第42話

 舞島対策会議の翌日、学校に行く前の早朝の事だった。


 普段、乃雪からの連絡でしか通知音を鳴らさないスマホが、こちらを呼びつける。自宅にいる以上、乃雪はスマホでの連絡をしない。いや、たまに自宅にいてもスマホで連絡する事はあるけど。主にオンラインゲーム中でPCの前から離れられない時とかに呼びつける。「トイレ行きたいからペットボトル持ってきて」って連絡もらった時は、妹を諦めようと思ったものだ。


 などと感傷に浸っている場合ではない。大体、乃雪はこんな早朝には起きない。

 だから――――まあ、相手は分かりきっているのだけど。憂鬱だ。


「…………もしもし」


『太一か』

 スマホを通じて聞こえてきたのは厳格そうで、それでいて頑固。人の話を聞く気があるとはとても思えない、薄情そうな男性の声。


「ああ。悪いけど、もうすぐ学校なんだ。切るよ」


『まだ学校までの時間に余裕があるのは分かっている。それとも何か? 今から準備しなくては間に合わないほどギリギリに起きているのか?』

 有無を言わさない口調。こちらの隙を伺っているようにしか思えなかった。


「……わかったよ。まだ余裕はあるから、話くらいなら聞くよ」


『父に向かってなんだ、その口調は』

 電話の向こうの男性――――親父はさっきまでと同じ口調で、そんな事を言う。

 ……虫唾が走るな、ホント。


「悪かったよ。思春期なんだから、それくらい許してくれよ」


『成程、思春期を盾にするのか。馬鹿としか思えない論調だな』


「……さっさと要件を言ってくれないか?」

 怒りが抑えきれない中、なんとか先を促そうとする。


 この男と喋っていると、自分にもこれだけの怒りがまだ残っていたのかと思い出せる。


『要件は一つだ。乃雪と話がしたい』


「悪いけど……」


『なんだ? よもや寝ているなどと言うことはあるまいな。そんなだらけた生活を送らせるために安くない金を投じているんじゃないぞ、私は』

 あくまで厳格に。ともすれば感情がないのかと思える声色で、親父は俺を叱る。


 そんな男に、俺はできる限り感情を隠し、言う。


「分かった、注意はしとくよ」


『良いか? お前が言ったんだぞ? 『親父と一緒にいたら乃雪が立ち直れない』――と。ならば、この生活で改善されなければ、資金の援助は打ち切らざるを得ないな』


「……あんた、本当に乃雪の父親か?」

 とうとう抑えきれなかった怒りが飛び出す。電話口から嘆息が聞こえてきた。


『勿論、乃雪。そして、太一、お前の父親でもある。だから安くない資金を援助している。安アパートなどではなく、高校生二人で住むには些か高すぎるであろうマンションも用意した。食費、教育費、雑費その他諸々の金も出している。一方で私が要求しているのは、乃雪の更生のただ一つだけだ。これだけお前達に条件の良い契約の何が不満なんだ』


「色々あるが、その一つがさっきから言っている援助とか契約だかって父親から出たとは 思えない言葉だよ。家族相手にそんな他人行儀な言葉が出るのか。大体乃雪がああなったのは元をたどれば、あんたの――――」

 

『感情が宿れば良いのか? それで乃雪が更生できるならそうしよう』


「……やっぱり俺はあんたと乃雪を引き離して正解だったと心底思うよ」

 駄目だ、怒りが抑えられない。親父相手に――いや、親父だからこそだろう。

 

 その肉親が何一つ乃雪の事を理解できない、ともすれば乃雪を心配しているのかどうかも怪しい。それが何より、腸が煮えくり返るほどの怒りを覚える。


『まあ、良い。乃雪には時間が必要だと言うのは医者も言っていた事だ。専門家であれば信用できる。お前達に今しばらくの時間を与えるのはやぶさかではない』


「俺達の言葉より専門家の方を信用するのか」


『当然だろう。貴様はどれだけ乃雪の病気の事を知っている?』


「少なくともあんたよりは乃雪の事に詳しいさ」



『話にならんな。そんな不確かな根拠しか言えない者の言葉を信用するなどというのは馬鹿げている』


「…………ッッ、大体乃雪があんな風になったのはあんたの所為で――――」

 思わず怒鳴り声を上げてしまった。こいつ相手にこういった感情的な会話が逆効果になるのを知っていたのに。


『……話ならんな。それにあの件はお前達に謝罪したはずだ。また、あの状況ではああしなければお前達を何不自由なく養う事はできなかったかもしれない。とは言え、私にも非がある事は認めている。だからこそ、こうしてお前の言い分を受け入れたんだ』


 だが、と親父は続ける。



『資金を出している以上、私にも教育を施す権利がある。太一、そうは思わないか? だからこそ、乃雪と話がしたい』


「今のあんたと話せば、乃雪の症状が悪化するかもしれない。だから話させない」

 そんな俺の言い分を前に、少しの間、黙っていた親父だったが、やがて溜息を吐き、言った。


『……、まあ太一、お前が乃雪の専門家だと言うのならば、今はその意見に従おう』

 そんな皮肉たっぷりの口調に青筋が立つが、怒っても仕方のない相手だけでに怒りをぶつける事もままならない。


 ホントにこいつとの電話は嫌になる。


『だが、太一。一つ言っておくが……、私は成果の出ない『事業』にいつまでも金を出せるほど気は長くない。それだけは分かっておけよ』

 そう言った直後、親父は通話を切った。


 ……本当にこちらが嫌になるほどの合理主義者だ。それは誰に対しても変わらない。例え家族相手にも。

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