第49話 卒業

ミサがいなくなったことを、僕は咲には言わなかった。

咲は嫉妬深いくせに、また一人ぼっちで夜を過ごすようになった僕を、保護者みたいに心配するだろうからだ。

もう本格的に受験勉強をする時期が迫っていたし、部長も、藤森さんも、雄介達でさえも、以前のように遊んではいられない。

咲も、以前にも増して勉強するようになっていたから、心配事は増やしたく無かった。

そう言えばのぞみがウチの学校に進学してきたから、休み時間に僕の教室に顔を出すようにもなった。

小生意気な妹が、みんなのマスコットみたいに可愛がられているのはヘンな気分だが、色目を使う男子がいないか、ついつい目を光らせてしまうのは兄として仕方がない。

実際、どこで僕が見ているのか判らないのにデートに誘ってくる猛者もさもいたが、

「お兄ちゃんの妹なので」

というワケの判らない返事で希は断っていた。


高校最後の夏休みは、みんなで先生の家に泊りに行った。

そこは楽しくて、とても居心地のいい第二の我が家みたいになった。

先生の家庭環境は秘密であるはずだが、僕達は秘密を共有すると言うよりは、幸せを共有するかのようにひと夏を過ごした。

ミサのことは、結局その時にバレた。

ずっとミサが言いそうなことを会話の合間に挟んできたけれど、勘の鋭い咲を騙し通せるものではない。

「勉の嘘に気付いたんじゃなくて、何となく気配が感じられなくなっていたから」

「気配?」

「あ、俺も」

「雄介、お前は僕の気配すら感じ取れないくせに適当なことを言うな」

「勉はいま怒ってるな?」

え?

「うん、つ、勉はいま怒ってる」

藤森さん?

みんなが僕の方を見ていた。

いや、僕が見える咲と部長の視線を追っているだけかも知れない。

僕は生まれて初めて、いや、死後も含めてだけど、複数の人間の前でライブを敢行かんこうした。

咲は微笑み、部長は目を丸くしている。

他の奴らは──

「歌ってる?」

「歌ってるっぽいな」

どうして判る!?

「俺達はさぁ、たちばなさんみたいにミサちゃんの気配を感じ取ってたわけじゃなくて、ただ勉の気配の変化に気付いただけかも知れないけど」

僕の、変化?

「勉がいなくなってからしばらくの、教室の気配みたいな」

戸惑いと寂しさと、日常を維持しようとするぎこちない空気。

「要するに、勉は寂しいぃーって気持ちがダダれなのよ」

最初から、隠し通すことなんて無理だったんだ。

隠し通せるほどミサの存在は小さくなかったし、隠し通せないほどみんなは、僕のことを知ってくれていた。


遊ぶ回数は減っても、教室では今まで以上にみんなと共有する時間を過ごせるようになった。

授業は真面目に聞いた。

それが将来に活かせるわけで無いとしても、僕はクラスの一員でありたかったし、何より咲に置いていかれたくなかったからだ。

咲と部長は地元の国立を目指すという。

他に地元に残るのは、私大に進学予定の和明と、就職組の雄介。

藤森さんは東京の専門学校、光成は東京の私大へ行くつもりらしい。

そうやってみんな、やがては疎遠になっていくのだろうか。

生きていればいつかは会える、なんてよく言うけれど、実際、それがままならないことは知っている。

ましてや、死んでしまった人間など、どれほど再び巡り会う余地があるのだろう。


放課後、咲はよく図書室で勉強した。

僕は咲の隣に座り、静かな図書室で、咲の見る参考書や問題集を覗き込み、ノートに記される咲の文字を目で追った。

時には、解けない問題を二人で考えたりした。

僕が答えられることは少なかったけど、咲が答を導き出すための役には立った。


深夜徘徊をすることは減って、夜は自宅で過ごすことが増えてきた。

僕の部屋のドアは開けっ放しにしてもらえているし、僕の部屋の窓からは、咲の部屋の窓が見えるのだ。

いや、べつに覗き見しようというわけじゃない。

基本的にカーテンは閉じられているし、夜遅くまで勉強をしている咲を、見守っている気分になりたいだけだ。

でも、時々僕は、その窓に向かって大声を出す。

「咲、頑張れ」

「咲、もう寝ろ」

咲はその度にカーテンを開け、怒ったような顔をしながら唇を動かすのだ。

──すき。


凍てつくような寒い夜が続く頃、咲が熱を出した。

その時ばかりは許可をもらって、僕は咲の部屋に泊まり込んだ。

受験までもうあまり日が無くて心細くなっている咲の手を、僕はずっと握っていた。

悪寒おかんに震えていても僕は体温で温めることは出来ない。

でも手に力を込めると、咲の顔は穏やかになった。

二泊三日。

キスは五回した。

そのうち二回は咲が眠っているときにした。

そのうち二回は、咲が寝言で「勉」と呼んだからだ。


それぞれが、それぞれの進路を確定させ、晴れて卒業の日を迎えることが出来た。

体育館に集まった人々を見渡し、僕は感慨にふけっていた。

僕は当事者のような第三者のような不思議な気持ちで体育館を歩き回る。

一人一人の名前が呼ばれ、卒業証書を受け取る。

泣いている生徒もいれば、笑顔の生徒もいる。

何かを成し得ても、それがかなわなかったとしても、先へと繋がる何かは得た筈だ。

「ん?」

この場にいない筈の人物を見つける。

「おい、希の卒業式は二年後だぞ」

僕は保護者席に座っている母の前に立ち、いつもより綺麗に着飾ったその姿に見入る。

卒業なんて学校に通っていれば、誰だって与えられる資格だ。

晴れ舞台というには当たり前すぎる通過地点。

でも、親としては見たかったろうな……。

僕は母をそっと抱き締めてから、自分のクラスの列へと戻った。


僕のクラスの出席番号一番から順番に、卒業証書を受け取っていく。

壇上に立つ校長先生と、その隣にタマちゃん先生。

最後までタマちゃん先生が担任で良かった。

咲は案の定、泣きはしなかった。

意外なことに藤森さんが泣いていて、男子では和明が涙ぐんでいた。

出席番号最後の生徒が呼ばれ、その後は、在校生代表の言葉と、卒業生代表の言葉とかやるんだっけ?

確か、卒業生代表は部長だ。

きっと部長なら、感動的な言葉を披露してくれるに違いな──

「沢村勉」

は?

何故か僕の名前が呼ばれた。

「はい」

何故か咲が返事をして、再び壇上に向かう。

部長が、早く行けと言うように僕を見て壇上を指差した。

事情が判らない生徒もいるから、体育館はざわめいた。

僕は咲の後を追い、壇上で校長先生と向かい合った。

「卒業証書。沢村勉。あなたは、本校において──」

校長先生が読み上げる声が、蘇ってくる高校生活での様々な場面と入り混じって聞き取れなくなった。

「勉、泣くな!」

うるさい雄介! 僕の気配を読み取るな!

つーか卒業式でヤジを飛ばすな!

「沢村君、頑張って!」

真面目な部長まで何言ってんだ!

頑張るも何も、僕は突っ立ってたらいいだけで──

「おめでとう。よく頑張りましたね」

最後に、タマちゃん先生がそう言ったとき、僕はただ立っていることすら出来なくて、その場にうずくまった。

咲が右手で僕の手を握り、左手で卒業証書をかかげた。

拍手が波のように押し寄せてきて、その向こうで母が、僕が生まれてきたことを喜ぶように泣きながら笑っていた。

たとえ先に死んでしまっても、生まれたことに意味はある。

僕がこうやって幽霊として存在することにも、必ず何かの意味はあるんだ。

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