第三話 『イルカルラに熱き血は捧げられ……』 その27


『いっくよー!!』


「おう。飛べ、ゼファー!!」


『らじゃー!!』


 オレたちを背に乗せたゼファーは、空高くへと舞い上がる。いつもならば風が涼やかに感じられるものであるが、今日は熱風がより肌を強く焼くようだった。


 風が孕む熱がある程度以上高くなってしまうと、こんなものなのさ。ウールのマントを身につけていて良かったよ。これほどに熱い砂塵を、その全身に被ることは辛いからな。


 これほど茶色く、そして熱い空は経験がない。昼を越えて熱さの盛りを迎えた今、空は焦げる熱砂の呪いにでも包まれているようだ。


 砂塵が舞い踊る空は、竜の翼に重たげに絡んでくる。


 しかし。ゼファーは、その大きな負荷を喜んでいるけどな。この『メイガーロフ』の厄介な空と戦っているんだよ。それは、竜の本能を充たしてくれる行いなんだ。


 空においての霊長でなければ、この偉大な支配者種族は納得することがない。空が反抗的なら?……むしろ、やる気に満ちて、翼で空を叩き伏せるというわけさ。


 だからこそ。


 竜と共に生きるストラウスの竜騎士は、その黒い首根っこを撫でてやりながら、金色の瞳を細めるゼファーに語りかけるのさ。


「……いい空だな、ゼファー。掌握しろ。砂塵に邪魔されるトレーニングをこなせば、お前は今までよりも早く空を飛べるようになる」


『うん!……るるーしろあも、ちかいうちにやってくるもん!!』


 そうだ。ルルーシロア。あの美しき北海の白き竜も、故郷の海の中で体に負ってしまった傷を治しているのだろうさ。


 傷が治る頃には、さらなる力を獲得しているよ。竜っていうのは、そういう存在なのだから……ルルーシロアとの戦いに備えて、ゼファーも血を踊らせているさ。もちろん、あっちも同じだろうがな。


 熱砂を貫きながら、ゼファーはオレの魔眼と共有した視覚を用いて、蛇神『ヴァールティーン』の神殿へと向かう。


 すぐに見えて来たさ。『イルカルラ血盟団』は遠くまで逃げる余力が無かったのだろうからな。


 砂漠からは、幾つもの巨岩が突き出している。いや、それは正確には岩盤そのものだろうな。岩となって崩れる前の、大地深くにある、とんでもなく巨大な岩石の集合体のことさ。


 ドワーフたちでなければ、ああいう岩盤を削ることには、大きな体力的な消耗をもたらすもんだよ。山みたいに巨大な岩だからな……。


 だが、大いなる時間を捧げることが許されたのならば、雨風によっても削り取られてしまうらしいな。


「……大地が削られて、本来は地下にあったはずの岩盤が剥き出しになっているんですね」


 ククル・ストレガが語るよ。オレと同じコトを考えていてくれた。そいつが少し、いや、かなり誇らしくもある。オレの知識量も、あんまり少なすぎるわけではなさそうだ。


 酔っ払ったドワーフから聞いたハナシも、たまにはタメになるもんだよ。酒場ってのは、やっぱり情報の宝庫ではあるし、酒のついでに伝説を共有し合える素敵な空間ってことさ。


 ……だから、大好きだよ。


 オレの脚の間にいる妹分は、砂風から目を守るために、右腕を使って両目の盾にしている。そうしながらも、地上を賢い黒い瞳で観察しているのさ。


「……あの巨大な岩盤を、隠れ蓑にしたわけですね」


「イエス。遠くから見れば、砂の海と、あの岩盤たちは同じ色。しかも……ここは盆地であります」


「低い土地なんすか……?」


「イエス。だから、遠くから見ても目立たないのであります」


 穴に低く身を隠しながら、色合いが周囲と同じと来た。ガルフ・コルテスが聞けば、ニヤリとしそうなぐらい、いい隠し砦の条件だ。


 ……実際なハナシ、そこにあるのは『砦』という軍事施設ではなく、蛇神の化身である巨大なコブラを祀った大規模な神殿だ。


 岩盤の崖というかね、岩盤の裂け目みたいな場所の側面に、蛇神の巨大なる石像が彫られている。大きなもんだよ。この乾いた土地で、アレだけの芸術を実行するのには、一体どれだけの労力を費やすことになるというのか……。


 かなり疲れるってことしか、想像してやることは出来ないな。痛みってのは、固有の感覚だ。当事者の苦しみを理解する……なんてことは、どうやっても出来やしないものなのさ。


 だから、痛みがあるヤツは、誰にも気兼ねすることなく、痛いって叫ぶべきなんだってことを、最近のオレはようやく理解している。昔は、生粋のガルーナの野蛮人だった頃には、そんなにやさしくなかったよな。


 自分の苦しみも。


 他人の苦しみも。


 それに折れてしまいそうになることを、惨めな敗北だと考えていたんだよ。ガルーナ人の文化ってのは、戦士過ぎるところもあるんだ。そいつのおかげで、戦場では苦労しない。戦いに対しての怖さってのは、他の国の人々よりは希薄らしいよ、ガルーナ人はな。


 それだからこそ、滅びてしまったのかもしれない。


 勇猛果敢なストラウスの竜騎士の戦術たちは、今のオレからすれば、あまりにも攻撃的過ぎる。それを良しとした軍事哲学なのだから、しょうがないし……命を惜しまなかったからこそ、大胆かつ強力な戦士たちでもあったわけだが……。


 ……ガルフ・コルテスみたいな、新たな価値観を吹き込んでくれる、テキトーな風がガルーナに吹いていたら、オレには三匹のバカ兄貴どもの誰かぐらい、今でも生き残っていてくれているのだろうかな……。


 さみしげに渇いている、巨大なコブラの神像を見下ろしていると、ものの哀れってものに触れてしまうのか。さみしい気持ちになって、死者たちのことを思うのだ。


 どうしてやることも、今さら出来ないというのだがな。


 もしも……そんな残酷な希望を、心に妄想させてしまうほどには、この渇いた砂漠にはもの悲しい滅びの気配が漂っていた。


 砂塵を帯びた風は、岩盤の亀裂を吹き抜けながら、古びた者の歌へと変わる。うなりに曲がった、砂臭い哀歌だよ。


 ……今、この瞬間にも滅びは進んでいる。砂混じりの風は、よくあの岩盤を削って行くのだろうよ。岩盤の裂け目たちは、月影が似合いそうなギザギザになっていて、まるで傷口のように痛々しい。


 皮肉なことに、同じく滅びと衰退の属性を帯びた砂漠の戦士たちも、この亀裂の住人として、あまりにも適合しているように見えた。


 見下ろした砂の世界には、ウールのマントに身を包んだ、巨人族の戦士たちと……彼らの子息なのだろうな。子供たちが、遠くの街か、あるいは近くの小さな集落から、水や食料を運んでいる。


 蟻の行列のように、か細くて、そして懸命さを感じさせる行列だ。戦士たちの多くは疲れ果てているし、体中、古傷だらけだ。まあ、新鮮な傷も少なくはないだろう。長年の反・帝国活動も、終焉の段階に入ってしまっているようだな。


 ……父親だか、年の離れた兄貴だかに、楽しげにまとわりついている小さなガキたちもいたよ。幼さは無邪気すぎる。滅びの定めを理解させることは、あの幼さには酷だろう。だが、大人の戦士たちの悲壮に宿る気配は、9年前のオレに通ずるモノがある。


 特攻。


 彼らはその覚悟を決めているのだろう。だから、ときおり、邪魔くさいはずの故郷の砂を、戦士の血に穢れた手ですくう。その砂に祈りを捧げている。親愛もだろう。


 ガルーナ人が風車に抱くような親しみを、彼らはこの砂に持っているのさ。砂を握りしめてすくい上げ、指で弄びながら風に乗せる。


 もの悲しい戦士の瞳は、希望ではなく―――絶望を怒りの力に変えて、戦うだろう。希望なき瞳だ。彼らは、自分の子息たちを生き延びさせるプランを用意してくれているのだろうか?


 ……特攻の期日になれば、富豪が戦災孤児となる定めの幼子たちを、ラクダだとか馬の背中に乗せてやるのか?


 そうして、この風に刻まれ、あちこちがほころんでしまっている蛇神の宮殿から、涼やかな日陰と、温かいスープが待つ家庭的な空間に連れ去ってくれるというのだろうか……?


 そうであれば、いいのだがな。


 そうでない場合もあるんだ。


 知っているさ。何度か、立ち会ってしまたから。


 場合にもよるけれど、特攻を決めた連中には、時々、一族を殺して戦場に向かう者たちがいる。価値観の違い、哲学の違い、つまりは『正義』の違い。その集団にとっては、一族の女子供さえも死の旅路への供にすることさえも、正しいって場合もあるんだ。


 『正義』ってのはね、悪よりも厳格なんだよ。


 妥協ってものを許さない。


 あの無邪気に砂を蹴り、親父の背中に飛びつくガキどもが、そんな『正義』の犠牲になるのだけはゴメンだな……。




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