第四話 『ザシュガン砦の攻防』 その51
馬と青年たちはオレたちの目の前にやって来る。ゴールの直前で、お互いに技巧を尽くしていた。馬と共に重心を揺らして、馬に加速を強いたのさ。結果としては、黒い馬の方が負けていたよ。
「……やった!!」
「くそッ!!」
「……ウフフ。いい勝負でしたわね。負けても一生懸命で、そして口惜しがる。そういう男の子らしいところ、好きですわよ」
「……レイチェルさん……っ」
汗ばんだ敗者の手の甲にそっと触れてやりながら、レイチェル・ミルラは慰めの言葉を使うのさ。慰められるってのも、男にとっちゃ辛い行為じゃあるけどな……だが、訓練ばかりの若い兵士ってのは、美女に手を触られるだけでも幸せそうな面になれるもんだ。
さらに『好き』って言葉も心に響く。期待以上の意味が無いもんだってことは、当人だって理解しているハズなんだが……それでも、心は勝手に舞い上がってしまうものさ。
まったくもって、男というのは下らない生き物だが、そこに愛嬌があるという評価をして欲しいもんだね。
馬たちの荒い息が喘鳴を帯びるなかで、レイチェル・ミルラは長い手脚をしなやかに使い、その身を馬の背に躍らせていた。勝者は、疲れ切った顔をしながらも、誇らしげな微笑みを浮かべていたよ。
「勝利のご褒美をあげますわ」
「え……っ。ご、ご褒美って……ま、まさか……っ」
レイチェル・ミルラの美しい肌が夜の闇のなかをなめらかに動いて、鼻息が荒くなってしまっている若い兵士の首に回っていた。
オレはタイミングを見計らい、すぐ近くで彼女たちの様子を見物していたベテラン戦士の脚に、『雷』の属性をたっぷりと帯びた錬金術の猛毒を突き立てていたよ。その毒で死ぬことはないが、全身の自由が一瞬で奪われてしまうほどの強力さは持っている。
リエル・ハーヴェル特性の『属性付与/エンチャント』が施されたナイフだよ。それだけでも十分な即効性を有しているが、ナイフの鋼にはたっぷりの『雷』属性の猛毒が塗り込まれているわけだ。呪毒と錬金毒の合わせ技というわけだ。
ベテランの兵士は、うめき声どころか、身をよじらせることさえも出来ないんだよ。『雷』の毒を受けて体は麻痺している、麻痺の性質上、目玉だけは動かせるんだがな。血走り、開いた瞳孔が存在する瞳で、彼はこちらを見ている。
見つめ返すよ、静かに微笑み、ストラウスの剣鬼の牙を夜に晒しながら、オレは演技を続けるんだ。
「いい勝負だったな。なかなかだったぜ、黒い馬のガキ」
「は、はい……あ、ありがとうございます……っ」
「今度、オレと勝負しようぜ。オレも、馬術には心得があってな」
「ええ……そうでしょうね。傭兵で、こんな土地まで来るのなら……馬の乗り方が上手でなければ……」
素直な青年は、寡黙すぎる上司の異変に気がつけない。そんなものさ。異変ってのは、日常に紛れ込ませると、意外と気がつけないもんだ。オレとの会話に気を取られているから、彼は先ほど自分を打ち負かしたライバルがレイチェルのご褒美をもらっていることに気づけない。
……ご褒美っていうのは、軽いキスとか勝者を讃える抱擁なんかじゃない。ただの皮肉ってもんでね。本当は、レイチェルの長い腕は、毒蛇のような鋭さで若い兵士の首に絡みついているんだよ。
頸動脈に腕で正確な圧を与えてやりながら、覆い被さるようにして青年の上半身を前に倒させて、腹のなかにある空気さえも抜いてやるんだよ。ああすれば、長い気絶になる。手加減しなければ死ぬことにもなるがな。
『人魚』の身体能力は、平均的な人間族のそれをはるかに超越している。腕力任せに首の骨の関節を外しながらへし折るぐらいのことは、レイチェル・ミルラは目を閉じたままだってやれるんだ。
オレが仕込んだからな。接近戦の殺しの技巧など知らなかった、復讐の狂気に囚われたあわれな未亡人に対して、殺し専用の体術を教えたのは、ガルフじゃなくてオレだった。
ガルフはその頃はミアに技巧を継承するので必死だったからでもあるし、年寄りのガルフの筋力では、いくらなんでも『人魚』の腕力とじゃれ合うことも辛かったのさ。誰よりも知っているさ、レイチェル・ミルラのサブミッションの威力はな。
果実みたいな甘い香りをカンジながら、窒息させられることになる。それでいい。レイチェル・ミルラの思し召しを、たっぷりと受け取ってやるといいさ。勝利したご褒美に、『人魚』の腕のなかで失神するがいい……。
敗者の黒い馬の乗り手には、『ゴースト・アヴェンジャー』が音も立てずに接近していた。視野の広い馬にさえも気づかれることなく、キュレネイ・ザトーは行動する。
馬の骨盤に脚力を使って跳び乗ると、若い兵士が異変に気づくよりも先に仕掛けていたよ。キュレネイ・ザトーの技巧が、若い男の首を襲う。
体術でも良かったハズだが、ワイヤーを使っている……より確実に失神させるためだ。あの男の首はそれなりに太いからな。
……ああ、ちなみに、オレたちは兵士に対して気を使っているわけじゃない。馬がこの場から逃げ出さないように気を配っている。
キュレネイが黒い馬の乗り手を失神させた頃、ククルがやって来て、黒馬の手綱を確保する。そうしながら、キュレネイは失神させた男を馬から投げ落として、その手足を縄で縛り上げていく。
両手足を縛り上げた後で、口に猿ぐつわを噛ませた。そして、毒薬を使っていたよ。オレのナイフとは異なり、『風』属性の睡りの毒薬をたっぷりと嗅がせていたな。眠らせて行きながら、キュレネイはそいつの両脚に靴底を叩き込み、それらをへし折っていた。
痛みのせいだろうな。
一瞬、彼は目を覚ますが、『パンジャール猟兵団』が作った毒は、未熟者の彼を激痛から逃避させるように眠りの世界へと落下させていた。
「いい手際だ」
「フフフ。キュレネイ、こっちも頼みますわ」
「了解であります」
働き者のキュレネイは、素早くレイチェルのところへと向かい、失神している男を裁くへと引きずり降ろすようにして投げ飛ばしていた。レイチェルは、とっくの昔に『風』属性の毒を仕込んでいるのさ。
そいつは砂漠に叩きつけられても、眠ったままだった。呼吸を潰された直後の『風』属性の睡眠毒ってのは、やたらと効きが良いモンだからな。馬上から砂漠へと投げ飛ばされた時に、彼は利き腕である右の上腕骨を、九十度近くに折られていた。
整復してもらえなければ、一生使い物にならなくなるレベルの折れ方だが、そこまでは面倒見てやる必要はない。
「殺しはしないさ。彼らは若いからな」
「……っ」
「ああ。ムリだぜ。喋ろうとはしない方がいいぞ。舌まで痺れ始めているはずだ。ムリに喋ろうとすれば、麻痺した舌が絡まって、気道を封鎖して窒息死するぞ。そういうのは、つまらん死に方だろう」
「……」
舌の動きが止まっていた。彼だって犬死にすることを望んでいるわけじゃないのさ。
「キュレネイ」
「了解であります」
キュレネイが再び馬上の男を引きずり降ろしながらの見事な投げを使って、その勢いのまま砂漠へと叩きつけていた。叩きつけた後、持っていた彼の左腕をボキリとへし折っていたよ。腕に脚を絡めて、テコの原理を応用しながら簡単にポキッとへし折っていたのさ。
「……ヒヒン」
ベテラン兵士の乗っていた馬が、オレの耳元で心配そうに鼻を鳴らしていた。オレは彼の広い鼻がしらを撫でてやりながら、静かに言い聞かせてやる。
「悲しい声を出すな、馬よ。お前の乗り手は殺しはしない……砂漠に放置するだけだ。明日には、誰かが見つけて助けてくれるさ」
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