第76話:なんでもない日

 ふわふわとした心地があたたかくて、とても心地が良い。

 とてもじゃないけれど目を開けようなんて思わない。それくらいに気持ちがいい。

 頭をなでられて、髪を梳かれる。

 起きたい、起きなきゃと思うも、居心地のよすぎるベッドがわたしを放してくれない。

 それでもなんとかしてべっどから起き上がろうとみじろぎすると、頭上から小さく笑い声が聞こえてきた。声と言うか、思わずもれた、という感じの息だ。

 まだ半分以上眠っている頭ではもしや寝ぐせ、まさかよだれ、やっぱり寝相、と単語が飛び交う。

 うーうーうなりながらさらにもぞもぞ動いていると、耳元に尋常じんじょうじゃなく良い低音が吹き込まれた。


「おはようリオネッサ。今日もかわいらしい私の光」


 魔王さまの声だ、と認識するととたんに意識しゃっきり、目がぱっちり開くのだから、我がことながら現金さに呆れてしまう。


「よく寝ていた、良い事だ。体調はどうだろうか。熱はないようだがどこか痛む場所はないだろうか。食欲はあるかね?」


 朝だけれどいつもの通りうす暗い部屋には、灯りがともされている。

 明るくないといまいち起きられないわたしのために魔王さまが毎朝魔光蟲まこうちゅうをくべてくれているのだ。

 魔光蟲は光は出るけれど熱はなく、火事の心配がないので魔界では広く使われている光源のひとつだ。


「おはようございます魔王さま」


 寝起きのぼんやりした今の最高速度で魔王さまに抱き着く。最近さらに過保護ぎみになっている魔王さまの心配が少しでも軽くなるように。


「体調は悪くありません。どこも痛みませんし、食欲もいたってふつう、いつも通りです」


 笑って言うと。魔王さまはほっと息を吐いてわたしの頭をなで、手ぐしで髪を梳いて整えてくれた。

 変な寝ぐせになってなかったことを祈ろう。魔王さまは気にしないけれど、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 わたしが完全に起きたら魔王さまと別れて着替えをする。

 近く三界会議が開催されるのもあって、メイドさんたちに手伝ってもらっての着替えだ。

 一人で着られない、脱げないドレスをまとう、すなわち、今日はゆっくりのんびりすごすということだ。この頃はとみに何もなせてもらえない。

 前は立案、計画、実行までできたものだったけれど、今では立案くらいしかしていない。

 後進が育ってきているということだから喜ばしいことなのだけれど、たまにはわたしだってみんなといっしょに準備したいよう。

 来月のエルフィーの誕生日だって盛大に祝おうと、ケーキはハイダさんの後継としてクンツさんが中心になってしっかり進めてくれるし、会場の飾りつけその他はヨルクさんとレギーナさんたちが主導してやってくれてるし、それならせめてプレゼントは凝ったものにしようとしたら、徹夜しないで作れるものにしてって当の本人に止められるし。

 べ、別に徹夜してまで作ろうなんてみじんも考えてませんでしたよ? 昼間もたくさん時間があるわけだし。ぜんぜん思ってませんでしたよ?

 エルフィーに上目づかいで魔王さまとおそろいのリボンが欲しいと言われてしまったら断れない。

 かんわいいエルフィーのために何本だって作るよ!

 すかさず


「一本でいい、一本がいい、一本だけにして、お願い、ママ」


 って言われちゃったけれども。

 そして


 「徹夜も、無理も、しないで、ね? ママがくれるだけで、私はとても嬉しい、の」


 と念を押された。

 さすがエルフィー。略してさすエル。わたしのことよくわかってる。

 でもほんとに徹夜しようなんて思ってナカッタヨ? ナイカラネ?

 着替えがすんだら散歩がてら魔王さまの温室に向かう。

 メイドに温室の扉を開けてもらって、魔王さまと並んでわたしでも水やりをできるくらい小さな鉢植えの世話をして、魔王さまとちょっとだけおしゃべりをするのが日課だ。

 ときどきエルフィーもいっしょに世話をしたり、おしゃべりに参加したりする。

 今日は来なかった。たぶんゼーノかバルタザールさんといっしょに森へ出てるか、畑を見に行ってるのだろう。


「リオネッサ、今日の予定はどのようなものだろうか」

「刺しゅうをしたり、読書したりです。いつもと変わらずのんびり、ゆっくりさせてもらっていますよ。

 魔王さまはゼイマスペルの使者かたと話し合いがあるんですよね」

「ああ」


 答えながら差し出された魔王さまの大きな手のひらにわたしの手を重ねて笑いあった。


「晩餐までに話し合いは終える予定ではあるのだが、先方はどうやら宿泊をするつもりであるようだ。そうなった場合、君には申し訳ないのだが、別々に晩餐を取らざるを得ないと思う」

「わかりました。今回のお客さまは全身が燃えていて温度調節ができない方ですから、仕方ありませんね」

「うむ」


 同じゼイマスペル出身のベルトホルトさまも見事に燃え盛っていたけれど、きちんと温度調節のできている方だった。豪快な見た目と性格だったけれど、そういう細やかな気を使える方だったのだ。

 それをウラさん相手にも使えたらよかったのに。

 おめでたいことに、ウラさんは来月ナータンさんと結婚することになった。


「王妃さまが着ていらしたようなドレスを着るんです!」


 と輝く笑顔と共に報告してくれたウラさんはそれはもうかわいかった。

 いちおう文通しているので結婚式の招待状をベルトホルトさんにも送っておいたのだけれど、まだ返事は来ていない。

 今回ベルトホルトさまの名代でいらしているノルベルトさまいわく、失恋が発覚してから部屋にこもり泣き伏しているそうだ。


「涙も枯れ果てるころには吹っ切れて出席届を送ってくるであろう」


 とのことだった。結婚式に間に合うといいですね……。

 朝食を軽くすませて、魔王さまをエルフィーと見送る。

 エルフィーと少しおしゃべりしてから、エルフィーを見送った。

 今日のエルフィーはベニーモ作りの視察や、お菓子や料理の材料の研究所の視察など、とても忙しい。

 このごろのゼーノはエルフィーの護衛をしていることが多いので、あちこち傷り回されるとぐちっていた。その分お給料ははずんでもらっているけれど、使うひまも遊ぶ場所もないから貯まっていくだけだとぼやいてもいた。

 いいじゃん、散財しまくってすっからかんになるよりは。賭博とばく場とかあったら秒でスるじゃん。借金はないけど貸しても返ってこないから誰も貸さないだけだし。

 これからもゼーノから上がってくる賭博とばく場建設計画は握り潰していこう。

 お昼までは刺しゅうして休憩して、読書して休憩して、散歩して体を動かして、とのんびりゆっくりすごさせてもらった。

 午後は人界に修業しに行ったみんなから届いた手紙を読んで返事を書いたり、おやつを食べたり、とゆったりとした時間をすごした。

 カチヤさんは順調に経験をつんでいて、ラノッテ工房には少しずつ仕事が増えてきているそう。ジャンニーノさんは新しく従業員を雇うことを検討しているそうだ。

 ハイダさんは手紙を見るに、毎日楽しんでお菓子を作っているようだ。作った試作品を野良猫にあげてるみたいだけど、だいじょぶかなあ。猫さんに人間の食べものはあげないように書いておこう。

 ホルガーさんはやっぱりハイダさんのお菓子狂いに振り回されつつそれなりにうまくやっているらしい。厨房長がハイダさんに負けないくらいのお菓子狂いだったようで、肩の荷が半分くらい下りたと書いてあった。給仕の仕事を任されるようになって毎日が充実してるみたいだ。

 三人がこのままうまくやれるようなら、来年も人を修業に出せるかもしれない。

 農業や酪農を勉強したいと言う人も増えているのだ。

 こちらはむしろ都市部に行くより簡単かもしれない。ラシェでも人手が欲しいって言ってたし。

 ノルベルトさまはやっぱり宿泊なさるそうで、晩さんは魔王さまたちと別々になった。

 お風呂に入って日記を書き終えたころ、魔王さまが戻ってきた。


「お疲れさまでした」

「ああ、ありがとう」


 ひょえっ!

 ふ、ふふふ。いきなりのキスにもなれてきたぞ! ひたいだし、だいじょぶ。ぜんぜんだいじょぶ。ひえっ。

 ほ、ほっぺにだってヘーキヘーキ。なれた! お、お返しのキスだってできるもんね。

 でもできればいきなりはやめてほしいです魔王さま。

 もう一度キスを贈りあって、いっしょのベッドで魔王さまの腕の中で眠りについた。

 なんにもない、何でもない日。こういう日が長く続けばいいな。

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