第六話 『不帰の砂漠イルカルラ』 その51


 皇太子レヴェータはこの『支配者の本』の詳細について、どれほど正しい認識を持っていたのだろうかな?……少なくとも。ヤツが欲していそうな情報は、この本にはあった。


「……で。竜騎士よ。お前が欲しがっていた情報は、手に入ったのか?」


 僧兵メケイロは楽しくなさそうな表情をしたまま、質問して来たよ。神になりたい男説に対して、どうにも強い嫌悪感を抱いているようじゃないか。


 それでも、一種の怖いもの見たさというやつだろうかな。自分の理解が及ばない狂気については、ヒトってどこか情報を集めたがる。もっとも、メケイロは信仰に生きる者ならではの価値観に基づいて質問しているのかもしれないが。


 僧侶という人々は、心が清らかで世俗の欲に理解が及ばなすぎるからな……この白目の大きい、まっすぐな瞳に見つめられていると、心が癒されるし、ちょっと自分が汚れた邪悪な存在なのだと思い知らされる。


 ヴァルガロフのマフィアどもが信心深い理由に触れた気がするよ。邪悪な魂は浄化を求めて、聖なる心に近づきたがるのさ。たぶんな。


 オレの沈黙に、基本的に短期なメケイロが痺れを切らそうとしているから、オレは口を開いていた。おしゃべりな、そして性悪な口をな。


「ああ。予想はついたぞ。皇太子レヴェータというヤツは、本気でこの本を求めていそうだという直感ぐらいだがな」


「直感か……頼りになる言葉だな」


「僧兵も皮肉を言うのか」


 根拠の少なさを指摘されたたときに使われる言葉に、反射的に言葉を使っていたが、メケイロは首を振る。横にだったよ。えらくマジメな顔で、若き僧兵は背筋を伸ばしつつ、口を開いた。


「いいや。皮肉ではない……直感は、重要な判断力の一つだと思っている。何というか、こういうワケの分からないときはな」


「ワケの分からないとき?」


 ……言いえて妙ではある言葉ではある。こんな場所で、こんなメンツで、ヒトの革で作られたカルトの本なんて持っているときには、かなりお似合いの言葉じゃないか。


 メケイロにとっては、なんとも非常識な状況だろうよ。何せ、オレにとっても、この状況は理解しがたさに満ちているものなのだから。


 若者は苦悩するように頭をかいた。まとわりつくような得体の知れない未知の感覚に対して、拒絶したいのさ。この場の血と闇と、カビくささは、常識的な僧兵には、罪と欲望に満ちすぎてしまっている。


 言葉を探したあとで、メケイロは自噴の発言を説明することを始めていた。律儀な青年だよ。


「オレとしては、じつに不気味な経験をしている最中になる。血を吸う本に、大昔に滅びたはずの邪教の祭祀についての情報というものはな……お前たちには、日常的なことなのかもしれないが……」


「いや。マルケスはともかく、オレは『古王朝のカルト』などと親しく触れ合ったのは今日が初めてのことだ。まあ、『ゼルアガ』や呪術師の類いとは、ときどき遭遇するがな……」


 そうだ。変人扱いは別に構わないのだが、誤解されることは好きではない。オレだって、こんな変な本を追いかけるような日々はしちゃいないさ。ときどき、おかしなことに巻き込まれることがあるぐらいだ。


 それなのに、メケイロはいぶかしげに目を細めた。オレのことを邪教の信徒だとでも考えているのだろうか?


「『ゼルアガ』……異界からこの世界を侵略するという邪悪な神のことだよな?」


「ああ。そう呼ばれているな。しかし、実際のトコロは正体は不明なんだが、何度か殺してはいるんだ」


 バローガーウィックとザクロアとアリューバの北海、そして『星』も、その一種とすれば、何故だか最近、あの異界からの侵略神には縁深さがあるよな。


「まったく、ムチャクチャな人生だ……!伝説のゼルアガと、遭遇したどころか、倒しているだと!?」


 ムチャクチャな人生ってのは、戦士としては誉め言葉のひとつとしても受け取れるものなんだが、メケイロはオレの人生に心酔してるっていう雰囲気とはほど遠かったな。


 少しばかり呆れているのかも?……蛇神の信徒からすれば、『ゼルアガ』なんぞと絡むことは、大いに穢れたことなのかもしれん。


 同じ僧兵であるマファラ老は、老いた蛇のような顔でリアクションを出さないがね……。


「たしかに。この私も刺激的な人生を送っている方だとは考えていたけれど、ソルジェくんの人生に比べれば、あまりにも一般的すぎるようだ」


 アインウルフまで、オレの人生に呆れてる?いや、コイツは楽しそう。おそらく、『ゼルアガ』と戦ったりする機会にさえ恵まれたら、意気揚々と参加したがるさ。


 だが、ちょっとばかし言い返しておこう。変人の一種ではあるマルケス・アインウルフから、変人あつかいされるのは、ちょっとショックな行いではあるんだよ。


「……なんだよ。いいか?『古王朝のカルト』については、お前の方が詳しいんだぞ?」


 この怪しくてうさんくさい祭祀書を遺した、古代のカルト宗教どもの知識は、帝国貴族で変わり者でもあるアインウルフの方が詳しいんだ。


「私は詳しくもないさ。少しばかり情報を聞いたことがあるだけに過ぎない……君の直感については、私も同意するがね……その本は、しかるべきタイミングで処分してしまったほうがいい……学術的・呪術的な損失であったとしても、この世に在るべきものではないように思う」


「燃やせか……そうだな。魅了されてしまう者も少なからず出てしまうだろうからな」


 良心的な言葉ではある。『支配者の本』は、民衆の心を掴むような危険な祭祀が記されている。コイツを読むには、ヒトの生き血が必要だ。そう、死者の血では反応しなかったからな。


 生きたまま血を捧げさせる……残酷な行いをもってしか、それは叶えられない行動なのは間違いない。ハードルこそ高いが、何をしてでも願いを叶えたいヤツってのは、男女を問うことなく、そこそこあちこちにいるもんだった。


「竜騎士……貴様は?」


 ……失礼な質問だが、メケイロは不安なのだろう。怒鳴り返すことはしないさ。たとえ、おかしなカルトの祭祀に興味があるようなヤツだと疑われていたとしてもな。それほどに、この本は影響力があるんだよ。


 確認するように言葉にしていた。自分の哲学を口にすることは、自分の『正義』を堕落の歪みから守ることにもつながるだろうと信じつつ。


「オレは魅了されることはない。いいか?……生け贄を用いて成すような大義など、クソ食らえだと言いたい派だからな!」


 その言葉にマルケス・アインウルフが反応していたよ。


「ハハハ!たしかに、そうだね……ヒトを犠牲にして得た結果では、満足できないものもある。犠牲を否定する言葉は好感が持てるよ、ソルジェくん。さてと。マファラ老は動けるのかい?」


 老僧はその言葉に行動で答えた。ゆっくりとだが、その体を起こしていき……メケイロに支えられる。そして、老僧はコブラのように老いた首をしならせながら、こちらに白内障に濁った瞳を向けてくる。


「……大丈夫じゃ。そろそろ、地上に上がるか……?」


「ああ。最も欲しかった情報は手に入れたんだ……もう、この地下にいる必要はない」


 敵の死体を漁ることも、今は必要ではないのだ。


 ヤツらにとって、最も大切な目的―――『支配者の本』は回収することが出来たのだからな……他にオレが求めている情報を敵の死体が持っているとも思いにくい。


 うむ。ああ、そうか。そう言えば、忘れるところだった。断りを入れる必要があるよな。これは、元々は『太陽の目』の所有している財宝?……のひとつには違いないのだからな。


 異教の品とはいえ、一応は先祖伝来の品物ではあるんだ。


「マファラ老よ、この本だが……オレが持っていてもいいだろうか?」


「……構わん。その邪悪な本は、もともと我々の側にあるべき本ではない。扱いにも困るが……そなたならば、それに呑まれることもなかろう……持っていくといい」


「ありがとう。これがあれば、皇太子を殺すための手がかりの一つとなるかもしれないからな」


 『呪い追い』を上手く使えば、これを求めているヤツを逆引きできるかもしれない。祭祀を執り行いたいわけではないが、所有はしておきたい。


「……本当に帝国と戦っているのだな」


 若い僧兵は血でも騒いでいる男の顔になる。つられるように、オレの唇は微笑みのために歪む。


「そうだ。とても有意義な戦いだぞ。メケイロ、お前も戦いたければ、いつでも来るがいい」


「……蛇神が望まれる日があれば、オレも行こう」




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