第四話 『ザシュガン砦の攻防』 その62


 聞き耳を立てながら、ゆっくりとハシゴを降りていく……騎士たちの宴の声に注意を傾けながら、無音を意識して気配を殺して体を動かした。


 手の指に体重をかけながら、靴底がハシゴに伝える重さを軽減するのさ。こうすれば音がしにくい……最低でも三カ所で体重を割ることで、ハシゴの木組みに軋む音を可能な限りは減らせるわけだ。


 竜鱗の鎧を着ていて、これだけ静かに動けるのは、竜騎士の体術があればこそだ。それほどに慎重になる必要性は、実際のところはないんだが……これも訓練ではある。実戦でこそ鍛える甲斐があるというもんだ。


 戦場にしか漂っていない空気というものがある……そういう空気に行動を慣らしておくことで、自分の技巧を磨き……劣化を防ぐことにもなる。蜘蛛のような無音の手と足の運びを用いつつ、耳と視線で周囲に警戒を張り巡らせていた。


 10メートルの高さはすぐに終わり、オレの鉄靴の底が静かに床石を踏んだ。足音を潰すように、静かに下ろす。猟兵は無音であることが基本だと、オレはミア・マルー・ストラウスに教えて来た。その鉄則を、可能な限りは破らない……。


 ミアに幻滅されることは絶対にイヤなもんでな。猟兵としての技巧を、団長であるオレが失うわけにはいかんわけだ。それに……ガルフ・コルテスを継ぎたいからな。ガルフの継承者は、もうオレたちだけだった。グラーセス王国で、ガルフの義理の息子は死んだからな。


 ……猫の動きを実行する。目玉から先に動かして、首をその動きに追いかけさせるのさ。ガルフに習った技巧だ。大きな関節を動かすのは少しでも後がいい。揺れる炎の影の下でも、素早く動いてしまえば敵に見つかる確率が増えるからだ。


 ゆっくりと動くが、視野の確保は早い方がいいからな……目玉の音までは、さすがに気にする必要はない―――ガルフは、それでも動かす時は瞳を細めろとは語っていたから、実践はするがな……ケットシーの凄腕が相手なら、目玉に映る炎の揺らめきに勘づくこともある。


 ミアも、そんな動きだけで敵の気配を察知したことがある……これは、もう種族的な才能の差かもしれん。魔力の動きを勘づくことで、索敵の技巧を補うことは出来るが……幾つかの能力で、オレはミアに敵わないところがあるのさ。


 うかうかしている場合ではない。技巧と経験値を用いることで、衰えることは避けなければならない。


 視界のなかに探すんだよ、右に20メートル。ついさっき入手した情報が正しいのかを確かめるためにな。間違っていたら、戻ってあの若者を更に虐待する……ということはするつもりはないし、その必要もなかった。


 彼の説明した通りに、アルノア・シャトーの最上階は形作られていたよ。20メートル……というよりは、18メートル30センチって距離感ではあるが、そこには赤い扉がちゃんとあったよ。


 高級そうな気配の重量感がある存在……何度か修理をされているがな。


 アルノア伯爵も、歴史を持つ古い家具に価値を見出すのかもしれん。あるいは、かつての歴史を継承した気持ちにでもなっているのかもしれないな。貴族というものは、自意識が過剰なもんだ。


 歴史や伝統を、背負い込もうとするものだが……それに見合う人物は珍しい。ヒトは過去の大人物たちには、なかなか匹敵することは出来ないものだ。


 赤い扉に向かって歩く。


 見張りはいない。最上階だからな、ここに来るまでには、宴会中の騎士たちの中を突っ切ることになるだろう……。


 音の反響から察するに、その宴は、この下の階と、吹き抜けのように繋がっている、さらにもう一つ下の階……ってカンジのパーティー会場らしい。シャトーの外観が持つイメージと異なり、内部は遊びに向いた構造となっているようだな。


 砂漠のシャトーの主は、シャトーを取り囲む城塞と物見の塔の高さに安心していたらしい。だが、おそらく、パーティー会場となっているそれら二つのフロアを繋ぐ階段は広くはないだろう。狭い階段にしていれば、上階から弓で射殺すことが容易くなるからな。


 それぐらいの戦臭さは持っているシャトーだろうと、オレは予想する。予想しつつも、体は行動をしていたよ。赤い扉の前にしゃがみ込み、鍵穴をのぞき込む……目玉はその動きをしつつ、猟兵の指はドアノブを回す。


 ……アルノア伯爵の私室……トラップを仕掛ける可能性は低いと思うが、用心するに越したことはない。オレだって、3分もらえれば、この扉に、ドアノブを回すことで爆破するぐらいのトラップを仕掛けることだって可能だ。


 ドワーフの職人ならば、鍵がかかったままドアノブを回せば爆破しちまう……っていうイヤな仕掛けを作ることもある。実際に、そういうドワーフの盗賊の根城を探索したことがあるからな……経験ってのは、ヒトを慎重にさせるもんだ。


 爆破されてケガしかけた。火薬の臭いに気がついて、反射的に跳び退かなければ、オレの頑丈さなら死ぬことはなくても、それなりに大ケガをしていたはずだよ。


 だから、嗅覚も頼っているのさ。


 あらゆる感覚を動員しながら、ゆっくりとドアノブを回して行く……トラップがある気配を嗅ぎ取ることは、全ての感覚において無かった。アルノアが仕掛けたのは、普通の鍵だけらしい……。


 古くからの伝統を持つ扉―――ドワーフ族の建築の趣味とは異なっていたとしても、この『メイガーロフ』は、亜人種が大勢いた国で、ドワーフだっていた。凄腕の職人が、このシャトーを作る際に招かれることだってある。


 ……幸いなことに、この古い扉にはそういうトラップは無さそうだが…………オレの耳は何者かの足音が近づいてくることに気がついていた……物見の塔の見張りと交替するための兵士か?


 ……いや。そうじゃないだろうな……一人の足音だ。一人ずつ見張りが交替するという行動を、帝国の戦士たちは好まない。とくに、このシャトーの警備は、複数人でのチームばかりだ。そういう組織哲学ってのは、油断しようがしまいが変わるものじゃない。


 ……このフロアには、他にも扉があるからな。アルノア伯爵以外にも、誰かが私室として使っている部屋があるかもしれんな……それに、この足音は、かなり小さい。子供のような体重をした細身の男か……あるいは、女かもしれん。使用人かもな、鋼を持った足音ではない。


 さてと……隠れる場所が少ない、いい廊下じゃあるんだよな、ここは。壁と壁のあいだが広く作られているから、長身を活かしても、この通路の天井付近の暗がりに登ることは出来ん。


 もう40センチも幅が狭ければ、オレなら登れるんだがな。背伸びすれば壁と壁の間に手と足が届いた。


 でも、そういう隙を作らない仕組みではある。広々としている通路が、防犯性に欠くというわけでもない。防衛のための哲学が違っていれば、建築物の表現も変わっているだけのこと。このシャトーは、建物を盾とする戦いよりも、剣とするようなデザインってわけだ。


 ……だから?


 オレの指はすでに行動していた。ガルフ・コルテス直伝のピッキング・ツールを、アルノア伯爵の私室の扉の鍵穴に突っ込んでいる。鋼がぶつかる音と、硬い感触を指に覚えながら……それなりの高度な技巧を持った非ドワーフの職人が作った鍵穴を、10秒で開いた。


 いい職人じゃある。しかし、完璧じゃなかったな。


 鍵穴を作る鋼の構造体にざらつきがあり、ドワーフらしさに欠くところがあるのさ。まあ、ドワーフの職人じゃない。いい腕だが、そういうざらつきは、鍵と鍵穴の接触する場所から起きるもんだ。


 そこをガルフのツールで押さえながら、角度を探ってツールを捻れば鍵穴は開くんだよな。


 開いた赤い扉を、肩で体重を浴びせるようにして押し開いていき、オレはアルノア伯爵の真っ暗な私室へと侵入していた。足音の主が、階段を登り切るよりも先に……オレは赤い扉を閉じていた。見つかりはしないだろうが……警戒する必要はあった。


 その足音の主が、何をするためにこの階に現れたのかが分からないからだ。


 アルノア伯爵の私室に隠れたまま、その部屋の探索よりも、オレは接近して来る足音の主の行動に注意を払うことにする……オレが降りて来たハシゴに近づこうとするのなら、拘束することを選ぶ必要があるからな。


 作戦開始まで、少しだけ時間がある。


 レイチェル・ミルラの貢献をムダにしないためにも、作戦の通りに可能な限りの事象が動くことにする。気づかれるのは、オレからではなく、西からの攻撃においてでなければならんということさ。




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