大きな水たまりを目の前に、彼らは二手に分かれて行動する

 前後左右、見回すかぎりの緑、緑、緑。

 上を見上げれば見渡すかぎりの緑、緑、緑。ところによって青空。

 人が通るために作られたわけではない、まさにけもの道とでもいうべき、細い一本道。

 歩くたびに枝がひっかかり葉が絡まるような不快感は、ただただ三人にストレスを与えつづけていた。


「もうやだぁ。なんなんだいこの植物は。さっきから身体中ガサガサ引っかかるし、景色も変わらなくてなんっにも楽しくない!」


「僕も同意見ですよ。本当……どっかに繋がっているのかすら、怪しく感じちゃいますよね……」


「ダリルもそう思うでしょ〜? ねぇ先生。もうこんなところ僕は歩きたくないよ。やっぱり戻らない?」


 先頭を歩くダリルと、最後尾で駄々をこねはじめたオズワルドに挟まれる桜庭。

 彼は苦笑いを浮かべると、ぷかぷかと浮きながら自分についてくるオズワルドへと振り返った。


「まだ十分ぐらいしか歩いてないじゃないか。それにお前は歩いてないで浮いてるだけだろう。疲れたなら少し休むか?」


「疲れてない……けど。つまんない」


「子どもか。俺は色々と生き物を観察したり、鳥の声を聞けたりで楽しいけどなぁ。こういう森の中ってマイナスイオンがでていて、ヒーリング効果もあるっていうし」


「なにヒーリング効果って。そんな目にも見えないものがいいだなんて、僕には先生の気持ちは分からないや……あっ」


 そう言いながら渋々とついてくるオズワルドは、暇つぶしにいたずらでも思いついたらしい。

 ふわり、と。柔らかい風が桜庭の頭上を流れる。

 風は木の上で木の実をかじる二股の尻尾をもったリスを浮かせると、驚くリスをふわふわと運びながらダリルの頭の上へと着地させた。


「ちょっと」


 いたずらに気がついたダリルがリスの尻尾のうち片方をつまみ、頭から引きはがす。

 リスは自分が遊ばれていることは特に気にしていないらしい。宙ぶらりんの状態になりながらも木の実を齧りつづけるその姿に、ダリルはある意味感心をしながらもそっと地面へと逃がしてやることにした。


「一応お仕事なんですから。二人とものんきにするのもほどほどにしてください」


「だって先生が相手してくれないから」


「当たり前でしょ。むしろサクラバさんよりも、僕の方がアンタの相手なんてしないって分かってるくせに……。まぁ、そうふざけていられるのも今のうちですけどね」


「ん?」


 ダリルの意味深な物言いに首をかしげるオズワルド。

 しかし、その言葉の意味合いに先に気がついたのは桜庭であった。


「あっ! オズ、あれ!」


 桜庭は服に葉が絡まるのも気にせず、ダリルの横を抜けてその先へと走りだす。

 慌ててオズワルドも地上へと降りると、その後ろを追っていった。


「ちょ、待って待って先生! 先に一人で行かないで! なにがあるか分からないから、僕かダリルのそばからは離れないで。だいたい君はなにを見つけて――」


 ぴたりと目の前の桜庭が止まり、追いついたオズワルドが同じく視線を森の奥へと向ける。

 彼らの目の前にあったものは。


「わぁ……大きい沼……」


 それは、巨大な沼だった。

 森の中に突拍子もなく現れたその空間は、背の高い木々に囲まれた、神秘的にさえ感じることのできる特異な空間で。中心に存在する水たまりはきっと、桜庭たちの住むアパートがまるまる一つ沈んでしまうほどの大きさはあるだろう。

 しかしそれを湖と呼ぶためには、あまりにも水の中には多くの植物が茂り混濁こんだくしており、池と呼ぶにはいささか不格好。オズワルドの言ったとおり、沼と称するのが正解であった。


「あの目印をたどった結果が無駄足じゃなくてよかったですよ。で、ここからどうします? あの沼でも調べてみます?」


 感嘆かんたんする二人に並んだダリルが、こちらは特に感心した様子もなく問いかける。


「いや……あんな場所、調べたところで半魚人でもないルーカスがいるわけでもないし、僕は反対だね。それよりも沼のほとりを見てくれよ。 今みたいな朽ちた木の目印が他にもいくつか見えるだろう」


「目印? オズはよく見えるな……」


 視力の限界を感じながらも、桜庭は眼鏡越しにじっと沼の奥に視線を集中させる。

 たしかに沼の周りには先ほどまでと同じくボロボロの木が二本、沼の右端と左端の対となる場所に生えていた。

 自分たちからは少し距離のあるその場所に、桜庭はさらにレンズの奥の瞳を細めて、詳しく木の様子を確認しようとする。

 しかしいくら注視したところでこの遠さでは分かるものも分からず、彼は数秒もしないうちに諦めて、オズワルドたちの話の続きを待つことに切り替えた。


「この目印がルーカスに繋がるものだとすれば、やっぱりアレを追うのが一番だろう。効率を重視するならば……ここは二手に分かれて探すのが無難だろうね」


「二手に? まぁ、たしかに効率的ですけど。戦力的に考えて僕とオズワルドアンタは別行動ですよね。サクラバさんはどうします?」


「なら先生は僕が預かるよ。彼にだからさ。ね? 先生もいいでしょう?」


 有無を言わせないようなその問いかけには、ダリルも内心やれやれと言わざるをえなかった。


 ――この前のアフラートでのこと、まだ気にしてるんですかねぇ。


 先日のアフラートでの一件。オズワルドが桜庭から目を離した隙に連れ去られてしまったことが、少なからず彼の心のどこかで引っかかっているのだろう。

 まるでダリルに桜庭を預けていてはまた良くないことが起こる。次は自分がしっかりとしなければならない。そうともとれるような言い方に、如月きさらぎの言っていた『信頼が薄い』という言葉が思いだされる。


「俺はオズといっしょでかまわないけど……。ダリルは一人でも大丈夫か?」


「僕は大丈夫ですよ。子どもじゃないんですし、おつかいくらい一人でできます」


「そう言いながら前におつかい失敗したのは君だけれどね」


「あれは不慮ふりょの事故でしょ……。さ、どうするかも決まったわけですし、僕は右の方を調べてくるので。互いに探索しきったらこの沼まで戻ってくるってことで」


 揚げ足をとるようなオズワルドのツッコミを軽くあしらい、ダリルはさっさとぬかるみを避けるようにして右側の目印の木を目指す。

 彼の背中を見送ったオズワルドは、自分と桜庭の足元に風を起こすと、二人の身体を宙に浮かせた。


「じゃあ僕たちも行こう、先生。ところどころぬかるんでいるし、足を取られたらいけないからね。あっちまで飛んでいこうか」


「ありがとう、オズ。たしかにこの辺りの地面は柔らかいみたいだ。現にあそこの大きなくぼみにも水が溜まっているみたいだし……ん?」


「先生?」


 ふよふよと飛びながらなにかに気がついた桜庭を見て、オズワルドは一時的にその場で風の絨毯じゅうたんを停止させる。


「いや、あそこの窪み……よく見たら規則的な間隔で、交互に窪んでるみたいでさ。なんか足跡みたいだなぁと思って」


 そう桜庭が言ったように、ダリルの進んでいった目印の部分からこれから桜庭たちが向かう先にかけて、規則正しく左右にズレた不可解な窪みがつづいていた。

 明らかに自然に発生しのではないと分かるその窪みは、桜庭が称したとおり足跡と見られたとしてもおかしくはない。


「本当だ。どうやら僕たちの向かう先までつづいているみたいだけれど……。足跡だなんて、まるで巨人がこの森にでも住んでいるみたいじゃあないか」


「おいおい……まさかルーカスが巨人だなんていうんじゃないよな?」


 冗談だとは分かりつつも、そう言わずにはいられない光景に、桜庭の好奇心は膨らんでいく。

 マホウツカイやマジュウ、さらにはドラゴンや現実普通には存在しえない生物がいる世界なのだ。巨人の一人くらいいたとしてもおかしくないだろう。

 だが、返ってきた反応は予想とは少しちがっていた。


「ははは……巨人種だなんて上位種の生物がいたなんて言ったら大発見だ。アレは伝説上の生き物みたいなものだからね。存在していたとしても、こんな都市部に近い森の中にいるはずがないさ」


「そうなのか。巨人、見てみたかったなぁ……」


「……まぁ、期待はほどほどにしておきなよ。とりあえず目的地は変わらないみたいだし、あの足跡を追跡してみよう。もしも巨人がいたらいたで、いい記録がとれるんだしさ」


 オズワルドが指を鳴らし、再び空中飛行がはじまる。

 謎の足跡と奇妙に変質をした木を追って、二人は森の奥へといざなわれていくのだった。

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