第五話 『ドゥーニア姫の選択』 その21
プランは決まったからな。こっちはリエルたちに任せて、アインウルフに会いに行くとしようじゃないか。
「『闇』の翼よ――――』
カミラの『吸血鬼』の力に頼りっぱなしだが、これもカミラの仕事ではある。警戒が高まっている『ガッシャーラブル』から、気づかれずに脱出するには、この方法が一番なのは否定しがたい事実だった。
カミラとオレとラシードの三人は、『闇』に呑まれていき、次の瞬間には『コウモリ』に化けていた。猟兵女子たちの間を、無数の『コウモリ』は飛び抜けて、暖炉のなかに飛び込んでいった。
燃え残った薪の上を通過して、煙突へと侵入していく。一瞬の真っ暗闇が訪れて、すぐに小さな青い光りを見つけたよ。
空へと向かう。狭い煙突の中を昇り、生温かい風が吹く『ガッシャーラブル』の上空へと飛び出した。解放感が全身に行き渡るようだ。カミラも、きっと、この感覚が好きなんじゃないかと思う。いや、おそらく煙突から空へと飛び出したことがあるヤツは、皆が同じ気持ちになるだろう。
……わかっている。そういう機会に恵まれたことがあるヤツの方が、極めて少数派だってことはな。煙突掃除のガキどもだって、そんな気持ちになったことはないはずだ。オレたちは、とても貴重な体験をしている。
『高く飛ぶっすね!』
『ああ。ゼファーは、あまり低くは飛ばない。帝国兵の見張りを意識した飛び方をしているからな』
経験値は常に竜を成長させていく。ゼファーは見張りの視線や角度を考えて、飛ぶようになっている。
……『ザシュガン砦』での戦いの結果、オレたちの存在はバレてしまっているだろうからな。
竜が介入したという事実を、帝国軍は共有しているはずだ。メイウェイの行方不明のインパクトが強くて、竜の印象が薄まっている可能性はあったとしても、竜がいると聞かされた見張りは空を探すようにもなるだろう。
ゼファーはその視界に入らないように、太陽の輝きのなかに身を隠せる高さと角度で旋回を続けている。『ガッシャーラブル』の帝国兵たちが持っているであろう緊張感を考えると、この慎重さは『太陽の目』に対する突発的な行動を抑止することに働く。
『ガッシャーラブル』から離れながら、十分な高さへと昇っていくと、ゼファーはオレたちの接近に気づき、高度を下げてくれた。
愛らしい仔竜の声を、オレの耳は聞くことになる。
『あははは!『どーじぇ』、かみらー!……らいど、おーんっ!!』
ミアの影響を明らかに感じさせるセリフといっしょになって、ゼファーが冷たく居心地の良さそうな風が踊る天空から降りてくる。
らいどおーん!が始まるよ。ゼファーの背中の上に、オレたちは取りついていた。『コウモリ』からヒトの姿に戻り、脚でゼファーの胴体を挟み、指でゼファーのウロコを掴むのさ。
『あはは!らいどおーん、せいこうだー!』
「おう、完璧ならいどおーん、だったな」
「えへへ。そうっすよねぇ」
「ほう……らいどおーん、というのか。竜の背中に取りつくことを、竜騎士のテクニックで」
正確にはそうでもないんだがな。
だが、これといって、とくに名前もない。ストラウス一族は、乗る、またがる、しがみつく、そういう言葉でしか、この動作を表現したことはなかったからな。当主であるオレが、新たに承認するのも良いだろう。らいどおーん、でも良いとな。ミアやゼファーが使う分には、愛らしい響きがある。
「そんなカンジだ」
「……カンジ?」
ラシードは首をひねる。巨人族らしく、マジメなんだろうな。整然とした法則性に、色々なことが規定されることを望んでいるタイプの性格だ。あまり話題を深くすれば、無意味に考え続けてしまうかもしれないな。
らいどおーん、についての話題は、これ以上、続けても意味がなかろう。オレはゼファーの首を撫でながら、そんな結論を手にしていた。ゼファーは大人たちの会話が終わったことで、タイミングを獲得したと認識したのだろうよ。尻尾をヒュンと一度だけ振った後で口を開く。
『ねえ、『どーじぇ』、あっちにいくんだね?』
「そうだ。『ガッシャーラブル』の北西にある砦。そこが合流ポイントになる」
『らじゃー!……あれかなー?』
ゼファーは旋回を停止して、北西を向いてくれる。直線距離で十七キロってところだな。『ガッシャーラブル』からは、波打つ山の陰に隠れているせいで、地上から直接は見えないだろう。乾いて荒れた赤茶色の山肌の中に、崩れかけている小さな砦が見えた。
かなり古い砦だな。時間の経過に蝕まれ、崩落寸前というありさまだ。
「古過ぎる。三分の一ぐらいは壊れているな」
「300年前に使われていたという砦だよ。エルフの山賊たちが、ときおり使っていたが、ここ十年ぐらいは老朽化が深刻だったせいで、誰も近づいていないはずだ。さすがだな。この土地の情報を知っている……」
「……アインウルフが情報を出したか。だとすれば、協力的な姿勢と言えることだ」
「協力的なら、自分たちにも協力してくれるっすかね?……メイウェイ捜索という理由なら?」
「力を貸してくれると思うぜ。メイウェイ自身は、『自由同盟』への協力を望んでいるのかは分からないが……アインウルフは、メイウェイを死なせたくないという意志は強いんだからな」
「そうっすよね。死なせたくないほど大事……上司と部下の絆なんですかね」
「強い友情があるのかもな。あるいは、それほど人材として有望だと信じているのかもしれん」
……あるいは、男同士の恋愛感情だったりするのだろうか?……可能性はゼロではないが、社交界の人気者で女にモテそうなアインウルフは、ノーマルな性癖なんじゃないかと予想している。
「なんであれ、直接、訊いてみればいいさ」
『じゃあ、むかうねー!!』
漆黒の翼が空に広がる。右の翼を高い場所に上げるのさ。そうすれば、北風に乗って、北東へと向かうことになるのさ。
ゼファーは名も失ったような壊れた砦のことを、大きな金色の瞳でにらみつけながら空を翼で打ちつけて、あっという間に接近していく……。
オレは眼帯を外して、魔眼の力を借りた。砦に隠れている、十数人の人影に気がつく。情報通りなら、彼らがアインウルフとそれを護送するチームとなるわけだ。
壊れかけの砦……その周囲を旋回しながら、ゆっくりとゼファーは降下していった。乾燥した地面に、ゼファーの爪を山肌に突き立てる。
砦からは、すぐにリアクションがあった。崩れかけた砦の窓から、一人の若く俊敏な影が飛び出して来たよ。
それは狼のように速く、小柄な人影だった。いや、縦に小さいだけで、肩幅も厚みもある。ずんぐりむっくりとしているな。とにかう、そいつはオレたちに向かって走り込みながら、剣を抜くのさ。
『……たたかいの、けはい……っ!!』
ゼファーは好戦的に瞳を輝かせたが、『炎』の息を吐きかけるべき相手ではない。アイツが用のあるのは、オレなんだからな。
ゼファーの背中を踏み、オレはそのままゼファーから地面へと飛び降りる。
竜太刀を抜きながら、接近して来るドワーフの戦士に向かって、こちらからも走るのさ。
「サー・ストラウスッ!!勝負だあああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」
「おうよ、来やがれ、ギュスターブ・リコッドおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」
グラーセス王国のドワーフ戦士は、相変わらずシンプルな精神を持っていたようだ。ドワーフの背丈に合わないほど長大な剣を握りしめたまま、ギュスターブ・リコッドは斜面を蹴りつけて空に舞う。
剛剣が、空から落ちてくる。オレも竜太刀を横向けに打ち放つ―――斬撃が交差して、衝突した鋼が我々らしい音で歌ったよ。
ガギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイインンンンンッッッ!!!
鋼からあふれた火花の向こう側に、ギュスターブの顔を見る。真剣な表情をしているな。まだまだ、続けたいらしい。
……遊んでいる場合でもないってのは、分かっているが。友情深い戦士と再開したというのなら、オレたちは、もっと戦うべきなのさ。
足の裏から始まり、全身あちこちの関節を同時にちょっとだけ動かす。微調整もそのカ所が多ければ、大きな変化を作るのさ。押し負けずに、反抗のための姿勢を作り出す。あとは腕力を発揮して、ギュスターブを弾き飛ばすんだよ。
「……ッ!?」
ギュスターブとしては、こうもあっさりと力負けするとは考えてはいなかったのかもしれない。『剛の太刀』を使う時の技巧を応用してもいる動きだ。グラーセス王国には、存在しない遠い土地の技巧には、若い剣士の経験値では想像が及びはしない。
……並みの戦士なら、これで終わりだ。
空中でバランスを崩してしまえば、並みの戦士では、どうすることも選べない。このまま地面に叩きつけれて、ろくでもない姿勢で着地することになる。それからの数秒は、攻撃も防御も出来ない状況になり……オレはそこに斬撃を一つ打ち込めばいいだけのことだ。
だが、ギュスターブ・リコッドは並みの戦士ではない。
超一流の剣士だ。
「はああああああああああ!!」
空中で、ギュスターブは身を捻り、長大な剣を振り回す。鋼の旋風は、オレの接近を阻んでいたよ。攻防一体のドワーフ・スピンだった。さすがの一言に尽きる。
ギュスターブは、空中のスピンで重心を操作し直していたよ。見事に着地する。バックステップを刻み、安全圏まで逃げ延びた。剣を素早く構え直して、防御に適した構えを作り上げる。
「……まさか、あんな簡単に押し返されるとは」
「いい動きだったぜ、だが、まだまだだ!!」
ニヤリと唇を歪めながら、ストラウスの剣鬼の牙で空気に噛みつき、オレはギュスターブへと目掛けて走り始める。
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