英雄の死
第21話
地平線から顔を覗かせた太陽が広大な草原を照らし出す。夜露がその光を反射しキラキラと輝く様は、日本ではそうそうお目にかかれないだろう。
思えば俺はこの世界に来てから訓練しかしていない。こんな風に景色を楽しんだりとか、美味しい料理に舌ずつみをうったりとか、そういうこの世界を楽しむという事をしてこなかった。まあ正確に言えばさせて貰えなかった、だが。
せめてこれからは、めいっぱい味わい尽くしたいもんだ。
「リンネさぁん。なぁに呆けてるんです? 夜が開けちゃったじゃないですかぁ」
「ああ、すまん」
シャグマが振り返ってこちらを見ている。俺は小走りで追いつくと、再び歩き出した。
「なぁシャグマ。王都まではあとどれくらいで着くんだ?」
「あともう少しですよぉ」
「なんか前も同じ事言ってた気がするんだけど」
体感では二時間ほど歩いた気がする。体力的にはそれほど問題はないが、いかんせん寒い。ついさっきまで雨が降っていたことに加え、先の戦闘で服が壊れたせいで、今の俺は裸にシャグマから借りたローブのみという変態不審者スタイルだ。時折吹く冷たい風が身に染みる。
「というかこんな格好で王都入れるのか? 」
「そこはほら、追い剥ぎにあったとかで誤魔化しましょう。ワタシは身ぐるみ剥がれた哀れな旅人を保護したとか、そんな感じでぇ」
うーん。確かにそうした方が自然か。
「あーあ、いっその事本当に追い剥ぎが出れば逆に服を剥いでやるのに」
そんな縁起でもない話をしていたせいか。
俺の耳は遠くから聞こえる争いの声を捉えた。
「……ケンカか?」
「こぉんな平原のど真ん中でですかぁ?」
確かにそれは不自然だ。
それに人の声だけでなく、甲高い猿の鳴き声のようなのも聞こえる。
「ゴブリンの鳴き声、ですねぇ」
「それって……誰か襲われているって事か?」
「おそらく」
「っ! 行くぞ」
俺は石刀を生成しながら駆け出した。
もし誰か襲われているなら助けなければ。
「いた!」
見れば緑色の小人の集団に襲われる一人の戦士。左手に盾、右手に剣を持ち、果敢に小人と戦っている。だがいかんせん小人の数が多い。既に身に纏う鎧はほとんどその意味をなしておらず、全身至る所から血を流している。
「今助ける!」
「なっ!」
戦士に襲い掛かろうとしていたゴブリンを石刀で殴り飛ばしながら前に出た。途端、ゴブリン達の敵意の視線が突き刺さる。
(これが……ゴブリン)
実物を見るのは初めてだ。
創作物ではもはや見飽きた存在だが、実物はなんというか生々しい。しわくちゃの顔も、緑色の肌も、ワケもなく敵意を剥き出しにした表情も、何もかもが。下手に人に似ているせいで、見ているだけで強烈な違和感と不快感がある。
「誰だか知んないけど、ありがと」
「礼には及びません。それより貴方は下がっていてください」
「こんな所にゴブリンが出るなんて珍しいですねぇ。とっとと片付けましょお」
飛びかかって来たゴブリンの小剣を石刀で受け止め、その顔面を蹴り飛ばす。生々しい感触が足に残る。
ゴブリンの身長は俺の半分程というのもあって、若干剣が振りづらい。下手に剣を使うより蹴った方が楽か。いや、それよりも……
「はっ!」
俺は血に倒れ伏すゴブリンの腹部を足で押さえつけると、その喉元に剣を突き立てた。ゴブリンは苦悶の表情を浮かべ、体を痙攣させた。剣を引き抜くと、ゴブリンの喉元から噴水のように緑色の血が吹き出す。
これが一番確実か。
「よし次!……ってあれ?」
振り返ると既に戦闘は終わっていた。
辺りにはシャグマに蹂躙されたのであろう、ゴブリンの生首や焼き焦げた死体が転がっており、中々に凄惨な光景だ。
「遅いですよぉ。リンネさん。修行が足りないんじゃあないですかぁ?」
「お前が早すぎるんだよ。というかお前これが出来るなら俺との戦い余裕で勝てたよな……?」
「おっと。そこの人、お体の具合はどうですかぁ?」
「無視すんなし」
まあ今はそれは置いておこう。
俺は先程までゴブリンに襲われていた戦士の様子を伺った。
「はい! おかげで、何とか。防具は壊れちゃいましたけど」
「まあまあ命あってのモノだねですよぉ」
お前がそれ言う?
まあ別にいいんだけど。
「あ、申し遅れました。あたしは王都で傭兵をしているシィっていいます」
シィが兜を外すと、その下から亜麻色の長髪が流れる。傭兵をやっているとは思えないほど整った顔立ち。それまで兜を被っていたせいでくぐもっていたが、女性らしい涼やかな声をしている。
「女だったんですね」
それは純粋な驚きから来た言葉だった。それ以上でもそれ以下でも無かったが、どうやらシィは気に食わなかったようで、眉を釣り上げた。
「あたしが女で、何か問題でも?」
「え」
「あたしが女で、弱いからって傭兵やってちゃダメなんですか!?」
「あ、いや。そういうつもりで言ったわけじゃなくて。機嫌を損ねたならすみません」
「まあまあ。とりあえず応急処置しときましょう。病気になると困りますしぃ。…………リンネさんはあっちで周囲の警戒でもしといてください」
シャグマに促され、その場を離れる。
女心と秋の空ってか。急に怒り出すなんて怖いなぁ。仮にも俺、命の恩人だと思うんだけど。
それともそれだけ気にしているという事か。女である事を指摘しただけであの反応だ。普段からそういう事言われて敏感になっているのだろう。やっぱりこの世界でも戦うのは男で女は家事をする機械みたいな扱われ方されてるんだろうか。研究所で過ごしてる分には特にそういうの感じた事無かったけど。
「おっと」
考え事をしていたせいでゴブリンの死体につまづきそうになった。中々にグロテスクだ。あまり見ていたくない。でもいくらゴブリンでも死体をこのまま放置するわけにはいかないよな。死体は放置すると感染症とか悪臭の元になるって聞いた事あるし、火葬なり土葬なりしないと。
「リンネさぁん。戻ってきていいですよぉ」
「おう」
ゴブリンの死体を運んでいるとシャグマから声がかかる。俺は死体運びを切り上げるとそちらへ足を
「え」
胸から生える赤い刃。
恐る恐る背後を振り返ろうとした所で、背中を蹴られながら刃が引き抜かれる。
「かはっ」
どくどくと流れる血に溺れる。手足が急速に冷え、酸素の送られなくなった脳が朦朧とし始めた。何とか下手人を見上げれば、憎悪の表情でコチラを睨むゴブリンと目が合う。
「『風、刃』」
「グギッ!!」
最後の力を振り絞って放った風の刃は、威力も狙いも定まらず、その顔面を斜めに切り裂くに留まる。薄れゆく意識の中、甲高い悲鳴と逃げざるゴブリンの背中が見えた。
目を覚ますとそこは研究所の外。オルグと戦ったクレーターの上だった。周囲を見渡すと、戦いの後始末をするオルグと研究員達が驚いたようにこちらを見ている。
「……ずいぶんと早い帰りだな。リンネ」
「てへ」
呆れたようなオルグの視線が痛い。
俺だってこんなに早く戻ってくるなんて思ってなかったさ。
「まあせっかく来たのだ。茶でも飲んでいくか?」
「え、いいの?」
「ああ。もはやお前は自由だ。どこへ行くとも好きにするがいい。その先がこの研究所だとしても、私は歓迎する」
それってあんな感じの別れだったけど、俺の事正式に認めてくれたって事でいいんだよな? やだ、カッコイイ。
オルグが数人の研究員を引き連れて中に向かう。俺もそれに続いて中に向かった。
〇
「なるほど。油断してゴブリンに殺された、と」
「いやぁ。お恥ずかしい」
服をもらってお茶を飲みつつオルグと話す。もう話す事はないと思っていただけに、なんだか変な感じだ。
「ふっ、油断した傭兵や騎士がゴブリンに殺されるのはそう珍しい話ではない」
「あれ、そうなん? 俺の認識だとゴブリンってザコ敵なんだけど」
「それも間違いではない。ゴブリンは一体一体では確かに弱い。だが数の力は偉大だ。群れたゴブリンは龍をも討つ、という言葉にもあるように、ゴブリンの群れは決して侮ってはならない相手だ。かつてゴブリンキングの指揮するゴブリン達が一国を滅ぼした事もある」
「へー」
確かに普通の人間は同時に四方向から来る攻撃を防ぐ事は出来ない。あのシィという傭兵も、一体一ならゴブリンなど歯牙にもかけなかっただろうが、周囲を囲まれたせいで負けていた。
なるほど。だからシャグマもあんなに素早くゴブリンを殲滅していたんだな。ゴブリン達に囲まれる危険性を知っていたから。
「リンネさん~旅の準備ができましたよ~」
「ありがとうございます。カレンさん」
「いえいえ~」
俺はカレンさんから数日分の衣類と携帯食糧、ついでにお金の入った巾着袋を受け取るとそれらを背負った。
「もう行くのか」
「ああ。シャグマも待ってるしな。今頃寂しくて泣いてるかも」
「ふっ」
相好を崩すオルグ。
ここに来た時は、オルグとこんな冗談を言える仲になるとは思わなかった。やっぱり険悪なのより、仲良くした方がいいよな。
「リンネよ。お前からしたら妙な話かもしれないが、私はお前の事を息子のように思っていた。たまには手紙でも書いて近況を知らせてくれ」
「ああ。気が向いたらな」
俺はオルグとカレンさんに手を振ると研究所を飛び出した。
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