのに、少し焦りすぎてたみたいです」

「分かってくれたか」

「はい。やっぱりリンネさんに話して良かったです」


 シィは瞳を閉じ、苦しそうに胸元に手を当てた。


「あたし、リネンさんが亡くなった時、もう傭兵を辞めようと思ってたんです。あたしは英雄になるためなら自分の命だって惜しくはないです。でも自分の弱さのせいで人が死ぬのは耐えられなかった。あたしの弱さが人を殺すなら、あたしは傭兵を続けるべきじゃないって」


 酒場で泣きわめくシィを思い返す。下手すれば自刃しかねない程の錯乱具合だった。


「でもリンネさんが傭兵を続けてもいいって言ってくれた。だからあたしはまだ傭兵を続けている。思えばあたしが今ここに居るのはリンネさんのおかげなんですね」

「確かにな。ちなみに傭兵を辞めた後はどうするつもりだったんだ?」

「そりゃあ首をつるつもりでしたよ。英雄になれないあたしの人生に価値なんてないですから」

「え」


 真顔でそう言ってのけるシィに言葉が詰まる。ブラックジョークを言っているようには見えない。純度100%の本心だ。


 ……シィに真っ先に必要なのは『他の選択肢』を得ることかもしれない。

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