第26話

 ゴブリンの腹に刀を突き立てる。もがくゴブリンを蹴って刀を抜き、飛びかかってきたゴブリンを切り捨てた。


「リンネさぁん。腹は切らないでくださいよぉ。魔石が壊れたらどうするんですかぁ?」

「そんな、事まで、気使ってる、暇、ないわ!」


 息を切らせながら襲いかかってくるゴブリンに刀を振るう。


「っぶね!」


 木々の隙間から顔を出したゴブリンの矢が頬を掠める。慌ててそちらに向けて『火球』を放つ。


「グギャ!」


 直撃したゴブリンが燃えながらのたうち回るのを確認し、正面に向き直る。残るゴブリンは一体。俺は刀を振り上げ


「てやあ!!」

「あっ、おい」


 木の影から飛び出したシィがゴブリンを貫く。ゴブリンはまだ生きていたが、シィが盾で何度か殴り続けると動かなくなった。


「どうですか! あたしもやりました!」

「ふぅ。まあいいか。おつかれ」


 労うと嬉しそうに笑う。なんだか小型犬みたいだ。


 〇


「はい。依頼完了ですね。こちら報酬です。お疲れ様でした」


 受付嬢から報酬の入った袋を受け取った。ずっしりとした銅貨や銀貨の重みには達成感を感じる。

 王都に来て三週間ぐらいか。その間毎日毎日雨の日も曇りの日もゴブリンを狩ってきた。おかげでだいぶ傭兵の仕事にも慣れてきた。


「あと、リンネさん宛に手紙が届いていますよ」

「あ、どうも」


 送り主は……オルグからだ。

 この間送った手紙の返事だろう。


 受付嬢に頭を下げながらシャグマとシィが待つ酒場に向かう。


「ほい。今日の稼ぎだ」

「どうもぉ」

「あれ、リンネさん。そっちは何ですか?」

「これ? ただの手紙だよ。色々と世話になった人というか、迷惑かけられた人というか、まぁそんな感じの人からな」


 手紙を懐にしまいながら答える。

 どうせ内容は大した事ない。読むのは宿に帰ってからでいいだろう。


「手紙ですか。……あたしも書いてみようかな」

「いいんじゃないか。ちなみに誰に?」

「父親です。実はあたし、親に反発するような形で家を飛び出してて、もう長い事連絡を取ってないんですよね」


 シィは家出少女だったのか。13歳から傭兵やってるんだよな。という事はその辺りからずっと? なかなかのヤンキーだ。


「シィはお父さんとは仲直りしたいのか?」

「はい。家出こそしましたけど、父の事は尊敬しているんです」

「だったら書くべきだな。親ってのはいつまでも居てくれるわけじゃない。ある日突然、なんの前触れもなく会えなくなる事もあるんだ。そうなった時に悔いが残らないようにしないとな」

「……分かりました」


 親、か。

 今頃俺の両親はどうしているだろうか。もうこの世界に来て半年近くたつ。突然俺が消えて心配しているだろう。とんだ親不孝者になったもんだ。

 親だけじゃなく、友人やバイト先にも迷惑をかけているだろう。なんか考え出したら元の世界が凄い恋しくなってきた。くそぅ、早く帰りてぇよ。


「ひい、ふぅ、みぃ。……よし、もうそろそろですねぇ」

「ん? 何がだ?」


 シャグマが今日の稼ぎを数えながら何やら計算をしている。


「目標にしていた金額まであと少し、ですよぉ」

「あ、じゃあ」

「はい。もう時期王都を出ますよぉ」

「おお!」


 シャグマとハイタッチをして喜びを分かち合う。これまで毎日毎日ゴブリンを狩っていた甲斐があるってもんだ。

 だが喜び合う俺達とは対照的に、シィはポカンとしている。


「え、お二人共、王都から出ていっちゃうんですか……?」

「そういえば言ってなかったけ? そもそも俺達が金に拘ってたのは旅費を貯めるためなんだ。そうなったらさすがにシィとはお別れだな」


 ソーン大森林へ向かうための旅費稼ぎ。傭兵業はそのための手段でしかない。


「そんな! あたし達で王都の英雄になるっていう約束はどうしたんですか!」

「……そんな約束はした覚えはないんだけど」

「行かないでくださいよ~。一緒に王都で頑張りましょうよ~」


 すがり付いてくるシィを引き剥がす。

 そもそもシィはお試しで仲間にしていたに過ぎない。シィには申し訳ないが、これ以上は無理だ。


「シィ。仮にも三週間俺達の戦いを傍で見ていたなら、もう大丈夫だ」

「何が大丈夫なんですか。この三週間で分かった事なんて、シャグマさんが強すぎて参考にならない事と、リンネさんがそんなに強くない事だけですよ」

「あ、てめ、言いやがったな。言っちゃいけない事を」


 シィの言う通り、俺は大して強くない。それでもシィよりは強いと思うが。


「そもそも何処に行くんですか。それって王都よりもいい場所なんですか」

「ソーン大森林だ」

「そ、ソーン大森林! あの帰らずの森に!?」


 シィは素っ頓狂な声を上げると、怯えたようにその身を震わせた。


「え、そんなにやばい所なの」

「やばいなんてモンじゃないですよ。エルフが支配する大森林。天然の迷路と化した森は一度踏み込めば決して帰ってこられない。命知らずな人攫いがエルフを捕まえようと森に入ったら、次の日森の入口にその死体が貼り付けられてたって話ですよ」

「ええー……」


 シャグマの方を見ると、素知らぬ顔で豆のようなモノを摘んでいる。この野郎、知ってて黙ってたな。


「おい。どういう事だよ。そんな危険なんて聞いてないぞ」

「そんなのただの噂ですよぅ。行ってみれば案外安全だったりするかもですよぉ?」


 そんなワケないという事はシャグマのイタズラっぽい表情を見ればわかった。


「ね? ね? 危険なんですよ、ソーン大森林は。それよりこの王都で名を挙げた方がいいと思いません?」

「……いや、それでも行く」

「なんで!」

「実は、というか見ての通りなんだが、シャグマは病気なんだ。俺達はそれを治すための手がかりを探して旅をしている」


 シャグマの右目を覆う包帯を示す。さすがにその下はショッキングすぎるので外して見せることは出来ないが。


「その手がかりは何処にあるのかは分からない。だがソーン大森林にあるかもしれないっていうのら俺達は行く」

「……それが、死ぬかもしれないのにですか」

「ああ。たとえ俺が死んでも、シャグマを生かす方法を見つける」


 まあ俺は死なないんだけど。

 しかし俺が復活する事なんて知らないシィは、俺の覚悟を感じ取ったのか、力なく俺の胸元を掴んでいた手を離した。


「分かってくれるか」

「はい……。あたしにも『死んでも成し遂げたい夢』っていうのはありますから。リンネさんの気持ちも分かります」


 シィはゆらりと立ち上がると、そのまま出口へと向かう。


「あたし、今日はもう帰りますね。お疲れ様でした」

「あ、ああ。おつかれ」

「おつかれぇ」


 夕闇の中に消えていく亜麻色の後ろ姿。

 どこか不安を煽るその背中を、俺はただじっと見送った。


 〇


『オルグへ

 手紙を書けって言われたから書いてみるけど、正直書く内容がない。とりあえず今後の予定だけ伝えとくわ。これからソーン大森林に向かう予定。しばらくは金を稼ぐために傭兵ギルドに登録する事になった。もし返信したかったら傭兵ギルド宛でよろしく。

 あと俺の帰還方法を早く見つけてくれ


 リンネより』


『親愛なるリンネへ

 元気そうでなによりだ。だがソーン大森林か。私も行ったことはないが、あまりいい噂は聞かないな。入念に準備をしてから行くようにすること。どうしても困った事があったら私を頼ってもいい。できる限り力になろう。

 そういえば傭兵ギルドといえばウォルドには会ったか? 奴とはかつて肩を並べて戦った仲だ。頭はアレだが、腕っ節だけは頼りになる。お前が最強になるためのヒントをくれるかもしれない。機会があれば教えを乞うといい。

 それとシャグマ女史に、研究所の私物をどうするのか聞いて欲しい。取りに来るつもりがあるなら残しておこう。

 帰還方法についてはまだ研究中だ。なにか目立った成果が出たら知らせる

 色々と書いたが、お前の事は応援している。存分に、生きたいように生きろ。


 ヴィ・オルグより』


「おーい、シャグマ。オルグが私物取りに来るかってよ」

「あぁ、そぉですねぇ。公認なら一度戻るのも手ですよねぇ」


 本を読むシャグマに声をかける。シャグマは王都にいる間も治療のヒントに繋がるものがないか、本を買っては調べていた。そのせいで王都を出るのが少し遅れたりもしているが、必要経費だ。


「確かに着の身着のままで来たから少し困ってたんですよねぇ。明日早速行きましょうかぁ」

「おう。俺はどうする? 一緒に行くか?」

「一人で大丈夫ですよぅ。そうですねぇ。リンネさんは明日ギルドに行って、傭兵さんに休みにする事を伝えてください」

「わかった。……それはいいんだけどさ」


 俺はずっと気になっていた事を聞くことにした。


「シャグマってなんで人の事を名前で呼ばないんだ?」


 色々あって俺の事は名前で呼ばせる事には成功したが、それ以外で人の事を名前で呼んだのは見た事がない。今もシィの事は『傭兵さん』と呼んだし、俺よりよっぽど付き合いの長いオルグですら『所長』呼びだ。


「……大した理由じゃないですよぉ」


 シャグマは読んでいた本を閉じると、ベッドに座る俺の隣に寄り添うように腰掛けた。


「人との別れは、やっぱり寂しいものじゃないですかぁ。死に別れともなれば、なおさら。仲が深ければ深いほど、残された人の心には鋭利な傷がつくんです。それぐらい、ワタシにもわかりますよぅ」


 シャグマはそっと目を閉じ、包帯ごしの右目に手を当てる。その瞳の裏に何を見ているのか、俺にも何となく想像出来た。


「だからワタシは、他人と必要以上に仲良くなるのを避けてきたんですよぉ。ワタシはいずれ死ぬ運命。誰かと仲良くなって、いざ別れる時に悲しませないために」

「……こう言っちゃなんだが、意外だな。お前はもっとこう、人の心を失くしたような奴だと思ってたけど」

「ひひひ。それケンカ売ってるんですかぁ?」

「とんでもない。褒め言葉だよ」


 自分が死んだ後のことまで考えている。果たして俺は、自分が死ぬとわかっていて、そんな先の事まで考えることが出来るだろうか。

 ……出来ないだろうな。俺ならたぶん、自暴自棄になる。昔、ノストラダムスの終末予言の時、信じた人が自暴自棄になったと聞いたが、あながち他人事でもない。


「でもぉ、もうそんな心配する必要無いかもしれないですねぇ」

「え?」

「だってぇ、もうワタシが死ぬ事はない、そうですよねぇ?」


 シャグマがイタズラっぽく笑う。

 そしてそのまま、その顔が近づき、


 ちゅっ


 接触は一瞬だった。ほんの瞬きの間にシャグマは離れており、俺の勘違いだったんじゃないかとすら思ってしまう。ただ、俺の唇に残る確かな熱が、それが現実である事を教えてくれた。


「え、いま、え?」

「ひひひ。なぁに惚けてるんですぅ? あんなに愛し合った仲じゃないですかぁ」


 シャグマは魔石灯の灯りを消すと、そのままベッドへと潜り込んだ。


「ワタシはもう寝ますねぇ。リンネさんもあんまり夜更かししちゃダメですよぅ」

「あ、ああ。わかった」


 思考もまとまらないまま、ほとんど無意識のまま自分のベッドに入る。

 いまさらキス一つで翻弄されすぎだろ、とは自分でも思う。海外じゃキスは親愛をあらわす挨拶に過ぎないんだ。シャグマもそれと同じような感じでやったにすぎない。そうに違いない。

 ……いやでも挨拶にしてもマウスtoマウスはやらなくないか? それにこの世界に来てからキスを挨拶としてやっている人は見た事ない。そんな文化無いんじゃないか。

 いやシャグマのルーツは二フォンの文化。二フォンにはそういう文化があるのか? いや日本人が日本を思って起こした国ならそれはありえないか。

 じゃあ今のキスは……?


 ええい。やめだ、やめ。

 もう俺だっていい大人なんだから、いまさらこの程度で動揺するな。シャグマだって、特に深い意味があってやったわけじゃないだろう。

 寝よう。寝て全部忘れよう。

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