第四話 『ザシュガン砦の攻防』 その26
『メイガーロフ・ドワーフ』の温泉は、乳白色の濁り湯だった。壁は荒々しく削られた岩盤であり、風呂場の中央にあるのが大きな湯泉……湯泉の中央からはゴポゴポと泡が立っている。
「風呂の底から、湯が沸き出す仕組みか……ドワーフの建築技術ってのは、相も変わらず、とんでもないシロモノだな」
感動のあまり、自分しかいない場所で語ってしまっていたよ。何だか、そういう時って無いかな?……感動しちまうと、そいつを誰かと共有したくなる気持ちだよ。ああ、スケベな意味じゃなくて、仲間たちと同じ湯船に浸かりたかったもんだ。
今ごろ、猟兵女子たちは、この温泉に対して黄色い声を上げているんじゃないか?……ああ、独りぼっちでお風呂に入ることのさみしいことだな。
まあ……感動は入浴後に共有することにして、とりあえず湯船に体をつける前に、水洗いをしておこう。『メイガーロフ・ドワーフ』たちは、この濁り湯に敵の血が大量に混じってしまっても、もしかしたら気にしないかもしれない。
ドワーフの戦士ってのは、剛胆であればあるほどに賞賛されるトコロがあるからな。だが、オレは……温泉好きのガルーナ人としては、あの乳白色の濁り湯に、血の色を混ぜるような趣味はないんだよ。
周囲を見渡して、見つける。
そこにあるのは、蛇口とシャワー……さっきと同じように蛇口を開けば水が出るんだろうよ。
やはり、砂漠にしろ荒野にしろ。地下には豊富な水が存在しているようだ。
ここは標高が高い山脈の一部だからな。『内海』から来た雲がこの土地をわずかに湿らす。
そして、地下に水は染み入っていく……それが、もしも広大な土地で行われたら、どれだけの水量を確保することが出来るのだろうか?
山脈や高地は、膨大な水量をその地下に埋蔵しているということだ。
「……というわけで、気兼ねせずに水を使わせてもらうとしよう」
蛇口を捻ると、シャワーからドワーフのデザインらしい勢いで冷たい地下水が噴き出していた。激流の勢いだということさ。
苦笑しつつも、その冷たい地下水の滝に打たれる。頭を打撲するような衝撃と共に、霊水の激流がオレの返り血まみれの体を洗い流していく……。
何とも冷たい水だった。
凍えるような勢いで、オレの体温がガンガン削られていく。こんな水に三十分も浸かっていたら、寒さで意識を失ってしまうかもしれない。
ヒドい設計?
……いや。もしかすると、発想の転換があったのかもな。
『凍える前に、激流で体をキレイに洗い流してしまおう』。ドワーフ族らしい発想であると、納得することが出来るぜ。
つまり、このバカみたいな勢いで、冷たく凍える時間を減らすのだ……もしかすると、ゆっくりと冷えた水で体を洗い流しているよりは……寒い時間が少なく済むかもしれないじゃないか?
……ああ。蛮族の考えることなんてのは、ここらが限界じゃある。賢い人々の知恵を借りたいところだが、独りぼっちで入浴中でね。誰にも問いかけることが出来やしないのさ……。
滝みたいな勢いの冷水を浴びたオレは、すっかりと体が冷えていた。
肺腑に満ちた空気を吐くと、それが妙に温かく感じるんだ。
どうにも全身が冷えている……それでも、凍えた指で、頭皮をゴシゴシと洗い始めるのさ。
何のための冷水の滝か?
風呂に入る前に、体をキレイにするための行いだ。もしかしたら、ドワーフたちは違う発想でこの滝を使用しているのかもしれないが、あくまでもオレの中に存在している常識では、そうやった使うべきであった。
激流が毛根の間を冷やしてくれる。頭皮まで凍えていくな……頭が冷えると、思考が冴えてくるような気持ちになるものだが、この激流がもたらす低体温は、かえって蛮族の頭の回転を凍てつかせてしまうようだ。
「……どうにもこうにも、これ以上、冷えてしまうと……砂漠で風邪を引くことになりそうだ」
未知の土地で体調を崩すことは、死に直結することさえあるものだ。
砂漠は昼は暑いし、夜は寒いという、過酷な土地だ。こんな場所で、体力をムダに消耗していては、ガルーナの野蛮人だって風邪を引きかねん。
完全に血を洗い落とせたかは不明だが……今は、濁り湯を守ることよりも、自分の健康具合を気にするとしよう。
蛇口を捻り、冷たい滝を黙らせる。
「……ふう。まあ……暑さは消えちまって、これはこれでサッパリはするんだがな」
鼻から吸い込む湯気の混じった空気が、肺腑を温めていくのが分かる。寒い冬の日に、屋外の温泉に入っている時みたいな気持ちになれたよ。
濁り湯へと向かって歩き、オレはその乳白色の湯泉に脚をつけた。やはり、ドワーフ仕様と来たな。
かなりの高温だ。オレ好みではあるが、慣れぬ者なら湯あたりしてしまいそうだ。しかし、冷え切った体には、これがまた心地よい。冷えて縮まっていた血管が、ものスゴい勢いで拡張していくのが分かる。
血管がマッサージされているような感覚だ。
オレはそのマッサージを全身に浴びるために、濁り湯のなかへと傷だらけの体をつけていく。
冷えた体が高温のお湯でほぐされていくのが分かる。体が久しぶりの温泉を喜んでいるな。
この乳白色の濁り湯……硫黄の香りも、またいいし、湯船の底に沈殿している、柔らかな泥……コイツを肌に塗り込むと、肌がつるつるになる。
乳白色の温泉は、ヒトを少し融かすらしい。錬金術師は、その事実を発見して、『蛮族にでも分かる錬金術』にトピックスとしての記載していたぞ。
オレたちのような蛮族が、勉学に心が折れそうになったとき、そういった豆知識というエサによって好奇心をくすぐり、次のページをめくらせようって発想が、ああいう学術書には必要だ。
無味乾燥な知識の羅列よりも、温泉の成分が皮膚を融かして、だからこそ美肌の効果を生んでいるのだとか?……お肌ツルツルって、つまり皮膚が融けて、まろやかになっているんだぜ……という飲み屋で使えそうな知識があった方が、錬金術に興味が湧く……。
……いや、今はどうでもいい。
錬金術など、知ったことか。
「はああああ……っ」
温泉を楽しむための歌を、肺腑から吐き出していた。吐き出しながら体の緊張を抜いていき、白濁する湯に手足を伸ばしていく。
戦いで疲れた筋肉を温泉が癒やしてくれるようだ……そうだ。この温泉は、『霊泉』でもある。大地には、魔力の流れが強い場所がある。森羅万象に魔力は宿るからな。そんな場所に永らく存在した水には、魔力が伝えられている時があるのだ。
その魔力は、ヒトの体を強く癒やすことになる……ここは、温泉でありながらも、その『霊泉』の能力を有しているのだ。魔力の流れに鋭い感覚を有している者であれば、事実に気がつくだろう。
そして、体に『霊泉』の持つ魔力を、意図的に多く吸収させることも可能だ。そうすれば、ヒトのケガも、失われた魔力の損失も、回復が早まるんだよ。
「まったくもって……『メイガーロフ・ドワーフ』の温泉掘削の技巧は、素晴らしいの一言に尽きやがるぜ」
オレはそう言いながら、すべりやすい湯船の底に体を伸ばしていく。肩より上まで、濁り湯につかるのだ。
魔力を吸い取るため?……それもあるんだが、何だか、温泉に全身をつけたい願望ってのが、野蛮なるガルーナ人にはあるんだよな。
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