第10話 星祭
西区へと続く大橋には、既にシンボルである月桂樹の葉をモチーフにした飾りと星を
そのまま道なりに進むと、間もなくして智慧神ティラーダ神殿が見えてきた。鉄製の門には智慧神のシンボルである星のモチーフと月桂樹の枝葉の輪がそれぞれ配されている。左右の門柱の上には丸く中が空洞な硝子が置かれている。あかりと思われるそれの内側が
門の中へ入ると、恐らく普段は静かであろうと思われるティラーダ神殿も、今日ばかりは多種多様な人々が
きょろきょろと辺りを見回しながら、マリアベルは見知った顔を探した。
「あれ? ベルちゃん?」
不意に聞き覚えのある声が掛かり、マリアベルは声の方へ目を向けた。果たしてそこには、予想通り冒険者の
マリアベルは彼の方へ向き直ると居住まいを正して挨拶の言葉を口にした。
「こんにちは、シン殿」
「うん、こんにちは! 星祭は日が落ちてからが本番だけど、どうかした?」
「はい。手が空いていますので、何かお手伝いがあればと思いまして、やって参りました!」
その言葉に、シンはパッと破顔して素直に礼の言葉を口にした。
「本当? 嬉しいな、ありがとう!」
「良かった……あ、いや、しかし、恥ずかしながら細かな手仕事は不得手でして……力仕事がありましたら、是非!」
「あはは、頼もしいな。じゃあ、僕と一緒に荷物運びをお願いしても良いかい?」
「望むところです!」
右腕で力こぶを作って見せ、力強く頷くマリアベルに、シンは笑顔で頷き返すと神殿の中へと促した。廊下の
「まだ結構飾り付けが残っててね。この箱を大橋のところまで運ぶのを手伝ってくれる?」
「承知しました!」
「じゃ、僕が先導するからついて来てね」
「はい!」
まとめて運べないなら、往復する数を増やせば良いだけの事。内心で己にそう言い聞かせつつ、マリアベルは頷いた。その時、背後から躊躇いがちに声が掛かった。
「シンさん」
シンとマリアベルが同時に振り返る。2人の視線の先に、真っ直ぐ腰まで伸ばした栗色の髪の女性が両手で
「あれ? ミアちゃん、どうしたの?」
「あの、シンさんと、皆さんのお昼に、と思って……サンドイッチ、作って来たんです」
はにかみながらおずおずと彼女が手に持った
「そっか、ありがとう! 荷運びが終わったら頂くよ」
「はいっ」
頬を染めて嬉しそうにしている女性を見て、マリアベルは
最初だけシンに道案内を受けながら木箱を運んだが、大橋までは一本道の為、その後は
神殿に戻ったマリアベルは昼食をとる為、一旦宿に帰ってから午後に改めて手伝いに戻るつもりだったが、シンとティラーダ神殿の厚意で神殿で昼食をとらせてもらえることになった。
シンにはミアの作ったサンドイッチも勧められたが、量が少なそうだった事に加え、午前中に動き回っていたおかげで腹ペコだったマリアベルがご相伴に預かっては、一瞬で無くなってしまってもおかしくない。その為、丁重に辞退をさせてもらった。
ティラーダ神殿で振舞われた料理は、黒パンに鹿肉の
腹七分目程で食後のお茶を手にしつつ、マリアベルはシンに午後の手伝いを尋ねようと視線を動かした。すぐに見つける事が出来たが、彼の隣にはピッタリと……否、ほんの僅かに間を置いて、
「おい! 食事が済んだ者から順に、午後の仕事に入れ!」
別の所から、やや
* * * * * * * * * * * * * * *
気が付くと、空は茜色に染まっていた。
丁度、ティラーダ神殿を囲む
「よぉ、ベル!」
反対側から声が掛かり、振り返るとそこには、黒ずくめの服装の濃紺色の頭髪の青年が立っていた。彼の両腕には小奇麗な女性2人がそれぞれ両手を絡ませて立っている。
「シアン先輩、こんばんは」
「おう! いよいよだな」
「やはり、そろそろですか! 何とも胸が高鳴ります」
「かたっくるしいティラーダ神殿主催でも、祭りは祭りだからな! 俺もワクワクするぜ!」
ニヤリとシアンが笑うと、右側に陣取っていた小柄の金髪の女性が少し不貞腐れたような表情をして、彼の脇腹をつねった。
「いでっ ちょっ おい、なんだよ!」
「シアンの浮気者!」
「はぁ?!」
「もうっ 知らないっ」
ぷいっと頬を膨らませてそっぽを向いた拍子に、髪で隠れていた長い耳が見えた。――この女性は
「初めまして。私はシエル・オーディアールと申します」
シアンの左腕に両手を絡めていた、女性が居住まいを正し、マリアベルに柔らかく微笑んで礼をとり名乗った。茶色い髪の落ち着いた雰囲気の10代後半から20代前半に見える年齢。美しい所作は普通の町娘のものではない。それなりの家の令嬢と思われた。マリアベルも彼女へ向き直り、丁寧に礼を返した。
「私はマリアベル――ベルと呼んでくれ。
「まぁ、マリアベルさんは冒険者なんですか?」
「ああ、シアン先輩にはとてもお世話になっている。
「
両手を合わせ、シエルは瞳を輝かせた。どうやら彼女は冒険譚がお好きなようだ。
「どんな感じでしたか?
「ちょいちょーい! シエル! 神殿に月桂樹の葉、貰いに行くんだろ?」
話しが長くなると感じ取ったのか、シアンがマリアベルとシエルの会話の間に割って入った。彼の言葉に、シエルは目を丸くして両手で口元を覆った。
「そうでした! シアン、行きましょう!」
言うや否や、彼女はシアンの左腕に両手でしがみ付き、引っ張る様に神殿の門へ向かって歩き出した。
「って事でベル! お前も早めに月桂樹の葉貰いに行くと良いぜ! 日没の後だと、行列出来るからな!」
引っ張られるがままに歩き出しながら、シアンは顔だけマリアベルの方へ向けると、そう言った。そのまま、マリアベルの返事を待たずに引っ張られながら去って行った。
「月桂樹の葉……か」
残されたマリアベルは、彼の言葉を反芻した。――確か、“願いを込めた月桂樹の葉で川面に浮かぶ星を掬うと、その願いが叶う”というジンクスがある、という話しだったか。マリアベルとしては第一に“今はもう会えなくなった大切な人に会える日”という伝承に
神殿の前には既に人が短い列を作っていた。列の最後尾に並びながら、マリアベルは大橋方面へ向かう人々へ目を向けた。老若男女問わず皆、
ティラーダ神官が差し出す月桂樹の葉を、マリアベルが手にする頃には、日没まであと僅かとなった。
神官に礼を言って葉を受け取り
音もなく2つ門柱に
集まった人々から歓声が上がる。
マリアベルもつい、感嘆のため息を漏らした。――正に、地上に
知らず知らず、マリアベルは早足で大橋へと向かった。神殿へ向かう人々や、逆に大橋へ向かう人々、そして、道の両側に飾られた星のあかりに魅入る人々に、ぶつからないよう間をすり抜けながら、マリアベルの頭の中は金茶色の長い髪と
大橋の上は既に大勢の人がいた。丁度マリアベルが到着したタイミングで、橋に飾られた星を
「何と美しい……」
橋の袂に立ち、呆然とマリアベルは呟いた。噂で聞いていた以上の美しさだった。天と地を星が繋ぐ、というのは決して大袈裟な表現では無かった。
しばらく神秘的な光景に圧倒されていたマリアベルだったが、数分後に
「そうだ、川面の星を掬わねば」
慌てて土手を駆け下り、人混みの中で空いている場所を探す。川沿いは既に月桂樹の葉を手にした様々な人々がしゃがみ込んでいた。楽しそうにおしゃべりをしている者もいれば、これに全てを掛けているような真剣な表情の者もいる。人の数だけ、異なる願い事があるのだろう。自分なら――やはり、一番の叶えたい願いは“仕えるべき勇者に巡り合えるように”、だろうか。
橋から川沿いを歩いて少し経つと、辺りは地上のあかりから離れたせいか薄暗くなった。川面の星を掬おうとする人もまばらにしかいない。橋に下がった星明りは当然ながら見えないが、天上の星であれば逆に掬いやすい。一つ頷くと、マリアベルは
「よし、いざ!」
右手に神殿で貰った月桂樹の葉を握りしめ、マリアベルは目の前の川面に光る星を掬うために、ゆっくりと手を伸ばした。
――“どうか、私の仕えるべき勇者様に巡り合えますように”
真剣に心の中で繰り返しながら、水面を乱さないように慎重に月桂樹の葉を星の下に差し入れる。――上手く入った。あとは、優しくそっと持ち上げるだけだ。緊張で手が軽くぷるぷると震えているが、息を詰めてマリアベルは月桂樹の葉で水面に映る星ごと川の水を掬い上げ――た、と思った時、背後に僅かに鋭い痛みを感じ、驚いて持っていた葉を手放してしまった。ぽちゃん、と小さな水音を立ててマリアベルの月桂樹の葉は落ち、そのまま川を流れて行った。それを見送る前に、マリアベルはぎこちなく背後を振り返ろうと
「おっと……そのまま前を向いていろ」
低い男の声が、マリアベルの動きを制した。背中に更に刺す様な痛みを感じる。――比喩ではなく、恐らく短剣か何かの切っ先が、マリアベルの背中に突き付けられているのだろう。しくじった、とマリアベルは
「……何が目的だ」
唸る様にマリアベルが問うと、背後の男は薄く笑った声で答えた。
「そんな
多少刺される事を覚悟して暴れてやろうか、と物騒なことを考えつつも、マリアベルは黙って男の声に従った。周囲にはまばらであってもクナートの町の人々がいる。巻き込む事は出来ない。
男に言われるがままに、どんどん人気のない方へ歩き、気が付くと細い袋小路に立っていた。周囲の建物は倉庫なのか、明かり一つない。天上の星々と月明かりの中、マリアベルは意を決して身体ごと背後を振り返った。刺されると思っていたが予想外に何事もなく簡単に対峙でき、やや拍子抜けしながらも目の前の男を注視した。
中肉中背。全身黒の服装で、顔も覆面で覆っている。同じ黒づくめでも、マリアベルの冒険者の先輩である群青色の双眸の朗らかな青年とは異なり、日陰の者特有の陰湿な雰囲気を醸し出している。彼の左手には
「んじゃ、適当に死んでもらうわ」
「そう簡単に殺されるつもりはない!」
言いながら腰に手をやってから、マリアベルはハッとした。――今日は剣を佩いていない。青くなる彼女を見て、黒づくめの男は声を上げて笑った。
「威勢が良いのはここまでだな。――安心しな、
じりじりと後退するマリアベルへ一歩踏み出しながら、男は猫撫で声で言った。
「終わったら、アンタの首はもらうが、身体は誰にも見付からないように、海に沈めてやるよ」
「首をもらうだと?」
「
そう口にしてから、余計なことを話し過ぎたと思ったのか男は口元の布を右手で直した。
「……サァ、おしゃべりは仕舞いだ」
男の左手が持つ
「ハハッ
必死なマリアベルを
……しかし、一向に痛みは感じない。
木材に片手をかけたまま尻餅をついていたマリアベルは、恐る恐る瞼を上げた。
目の前に人影が立っていた。――逆光で顔は影になっていて見えないが、先ほどの黒づくめの男と明らかに異なる
状況について行けず、マリアベルは困惑して眉を
「追われる身としての注意に欠けているのではありませんか」
マリアベルにとっては全く聞き覚えの無い、低くよく通る男の声がした。心なしか皮肉の色が滲むその声の主は、長剣を鞘に収めると、彼女の方へ静かに歩み寄った。慌ててマリアベルは手にした木材を相手に向かって構えた。その様子に、彼は右手を差し出しながら明らかに呆れ声で言った。
「立てますか?」
「え?」
「腰が抜けてはいないか、と聞いているんです」
「ぬ、抜ける訳が無いだろう! 失礼な! これはっ さっきの勢いで、それで立ち上がるタイミングをだなっ」
カッと頭に血が上り、マリアベルは勢いよく立ち上がりながら目の前の男に噛み付いた。しかし、男は平然と「ならば結構」と短く言い放つと、彼女に向かって差し出していた右手をアッサリと引っ込め、左手に持っていた長剣を腰帯に付け直した。彼の冷静な言葉に、徐々にマリアベルの頭も冷えてきた。目の前の男は、どうやら――間違いなく、マリアベルを助けてくれたのだ。気まずそうに臙脂色のワンピースの皺を手で伸ばし、居住まいを正してからマリアベルは彼に向き直った。
「その……先ほどは助かった。礼を言う」
「ああ、それはお気になさらず。己の
「?
怪訝そうに鸚鵡返しするマリアベルを、先導するように彼は
「あの男はどうするんだ? 自警団へ届けた方が……」
「どのみち
「仲間?」
「ええ、そうです」
振り返りもせず、事も無げに男は歩きながら頷いた。
気が付くといつの間にか、明るい大通りに辿り着いていた。賑やかな声と星を
「もう少し、貴女は自分自身の置かれた立場を
その言葉に、むっとしてマリアベルは柳眉を逆立てた。
「なんだそれは。何故そのような事を、見ず知らずの者に言われなくてはならないんだ!」
「“見ず知らず”ですか」
「当たり前だろう!」
むくれ顔のまま、マリアベルは背の高い男の後ろ頭を睨みつけた。先ほどまでは辺りが薄暗く見えにくかったが、今は多くの明かりでハッキリと後ろ姿を確認できた。
広い背中に、一目で上質と分かる布地で誂えた長衣に
視線に気付いたのか、彼はマリアベルの方へ身体ごと向き直った。端正に整ってはいるが鋭さのある眉目に、印象的な瑠璃色の双眸。
――
ハタとしてマリアベルは目を
「ま、待て…………いや、そんな馬鹿な……しかし、何故……」
対する男は、全く動じる様子は見せず、静かに口を開いた。
「名乗るのが遅れました。私はウィリバルト・ハインリッヒ・ウル・ルーエンハイム――――
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