第13話 東の村テアレム

 春告鳥フォルタナの翼亭で出会った女性、フィリネア・セントグレア――ネアの請けた依頼とは、港町クナートの東方の街道沿いに半日ほど進んだ先にあるテアレムという小さな村からのものだった。村の人々が生活の糧や薪を手に入れるために足を踏み入れる事の多い近くの森に低級妖魔ゴブリンが5~6匹ほど居付いてしまったようで困っている、というものだ。依頼の成功報酬は銀貨100。もし低級妖魔ゴブリンの数が多かった場合は1匹追加ごとに銀貨30が上乗せされるという。

 依頼をこなすに当たって、ネアは「武器の使い勝手を試すために依頼を請けたのだから自分を主力で戦わせて欲しい」と、改めてソフィアとシンに説明した。更に成功報酬はきっちり3等分、村への往復の食料はネア持ちという気前のよさだ。当初、さすがに食料は辞退を申し出たが、彼女は「んま! 残して帰ったらわたくしが執事セバスに泣かれてしまいますわ?!」と目を剥いて抗議して来て、結局ソフィアはその勢いに負けて彼女ネアの要望を飲んでしまった。



 そんな事を思い返しながら、ソフィアは東門の前でネアとシンを待っていた。幸いエルテナ神殿の早朝の畑仕事が苦にならないくらいソフィアの朝は早い。というより、いつも眠りが浅いが為に、朝日の気配を感じると横になっているのが億劫になって起きてしまうだけなのだが。


 門柱に寄り掛かり、人通りを感じない街道を前にソフィアは手に握る背負い袋に目を落とす。

 昨日、ネアやシン、シアンが解散した後に、何となくこっそりと町へ行き、冒険者として必要そうな最低限の品を用意した。――とはいえ、武器や防具は自分が何を手にしていいか分からない上、予算オーバーだ。何より戦闘はネアが受け持ちたいと言う事だったので、今回の自分ソフィアに与えられた役目が“いざという時の伝言役 (とおとり)”という事から「身軽である」事を前提に考え、服装は今までのままとした。その代わり、ネアやシンの手をわずらわせないで済む様、背負い袋やベルトポーチ、水袋、羊皮紙や羽ペン、インクなどの生活用品を重点的に揃えた。

 とはいえ、ソフィアの力は自分でも歯痒いほど非力だった。背負い袋に買った品々を詰め、喜々として持ち上げようとしたが、あまりの重さに絶望したくらいだ。

 今回はクナートから半日で依頼元の村に到着すると言う事だったので、昨夜は購入した品々のどれを持って行くかを厳選し背負い袋に用意した。



「おはよう、ソフィア! 1人で待たせちゃってごめんね」


 唐突に掛かった声に思わず小さく身をすくませてから、不機嫌そうにソフィアは声の主の方を振り返った。


「別に待ってない。というか、その、いちいち子ども扱いしてるみたいなセリフやめてくれない?」

「えー、してないんだけどなぁ」


 シンが肩を竦めて「ふふふ」と楽しそうに笑った。その無邪気な表情とは対照的にシンの格好は金属の板が全身を覆う頑丈そうな全身鎧フルプレートだった。背にはソフィアの背丈ほどもありそうな長い棍棒モールと大きな背負い袋。

 いつも柔和なシンの雰囲気といかつい鎧姿のギャップに頭の処理能力が追いつかない。唖然とした顔のまま、つい数歩後ずさってしまった。


「ん? どうしたの?」


 きょとんとした顔でシンが小首を傾げた。その時、


「あら、もうお2人ともいらしてたのね! おほほ! おはようございます、ごきげんよう!」


 ネアが町の中心部からこちらへ軽い足取りでやって来た。紅色に塗装された特注と思われる全身鎧フルプレートに縁を金糸で縫い取りされた白色のマントを颯爽となびかせている。背には今回試したいと言っていたものと思われる長い槍が固定されている。柄の部分が美しい赤紫色をしており、全体的に強度を損なわない様補強をしつつ装飾が施されており、槍の穂先は白金色に輝いており、やはり細かな装飾らしきものが見え隠れしている。

 その彼女ネアの後ろには大きなバスケットを持った白髪の品の良さそうな50代くらいの年嵩の、いかにも紳士然とした男性が付き従っている。恐らく彼が彼女ネアの執事なのだろう。

 2人の近くまでやってくると、ネアはまずソフィアへ顔を向け、にっこりと美しく微笑んだ。


「ソフィアさん、よく眠れまして?」

「ええ」

「それは良かった。シンさんは、お仕事の方は問題ありませんの?」

「うん、大丈夫だよ。あ、そうそう。水袋にミアちゃんがお茶を入れてくれたんだ。ちゃんと冷ましてから入れてくれたんだよ。僕の一番好きなお茶なんだ。後でみんなで飲もうね!」

「ミア? ああ、孤児院に勤める女性でしたわよね……ってシンさん、貴方もう少し……はぁ」


 何かを言いかけてから、ネアは呆れたようにわざとらしくため息をついた。水袋を手に不思議そうな顔をしてネアを見ているシンに視線を向け、更に目を三角にする。


「女心が分かってませんのねぇ……そのお茶は、大切にご自身でお飲みなさいな」

「うん? どういう事?」

「……鈍いですわねぇ」



(うん、さすがにあたしでも分かるわよ……)


 思わずソフィアも内心で突っ込む。つまり、そのミアという女性はシンを憎からず思っているのだろう。シンは全く気付いていない様子だが、それがわざと気付いていない振りなのか、照れ隠しなのか、本当に分かっていないのかは、微妙なところだった。



「オススメなのになぁ……あ、ソフィアは飲むよね?」

「いえ、遠慮するわ」


 馬に蹴られて死ぬのはちょっと、と内心で付け足す。シンは「えー」と不満そうだが、聞こえない振りをして無視スルーをする。その間に、ネアは付き添ってきた男性から大きなバスケットを受取り、そのままシンに押し付けた。


「荷物は男性が持つものですわよね!」

「あ、うん」


 素直にネアの手からバスケットを受け取る。中には3人分のお弁当が入っているそうだ。シンの態度に満足気にひとつ頷くと、ネアはクルリとマントを翻してきびすを返し、東門の外へと身体ごと向き直った。


「セバス! 留守は頼みますわね!」

かしこまりました、お嬢様」

「さて! お2人とも、行きますわよ!」

「おー!」

「お、おー……」


 右手を握り締めて高らかに号令をかけるネアに、シンは楽しそうに元気よく、ソフィアはやや引いた様子で応え、3人はクナートを後にしたのだった。



* * * * * * * * * * * * * * *



「ソフィア、大丈夫? 荷物は重くない?」

「問題ないし重くない」

「咽喉は渇かない? お茶飲む?」

「結構よ」

「足は平気? 僕、おんぶしようか?」

「……」


 クナートから徒歩で2時間ほど経つが、シンの想像以上の過保護っぷりに思わずソフィアは応える事を放棄しかけた……


「あ、やっぱり疲れたんでしょ。ホラ、遠慮しないで」


 ……が、黙るとシンは自分の良い様に解釈するため、油断出来ない。今も道端にひざまずいてソフィアに背を向けて乗るように催促をしている。


「……いえ、いらない」


 思わず死んだ魚の目になりながら、ソフィアは疲れた様に応えた。その様子をしばらくクスクスと笑いながら眺めていたネアだったが、ふとシンに尋ねた。


「そういえば、シンさん。孤児院の方は人手は問題ありませんの?」


 ソフィアの拒否に食い下がろうとしていたシンだったが、その問いに頷いて立ち上がり彼女ネアの方を見て笑って頷いた。


「うん。通常の人員スタッフとミアちゃんに加えて、今は僕の義姉あねが泊り込みでいるし、通いで義兄あにも来てるからねぇ。みんな慣れてるから問題ないよ」

「あら、シンさんにはご兄弟がいらっしゃるのね」

「義理のだけどね。僕、昔近所の家で魔法を習ってたんだよ。そこで兄弟子だったのが義兄あにのネイにぃ。その奥さんが義姉あねのエバねぇなんだ」


 にこにこと機嫌よく説明をするシンに、ネアは目を丸くした。


「ネイさんとエバさんなら、お名前を耳にした事がありますわ。お2人とも半妖精ハーフエルフで、ご夫婦で導師の称号をお持ちでしょう?」

「うん、そう」

「賢者の学院でお2人とも教鞭を取られているそうですわね。お人柄もご立派と聞きますわ」

「うん! 2人とも自慢の家族だよ!」


 まるで自分が褒められたかのように、嬉しそうに笑ってシンは頷いた。


「エバねぇとミアちゃんはすごく仲が良いし、仕事の連携も上手く出来るから。あの2人がいれば安心なんだよね」

「あら、結局のろけですの? ご馳走様」

「?」



(つまり、そのミアって人とシンが結婚したとしても、親族関係は安泰という事ね。はいはい)


 息をする様に自然に惚気のろけるシンに、ネアとソフィアは呆れ半分、うんざり半分の顔をして目配せし合った。この話題を振ると胸焼けがしそうになるから良そう、と目と目で語り合う。


「さて、少しペースアップしましょうか」

「道草食わずに早めに村に行って情報を集めた方が良いわね」


 そのまま、きょとんとするシンを置き去りにしてスタスタと歩を進めたのだった。



* * * * * * * * * * * * * * *



 まだ日が高い内に、目的の村テアレムに到着できた。まずはネアが依頼元の村長宅を訪問し挨拶を行う為、ソフィアとシンは各自情報を集める事になった。……とはいえ、シンはピッタリとソフィアの後ろについて回るため、分担して情報を集める事が出来ない。


「非効率だわ。別行動しましょう」

「駄目だよ。ソフィアを1人には出来ない」

「あのね……何度も言うけど、あたしは成人してるし、方向音痴でもない。あなたが心配してついて回る要素は何もないわよ」

「心配して……っていうか、うーん、心配もあるけど。僕はソフィアについてきたんだから、ソフィアの側にいるのは当然でしょ?」

「……はぁ?」

「だって僕がここにいるのは、ソフィアがいるからだよ?」

「……」


 思わず、頭痛をこらえるように額を片手で押さえる。


「いや……意味が分からない」

「意味も何も……そのまんまだよ」


 苦い顔でうなるように呟くと、にっこりと満面の笑みを浮かべてシンは答えた。



(だからっ その意味が分からないって言ってるのよ……っ)


 何十匹目かの苦虫を噛み潰しながら、ソフィアは心の内でぶつくさ文句を垂れた。その様子を彼女ソフィアに気付かれぬ様に盗み見て、シンはそっと微苦笑を浮かべてごく小さく呟く。


「もう……鈍いのはどっちかなぁ」

「え?」


 シンの呟きの内容を聞き取れなかった為、ソフィアは訝しげにシンを見た。が、シンは微笑んで「なんでもない」と返した。何だか釈然としない気持ちになり、むっとしてシンを睨む。だが逆にシンは嬉しそうにソフィアを見つめ返し、全く異なる言葉を口にした。


「ここ、小規模だけど、平和で良い村みたいだね」


 少し周囲を見回してシンが独り言の様に呟く。つられてソフィアも周囲を見回した。山に近いからか傾斜した道が多く、少ない平地部分に見た感じ30戸ほどの家々が点々と建っている。広葉樹が多いのか、葉を落とした樹が多く並んでいる。土留めとして道の両側には石を組み合わせた塀が立っており、その上には野良と思わしき猫がのんびりと昼寝をしている。

 一見してのどかな光景で、シンの言う様に見える。が、ソフィアには“小さな村”“野良猫”など、生まれ育った村を彷彿ほうふつとさせるものがいくつか目についた。

 すぅ、と頭の先から血の気が引くような感触を覚えて思わず小さく顔をしかめる。それに気付かぬまま、シンはにこにこと会話を続けた。


「あ、ホラ、猫! 可愛いねぇ。ソフィアは猫、好き……」

「あたし、仕事するから。あなたは大荷物だったんだからもう少しゆっくりしていると良いわ」


 遮る様に、そして思った以上に冷えた声が出てしまったが今更引っ込みはつかない。シンの反応を見る前に慌てて目を逸らし、ソフィアはきびすを返して歩き出した。


「ソフィア」


 背後からシンの声が掛かるが、お構い無しに早足で進む。追ってくる気配は感じないが、追って来かねない。自意識過剰になるつもりはないが、シンならやりかねないのだ。それは今朝からだけでも嫌という程分かっている。正直シンとこれ以上会話を続けたくなかった。油断すれば惚気のろけ話が入るわ、別の話題になればなったで自分と一般人との感覚の違いを痛感させられる。

 とにかく、角が立たない様にシンと会話せずにいる為には、今現在の仕事である“情報収集”としてシン以外の誰かと会話するという方法が一番手っ取り早い。万が一シンに見付かっても「今仕事中だから!」とあしらえばよい。自分から他人に声をかけるのは気が引けるが、情報収集という仕事を任された以上そんな事を言ってはいられない。とにかく誰か、村の人らしき人物が見えたら声を掛けよう。何とでもいいから。

 ――そう固く決意して歩を進めていると、森の方から数人の男性が賑やかな声を上げながらこちらへ向かってくるのが見えた。チャンスとばかりにソフィアは口を開く。


「あ……――」


ところが、近付くにつれ、男達は顔面蒼白でおのおのわめき声を上げているという事が分かった。


「に、逃げろ!! 中級妖魔ホブゴブリンだ!!」

「うわあああああ!! 助けてくれぇえ!!」

「えっ?」


 呆然と立ちすくむソフィアの両脇を彼らはそのまますり抜け、恐らく自分たちの家へ向かって散り散りに駆け去って行った。その彼らが来た道の先、森の入り口に黒い影が数体、うごめいているのが分かった。


『グォググ……ゴ、ゴ……グォ……』


 獣とは異なるうなり声。初めて聞くその声が、先ほどの村人が言っていた中級妖魔ホブゴブリンという妖魔モンスターのものだろうか、と妙に冷静な頭でソフィアは思った。そうこうしている間に、森からこちらへ向かってくる妖魔モンスターの様子が見えた。頭部を含め体毛は無く、灰色がかった緑色の肌をした小柄な老人の様な姿をしているが、目だけは血走って爛々と輝いている。それはそのまま、村道に立つソフィアの方へ真っ直ぐ向かって駆けて来た。



(あ、これって……)


 いつかシンがソフィアを“おとり”と称した。それが脳裏を過ぎる。だが、呼び寄せたところで肝心の戦闘要員がいない。とはいえ、ネアやシンを村の中心部へ呼びに戻る訳にも行かない。だが、このままでも恐らくあっけなくソフィアは妖魔モンスターにやられてしまうだろう。



(どうしよう……このままじゃ、村が……、そうだわ!)


 素早く周囲に目配せすると、90度右方向にちょうど低い石垣があり、その向こうに畑、更に向こうに森が見えた。今は冬の初めで、作物は作られていない。それを視認してからすぐにソフィアは行動に移した。


「こっちよ!」


 ソフィアとしては精一杯の声量で叫び、石垣へヒラリと飛び乗る。すると、その声に呼応するかのように妖魔モンスター達も進路を変更した。――ソフィアの方に。



(ちょっ……あたし、おとりとして優秀過ぎない?!)


 あまりにもあっけなく進路を変えてソフィアへ向かってくる妖魔モンスターを目の端に捕らえて、慌ててソフィアは駆け出した。



(でも、良かった。ひとまずこれで……とにかく、森の中に向かって……あれ? どうしよう)


 走りながらハタと気付く。ソフィアに戦闘能力は無い。もちろん“隠れ身”や追っ手を撒くといった技術も持っていない。つまり――



(じ、持久戦……?!)


 ひくり、と頬が引きるのを自覚した。森の奥へ誘い込み、ソフィアか妖魔モンスター達、どちらかが力尽きるまで走り続けるしかなさそうだ。



(い、いやいや、野山を駆け回ってそうな妖魔モンスターに適うわけ無いというかっ あれ、でも捕まったらどうなるのかしら。食べ……るの?)


 混乱パニック状態のまま畑の畝を避けて走る。あと少しで森に入る……! と、普段走らないソフィアの足がもつれ、そのまま地面に倒れこんだ。したたかに胸部を打ち息が詰まる。


「うっ……」

『グゴッ ゴ……グォオオオ!!』


 小さくあがったソフィアの声に被さる様に耳障りな唸り声と黒い影が背後から上がり、思わずソフィアは両目を閉じた。



(でもこの声にシンかネアが気付いてくれれば村は)


 例え先ほど森から逃げてきた男達と会わなくても、シンとネアなら妖魔モンスターの声を察知する事はけていてもおかしくない。出来るだけ走ったため、それなりに時間も稼げたはず。ならば彼らの力量であれば村は守れるはずだ。そうソフィアが思い、妖魔モンスターの生暖かな息遣いを感じた瞬間、



 ヒュ、と風を切る音と同時に、まるで熟れ過ぎた果物が潰れる様な鈍い音が響いた。次いで重たい何かがどさりと音を立てる。倒れ込んだまま、ソフィアはゆっくりと瞼を開いた。目の前には妖魔モンスターの姿は無く、代わりに全身鎧フルプレートに包まれた大きな背中があった。全力で走ったのか、小さく肩で息をしている。


「僕が守るって言ったでしょ。……なのに、なんで」


 一度息を整えてから、押し殺したような声でシンがうめいた。そこへ凛とした女性の声が飛んでくる。


「シンさん、ソフィアさんは?!」


 そのまま、シンの前方へ赤い細身の鎧姿の女性も躍り出る。


「こっちは平気! ごめん、1体潰しちゃった。後はネアちゃん、お願い!」

「おほほ! お任せあれ! さ、低俗な妖魔モンスター共! わたくしの槍の露となりなさい!!」


 ぐるん、と長槍の柄を回した後、ビシリと構える。声音からすると恐らくほぼ間違いなく――いい笑顔をしている。その後はネアの独壇場で、妖魔モンスターの悲痛な叫びと、ネアの爽やかな笑い声がしばらく響き渡った。



* * * * * * * * * * * * * * *



「いやはや、冒険者の皆様、ありがとうございます! 本当に助かりました!」


 テアレムの村長という老いた恰幅の良い男性は感涙せんばかりに喜び、ネアの右手を両手で握ってぶんぶんと勢いよく振った。


「いえいえ、問題ありませんわ。村に侵入する前に食い止めることが出来て何よりです」

「それにしても、まさか低級妖魔ゴブリンではなく中級妖魔ホブゴブリンだったとは……申し訳ないです。お連れの方は無事でしょうか?」

「ええ、転んで少し打っただけですもの。問題ありません」

「しかし、」

「ああ、あの彼の事でしたらお構いなく。過保護ですの」

「は……そ、そうですか。それならば……あ、そうです。もしお時間がよろしければ、今日はこの村に泊まって行かれませんか。宿というものはありませんが、わしの家の客間でよろしければ」

「そうですわね……少し気になる点もありますの。お言葉に甘えて、泊まらせて頂きますわ」

「では、早速準備致します」


 村長は妻を呼ぶと夕食や宿泊するための部屋を整える為にその場を辞した。笑顔で見送った後、ネアは形の良いほっそりとした顎に指先を添えて小首を傾げた。


「さて……低級妖魔ゴブリン中級妖魔ホブゴブリンは大分体格も違いますものね。妖魔モンスターの知識が無いならともかく、……何だか引っかかりますわね」


 小さく呟き、そっと形の良い眉をひそめてから、ネアはソフィアが休む部屋の方角に視線を向けて微苦笑した。



 その部屋の中で、ソフィアはベッドから降りようとする度にシンに押し留められていた。


「駄目だよ、さっき強く打ったでしょ」

「あのね……っどんだけ壊れ物だと思ってるのよっ」

「少なくとも僕よりは壊れ物だと思ってる」

「いや、比較対象がおかしいでしょ?!」

「おかしくない」

「あのね……っ」

「ソフィアは」

「何よ」

「……ソフィアは、ソフィアが言う程、丈夫じゃない」


 思わぬ非難めいた口調で、吃驚びっくりとしてソフィアはシンの顔を見、更に驚いた。明らかに不満そうな不貞腐れた様な顔だったのだ。そういう顔をしていると、70年以上も生きているようには見えない。どちらかというと少年の様に見える。

 困惑を隠そうと唇を引き結び、むすっとした顔のままソフィアはシンの碧の瞳を見返す。


「そんな事ない」

「あるよ。……ねぇソフィア、困ったら頼ってくれて良いんだよ? さっきだって、僕の名前を呼んでくれたらすぐに飛んでったのに……どうして頼ってくれないの」

「え……そ、そんな事言われても……」


「あら、シンさん。淑女レディを困らせてはいけませんわよ?」


 いつの間にかやって来たネアが、部屋の入り口のドアを手で押さえたまま呆れたように肩を竦めて2人に声を掛けた。シンから発せられる圧力プレッシャーが和らぎ、思わず小さく息を吐き出す。それを見てネアはチラリとシンを睨む。だがシンは「やだな、困らせてなんかいないよ」と肩を竦めると、困ったように微笑をたたえて応えた。


「今日はこちらに泊まります。村長さんが部屋を提供してくださるそうなので。――この部屋はこのままソフィアさんが。その隣の部屋は」

「僕が」

「わたくしが泊まりますので、シンさんはその向こうで、ね?」


 シンの言葉を遮る様にネアは言葉と続けてにっこりと張り付いたような笑顔を向けた。それから小さくコホンと咳払いをすると声をひそめた。



「ところで――依頼の事で、少し気になる点がありますの」

「……あ、」


 ネアの言葉に、ソフィアが無意識に小さく納得の声を上げる。その声に、ネアもシンも目を丸くした。


「何か気付いたの? ソフィア」

「あら、お聞かせ願えませんこと?」

「え……い、いや……大したことじゃ……」

「それはそれで構わないから。情報はあった方が良い。何でもいいから教えて」


 言い辛そうなソフィアにシンが再度促すと、渋々ながら口を開いた。


「最初、森から村に向かって逃げている村の人達……“中級妖魔ホブゴブリンだ”って言ってたから……」

「? どういう事?」


 シンが首を傾げる。


「ネアが請けた依頼は、低級妖魔ゴブリン5~6匹って書いてあったのよね」

「ええ、掲示板の貼紙は“妖魔モンスター退治”でしたけど、春告鳥フォルタナの翼亭にある冒険者ギルドの明細では低級妖魔ゴブリンが記されていましたわ」

「あたしは低級妖魔ゴブリンは見た事無いし、中級妖魔ホブゴブリンはさっき初めて見たの。結構違いがあるんでしょ?」


 その言葉に、シンは頷いてから丁寧に説明をした。


「そうだね。低級妖魔ゴブリンは全体的に小柄だし錆びて使えなくなった農具や折れた剣、投石などで攻撃してくるね。中級妖魔ホブゴブリン低級妖魔ゴブリンより体格が良いし、武器や防具も人間から強奪したものを着用する。知能も断然高くて、中には弓や魔法を使う固体もいるみたいだよ」

「逃げてたこの村の人達は、低級妖魔ゴブリン中級妖魔ホブゴブリンを見間違える様子が無かったわ。ハッキリと“中級妖魔ホブゴブリン”って言っていたから。――なら、依頼が低級妖魔ゴブリン退治で来るのはおかしくない?」

「……なるほど、そうでしたの」


 ソフィアの言葉に、得心が行ったようにネアが大きく頷く。


「わたくしが気になっていた事も、そちらですわ。低級妖魔ゴブリンと思っていたものが中級妖魔ホブゴブリンだったとなれば、通常であれば大騒ぎになるはずですが、ここの村長さんはそれほど驚いてはおられませんでしたの」

「つまり……知ってたって事かな」

「どうでしょう。村長さんがわたくし達に妖魔モンスター退治を依頼したのは間違いありませんし、倒した後喜んでらしたのも演技とは考え難いですし」


 うーん、と唇に人差し指を当ててネアは首をひねる。


「一晩時間はありますから、少し考えてみますわ。シンさん、ソフィアさんも何か良いアイディアがありましたら教えてくださいまし。明朝、今日と同じくらいの時間にまたこの部屋に集合するのはいかがです? ソフィアさん起きられます?」

「問題ないわ」

「シンさんは?」

「うん、僕も大丈夫だよ」


 3人は頷き合い、その場は一旦解散となった。

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