第22話 決着

 ぐるんっ、と。

 明人の目の前で、人間一人の体があおむけに半回転した。


 頭が後ろに、足が前に。

 黒い腕のきっさきが、明人に届く直前で、あさっての方向に振られる。


 スーツ女が頭から地面に落ち、重い音をたててあおむけに倒れた。


「……え?」


 なにが起きたのかすぐにわからなかった。

 金属のほこが、スーツ女の額に突きささっていた。わずかな振動音とともにかすかに震えていた。

 それで、ようやく状況をつかめた。


 ベルだ。


「ふーーーっ」


 明人はおおきく、おおきく息をはいた。

 その場にへたりこんでしまわなかったのは、せめてもの矜持きょうじだ。


 さきほどの瞬間、自分の頭上をなにかが一直線に通りすぎたことだけは気づいていた。

 おそらく明人が襲われているのを知って、ベルが遠くから鉾だけを飛ばしたのだろう。

 ただ本人の姿は見えない。それに鉾が飛んできた方向も、先ほどベルが飛んでいった先とは違っていた。やはり彼の身にもなにか起きていたのだろう。


「やばかった……。マジでやばかった」


 もう一度大きく息を吐いた。ちょっと涙目になっていたので、こっそりぬぐった。


 スーツ女の死体を見下ろした。

 その額の傷口からは、赤い液体がわずかにしみだしている。しくも殺めてきた人たちと同じように。

 若い女の仮面は今やすべて剥がれおち、本来の老婆の顔があらわだ。あの黒い腕も消えていた。スーツの生地もぶかぶかで、袖から枯れ木のような手が伸びていた。顔だけでなく、肉感的な体も作り物だったわけだ。

 口の両端を下にひんまげ、歯がみし、開きっぱなしの目で虚空こくうを無念そうにねめつけるその死に顔は、まるで悪鬼のようであった。


(……おかしいな?)


 明人は首をひねった。

 そんなはずがないのだが、老婆の凶相に見覚えがある気がする。


 不思議に思っていると、ふと気がついた。

 そばに高級そうな小物が転がっている。


 スーツ女のコンパクトミラーだった。大門の裏で使っていたあの品だ。きっと戦っている間に落としたのだろう。

 なんとなく気になって、拾い上げた。

 表に『Kikiko Production』と名入れされていた。


キキコーKikikoプロダクションProduction。キキプロ。……キキプロ!?)


 まさかと驚いて、倒れている老婆の顔を二度見した。

 だがそのまさかであった。

 このところ世間を騒がせていた、悪名高きキキコープロダクション社長――通称、キキプロの鬼婆その人だ。


(マジか。噂通りと言うか……、なんと言うか)


 あきれ、驚いた。

 まさかあの有名人がこのような場所にいるとは。物質界現実でも人を食い物にすると評判の人物だったが、貪食界こちらで文字通り人喰ひとくいの鬼婆と化していたとは。

 今まで知らずにそのような恐ろしい相手と言葉を交わし、戦っていたのだ。


 そのとき。


 鬼婆の影が、すうっと明人のほうに長く伸びた。

 いや、よく見ると鬼婆の影ではなかった。

 うごめいていた。

 真っ黒なハエの群れだ。不快な羽音が一斉に起こり、耳をついた。


(蠅!? 消えていないのか!?)


 ホステス風の女性を食べていたおぞまましい光景がフラッシュバックした。

 足下の地面が、まるで地の底からうめくかのごとく不気味に響いた。


 ――死せよ、滅びよ、呪われてあれ。


 響きは、そのような呪詛じゅそと聞こえた。


 ざわめく黒い絨毯じゅうたんが、明人のほうへ近づく。

 羽音が大きくなっていく。


 だが次の瞬間、ピタリと止まった。

 逃げるように地面にもぐりこんで、あっという間に消え失せた。


(なんだ?)


 と、思った瞬間。


「明人! 無事かっ!?」


 勢いこんだ安否確認とともに、白衣をまとったトラ猫がものすごい勢いで明人のすぐ隣に飛びこんできた。

 着地するなり、だん、と音が鳴った。

 足先がすこし地面にめりこんでいた。


「ベル!」


「よし、大丈夫だな! 気をつけろ! すぐに蠅の群れが来るぞ!」


 鉾を手元に戻し、ベルが叫ぶように言った。


「えっ? あー。えーとね。あいつらなら、もう逃げたよ」


 ベルがピタリと止まった。

 ぴくんとヒゲが動いた。


「…………そうなのか?」


「うん」


「なんだ。終わっていたか」


 気まずそうにベルは鉾を降ろして頭をかいた。

 ほとんど状況を確認できないままに飛びこんできたようだ。彼もいっぱいいっぱいだったのだろう。


「遅くなってすまなかった。すぐ戻るはずが、蠅の群れに襲われて今まで足止めをくっていた。奴らが急にお前のほうに向かったので、私もこちらに来られた次第だ。途中、お前があのスーツ女と対峙しているのが見えたから、鉾だけは先に投げたのだが」


「ああ……。そういうこと。別々に襲われていたんだね。俺は鬼婆に、ベルは蠅たちに」


 納得がいった。

 つまり主な敵は二人いたのだ。いや、正確には一人と数千匹か。

 ベルがすぐ来られなかったのはそのせいだったわけだ。


 ただ、おかしなこともある。それなら、最初に鬼婆と戦った際、どうして蠅が姿を見せなかったのだろうか。

 たまたま別の場所にいたのだろうか。


 明人はあのときのことを思い返して、


(そういえば)


 ふと思い当たった。

 鬼婆と不意にであう直前、ちょうど大門が開閉した。あのとき蠅は食事のために鬼婆のそばを離れたのかもしれない。


 そう考えればすべてつじつまがあう。


 まず蠅が食事のため大門の裏に行った。ほぼ時を同じくして、鬼婆は業務の一環として不届きな客――つまり明人――を処分しようとした。だがベルにはばまれ、鬼婆は逃げた。


 蠅たちが鬼婆のピンチに気がつき、助太刀に入った。ベルが襲われたのがこのときだ。


 そのすきに鬼婆は魔法の釜オタマを守るために駆けつけた。しかしオタマはギリギリで明人が先に壊した。


 その後すぐ、明人が鬼婆と一対一になった。

 ベルと蠅たちは戦闘中だ。思わぬ方向から鬼婆向けて鉾が飛んできたのは、この際に移動していたからだろう。


 そのベルの鉾によって、鬼婆がたおれた。蠅たちは異変を察して鬼婆のところに戻った。


 だが蠅たちが戻ったときには手遅れで、鬼婆は討たれていた。明人にむかって影が伸びてきたのがこのときだ。せめてもの腹いせに明人だけでも殺そうとしたのかもしれない。


 だがベルがすぐ戻ってきた。蠅たちは明人を襲うのを諦め、逃げだした。

 そして今にいたる。


 おおむねこんなところではないか。

 つまり人を美食の誘惑で破滅させてきた運営が、自分も食事のためにヘマをしたわけだ。皮肉なものである。


(けど、よくまだ生きてるな俺。シャレになってない)


 遅ればせながら、明人は背に冷たいものが流れるのを感じた。


 もしも鬼婆と一対一になったとき、恐怖に負けて目をそらしていたら。

 鬼婆が怒りに我を忘れることがなかったら。

 ベルの鉾を投げる判断が、あとコンマ数秒遅れていたら。

 明人が蠅に襲われる前に、ベルが合流できなかったら。


 きっとどれ一つとっても死んでいただろう。まだ生きているのが奇跡である。神の助けがあったとしか思えない。

 いや、実際にベルの助けがあったわけだが、そういうことではなくだ。


「助かったよ。ありがとう」


 心底からベルに礼を言った。


「なに、空中で魔法の釜を壊しそこねた分を挽回ばんかいせんとな。それに、礼を言うのは私の方だ」


 ベルは崩れゆく世界を見まわして、満面の笑みを浮かべた。明人のももの裏をパンと叩いた。


「やったな! よくぞ魔法の釜あれを壊してくれた。この呪われた世界に終止符を打ったのは、お前だぞ。明人」


「ありがと。これでなんとか預言者として仮免卒業かな?」


「仮免? ああ、もちろんだとも。十分だ」


 ベルが片目をつぶってウインクした。


「次の世界も、この調子で頼む――私の預言者よ」


「了解」


 短く答えた。

 熱い気持ちが胸を満たした。

 これほど誇りに満ちた時間がかつてあったろうか。そう思った。


 さっきは半泣きでオタマをべっこんべっこんしていたのだとしてもだ。

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