第30話:エルフィー観察日記

 自分はバルタザール様に命じられ、リオネッサ様が持ち帰った“まゆたまご”なるものからかえったエルフィーを監視…もとい観察している。陰から陰へ、誰にも気取られぬようにしているが、魔王様には気付かれているだろう。

 蟲人むしびとによく見られる触角が髪の生え際のやや後方から生えており、絹糸のような白銀の髪に、長いまつ毛に縁どられた瞳は青。見目は恐ろしく整っている。

 リオネッサ様は事も無げに接していらっしゃったが、耐性のない者が見れば日常生活に支障をきたすとバルタザール様が判断なさり、世話をする人間を選別するくらいには危険であったのだ。

 今でこそ城にいる大抵の者にも耐性がついてきているが、孵化したばかりの時などとんでもない騒ぎであった。

 この時からエルフィーはおかしかったのだ。

 触角さえなければ人界人か天界人と言われても通じる見目であったのに、魔界人が見惚れるという事は通常ではあり得ない。

 なぜならば魔界人と天界人の美的感覚が違うからだ。それなのに、みな一様にエルフィーを美しい、と感じたのだ。用心深いバルタザール様が警戒するのも無理からぬ話だ。

 エルフィーの学習能力は高く、生後間もないというのに歩行や会話による意思疎通を可能とし、どうやら既に専門の研究者かそれ以上の知識を有しているらしいとの事だ。

 だが、それを披露する気はないのか、純然たる幼児として日々を過ごしている。

 今までにエルフィーが使った確認されている魔術の属性は風とそれから派生する雷の二種類であるが、バルタザール様の予想が正しければ光以外の全属性を有する可能性が極めて高い。追って調査が必要な事項だ。

 好物はパンケーキとプリン。特にリオネッサ様がお作りになったものを好む。苦すぎたり、辛すぎたりする刺激物は好まないらしい。だが、リオネッサ様が飲みかけていたストレートティーをこっそり盗み飲みしていた時は舌を出して、整った容姿を台無しにしていたので、わずかな苦みも好まないのかもしれない。今後も要観察である。

 細かな作業は苦手としているようで、刺繍やレース編みの時間はリオネッサ様から少し離れた場所で持参した本を読んだり、窓の外を眺めたり、寝ていたりしている。半面、体を動かす行為は得意としているようで、農作業等は喜々として手伝っている。

 色はリオネッサ様の瞳の色である緑を好む傾向がみられる。

 服の好みはないようで、毎日リオネッサ様が選んだものを着ている。ただ、着せ替え人形になっている時間と比例して機嫌が下降していく。

 リオネッサ様が相手であれば最後まで付き合うが、他のメイド達だった場合は魔術で脅して切り上げさせていた。

 意外な事に、リオネッサ様の幼馴染であるゼーノとは気が合うらしく、よく遊んでいる。まゆたまごであった時分にはほんの少し触られただけでも思い切り放電し、ゼーノの髪を爆発させていたのはまだ記憶に新しいが、あれでゼーノはなかなかに面倒見が良く、生まれたばかりのエルフィーとすぐに打ち解けたようだった。

 よくリオネッサ様や魔王様に背負われたり、抱かれたりして移動をしていたが、ゼーノのからかいにより自立歩行をするようになり、リオネッサ様の後をついて回っていたのが、これもゼーノのからかいにより頻度は格段に落ちた。魔王様夫妻の部屋で就寝している事をからかわれれば一人部屋へと移り、その日の夜は一人で就寝する不安からか涙ぐんでいた。否、あれはたぶん鳴き声を押し殺していたのではないのだろうか。

 この件に関しては事の真相を知ったリオネッサ様が大層お怒りになり、鉄拳制裁をも辞さぬ勢いでゼーノに詰め寄っていらっしゃった。魔王様もエルフィーと共に眠るのが殊の外お気に召していたようで、故に、仕置きに参加なさり、城の床が一部陥没したためゼーノの借金に上乗せされる結果となった。

 就寝前の絵本の読み聞かせだけはむずかるエルフィーを説き伏せる事に成功し、今も継続している。

 リオネッサ様はもちろん、温厚で滅多にお怒りになる事のない魔王様にすら苦言を呈されたので、ゼーノによる新たなからかいは発生していない。エルフィーの精神が不安定になれば魔力の制御にも不安が生じるため、バルタザール様も釘を刺していらした。

 家族と呼んでも差支えのない存在である魔王様とリオネッサ様のお二人から距離を取るようになってしまったエルフィーだったが、魔王様達に諭され子が親に甘えるのは恥ずかしい事ではないと受け入れられたようだった。ただし、魔界では親殺し、子殺しなどはよくある事なので、人界におけるリオネッサ様周囲の常識なのだろう。ようやく笑顔の戻ったエルフィーにみな、一様に胸を撫で下ろしたものだ。

 リオネッサ様が側にいらっしゃれば問題はないだろうとの判断がなされ、人界への同行も許可が出たエルフィーは目覚ましい偉業を成し遂げた。

 なんと魔界人排斥をうたう人界人に拉致されたリオネッサ様の言う事を正確に守り、ウタを使い魔王様に居場所を知らせたのだ。しかも人界人を傷付けずに!魔獣人に襲撃された時は粉微塵こなみじんにしていたというのに成長したものだ。

 だが魔王様にもリオネッサ様にも手放しで褒められたにも関わらず、エルフィー本人はあまり喜んではいないようだった。

 褒められたのなら喜ぶはずだ。エルフィーはお二人の事が大好きなのだから。

 それなのに喜ばないという事は、また何かしらゼーノに吹き込まれたのでは……?

 と、疑ってしまったが、人界にゼーノは同行していないし、行く前もゼーノの言動には注意を払っていた。エルフィーに悪影響を及ぼす隙はなかったはずだ。

 これでは監視役の名折れ。怠慢と罵しられてもやむを得ない。なんとしても原因を究明しなければ。

 リオネッサ様が発熱で寝込まれた後でもエルフィーの態度はあまり変わらない。

 自ら花を摘んで贈りはしたが、リオネッサ様には近付こうとはせず、もっぱら書庫に籠り本を読んでいる。より正確に表すならば読み漁っている、だろうか。

 ジャンルは特にこだわっていないらしく、目に付いたものを手当たり次第に読んでいるようだ。

 ただ、時折溜息をつくのだが、その頻度が時間を増すごとに上がっている。何か不安や不満があるのだろうか。それとも疲労か、若しくは慢性的な痛みでも抱えているのか。

 そうであるのならば速やかに原因を取り除かねばならない。精神の乱れは魔力制御の乱れ。

 だが、問題は原因不明である事だ。原因がわからなければ処置もできない。どうすればエルフィーの精神が安定するのか、皆目見当もつかない。

 原因がわからないからといって手をこまねいてばかりはいられない。自分は監視役なのだから。まずはほんの小手調べだ。これで効果があるようならば継続して続けよう。

 読書を続けるエルフィーに気付かれぬよう今日のおやつを置く。書庫に籠りがちなエルフィーを心配したリオネッサ様の配慮だ。

 書庫は本の保存が第一であるため、本来なら飲食禁止なのだが、エルフィーならば汚す事もあるまい、と魔王様の許可もいただいている。

 ややあって、エルフィーがおやつに気付く。

 ちらり、と見ただけですぐに本へ視線を戻した。

 ――ばかな!

 今日のおやつはエルフィーの好物のひとつであるパンケーキだと言うのに! これはいったいどういう事だ?!

 今では希少レアすぎるリオネッサ様お手製のパンケーキに、リオネッサ様が手ずからお淹れになったミルクティーだぞ?! ホットケーキにはかわいらしい猫という動物までもがクリームで描かれているというのに?! そこまで気分が打ち沈んでいるというのか?!

 動揺が治まらず次の一手をどうすべきか考えあぐねている内に、エルフィーは本に栞を挟んで立ち上がるとおやつの乗ったお盆を持ち書庫を出ていく。

 ま、まさか……、おやつはいらないという意思表示なのか? 他の誰かにあげに持って行くとでも……?

 エルフィーは真剣な面持ちで歩みを進めて行く。おそらくミルクティーをこぼすまいとしているのだろうが、肩に力が入りすぎている。ミルクティーばかり注視しているえいで周囲への注意が疎かになっていた。

 このままでは絨毯のわずかな起伏にも足をつまずかせるのではないか。そう考えたそばからエルフィーは蹴躓けつまずき、転んだ。

 お盆からホットケーキとティーカップが投げ出される。

 自分は傾き皿から滑り落ちるホットケーキを皿の中央へ、カップのふちから飛び出していたミルクティーをカップの中へと戻し、お盆に戻して絨毯の上にきっちり置いておいた。

 エルフィーは顔から絨毯に突っ込んだため、自分からは頭頂部しか見えなかったが大した怪我はないだろう。擦過傷くらいならすぐに治る。

 すぐに起き上がったエルフィーは元々大きかった瞳を更に大きく見開いて驚いているようだった。転んでぶちまけると思っていたおやつが無事なのに驚いているのだろう。

 辺りを見回し、服を払ってからエルフィーは再び歩き出した。

 目的地は裏庭だったようだ。来客用の庭園とは違い、花よりも樹木に重きが置かれているらしく、所々に木陰ができていて少しだけ魔界を思い出させる。

 やはり人界より魔界のほうが落ち着くのだろう。木の幹に背を預け、リオネッサ様に言われた通りいただきますをしておやつをちゃんと食べ始めた。食欲が落ちた訳ではなかったようだ。

 うむ。きちんと礼儀作法は身に付いているようだ。食器の扱いも姿勢も美しい。

 リオネッサ様の懸念もわかる気がする。いかに成長の早い魔界人と言えど、エルフィーは成長の度合いが早すぎる。知能ある魔界人では考えられない程に。

 体の成長と知能の発育は反比例する事が多いのだが、エルフィーは明らかにそれらから外れた存在なのだ。

 それは、まあどうしようもない事象であるから置いておくとして。問題は精神と肉体が剥離していく事にあるだろう。

 今のエルフィーはどこからどう見ても子供であるのに、知識を詰め入れて無理に大人へ近付こうとしている風に見受けられる。姿勢ひとつ、仕草ひとつ、どれをとっても洗練されたそれである。

 未だ誕生して半年程度にしか満たぬというのに成人もかくやという佇まいを備えているなどと……。

 本来ならば剥離を最小限に留めるため肉体の成長を早めるか、知識の吸収を緩めるものだ。エルフィーは後者を推奨されているので、何とかしなくては。

 どのような策が有効なのか。速やかに熟考しなくては。

 きちんと咀嚼し、つっかえる事なくパンケーキを嚥下したエルフィーは最後にティーカップを飲み干し、すぐに立ち上がろうとしたため、携帯していた本を膝の上に素早く置きそれを阻止した。

 本はリオネッサ様がお選びになったもので、幼い頃妹君と一緒に読んでいらっしゃった思い出の作品という事だ。

 暫く本の表紙を見ていたエルフィーだが、諦めたような溜息を吐くとページを捲り始める。

 おやつで空腹が程よく満たされうえに体温を高めれば睡眠へ誘われる事間違いなし。

 魔王様がお選びになった淡い緑色の肩掛けを羽織らせ、駄目押しに鉄琴とよく似た声で鳴く我が相棒、オーゲルのベルにひと鳴きさせれば体躯の発達していない幼児などあっという間に夢の中だ!

 リオネッサ様の子守唄を繰り返し復習さえたベルは滑らかに歌い上げる。フフフ……勝った。

 もたれていた幹から用意したクッションへ体重移動をさせ、肩掛けをブランケットへ交換すれば快適なお昼寝空間のできあがりだ。自分の監視能力の高さに惚れ惚れしてしまうな。

 次はハンモックとやらに挑戦してみようか。移動の際の難易度は跳ねあがるが、達成してみせよう。

 ……そう、全てはエルフィーを監視する為に!


***


「ギードの報告書って初孫を素直に可愛がれない孫バカじじいの日記を読んでる気分だ……」

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