いつもの僕に戻るため
しんと静まり返った屋敷の中。
「……はぁぁ」
ミーシャが屋敷を飛びだしていき、彼女が消えたことを確認したオズワルドは溜め息を吐きながらその場にしゃがみこんだ。
「行ったみたいでよかった。
力なく笑う彼は腰のカバンから小さな袋を取りだす。その袋を傾けて手のひらに色とりどりの金平糖を乗せていくものの、手が震えているのかポロポロと横から次々にこぼれてしまう。
その落ちる星屑を追う視線の先には、とても一つの生物から出たとは思えない量の血溜まりだけが広がっていた。
仮にこんなところがミーシャに見られていたとしたら、同じ血溜まりが隣に増えるほどには仕返しをくらっていたとしても不思議ではないだろう。
――戻ってこられたり反撃されるのも嫌だし、ギリギリまで追い詰めてから逃走をうながしたのはいいけれど……アレは少しやりすぎたかな。力の加減がうまくいかなくてやりすぎるのも困ったもんだ。
「これからどうしよう。今から合流して、それこそ先生が無事じゃあなかったら……」
時々、こうして突然動けなくなるようなことがある。
それは光ひとつない暗い部屋や、物音ひとつしない静かな部屋にいる時。あるいは
部屋なんてものは電気をつけたり音楽をかけたり、なんなら月明かりや外のざわめきさえあればごまかすことができる。……だが、思い出だけはどうしてもなにかのきっかけであふれてしまう。
特にその思い出は、不安に押しつぶされてしまいそうな時によく現れた。他人にとってはそれほどではなくとも、彼にとっては大きな不安。
お前はこれからあの頃にまた戻るんだ。お前はどんなにあがいても幸せにはなれないんだ。そう耳元で囁きかけるかのように思い出は悪夢を見せつづける。
ひとたびスイッチが入れば、不安の種がとりのぞかれるまでそればかりが頭の中をぐるぐると踊りつづける。だからその考えにたどり着かないよう別のことに集中して意識をそらすか、少しでも早く安心できるよう行動にうつす必要があった。
今回は桜庭の怪我がオズワルドの想定していたよりも酷かった結果、うえつけられた不安をぶつける矛先が犯人であるミーシャへと向けられたのだ。
抵抗手段をもたない弱い人間がどれほどで死んでしまうのか。その境界線がオズワルドにとっては酷くあいまいで、大丈夫だとは頭の隅で分かっていても悪い方へ考えることをやめられない。
「どうしようどうしよう。こんなに不安になるなら少しでもかっこ悪いところを見せてもいいから、先生を先に行かせなければよかった。いや、でも依頼もあるし……あぁ、こんなことならばこっちをダリルに任せればよかった。僕は記録係の人間を
後悔ばかりでうまく思考がまとまらない。
そもそも桜庭が怪我をしたことも、元をたどれば市場で桜庭から目を離して屋台へと近寄っていった彼が原因ではあるのだが――今のオズワルドの頭からは、そんなことはすっぽりと抜けてしまっていた。
桜庭が路地に消えたとダリルか連絡があった時から、ずっと彼はどこか焦っていたのだ。
桜庭はまだ
それでも常に桜庭の行動を制限するわけにはいかない。異変解決屋として依頼をこなすため――そしていずれは
――今回こそは、今回こそはうまくいくかもしれないのに。僕がこんなことじゃあいけない。しっかりしないと……
深呼吸をして息をととのえ、ポリポリと次から次に手のひらにかろうじて残っていた星屑を噛み砕く。口に広がる甘い砂糖の味に少しだけ落ち着きを取り戻す。
そのたびに彼の中の理性がなにか忘れていることがあると訴えかけた。
――そうだ。僕たちは先生とサンディを助けにきたんだった。ここでこんなことを考えている場合じゃあない。いくらサンディは死なないのだとしても、依頼を放りだして先生の心配ばかりしているわけには……
「あ、そうだ」
正気を取り戻しかけたオズワルドがポツリと呟く。
彼は自分とダリルが降りてきた天井にポッカリと空いた穴を見上げると、手にしていた袋を腰のカバンへしまいふわりと浮き上がる。
「サンディ……彼がそもそも捕まってしまったから、僕はこんな思いをして……。彼も死なないんだったら……ふふ、僕のストレス発散に少しくらい付き合ってくれてもいいよね……」
一瞬だけ水面から顔をだしたオズワルドの理性は、またズブズブ水面下へと沈んでいく。
屋敷の屋根の上へと立ったオズワルドは、アフラートの街とは反対側となる屋敷の裏手側へと目を向ける。
日が落ちてきて冷たくなりはじめた風は、彼の心を
オズワルドは眼下に一人の人物の姿を見つけると、ダリルがいつもそうするかのように左手に剣を造りあげる。
柄に深い緑色の宝石が装飾されたその剣の刀身は、夕日を静かに反射していた。
「みつけた」
そう一言言うと、彼は剣を片手に
屋根の上よりもさらに寒さを増した冷気は、それでもまだ不安に駆られたオズワルドの心を落ちつけるためには不十分であった。
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