第五話 『ドゥーニア姫の選択』 その24
勇敢なるロジンの発揮した自己犠牲という名の愛を心に浮かべながら、遙かなグラーセスの方角を見つめていた。愛するジャスカ姫のためなら、彼は何だってやれる男だな。理想的な人物の一人さ。
「―――ふむ。ミスター・ロジンは素晴らしい人間性の持ち主のようだね」
凜然とした声が聞こえる。風に混じったその声には、友情を抱いた記憶はない。しかし、リスペクトしている男の声だ。
忘れるものか。
グラーセス王国軍に向かって、たった一人で突撃してみせた、あの勇猛果敢な男のことをな。『戦槌バルキオス』と竜太刀をぶつけ合った仲だ。戦場での出会いというものは、血にさえも熱を帯びて刻みつけられる。
「……マルケス・アインウルフ」
その名前を口にした。友情ではなく、敬意を込めてな。あとは、若干の敵意もあったのかもしれない。それは、あちらも同じようだったな。整えられてから時間が経過していない、美しいヒゲの形を保っている紳士は、その瞳を細めながらこちらを見ている。
「ソルジェ・ストラウス。久しぶりだな」
「ククク!オレの名前を覚えていてくれたか」
「当然だよ。世界で二番目に強いと感じた男のことを、私は忘れられはしない」
「……二番目か」
「一番目は、ガンジスだ。それは揺るがない。あらゆる巨人族の戦士の頂点にいる男。奴隷ではあるが……私の親友でもある」
「ほう。複雑な友情を築くのも得意なのか」
「友情を築くのも、女性の心を射止めることも、私は得意なのだよ」
紳士はオレが一生涯、口にしないであろうセリフを使いやがった。難解な言葉だよな。女性の心を射止めることが得意です―――無理だな。ヨメが三人いるだけの男では、とてもではないが、その資格を得ているような気持ちにならん。
……だが、ガンジスか。
気にはなっている男だ。帝国軍の奴隷兵士として生きているようだが……遠からず、戦える日もやって来るのかもしれない。
しかし、アインウルフは友情を築くことだけが得意な男でもないようだ。ラシードは、アインウルフの言葉に腹を立てていた。巨人族の戦士が、奴隷だということに、『メイガーロフ人』の巨人族であるラシードは耐えがたい感情を持つのさ。
彼もまた、逃亡奴隷たちの子孫なのだから。
ラシードはアインウルフのもとへと近寄っていく。ギュスターブが、問いかけるような瞳を一瞬だけ、オレの方に向けていたよ。ラシードがアインウルフに飛びかかる可能性を感じたのだろうが―――オレの表情からギュスターブは悟っていた。
……ラシードは、オレたちよりも、ずっと大人で紳士的な男であるということをな。巨人族の紳士は、黒い布に顔を隠したまま口を動かしていた。
「奴隷を友人と呼ぶか、アインウルフよ」
「……そうだ。奴隷であるが、友人なのだよ」
「詭弁だ。奴隷と対等である支配者など、対等な友人関係なはずがあるまい」
「その質問を、私は否定しがたくもある。とくに、貴方のような巨人族の戦士からの言葉であればね」
「家畜のように鎖につないだ奴隷を、友だと呼ぶ悪趣味さを知るがいい」
「……たしかに。その点では反論の余地はない。だが、分かってもらいたいな。私とガンジスのあいだにある友情は真実だ。彼が望めば、自由も与えただろう……」
「……『秩序派』の巨人族か!」
吐き捨てるように、その言葉をラシードは使う。『秩序派』……聞こえこそいいが、その内容は、ろくなものではない。
「……あの。それ、どういう意味なんですか、ラシードさん」
カミラは訊いていた。世間知らずでもあり、猟兵たちの中でも最も旅して歩いた土地の少ない彼女には、知らないことは少なからずある。
「オレも気になったぞ」
知識を追及するのは我々の『吸血鬼』さんだけではないようだ、鎖国していたグラーセス王国から、異国の土地へと飛び出して来たギュスターブ・リコッドにも、『秩序派』という単語は耳慣れぬものであるらしい。
ラシードは若者たちの疑問に、答えてくれるようだ。一瞬の侮蔑と怒りの炎は消え去り、心にいつもの静けさと余裕を持った表情に戻っていたよ。
「カミラ殿、そして剣士ギュスターブ。『秩序派』というのは、巨人族のなかでも隷属することを選んだ者たちのことを言うのだ」
「え?……隷属することを、選んだ?」
「どういうことだ?何で、そんな選択をする?……理解不能だ」
「そうだな。私も、そう思う……」
……意地悪な大人なら、そこで説明を放棄するものだろう。だが、ラシードはそういう種の大人ではなかった。若者たちに知恵を与えようとしている。そうすることが、大人の役割だと考えているのだろう。
おそらくは苦痛も感じる思考になるのだろうが、ラシードは若者たちに、この世界にある一つの現実を教えるために口を開くのだ。
「……隷属することで、大きな勢力に逆らわぬことで、平穏を保ち、秩序を成す……それが『秩序派巨人族』の考え方なのだ」
「そんなの、おかしい気がするっすよ」
「オレもだ。それは、何かが違うような気がする。それでは、あきらめじゃないか?」
「……そうだ。あきらめ、無抵抗であることを、『秩序派巨人族』は良しとしている。私のような『メイガーロフ人』からすれば、とても理解ができないことだ」
軍人もまた秩序を作るための存在でもある。しかし、軍人が暴力で維持する秩序と、『秩序派巨人族』という奴隷根性の体現者とは、真逆のようなものだ。抗うことを忘れた服従の精神……ガンダラは、その行いを最も嫌い、ラシードもその点では同意見なのさ。
「……ガンジスは、現実主義者でもあったのだろう。私にも、彼の心を完全に理解してやれてはいないのだろうが……自分がファリス帝国の遠征軍の先鋒として敵勢力を討ち滅ぼすことが、秩序と平和の実現になると考えていた」
「詭弁だ……そんなものは、言い訳にすぎない」
「かもしれない。だが、ガンジスは本気なのだよ。巨人族も、ドワーフ族と同じようにガンコらしいな」
『秩序派巨人族』のガンジスか……ガンダラと名前が似ているのは、じつのところ偶然ではない。巨人族に名前のパターンは多くはないのだが、ガンジスという男は、ガンダラの実の兄貴でもあるらしい。
同名の巨人族というわけではないだろうな。ガンダラ並みか、それ以上に強い男であれば……オレよりも強く、『世界最強の男』という評価に相応しい。
さてと。互いの主義の違いから、もめている場合でもない。オレは、この場にある緊張を解くことにした。
「……この場にいないガンジスのことは、今はどうでもいいだろう。ラシード、オレたちは、アインウルフと取引に来たんだ」
「ああ。分かっているさ、ストラウス卿よ。そなたに任せる。私は、アインウルフとは仲良くはやれそうにない」
「フフフ。私は、仲良くなれそうな気がしているんだがね?……強い戦士は、嫌いになれないのだ」
アインウルフは、ラシードの正体に気がついているのだろうかな……その真意は、はかりかねるが、今はそれもどうでもいい。
「今は、お前の元・部下である、メイウェイのことについて話そうぜ、アインウルフよ」
メイウェイという名前には、アインウルフの瞳に宿る光は強さを増すのが分かった。マルケス・アインウルフは、メイウェイのことを評価しているというのは本当らしい。
「……ならば、立ち話ではすませられない。あの砦に来たまえ、ソルジェ・ストラウス。そして、レディーと戦士たち」
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