第50話
「お待ちしておりました、ニルス大将。キリュウ様」
「戦況はどうだ?」
「はっ! 前線は未だ膠着状態にあります。しかし、『
「万事了解した。補給部隊と共に掩護は任せた、暫くの間は気を休めていろ」
「はっ! 了解致しました!」
形式上に述べられた気遣いの言葉でさえ、部下の心を掌握し、自身の役割に誇りを持たせる。
ここは西部の最前線。西部前哨基地『ランペイジ』。
そこに降り立つのは無敵の男、ニルス・レゼレクス。その足跡に続くようにハリベル・キリュウ、補給部隊が到着する。
先日の祝祭襲撃事件以来、正教国の動きは苛烈を窮めていた。疲弊した兵力に救いの手を伸べる様に到着した補給部隊。
基地全体に活気が戻り、戦線の準備は万端とも言える状態に変調する。
しかし真に兵の士気を高めたのは潤沢な物資などでは無く、ひとえに一人の男の戦線への参入のみだった。
「凄いな……英雄殿が参戦しただけでこれか」
「英雄殿はやめろ。そのような間柄ではないだろう」
「人前だろう? 今は甘んじて受け入れておけ」
ニルスは一息鼻で笑い、前線たるヘルセレム大橋の前に立つ。橋下に広がるのは底の見えぬ峡谷が広がるばかり。地獄の底へと繋がっていると呼ばれているこの峡谷を跨ぐ大橋を越えねば両国は互いに行き来出来ない。
向こう側が見えぬその大橋をニルスは静かに睨んでいる。
「アイルは今朝方出発したのだろう?」
「ああ……そうらしい」
「今はどの辺りだろうな。順当に行けば、向こう側に着いている頃だろうが」
「オレ達が気にする事でも無いだろう。ただこの戦線を通りかかる敵を滅ぼす、それだけで、この戦争は終わりを告げる」
全幅の信頼をアイルに捧げるニルスの横顔を伺ったハリベルは思わず吹き出して笑ってしまう。
「……何だ?」
「いや――――っくく。ぞっこんだなと思ってな。いやいや、いいんだ、気にするな。そういう関係なのかと勘繰ってしまいそうな程だな」
「そういう……関係?」
「いいや、いいんだ。お互い、惚れた相手を信じるのみだ。ならば持たそう、この戦線を」
珍しく困惑するニルスを尻目に、忙しなく荷物を運び込む兵士の声が騒がしい。
皆は敗北など思ってもいない。戦線に希望を見出し、日は昇り、頂点に達する。
――――
「――――死ぬぅ! 死にます! ああ、ヴァルハラが見えるぅ!!」
「喧しいわッ! 振り落とすぞボケがッ!!」
俺とチドリとエレンの三人。早朝にアステリオを出発し、現在は昼に差し掛かるところ。ヘルセレム大橋を大きく南に下った地点、峡谷を死の影より呼び出したドラゴンの背に乗り渡っている途中。
「何ですか貴方は! 『幻星』ではなかったのですか!?」
「幻だぞぉ? 触れる幻だぁ。追求するなら振り落とすからなぁ」
「ヒィッ!?」
「……もう少し静かにしていただけますか? 姿は消せても、音は消せないのですよ?」
「お、おかしいですよぉ……」
「嘆いている暇はねぇぞ。垂直飛行をする訳にはいかねぇんだ。後は手掴みで登るしかねぇぞ」
「あ……アレを超えるのですか?」
峡谷の底を低空飛行する俺たちの前には天を貫かんばかりにそそり立つ岩壁だった。敵国を警戒し、最深部へと強烈な一撃を叩き込む。
その為には敵にこちらの動きを察知される訳には行かない。ドラゴンの羽ばたきの音でさえ、出来れば発したくは無いのだ。
「着いた……ほら、上がるぞ?」
チドリが素早く崖へと捕まる。続いてエレンの跳躍を待つが、彼女は中々飛ぼうとしない。
「何だよ、飛べよ」
「こ、こんな高い壁は無理ですよ! 私、星光体じゃないんですから!」
「星屑術が使えるだけね……それでも身体強化は出来るだろ?」
「だ、だって、こんな長時間上っていたら、集中が切れた時点で真っ逆さまじゃないですか!」
「ハァ……もぉ……メンドクセェなぁ……」
背中からケルベロスの両手を借りる為に具現化する。その腕でエレンの体を掴み取り、俺自身の体で岩壁を登って行く。
「行くぞ。楽した分だけ後で働けよ」
「……はぁい」
気が抜け、放心状態のエレンと共に上り続ける。
――――
「時は来た! 我らの軌跡を辿るのだ! 天が墜ちたその日より、願った彼の日は直ぐソコだ!」
スヴァルト正教国大司教、マリグナント・アルヒハイマーは自国の民に吠える様に
「幾星霜の時を超え、成就される。聖戦は近い、勝利するのは我々だ! 何も恐れる事は無い。苦しんだろう、泣き叫び悲しんだだろう」
嘆きの過去は過ぎ去った。今こそ笑えと勝利を目指す。
「邪悪な敵を滅ぼす。流した涙を汲み取って、明日の光に変えるのだ!」
止まるな、駆けろ、果ての果てまで。
「光の信徒よ、明日を求めろ! 白夜の果てを目指すのだ!」
曖昧、不鮮明。それでも民は全てを理解したように猛り、叫び、鼓舞される。
燃える様な焔に抱かれ、スヴァルトの全軍は西部前線へと全速力で駆け抜ける。
「往け――――止まらぬ事こそ華なのだ」
銀に輝く髪を揺らし、マリグナントは静かに嗤う。
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