第36話 セネメレク
幽鬼のごとき男が湿地に立った。
元は白かったのであろう
おぞましい
男は祈るようにうつむいたまま、
「セネメレク、なにかあれば伝えるけど? ……あっそ。『死せよ、滅びよ、呪われてあれ』、だそうだよ」
ギョロ目の男――セネメレクの隣で、透良が肩をすくめた。
だがセネメレクは我関せずだ。ひたすら気味悪く唇を動かして呪詛をつぶやいている。紹介されたことにも気づいていないのかもしれない。
ただ千星が気になるのか、彼女を時折ちらちら見ていた。
「そのフレーズ……!」
握りしめた手の腱がきしんだ。
透良が嘲るような口調で紡いだそのフレーズには、聞き覚えがある。
クイーンとして君臨したこと。
そして、そのフレーズ。
もう認めるしかなかった。
「透良。お前が、この世界の運営者だったのか」
透良が皮肉げに口をゆがめた。
「大正解。この世界を維持しようとする側だよ。ま、でも運営なんて呼ばれるほどたいしたもんでもない。そのための杖を調達できたのもついさっきなくらいで、出来ることと知っていることが他人より少し多いってだけさ。この数字だってちゃんと本物。誘われてもいないのに楽園に不法侵入する文字無しもいるらしいけど、あたしはちがう」
透良は銃を持ち替えると、手袋をずらして己の右手のひらを明人たちに見せつけた。
そこにある数字は【3】。
あと、3日の命。
「どうしてだ。ここにいたら死ぬって知ってるんだろ。なのに、なんでそんなバカなことを」
「……うるさいな。
明人の言葉を透良はさえぎった。
「そりゃたしかにこっちはいられる時間が短いかもしれない。けど、こっちには自分の人生がある。自分の居場所がある。自分のために生き、自分のために死ぬことができる……!」
透良は歯を強く食いしばり、唇のはしを下にねじ曲げた。
ひょうげた仕草の後ろに、これほど激しい感情を隠していたのかと明人が驚くほどの、怒りの表情がそこにあった。
「誰がなんと言おうと、ここはあたしの楽園だ。あたしの望む生き方ができる、あたしの居場所だ。誰であろうと壊させはしない」
泣いているような冷たい目が明人をにらんだ。
「透良……」
「あわれむな。あわれまれるのは大嫌いだ。それに変なことでもないだろ。誰だって、自分の理想は自分の居場所で探すしかないんだ。それがどんな場所でも、残り時間がわずかでも……!」
透良の周囲の黒煙がうずまきはじめた。
なにかを仕掛ける気だ。
先代クイーンを倒した、ジニーの一斉射撃か。
と。
ピピピピピ、と電子音がした。透良のほうからだ。
黒煙の動きが止んだ。
「こんなときに」
透良が苦い顔で舌打ちした。
ふうっと息をはくと、つま先でリズミカルに地面をたたき始めた。
「……?」
なんのつもりかといぶかしんでいると、とつぜん透良がAK-47を上に放り投げた。
宙を高く舞う銃が黒い煙と化し、大きな猛禽類風のモンスターに変わって羽ばたいた。
と思うと、一声鳴いて、明人たちとは逆の方向へと飛び去っていった。
「大事な武器を捨ててどうしたの。降参する気にでもなった?」
膝をついたまま、千星が右手を拳の形にぎゅっと握りしめた。
言葉とは裏腹に、『一発殴らせろ』くらいは言いそうなほど、その声にはドスが効いている。
そんな千星に透良は苦笑を返した。
己の腕時計を指差して、言った。
「まさか。今日はもう定時ってだけさ」
「え? ……あっ、まさか!? 待ちなさい!」
千星が立ち上がろうとしたが、しかし一声うめいて前のめりに崩れた。泥だらけの地面に手をついた。
千星を見下ろしながら、透良は肩をすくめた。
「あいにく残業は禁止でね」
そんな声を残して、その姿が不意に消えた。
その頃には猛禽類型モンスターも密林の木々の向こうに姿を消している。
後に取り残されたギョロ目の男がはじめて顔を上げた。
猛禽類型モンスターが【女王の王笏】を持ち去った方向を見上げていたが、やがてこちらも蠅の群れに戻り、渦を巻きながら地面へと吸いこまれ、消えていった。
「……時間切れか」
今日、透良はこの闘争界に明人たちより先に来ていた。
時間切れでこの世界を退出するタイミングも、当然に彼女のほうが早くなる。
「ああっ、もう! 逃げられたっ!!」
千星が透良のいた空間をにらんで悔しそうに叫んだ。
体中が痛むだろうに、今にも地団駄を踏まんばかりだ。出し抜かれたことがよほど悔しかったらしい。
「にくたらしいほど鮮やかな引き際だったな」
猛禽類型モンスターが杖を持って飛び去った空を見上げながら、ベルがつぶやいた。
「透良が運営者サイドとは思わなかったよ」
「私もだ。たしかに今にして思えばおかしな点もあったが、まさか参加者がこの世界の維持に手を貸すとは」
なげかわしい、と言いたげにベルは首を振った。
彼は人々を解放するために三界を壊そうとしている。それを当の参加者に妨害されたのは心外だろう。
ふとなにげなく視線を移し、驚いたように目を見開いた。
「千星、アニー。だいじょうぶか?」
「正直、つらいです」
「いささか効きましたね。一度ここを出てリセットされるまで、戦うのは無理でしょう」
千星とアナがそれぞれ答えた。
アナの声は、千星の胸にある葦の輪のマークから聞こえているようだ。スピーカーを兼ねるのだろうか。
「やはりか。今日はもう安静にしておいたほうがいいな。だが、アニーが守る千星をそこまで痛めつけるとは……。クイーンとしての力もあるのだろうが、透良の才能もよほどのものだな」
「ええ、敵ながら天晴れでした。まさに世紀の鬼才です。ですが、だからこそ人の世では生きづらいでしょう。惜しいことです」
「うむ。長生きはするまいな。当人にもその気がなさそうだ」
ベルが複雑な顔でため息をついた。
と。
バキンッ、と太い枝を踏み折るような乾いた音が遠くから届いた。
すぐさま全員の顔が緊張に引き締まった。
「ベル、今の音」
「聞こえた。モンスターだな。野良か、それとも透良が去りしなに創っていったのか」
もし透良が暇つぶしを提供したつもりなのだとしたら、なかなかのエンターテイナーだ。余計なお世話だが。
「あいつ、殺意高すぎない? 仲良くなったと思ってたのに」
千星が怒りを押さえた感じの声でそう言い、軍刀の柄に手をかけた。
あのガトリング砲がもうないので、今彼女にある武器はそれだけなのだ。もしかしたらまた出せるのかもしれないが、出す気にはならないだろう。
「透良に味方するつもりはないけど、あいつが早池峰さんを気に入っていたのは本当だと思うな。あいつ、元から火力とコミュ力を区別しないほうだったし」
「あー……。たしかに。彼女なら下手すると『好みだからこそ殺したい』まであるかも。……でも、それはそれでどうかな」
千星が悩ましげな顔で天を仰いだ。
「千星よ。今モンスターと戦うのはやめたほうがよかろう。すぐにでもここを離れるべきだが、歩けるか?」
「あ、はい」
千星は立ち上がろうとしたが、しかし苦しげな顔をして手をついた。先ほどと同じだ。
透良に撃たれたときの痛手が残っているのだろう。銃弾が貫通せずとも、衝撃は体を傷つける。
「ごめんなさい。厳しいみたいです」
「む……。困ったな。どうしたものか」
「ごめん、俺をかばったせいで」
「ううん。これでおあいこ。それにあれ、私たちのためでもあったし」
「早池峰さんたちの?」
「うん。もしあのときなにもしなかったら、古宮くんが殺されて、中継役がいなくなったベル様もこの世界から追い出されたでしょ。そうなると私とアナちゃんだけでクイーンになった透良と戦うことになってた。たぶん殺されちゃうよね」
「いえ、
千星のシビア極まる分析に、ボイスオンリーのアナがこれまた冷徹な補足を加えた。
「だよね。まあ、そんなわけ」
千星がからっと笑って見せた。
「な、なるほど……」
あっけにとられた。
戦況判断に甘えが一切感じられないのは、さすが戦神とその巫女と讃えるべきであろうか。
かくも厳しい判断を瞬時に下し、しかも即行動に移していたとは。
もちろん千星の行動はアナが守ってくれると信じていたからこそでもあろう。だがそれにしても思い切りが良い。
彼女が戦女神に気に入られたり、透良に同類と見なされたりしていたのも、伊達ではなかったのだ。
と、側で明人たちのやりとりを見ていたベルが、そのもふもふした指をぴんと立てた。
「よし。ならば明人よ。その借りをさっそく働いて返すがいい。お前も一度助けていたが、かけた負担はお前のほうが重かろう」
「え? もちろんいいけど、どうやって?」
にっ、とベルが笑った。
「知れたことだ。お前は今回、荷物持ちなのだろう?」
意図がつかめなくて、明人は千星と顔を見合わせた。
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