第20話 憤怒の形相

 空からこぼれたオタマ、いや魔法の釜へと向かって、明人はごちゃついた会場を駆けた。

 近くの人形は止めてこない。

 命令されていないことはしないのだ。


(しょせん人形だ!)


 だが駆けるには邪魔が多かった。

 のぼりが顔に当たる。イスやテーブルや、でっぷりした客たちが道を遮る。

 オタマのシルエットはどんどん落ちて、見えなくなりそうだ。


「ええい!」


 意を決して、明人は近くのテーブルのテーブルクロスをわしづかみにした。力任せにめくり上げた。乗っていた大皿が料理ごと飛び散って落ちた。


 空いたテーブルの上に飛び乗って、一気に駆けた。

 じゃまなご馳走を、酒を、次々に蹴散らす。

 ガッシャンガッシャン音を立て、地面に落ちた食器が、酒瓶が、ジョッキが割れる。蹴ったテーブルが後ろに倒れる。

 蹴り上げた唐揚げが、ステーキが、角煮が、サラダが盛大に飛び散る。

 汁やら肉片やらが近くで食べていた不幸な大人たちに直撃する。悲鳴が上がる。


「熱ッ!? あっち、あっちぃ!!」


「ふっざけんなこらーっ!?」


 罵声ばせいが後ろから次々飛んできたが、ぜんぶ無視だ。どうせあのオタマを壊せば、すべて夢と消えるのだ。

 テーブルの端まで来たら地面に飛び降り、またすぐ次のテーブルに飛び乗った。そうして駆け抜けた。テーブルからテーブルへと、そしてまた次のテーブルへと。


 オタマが落ちたと思しき地点はもうすぐ。

 いや、もしかするとこの近くかもしれない。

 テーブルの上に乗ったまま探し始めたそのとき、


「全員っ! ガキを殺せえっ!!」


 遠くから、スーツ女のあり得ない命令が飛んだ。


「マジかよ!?」


 ぎょっとした。

 周囲には人形ではない客も大勢いるのだ。あんなことを大声で叫んだら何事かと思われる。だいたい『ガキを殺せ』というだけでは、明人以外の若者も殺されてしまうではないか。

 それだけ向こうも切羽詰まっているのだ。もうなりふり構えないほどに。


 周囲で食べていた客の何割かが、一斉に明人の方を向き、立ち上がった。紛れこんでいたサクラたちだ。その中には、以前、声をかけてきていたグラビアアイドル似の女もいた。

 冗談のような数だ。10や20では効かない。テーブルに登っていて視界が通るせいでもあるが、見える範囲で100を超えるかもしれない。


「やべっ!?」


 人形の膂力りょりょくは人間と変わらないのだ。一斉にかかられたらおしまいだ。

 というのに全方位にいて逃げ場がない。


(お、オタマだ! オタマオタマ! 多分この辺に落ちたはず!!)


 必死に探した。

 こうなったら先手を打って、オタマを壊して――それでなんとかなる、と信じるしかない。


 あった。


 それらしきものが、ひたすら食べまくっている中年女の後ろに落ちていた。

 幸い彼女は本物の人間らしく、明人に目もくれない。落ちているオタマにも我関せずだ。

 本当に幸いであった。彼女が人形であったら終わっていたところだ。


「よ、よし!」


 明人はすぐさまテーブルから飛び降りて、オタマをひったくるように取った。

 の一部に切れ込みが入っていた。おそらくベルがつけた傷だろう。

 だが途方に暮れた。


(あれ!? 取ったけど、これどう壊すんだ!?)


 すでに人形たちが四方八方から押し寄せてきている。

 悩む暇はもらえそうにない。


「ええい!!」


 とにかくおたまを両手に持った。

 力任せに潰した。が、切れ込みの部分を基点にぐにゃりと曲がっただけだ。


 寄ってくる人形たちは健在。

 ついに一番近くにいたウェイトレスが飛びかかってきた。


「うわっ!?」


 オタマを落としたらおしまいだ。

 両手がふさがっているので、明人はあえて背中を向けてオタマを守った。


 ならばとばかりに顔に手をかけられた。指先で鼻や頬を引っかかれた。

 ほかの人形も追いついてきたらしく、首も絞められた。

 誰も武器を使わないのはまだ幸いだ。そう思ったそばから一升瓶が縦に振り下ろされてきた。


「うわっち!?」


 とっさに体をひねった。

 それまで明人の頭があった場所に、ちょうどウェイトレスの脳天が来た。一升瓶の底が直撃し、ただならぬ重低音がウェイトレスの頭から響いた。


「おぐっ」


 おかしな悲鳴を上げて、ウェイトレスが白目を剥いた。顔のすぐ近くで、黒い煙と化した。どろどろ、ぬめぬめした気色悪い感触が、明人の頬や髪の毛をなで上げた。


「だああああっ!? ああもうっ、壊れろ! 壊れろよ! 壊れろーっ!!」


 完全にパニックだ。

 必死にオタマを曲げ伸ばしした。そうするうちに金属疲労で基点の色が変わってきた。


 指で目をえぐられそうになる。首を振ってかわす。

 髪の毛をわしづかみにされ、後ろから引っ張られる。

 とうとうオタマを持つ腕も握られる。


 ぱきんっ、と乾いた音がして、手に小さな衝撃が走った。


「あ。」


 オタマの柄の部分が、ぽっきり折れていた。


(これで駄目だったらどうしよう……!?)


 そう危ぶんだが、腕をつかむ手の力が緩んだ。髪の毛もひっぱられなくなった。

 明人の顔やら鼻やら耳やら首やらをもみくちゃにしていた人形たちが、止まった。


 周囲にいた人形たちも同じだ。

 すぐ側で椅子を振りかぶっていたサラリーマンも。

 ナイフを逆手に持っていたグラビアアイドルも。

 全部。

 マネキンのように、止まっていた。


 真っ二つとなったオタマの断面から黒い煙が流れだした。そこから溶けるようにして崩れ、宙空に消えた。

 一拍遅れて、止まっていた人形たちがその場に崩れ落ちた。同じように黒い煙となって消えた。

 椅子やナイフが音を立てて転がった。


「た……助かった……か……?」


 なかば放心して、乱闘のあとの、大量に物がちらばった周囲を見まわした。

 つい今までの騒ぎが嘘のように、静かになっていた。

 近くでひたすら食べ続けているおばさんの、くちゃくちゃ音以外は。


 ずん、と腹まで響く轟音と地響きが起こった。遅れて悲鳴があがった。


「なんだっ!?」


 声のした方を見れば、ずっと奥、会場をかこんでいる切り立った岸壁が、今まさに崩落しようとしているところだった。

 莫大な質量を感じさせる土砂の固まりがまとめて落ちた。

 轟音とともに猛烈な土煙がまきあがった。

 反対側の岸壁も、大門のさらに奥にある岸壁も、同じだ。なにもかもが崩れ始めていた。


(世界が崩れるって、こういうことか)


 きっと、これが世界の鍵を壊した影響なのだろう。

 ベルは自分の世界を一瞬で消してみせたが、三界はゆっくり崩れていくわけだ。


 と、今度はすこし近い位置から、メキメキと大木が折れるかのような不穏な音が聞こえてきた。


(まさか)


 と思って音の方を見たら、そのまさかであった。

 大門がかしぎはじめていた。あの分だとそのうち倒れるだろう。一体となっている城壁のレンガもこぼれはじめている。


「わははははっ!? やっべ」


 笑えてきた。

 いくらか距離があるから潰される恐れはない。だがそれでも、巨大な建造物が自分の側にむけて倒れはじめる光景は大迫力であった。

 大門の付近で食べまくっていた人々が、あわてて逃げ出しはじめた。さすがに食べている場合ではないと気がついたらしい。


 だが逃げ方は様々だ。

 手ぶらで逃げる者。

 料理を口の中に詰めこんで逃げる者。

 小皿に乗せて逃げる者。

 しゃらくさいとばかり料理皿を丸ごとかかえて逃げる者。

 おとなしく手ぶらで逃げてきたのはむしろ少数派であった。食い意地もここまで来ると勇気の一種かもしれない。


(俺ももっと離れよ)


 明人も大門に背を向けた。

 直撃はするまいが、なにぶん巨大な建造物である。倒壊したら破片が飛びそうだ。避難するほうが無難だろう。


 そのまま歩き出そうとして――しかし、すぐに足を止めざるを得なくなった。


「…………!」


 少し離れた向かいののぼりの、さらに後ろに、黒いレディーススーツのパンツと革靴が見えた。

 続けて現れる黒いジャケットと、そこから伸びる黒く長い蜘蛛クモの足。

 そして、憤怒の形相。


 スーツ女がそこにいた。

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