音速の男と蜂の人間
それは異様な光景であった。
男の身体から飛び出た血濡れた腕は人間のようではあるが、その全体は通常ありえないほど黄色い。
そして明らかに人間一人の中にはおさまりきらないであろう質量の、人の形をした『生物』が男の体内からズルリと這いでてきたのだ。
「なんだコイツは!? 蜂……の化け物のようだが……。まさか、さっきの蜂はマジュウだったとでもいうのか」
その生物の顔はまさに蜂そのもので、屈強な身体はアレクシスの背の高さを優に超えている。
名称づけるとすれば、さながら『蜂人間』。
怪物の開かれた顎からは、時おりギ、ギ……と不気味な鳴き声が発されていた。
「あきらかに人一人に収まるような見てくれではないだろう。気味が悪い……。市民に混乱が広がる前にどうにかしたいところだが――ッ!」
空に飛びあがったアレクシスを、蜂人間の複眼が視認する。
すると怪物も彼と同じく四枚の
怪物が飛びたつ間際、倒れて見る影もなくなった男の体内からは長く黒い槍が抜きとられ、その鋭い矛先がアレクシスへと向けられた。
「くそ! ずいぶんと好戦的な化け物だ……な!」
アレクシスは翼を翻して蜂人間の攻撃を避けると、くるりと空中で一回転。反動を利用して相手にかかと落としを食らわせる。
その一撃で蜂人間は地面へと吹き飛んでいったようではあるが、致命的なダメージにはいたらなかったのか、ほどなくして立ちあがる。
「チッ。思ったよりも硬いな……。セリーナに何事もなければいいんだが――」
すぐにまた敵が襲いかかってくる様子がないことに小さく息をつき、アレクシスはセリーナたちのいる方向へと目を向ける。
そして。一瞬の停止。だが、間もなく。彼はまばたき一つする暇もなく、全力で宙を蹴り、その場を飛びたつのだった。
□■□■
一方で。この明らかに異常な事態に、セリーナを背中に隠したままのダリルは、誰に頼まれるまでもないうちに手元にマホウによる剣を生成していた。
「げぇ……マジか。なんだかヤバい事態ってやつじゃないですかねぇ。これ? 警察官サマも武器もなしに戦ってるみたいだし、僕もいったん加勢をしにいくべきか……」
「そんなこと言ってる場合じゃないですよ、ダリルさん! あっちの方、見て!」
オーウェンにそう示された方を向けば、この少しの間に街の中は驚くべき光景へとなっていた。
まさに虫がわいたとでも言うべき光景。
見渡すかぎりに点在している黄色、黄色。
今アレクシスが応戦しているような蜂の化け物――もとい蜂人間が、街の中を見渡す限り、あちらこちらに現れているではないか。
生まれてまもない蜂人間たちの足元には、
「酷い……。これって、もしかしてさっき飛んでた虫のせいなのかしら……?」
ダリルの背に身を潜めたまま、セリーナがぽつりと呟く。
「さっきの蜂のこと……ですか?」
「だってアッくんが話してた男の人も、虫に刺された後におかしくなったでしょ? あっちの黄色いのがいっぱいいる方向は、その後に虫が飛んでいった方向に間違いないもの」
「それじゃああの蜂をどうにかしないと、このまま化け物が増えつづけるってことです? いやぁ……そんなこと言われても。もうアレがどこに行ったかなんて、僕にはてんで見当もつかな――ッ!?」
ダリルの索敵範囲に高速で近づく『なにか』が引っかかり、警戒する暇もなく、ピタリと彼らの後ろで気配が止まった。
『なにか』の正体が
――マズイ。速すぎて、気づくのが遅れた……!
ダリルが後ろを振り向いた時には、すでにそれは目の前にいた。
彼が見上げる先にたたずむ屈強な蜂人間は、今にもセリーナの頭に齧りつこうとノコギリのように鋭い大顎を開いて立っていた。
とっさに空中にナイフを生成しようにも、きっと相手がセリーナの頭を噛みちぎる方が早い。
――間に合わない。
声をかけようにも同じく意味はない。
オーウェンに頼るにしても、マホウツカイではない彼に頼るなど、もっとも論外である。
求められる判断。ゆいいつ彼にできることがあるとすれば、セリーナを押しのけ蜂人間との間に割って入ることぐらいなものだろう。
もちろん、そこで自分がどう次の行動に移るべきなのか、戦略性のあるプラン立てがあるはずもないのだが。
――だからって、目の前で人が食われてるところをみすみす見逃せるかよ……!
最低限、今のダリルには剣がある。身体が反応さえすれば、一撃から身を守るぐらいのことはできるかもしれない。
そして、ダリルがセリーナを突き飛ばそうと手を伸ばした……その時であった。
「この――」
一瞬聞こえた声は、かなりの距離があったように思えた。
しかし、まばたきすらも許さない次の瞬間には。その声の主は腹の底からの怒声をあげ、彼らの目の前で怪物の頭を蹴り飛ばしていたのだった。
「化け物風情がァ! 俺のセリーナを殺そうとしたなぁ!?」
ぶわりと通過した風がダリルの前髪を巻きあげる。
蜂人間の速さを超える、ダリルの索敵にすら引っかからない速さで飛びこんできたアレクシスの蹴りは、怪物の頭を吹き飛ばすには十分な威力で。頭と分離した屈強な身体がその場に崩れ落ちた。
「わぁびっくりした! ありがとうアッくん~!」
すると、そこでようやくセリーナは自分が襲われていたことに気がついたらしい。
彼女は転がった蜂人間の身体から離れると、今度はぴったりとアレクシスの腕に飛びついて感謝の意を伝え……そこからが長かった。
「こんなに怖い虫の怪物からも守ってくれるだなんて、やっぱりアッくんは私の王子様だ〜! でもそうだよね。アッくん小さい頃からいじめっ子がいるとすぐにやっつけてくれたし、かっこよくて正義感も強くて、学校でもモテモテだったもんね。たしか警察になるって決めたのも、昔私が暴漢に襲われそうになったのを守ってくれたのがきっかけで――」
「ああ分かった分かった。分かったからそれ以上は言うな。というかくっつくな! 俺のことはいいから、お前は早く建物の中にでも避難していろ。この非常事態にそこにいられると目障りだ!」
「ねぇねぇオーウェンちゃん、見た見た〜? 今のアッくん、すっごく格好よかったよね~!」
そうはしゃぐセリーナは、自身がたった今襲われたにも関わらずのんきなものである。
あと一歩で、そのよく喋る口がついた頭も、パン切れよろしく噛みちぎられるところだったというのに。
アレクシスの我慢が限界に達するのも時間の問題であった。
「俺の話を聞け! もういい、オーウェン! その女を連れてどこか安全なところに隠れていろ!」
「は、はいりょーかいです! ということで行きますよ。セリーナさん!」
「えっ、でもアッくんが……」
「先輩なら大丈夫ですから。ほら!」
不安そうに何度も振り返る彼女の背中を、両手に抱えた荷物越しに押してやり、オーウェンがセリーナを近くの建物へと連れていく。
二人が無事に室内へと入るまでを見届けると、アレクシスは早くも疲れた様子で肩や足首をぐるぐると回していた。
「まったく。危機感のない女だ。化け物を目の前にして、あのメンタルの強さはどこからきているんだか……。なぁ。貴様も疑問に思うだろう」
「いや、それ僕に聞かれても……ウチにも似たようなメンタルした人いますし。というかなんです。アンタたち、昔からの知り合いだったんですか。幼馴染と結婚だなんて、ずいぶんロマンチックですねぇ」
少しからかうつもりでそうダリルは言ってやったのだが、どうやらそんな決まり文句は言われ慣れているらしい。
アレクシスは「まぁな」とだけ短く答えると。
「ただ生まれた時から家が隣同士だっただけだ。そんなことよりも……ハニーボール」
「はい?」
アレクシスがもう一度マホウを発動し、大きな純白の翼を広げる。
「貴様も戦えるタイプのマホウツカイだろう。ちょっと手を貸せ」
「手を貸せって言っても、僕になにをしろって――あっ、ちょ!」
アレクシスはダリルの手にしていた剣を横から奪いとると。それを手元で軽くもてあそび、吟味するかのように眺め、そしてニヤリと笑った。
「そんなもの、決まっている。化け物退治だよ。俺の休日を台無しにした罰をくれてやる」
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