5.完璧なユートピアの終焉

 超党派議員で構成される『ハームドロイド規制法推進議員連盟』は、ここ数か月で急激に勢力を伸ばしていた。

 もとより法ではなく社会的慣例によって成り立っていたハームドロイドと人間の蜜月関係は、国内法の成立に向けた議論を妨げるものではなかった。人間の仮想世界バーチャルへの耽溺を良しとせず、現実リアルにのみ立脚して生きるべきだとする保守派の思想と、AIとはいえ他の人格に対する人権侵害を否定する革新派の思想が噛み合い、日本国における新たな潮流としてその存在感を強めていたのだった。

「そして先日、めでたくハームドロイド規制法が成立したわけだ。おめでとう、アンゼリカ」

「ええ、ありがとう。わたしも嬉しいわ」

 二人掛けのソファで隣り合って座り、羽山とアンゼリカはそんな会話を交わしている。

「これからどうなるかな。竜宮も他人事ではないだろうね」

「そうね。『あの子たち』が押しとどめていた人間の悪意が、どんなふうに暴れ出すのか。ヒロト・ヤマグチが懸念したように、きっと暴動が起こるわね。雨の降らない嵐みたいに、静かな暴動が……」

 ふたりは互いに頷くと、ウェアラブルデバイスに指示を出し、竜宮に入国ログインした。

 

 グッドライフ社日本法人の行動は速やかだった。

 規制法の成立に伴い、ハームドロイドに対する傷害、侮辱、名誉棄損、脅迫といった、今まで許容されていた行いが罰則対象になる。法律の公布までまだ間があるとはいえ、早晩、製作元であるグッドライフ社が批判の対象となるのは目に見えていた。

 日本国内にサーバ拠点を持つすべての《国家クラスタ》について、同社の果たすべき責任があった。専門の部隊が組織され、とりわけ、国産の巨大な《国家クラスタ》である竜宮については、念入りな計画が立案された。

 すなわち、すべてのハームドロイドAIを、竜宮から削除する計画である。

 

 教室に登校した蒔絵が見たのは、クラスメイトに取り囲まれるスイミーの姿だった。

 さまざまな表情があった。泣いているもの、怒っているもの、困惑しているもの。

【スイミーのこと、どうしたらいいのかな】

【犯罪なんだろ。存在自体が】

【スイミーが逮捕されちゃうってこと? そんなのやだ、かわいそう】

【破壊しちゃえよ。こんなやついらないんだよ】

【そんなこと言っちゃダメだよ。クラスメイトなんだよ?】

 スイミーの鱗をよく剥いでいた女子が、泣きながらスイミーの鱗に手を伸ばし、はっと引っ込める。

 やがて教師がやってきた。教師は一瞬で事態を把握したようで、開口一番【僕たちも、態度を決める必要があるね】と宣言した。

【僕は、スイミーを守るべきだと思う】

 その一言で、破壊しちゃえよ、と言っていた男子を始めとする何人かがざわついた。

【それって犯罪じゃん】

【スイミーは僕たち人間に必要な存在なんだ。それに、クラスメイトじゃないか。仲間なんだよ。昨日まで仲良くしていた相手が、今日は敵だなんて間違ってる。かくまうよ、スイミー。みんな、一緒に彼女を守ろう】

【そうだよ。ハームドロイド規制派たちに、僕たちの絆を見せてやるんだ】

 元々そのつもりだったのだろうクラスの委員長が、力強く宣言する。

 最初に反対していた男子も多数決に押し切られたようだった。【よし、決まりだ】と教師が手を叩き、一致団結の機運が高まった。

 蒔絵には、すべてがおぞましくてならなかった。

 ここにいる誰も彼もが、かつてスイミーを見下し、暴言を吐き、鱗を剥いで楽しそうに笑っていたことを、忘れられるわけがなかった。

 蒔絵はスイミーを取り囲む人垣に突進した。当惑するクラスメイトの隙をついて、スイミーの手を取る。そしてそのまま全力疾走で教室を飛び出した。


 スイミーに自分の水干を着せると、なんとかごまかせそうな気がした。

 逃げる途中、いくつもの『黒い人魚』が破壊されているのを見た。蒔絵は知らなかったが、それはハームドロイド規制法に反対する暴徒たちの仕業だった。自らの行いが法律違反とされる前の、最後の『お楽しみ』として、鱗を剥ぎ、またそれ以上の暴力を振るわんとする人間たち。

 ……人間って、ここまで醜い生き物だったの?

 こみあげてくる吐き気をこらえながら、蒔絵はスイミーの手を引いて走る。

【――蒔絵くん?】

 やがて何度目かの角を曲がったとき、聞き覚えのある声がした。

【……アンゼリカさん】

 唐衣に身を包んだアンゼリカが驚いたように目を丸くしていた。その隣にいる狩衣姿の男性について、蒔絵は見覚えがある気がした。少し考えて思い出す。博物館で助けてくれた、警備員の人だった。

【その子が、例の……。誰かから逃げているの?】

 アンゼリカに問われ、蒔絵は頷く。

 そこに新たな人影が現れる。白の狩衣に身を包んだ、男の検非違使。ハームドロイド規制法に反対する、暴徒のうちの一人だ。

【また一体、いましたね】

 検非違使が腰に佩いた毛抜の太刀を抜き放った。光を照り返してぎらぎらと刀身が光っている。竜宮の海の揺れに合わせて、刀身の輪郭が揺らめいていた。

【あなた、まさかこの子を切るつもり?】

 アンゼリカが検非違使に話しかけた。

【こんな幼い、かわいらしい子供に、そんな惨いことをするつもりなの?】

【知りませんよ。仮想現実バーチャルの存在がどれだけ傷つけられようが、我々には関係ないじゃないですか】

 毛抜の太刀が振り下ろされる。その軌道はまっすぐにスイミーに向かった。その場にいるすべての人間の反応速度よりも速い――

 誰も間に合わなかった。

 

 

 太刀がくるくると回転しながら、竜宮の海を舞い上がる。

 暴徒の手を離れ、手の届かない遠い場所まで。嗜虐に満ちた表情を貼り付けたままの顔が、長い間の抜けた空白のあとで「は?」と間の抜けた声を発する。

 現れた第三者の正体に、気付いていた人間は羽山だけだった。

【久しぶりだね】

 その口元が、懐かしそうに、笑う。

 黒いゴシックドレスに身を包む、美しい少女がそこにいる。

 白い陽光を照り返して輝く金色の髪が、竜宮の海流にさらわれてうねった。意志の強そうな緑色グリーンの瞳は眼前の暴徒をにらみつけ、色素の薄い肌はなめらかに白い。

 指し伸ばされたたおやかな手刀が、ただそれだけで太刀を弾き飛ばしたのだと、遅れて理解した暴徒が、叫ぶ。

 そんな真似ができる存在は、この世にひとつだけだった。

 

【……《vtuber》……!?】

 

 暴徒にそれ以上の言葉は許されなかった。風のような速さで鳩尾を打たれた暴徒が遥か彼方に吹き飛んでいく。そのまま長屋の壁を突き破って、動きを止める。

【――まあ、こんなものでしょう】

 その声はアンゼリカのもの。蒔絵が混乱した顔をしている。羽山が少し興奮したような面持ちで、姿を変えたアンゼリカに話しかけた。

【相変わらず綺麗だよ、アンゼリカ。そのフリフリも実にキュートだ】

【今時こんなデザイン、オタク向けの《国家クラスタ》でしか流行らないけどね】

【僕は好きだよ。とてもね】

【知ってる】

 そのままウェアラブルデバイスのカメラ機能を起動した羽山を、アンゼリカが軽く叩いた。


【《vtuber》――驚きましたね。まだ生き残っていたとは】

 また新たな声が割り込んだ。アンゼリカたちはそちらを見る。直衣と烏帽子に身を包んだ壮年の男性が、腕を組んで立っている。

【……かつてハームドロイドの登場に武力をもって反対した、仮想世界バーチャルの武闘派連中の残党。おかしな話ですね、当時はハームドロイドの存在に反対したというのに、今回は逆の立場に回るとは】

【グッドライフ社のエージェントね】

 アンゼリカがうんざりしたように言う。

 vtuberはその成り立ちから、人間とAIの中間に立つ存在として自らを規定していた。生身の人間でありながらAIに近い存在。それ故に、被差別階級としての位置に押し込められるハームドロイドの在り方を、自らと重ねてしまったのだと言われる。

 仮想世界で繰り広げられた熾烈な戦闘は、最終的にはグッドライフ社の勝利に終わる。

 敗戦したvtuberはひとりまたひとりと姿を消していき、今や、ただ歴史に名を遺すばかりとなった。

【前回も、今回も、ハームドロイドは被害者よ。何も変わらないわ。あなたたちが生み出した存在に、どうして平気で暴力を振るえるの? 『あの子たち』は、あなたがたの子供のようなものではないの?】

【ええ。ですから、子供の落とし前は、親がつけるべきでしょう】

【詭弁を】

【そう思うならご自由に】

 アンゼリカとエージェントが互いに腰を落とし、臨戦態勢に移る。

【まあ、まあ、二人とも待ちなさい】

 割り込んだのは羽山だった。アンゼリカが非難の声を上げる。

【ちょっと、普通ここで止める?】

【君も大概血の気が多いね。さすが元武闘派と言ったところか】

 羽山は怯える様子もなく、二人の間に立ちはだかった。実際のところエージェントが人間に手出しをする理由がないし、アンゼリカが羽山に攻撃するわけもないから、怯える理由もないのだったが。

 羽山はエージェントに向かって話しかける。

【ひとつ有意義な提案があるのだけど、話を聞いてはくれないか】

【有意義かどうかは、こちらが決める話では?】

【一理ある。では、聞いてから決めてくれ】

 羽山がひとつ咳払いをし、提案を始める。

【まず状況を整理しよう。君たちグッドライフ社――の、日本法人だね? 君たちは先日のハームドロイド規制法の成立に伴い、大きな問題を抱えてしまった。せっかく作成したハームドロイドが法律違反となり、回収の憂き目に合っているというわけだ】

【慧眼ですね】

【回収先は国内サーバで稼働する《国家クラスタ》に限られる。法律の範囲は日本に限られるからね。将来的に海外に飛び火する可能性がないとは言えないが、まあ、当分先の話だろう。そこでだ】

 羽山がゆるく指を立てる。

【この際、本国のハームドロイドを、すべて海外サーバに移してはどうだろうか】

【え?】

 その提案に、アンゼリカが目を丸くした。

 エージェントが少しだけ思慮を巡らせた後、気の乗らない返答をする。

【……確かに、それならば法律の問題はクリアできます。技術的にもさほど困難ではありません】

【だろう?】

【ですが、我々に何のメリットが?】

 エージェントの質問は淡々としている。

【今回の行動によって、我々の大義名分が立つわけです。『傷つけられるためのAI』から『存在してはいけないAI』へと変わったハームドロイドを、わざわざ抱え込む理由がありません】

【どちらにせよ最終的な目的は変わらないだろう。クリアすべき点は、国内の《国家クラスタ》から、ハームドロイドが一層されることだ。そのためのルートがどこを通るのであれ、大差はないはずだ】

【……】

【それにね】と羽山が笑う。【君たちが強硬手段に出る場合、うちの狂犬が黙っていない。彼女は相当に面倒くさいぞ】

【なにを!?】

 名指しされたアンゼリカが暴れ始める。それをなだめながら羽山は続けた。

【まあ冗談はさておき――いや、あながち冗談でもないのだけどね。君たちの職業倫理が高いのはわかる。だが、既に存在するAIの人格を破壊するという行いは、果たして人間的、倫理的な行いと言えるだろうか?】

【……その言い草、どこかで聞き覚えがありますね】

 ぼそりとエージェントが言う。

【……でも、スイミーもハームドロイドですよね】

 それまで黙っていた蒔絵が口を挟んだ。

【結局、ほかの《国家クラスタ》に移っても、彼女は誰かに傷つけられてしまうのでは……】

【そのときは君が守れ】

 蒔絵の言葉が止まる。

 羽山が蒔絵に真っすぐ向き直り、その目を見ながら言葉を告げた。

【人間に傷つけられるAIというのは、ハームドロイドの一側面に過ぎない。その本来の設計思想は――その本質は、傷つけられるためのものではなく、人間の願いを叶えるものだ。他者を傷つけたいと願う人間には、それを喜ぶように。また、他者を愛したいと願う人間には、その愛に応えてくれるように。そういうふうに作られている】

 力強い言葉に、エージェントが眉をひそめて言う。

【もしや、あなたは……】

【ただのお節介な老害だよ。さて――蒔絵くん。君は、どうしたい?】

 羽山が笑う。蒔絵は頷きを返した。そしてスイミーに向かって、その両手を握って、言った。

【ぼくと一緒に、次の世界に行こう】

 スイミーは少しだけ間を置いた。演算のために、ほんのわずか、数ミリ秒の時間を手間取ったようだった。

 そして彼女はにっこり笑って、蒔絵に答えを返すのだ。

【あなたと一緒なら、どこにだって[hm]】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る