第61話:エンメルガルトの困惑

 魔王とは災厄の象徴だった。

 気まぐれに領域を侵し、壊し、食い散らかしていく。

 長く生きてきたエンメルガルトも魔王の暴虐によって多くの同胞を失ってきた。

 時に無残に、時に残酷に、時に唐突にあっけなく。

 ここ何百年か、特に当代の魔王に代替わりしてからは理由なく領地に入られてはいないが、それでも魔王というものは力にものを言わせる存在であると認識していた。

 エンメルガルトが今まで出会ってきた歴代魔王の中で一番温厚であると思われる当代魔王だとて例外ではない。

 なにせ、彼は歴代魔王の中で一番強いのだから。

 ――と、思っていたんだが。

 エンメルガルトは晩餐の席で自分の認識を改めざるを得なかった。

 穏やかさを装って、腹の中で何を考えているのかと疑っていた魔王はその必要がなかった。

 晩餐に同席する事が許されあジークによれば、まったくの要らぬ心配であったようだ。

「メルみたいなお人好しがこんなにいるなんて思わなかった。世界は広いな」

 と言われたが、どういう意味だと問い詰めたい。

 晩餐のあとでとっちめよう、とエンメルガルトは決意した。

 魔王は相変わらず強大な魔力をのぞかせ、逃げ出したくなるような威圧感を漂わせていた。

 魔術素養のない王妃は威圧を感じていないらしく、にこにことしていたが、それを知らない者からすれば魔王の威圧感をものともせず隣に立つ化物のように見える事だろう。

 長命意外取柄のないエンメルガルトはなんとかその場に留まれる程度の魔力を有しているが、給仕をしている使用人達は辛そうだった。

 辛そうだったが、精神的な恐怖を抱いているようには見えなかった。

 著しい魔力差による恐慌状態は本能が命の危険を察知するため、当たり前の事だ。

 けれど彼らは本能をねじ伏せて魔王に仕えている。これは強制してもできるものではない。心が折れていれば立つ事すらままならないはずだ。驚嘆に値する事実だった。 

 自分の知っている魔王とは違うのかもしれない、とエンメルガルトはデザートを口に運んだ。

 マンドラゴラの煮物も美味しかったが、この菓子も美味しい。花の蜜とは違った甘みを感じる。

 豆をサトウという甘味で煮たものだと王妃が言っていた。

 驚いたことに、魔王城で作られている菓子は本当に全て王妃の発案だという。

 噂で聞いた時は尾ひれがついて大げさになっているものだと思っていたのだが。

 味も申し分なく、王妃も誠実な人柄であるので、菓子については何の心配もいらないだろう。

 豆の甘煮に浮かぶ白く柔らかいものをそしゃくしていると、ジークから小突かれた。

 菓子の美味しさに気を緩めすぎたようだ。

 魔王達を見れば、ゆっくりと歓談しながら食べ進めている。自分と彼らの皿を比べてがっつきすぎたようだ、とエンメルガルトは頬を赤らめさせて反省した。


「お食事中にすみませんが」

「はい、なんでしょう」


 魔王夫妻は視線を交わし合い、王妃がエンメルガルトに答えた。


「この菓子はヴァーダイアでも作る事は可能でしょうか」


 ジークから生ぬるい視線を感じるが、これはこれで大事な事なんだ、見逃してくれ、とエンメルガルトは努めて王妃を見つめた。

 王妃はにこやかに笑っている。


「可能ですよ。材料と設備さえあればどこでも作れます。

 ヴァーダイアは蜜が好きなかたが多いと聞いていましたから、気にいっていただけて嬉しいです」


 本当に嬉しそうに笑う王妃にやはりなんの含みもないようだ。朗らかな王妃の隣にいると隣にいる魔王ですら和やかに見えてくるのだから不思議だ。

 そういえば、魔王の顔に以前はなかったものがついている。よくは見えないが。あれは何なのだろう。呪(まじな)いか何かなのだろうか。

 再びジークに小突かれた。早く本題に入れという事だろう。

 そうしたいのは山々だが、菓子が美味しくてなかなか言葉が出てこない。

 素知らぬ顔でおかわりを頼むジークを羨ましく思っている視線に気付いたらしい王妃に新たな菓子を勧められた。

 ふんわりとした茶色の菓子の間に、豆の甘煮が入っている。おいしい。ジークはこれもお変わりをしていた。


「エンメルガルトさまはお食事よりお菓子のほうが食べやすいみたいですね。食事は必要ないと聞いていましたが、何もお食べにならない訳ではないと知って安心いたしましたわ」

「お心配りに感謝いたします」


 ブリューメであるエンメルガルトは本来少しの光と水があれば生きていけるのだが甘味は別腹だった。

 なるほど、甘味を食べるためにシュングレーニィへ行きたいという訴えが出るのも仕方ない。この美味しさなら仕方ない。

 茶会に出てきたものとは違う色の茶を飲んで、エンメルガルトは息を吐いた。美味しい。

 そんな自分とまだ菓子を頬張っているジークを微笑ましそうに眺めている夫妻を見ていると、信じても良いのではないかと思えてくる。決して甘味につられた訳ではない。決して。

 けれど、万が一、交渉が上手くいかなかった場合のために、疑問はここで解消しておこうと思う。


「陛下は随分雰囲気が変わられましたね。王妃様をお迎えになられたからでしょうか。以前よりも目元が柔らかくなったように感じられます」


 エンメルガルトの言葉に王妃が顔を赤くして照れ、魔王は無意味に咳払いなどした。

 なんだか毒霧漂う沼地に入り込みかけた時を思い出すのは何故だろう。


「ウム。リオネッサが我が城に来てくれてからというもの、城の雰囲気が明るくなったのは確かだ。リオネッサのおかげで変わったものも、新しく取り入れられたものも多くある。年中曇天の広がるシュングレーニィにおいてリオネッサはまるで太陽のように――」


 私達を照らしている、と続くんだろうなあ、と顔から湯気を吹き出している王妃の叫びに遮られた言葉の続きを思い、エンメルガルトは遠くを見た。

 警戒の必要などこれっぽっちもないような気がしてきた。

 ジークも同じ考えに至ったようだ。面白い玩具を見つけた時のように瞳を輝かせながら夫妻を見ている。


「エンメルガルトさまのおっしゃっているものは眼鏡ですね! この間の三界会議で人界に行ったときに作ったものなんです! 人界人とは顔の作りが違うので職人さんたちには苦労をかけてしまったみたいなんですけど、おかげで魔王さまにぴったりなんですよ!」

「メガネ、ですか。それはどういったものなのですか?」


 あからさまな話題転換だったが、エンメルガルトは乗る事にした。

 メガネがどんなものなのか気になったし、近しい者から手放しで褒められる事の気恥ずかしさをよく知っているからだ。主に隣にいるユキオオカミもどきのおかげで。

 恥ずかしさ故に涙目になっていた王妃は隠そうとせず顔を綻ばせた。


「眼鏡というのは本来目の悪い人がかけるものです。こちらの方々は目が悪いと言ってもよくわからないみたいですけど。

 ええと、見えるはずのものが見えにくかったり、二重三重に重なって見えてしまったりする人を目が悪いというのです。もちろん魔術の干渉はなしに、です。

 魔王さまは目が悪いわけではないのですけれど、ご自分の視線の強さを気にしていらしたので、度の入っていない眼鏡を贈らせていただいたのです。

 エンメルガルトさまのおっしゃってくださったとおり、魔王さまの目元が柔らかくなったと好評なのですよ」


 なるほど、と感心するエンメルガルトの袖をジークが引っ張る。発言したいようだ。


「ジークから質問があるようです。お許しをいただけますか?」

「ああ。構わない」


 夫婦が肯きあって、魔王が促した。

 ジークは緊張した様子を欠片も見せず口を開く。

 こういうところはうらやましい。見習いたいところのひとつだ。


「そのメガネってやつは人界に行けば手に入るの?」


 言葉遣いを直してくれないだろうか。

 冷や汗を流すエンメルガルトの心配をよそに、夫妻にジークの言葉遣いを咎める様子はない。


「たしか、鍛冶師達が研究をしていたようだが」

「はい。魔王さまがかけているのを見て作ってみようと思い至ったそうです。形にはなりましたけど、顔にかける、というのを苦手に思う者が多いので、流行はしてません」


 ほうほうとジークが肯く。

 ヴァーダイアに帰ったら、いや、晩餐が終わってから敬語を叩き込まなくては、とエンメルガルトは決意した。


「じゃあさ、エンメルガルト様にメガネを作ってくれない? 遠くの物が見えなくてよく眉間にしわよせてるから」

 え、とエンメルガルトが声をあげたが、ジークは見向きもしない。

 まあ、と王妃が両手を合わせた。


「そういうことでしたら、喜んでご協力させてくださいな。職人たちも本物の眼鏡が作れると大喜びすると思います。

 忙しいと思うけれど、エルフィーも少しだけ時間を取ってもらっても良いかしら」

「はい。喜んで、お母様」


 今の今まで一言も発しなかった夫妻の子どもが嬉しそうにこっくりと肯いた。その横には魔王と同じくらいの皿が積み重なっている。


「いいですよね、魔王さま」

「ああ。もちろん構わないとも」

「ありがとうございます!」


 よし、とジークが言質は取ったぞ、と言いたそうにこちらを見て笑った。

 エンメルガルトは和やかに笑いあう親子を見て、腹を括る事にした。

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