シープ②

 見渡す空はすこし眩しいくらいに明るくて、どうやらわたしの部屋ではありませんでした。わたしの部屋にだって、ちゃんと壁や屋根くらいはあります。

 いま座っているところはベッドの上ではあるのですが、ベッドの外側、辺りは広々とした草原が広がります。

 遠くを見やれば、公園の遊具のようなものもみえますが──


「どこですか、ここ……?」


 頭から足までまとわりつく小さな小さなひつじたちをそのままに、しばらくのあいだ呆然とします。こんな事態をスッと飲みこめるヒトなんてきっといません。


 ひつじたちはわたしの周りに生えた草を、無心にもしゃもしゃとしていらっしゃいます。

 うーん、かわいい。


 両手の指先を合わせて、手の中にボールをつくってみてください。大体そのくらいのホワホワした毛玉です。


 手近なコを片手でつかみ取ってモフモフともふりながら、さてどうしたものでしょうと考えます。

 このコたちは柔らかくて温かくて手触りが良くて素晴らしいです。どんなにわしゃわしゃしても、くすぐってみても、無心に草を食べています。かわいいです。いっぴき、にひき、さんびき……

 ああ、モフモフに惑わされて考えがまとまりません。


 その時です。


「おや、目覚めてしまいましたか。これは、すみません」


 突然、男のヒトに声をかけられました。

 慌てて頭のうえのひつじを引っぺがして、髪を手ぐしで整えます。目やにがついてないかと急いで目もぬぐいました。


「え、あの、えっと……はじめまして?」


 たぶん、はじめましてです。


「あはは、びっくりさせてしまったね。難しいだろうけれど、どうか落ち着いてください、お嬢さん」


 寝起きを殿方に見られるのは恥ずかしいものです。

 その話ぶりは悪い人ではなさそうです。素朴なおじさん、というと失礼でしょうか。牧畜に従事する方のような装いをしています。

 しかし、彼は視界の開けた場所のどこから現れたのでしょう。


「あの、このコたちって、ひつじ、なのでしょうか?」


 おかしなことを尋ねている自覚がありました。その前に聞くことがあるはずなのですが、それでも聞かずにはいられなかったのです。


 これはきっと夢の中に違いありません。夢のなかの出来事は、どんな不条理もありのままに受け入れて、自分勝手に物語が進みがちですから。

 それに近い違和感を、いま、どこかに感じています。


 わたしはおじさんに向き直り、ベッドから足を下ろそうとしましたが──


「ああ、お嬢さん、そこから出てはだめだ。君は降りてはいけない」

「えっ?」


 おじさんに慌てて止められたので、慌てて足を引っこめます。突然行き場をなくした足はとりあえず折りたたみ、わたしはベッドのうえで正座することとなりました。なにかひつじさんを潰した気がします。


「ああ、よかった。いや、すまないね。足をおろしてしまっては、きっと君も帰れなくなってしまうんだ。少し窮屈かもしれないけれど、ひつじたちの気が済むまで、どうかそのままで」


 帰れなくなる、と言われると気が引き締まりました。まだ良く分からないことが多いのですが、なんとなく大事なことのような気がしたのです。


「えっと、ごめんなさい、良く分からなくって大変恐縮なのですが……」


 わたしは改めて尋ねました。


「これはわたしの夢、なのでしょうか」


 今度は尋ねたいことを尋ねられた気がします。

 するとおじさんは笑いました。


「あっはっは! そんな風に聞かれたことはなかったなあ。君の、というと少し違うけれど、そうだね、ひつじたちが食べ終わるまで話をしようか」


 おじさんは、どっこいしょ、と切り株に腰をかけました。

 はて、そこに切り株なんてあったでしょうか? そんなささやかな疑問はどこかへ消えてしまいます。


 ひつじたちは正座するわたしにまとわりついて、相変わらず草をもしゃもしゃとしています。


 たんとお食べよ、ひつじさん。

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