第34話:計画準備2

 魔王さまの誕生日。

 猫の月二十二日まであと少し。

 パーティーの計画は大筋が決まって、あとはプレゼントを残すのみ。

 わあしは魔王さまの好きそうな新レシピを料理番の人に当日作ってもらうのと、あとは小物を作って渡そうと考えている。

 今日はエルフィーのプレゼント作りを手伝っているのでした。


「ママ、ここってこれでいいの?」

「うん。いいよ~。きれいに縫えてるよ~」


 エルフィーは嬉しそうにほっぺを赤くしてちくちく縫物に戻る。

 エルフィーがしているのはハンカチの刺しゅうだ。

 そう! 刺しゅうなんです!

 縫物が好きじゃない! エルフィーが! 魔王さまのために刺しゅうを!

 あまり大げさに驚きすぎるとすねちゃうから、心の中でこっそり驚いておいた。

 魔王さまのたてがみ色を思わせる漆黒のハンカチに、金色の糸で魔王さまのイニシャルを縫いつけていくエルフィーの瞳はそれはもう真剣だ。

 失敗作をいくつも量産しながらもエルフィーはあきらめなかった。

 指を何度刺してしまってもめげることなく、時には徹夜までして縫い続けた。縫って、縫って、縫いまくった。

 無理は禁物って決めたばっかりなのにね? 気持ちはわかるけども。

 おまけにエルフィーは魔王さまが大好きだから妥協を許せないようで、初心者が刺しゅうしたんだから、という言い訳を自分にする気はないらしい。

 でも、その努力の甲斐あって、ものすごくきれいに刺しゅうできるようになった。魔界文字って複雑なのにすごいよ、エルフィー!

 最後のひと針を身長に縫い上げて、ちょんと糸を切ればイニシャル入りハンカチのできあがりー!

 感動のあまり声が出ないのかこくこくとうなずいて、ハンカチを掲げている。


「……………………!」

「できたね、エルフィー!」


 まわりにいるメイドさんも執事さんも拍手喝采だよ!

 完成したハンカチはていねいにたたんで、完成品箱に入れておく。箱の中には香草がたっぷり入っているから、いい匂いをつけられるのだ。もちろん、魔王さまの好きな匂い。


「ひとくぎりつきましたから、お茶にしましょう」

「はい。ご用意いたしますね」


 針道具を片付けてちょいちょいとエルフィーを呼んで近寄ってきたエルフィーを膝に抱き上げる。最近はようやく重いと思えるくらいに体重が増えてきた。見た目よりはぜんぜん軽いのだけれど。


「お疲れさま、エルフィー。手が疲れたでしょう?」


 長時間針仕事をしていると、手や指が痛くなってくるからね、マッサージしなくちゃね、という建前でちっちゃな手をすったりもんだり。ううむ、ふにふにぷにぷに。

 うふふ、役得役得。


「平気だよ、ママ」


 はにかみ笑顔いただきましたー。あーかわいいかわいい。


「まあまあそう言わずに。こってますね~、お客さん~」


 エルフィーの指はちっちゃくて、白くて細くて、傷ひとつついていない。けれど、今まで数えきれないくらい何回も針でついてきた。

 その度に魔術で治ってしまうけれど、針でつく瞬間の痛みまでなくなる訳じゃない。

 指先の硬化もしてみたけれど、感覚が鈍くなるからってけっきょくやめてちゃったし。やっぱりエルフィーはすごいねえ。


「ママの手、気持ちいい」

「そう? ありがとう」


 エルフィーの手だってぷにぷにですっごく気持ちいいよ!

 そのもちぷに感触を堪能しているとお茶の準備が整った。


「お待たせいたしました」

「ありがとう」


 エルフィーに席に戻ってもらってお茶を飲む。うん、いいお味。

 みんな腕がどんどん上がってるなあ。これはもう人界の王侯貴族に仕えている人たちにも負けてないのでは?

 これならいつ人界の貴族が来てもおもてなしはばっちりだね! 来る予定はぜんぜんないけど。

 魔界は怖い場所だっていうのが人界での認識で常識だし、間違ってるとは思わないけれど、それだけじゃない魔界を知ってる身としてはすごくもったいないなあ、って思うのだ。

 血も涙もないとか、主食は人間だとか、古代大戦を引きずった根も葉もないうわさが今も出回ってるから、人界人はだいたい魔界人が怖いんだよね。

 ……根も葉もあるかもだけど。でにそういう怖い人たちばっかりじゃないし!

 たしかに片腕でとんでもない重さの大鍋を持ち上げられたり、ちょっと手を振るだけで地形を変えられる魔術を使えたりするけれども。

 ………………冷静に考えるとやっぱり怖いね。なるほど、観光客がぜんぜんいないわけだ。

 護衛が育ち切るまで観光業はムリだね。しばらくは特産のお取り寄せ拡大からかあ。

 商品を考えるのも楽しいけど、たくさんの人たちに魔界を知ってほしいなあ。

 毎月色が変わる月に運がよければ見られる飛竜、突然現れる氷山に、元気に走り回る魔獣や魔物。それすら襲って栄養源にしてしまう食肉植物。前触れなく変わる地形に、壁抜けをしてくるいたずら好きな幽鬼。時々聞こえる空気が震えるくらい大きな遠吠え、夜に煌々と光る眼光……。

 あれ。もしかしてこれって知られたらダメなやつ? ううーん。観光ってムズカシイ……。


「ママ、どうかした?」

「ううん、なんでもないよ」


 いけないいけない。今は休憩時間だもんね。ちゃんと頭も休ませなきゃ。

 それには糖分が必要だよね。

 今日のお茶請けはフィナンシェ! おいしい! 幸せの味……。何個でも食べられそう。

 もくもく食べていると遠慮がちにエルフィーが声をかけてきた。

 ごめんね! 美味しすぎてつい黙々と……!


「ママは、お裁縫も、上手だね」

「ありがとう」


 素人に毛が生えたくらいのものだけど、もちろんほめられるのは素直に嬉しい。にまにましてしまうわたしと違って、エルフィーは妙に思い詰めた顔をしていた。


「どうやったら、ママみたいに、上手になれるの?」


 ちろり、と完成品箱にエルフィーの視線が走る。

 そこまで気にしてたんだ。

 エルフィーだって言うほどヘタじゃないし、すごくきれいに仕上がってたけどなあ。まだ上を目指そうっていうんだね、エルフィー!

 すごいよ! でもムリはしないでね!


「わたしもね、初めはそれはもうへたっぴだったよ。小さい頃からお母さまに教わって、それでようやくまともに見られるようになったの。

 少しずつでも積み重ねたいけば上手くなっていくから、だいじょぶだよ。

 エルフィーは短い期間でこんなに上手くなったんだもの、ぜったい上手くなるわ」

「……………………」


 今。今、上手くなりたいの。って顔してるね。

 むむーと膨らんだほっぺがかわいい。席が離れてなければつつきに行ったのに。

 かわいすぎて笑ってしまったらすねられた。かわいい。

 けれども、どんなにかわいくっても、すねられても、こればっかりはしかたがない。技能習得は時間がかかるものなのだよ、エルフィー。


「エルフィーの心がめいっぱいつまってるものをもらって魔王さまが喜ばないわけないでしょう?」


 むむむ、とむずかしい顔を黙り込んでしまったエルフィーはそのままの顔で紅茶を飲む。

 うーん。エルフィーの気持ちもよくわかるだけになんと言えばいいものやら。


「えっとね、ほら、さっきも言ったけど、最初から上手い人なんていないでしょ? でもエルフィーにだから今年は諦めろ、なんて言えないし、ムリをしない範囲で刺しゅうしなおせばいいと思う。

 それでもエルフィーはなっとくしないんだろうけど」


 だってエルフィーがめざしてるのってラノッテ工房長のジャンニーノさんだもんね?

 ジャンニーノさんの刺しゅうを初めて見た時、ものすごく瞳がきらめいてたもんね?

 わたしの言葉が図星だったエルフィーはむむうとさらにほっぺをふくらませた。あーもう、かわいいなあ。


「エルフィーが完璧にしたいって言うなら何日でも何か月でも付き合うよ。わたしだって刺しゅう上手くなりたいし。

 それで、来年魔王さまに去年より上手くなったって言ってもらえるようにするのはどうかな?

 あ、もちろん強制じゃないからね? 来年は別のプレゼントを思いついたらそれにしたほうがいいと思うし」

「ママと、いっしょ?」


 すねたまま、うつむきがちの姿勢でエルフィーがつぶやいた。下りた前髪のせいで表情はうかがえないけれど、ティーカップを持つ両手が震えている。

 え、刺しゅう、そんなに嫌だった?!


「うん。もちろんいっしょだよ。わたしもそんなに得意じゃないのに、エルフィーひとりでやれなんて言えないよ。

 あ、エルフィーがひとりでやりたいなら…」

「いっしょがいい!」


  珍しく大声でテーブルに両手をついたうえ、身を乗り出したエルフィーが、ホルガーさんの咳払いを聞いて慌てて腰を下ろした。


「いっしょが、いいです」

「うん。いっしょにがんばろう」


 そんなに喜ばれると、わたしも嬉しくなっちゃうし、照れちゃうなあ。

 照れ隠しに残っていた紅茶もフィナンシェも平らげ、さて! とごまかした。

 もちろんまわりのみなさんはごまかされてくれず、初孫を見るおじいちゃんおばあちゃんのようなほがらかさでわたしを見てくる。やめて! そんな目で見ないで!


「じゃあこのあとは本でも読もうか? 読んでほしい本があるって言ってたよね」

「ううん。刺しゅうをします」

「そ、そう………」


 まさかもう縫いなおすとは。

 ハンカチの布地は柔らかくて指に負担がかかりにくいとは思うけど、そんなに急がなくても。


「魔界語が仕上がったので次は人界語です」

「ゑ?」


 エルフィーはその小さな手のひらをぐぐっと力強く握りしめた。


「魔王様が天界に行くことはないでしょうが、天界文字のものも縫います。そうすれば完璧です!」


 どうやらエルフィーは三枚一組のハンカチをプレゼントする気でいるらしかった。

 予想以上に力が入っててママびっくりだよ、エルフィー!

 んん? ということは………。


「そして、誕生日当日までに縫って縫って縫いまくって、一番よくできたものを一枚ずつ差し上げたいと思います!」


 やっぱり! いったい何枚縫う気なのエルフィー!

 茶器たちの片付けられたテーブルに突っ伏したくなったけれど、なんとか踏みとどまった。


「エルフィー。夜はきちんと八時間は睡眠をとること、子供は寝るのも仕事のうちだからね。

 それから三食きちんと食べて、お茶の時間もちゃんととること。

 がんばるのはいいけどムリはしないこと。

 これが守れないならプレゼント作りはそこで終了にします。

 守れますか?」

「はい!」


 返事はいいよね。わたしといっしょで。

 これは見てないところでムリをする顔だ。こんなところは似ないでほしかった――。


「なら、いっしょにがんばりましょう」

「いっしょに?」

「いっしょに」


 わたしといる間はいいけど、一人部屋で徹夜しないよう念入りに寝かしつけないと。

 うーん、どうすれば………あっ! そうだ!


「パーティーまでエルフィーの部屋に泊まっていいかな? そうすれば寝る直前まで刺しゅうできるし、わたしも魔王さまのプレゼント作りを進められるし」

「……! それ、いい! いいです! いっしょに、寝ましょう!」


 きらきら瞳を輝かせるエルフィーと手を取り合い、わたしたちは今晩からの計画を話し合った。

 プレゼント作りがんばるぞー!

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