『不帰の砂漠イルカルラ』

序章 『ベイゼンハウドの休日。』 その1


 ……イエスズメの歌が聞こえて、オレは懐かしい気持ちに包まれながら目を覚ましていた。眠りの世界から浮上して、イエスズメたちの歌に、故郷のそれに似た旋律を楽しむ。


 鳥も歌を学ぶようで、歌をその土地で伝えていくのだ。血に宿る歌など存在せず、歌は経験により伝承されている……右腕のなかで、すやすやとした寝息を立ているロロカ・シャーネルから教わった事実だった。


 まあ、ロロカ先生も鳥を研究する学者の記した本を読んで得た知識であり、彼女がイエスズメの歌の研究に十数年を捧げることで得たものではないんだけどね。知識もまた歌のように、ヒトからヒトへと伝わっていくものである。


 ……まあ。


 記憶ってのは不鮮明なものだ。イエスズメの歌に感じる懐かしさが、本当にガルーナ・イエスズメの歌とそっくりなのかは自信が無い。故郷が比較的近くにあるという事実が、オレの感性を歪めているのかもしれないけどな……。


 目覚めたばかりで、そんな考察をしていると……オレの体はわずかに動いていたのかもしれない。ロロカ先生の寝息が止まり、ゆっくりと彼女の青い瞳が開かれていく。


「……おはよう、ロロカ」


「……はい、おはようございまーす、ソルジェさん……っ」


 ふわあ、と小さなあくびを手で隠しながら、ロロカ先生は毛布のなかをモゾモゾと動いて、あの大きな胸をオレの胴体に当ててくる。昨夜の続きがしたいという願望なのかと、とてもスケベな気持ちにエロ笑いを浮かべそうにもなるが―――事実は少し違う。


 姉貴に折れた細剣を突き立てられた右の前腕、そこに体重がかからないようにと気を使ってくれている。ロロカ先生には、あの凶器みたいなおっぱいをスケベな武器として使うつもりなんて無いのさ。


「あ、あの。傷に体重かかっていませんでしたか?」


「いや。大丈夫だったよ」


「そうですかー。良かったですー」


 安堵の息を吐きながら、ロロカ先生の顔が赤くなっていく。オレに自分から抱きついたことに照れているらしい。


「す、すみません。朝から、くっついちゃって……はしたないですよね……?」


「はしたなくはないさ。オレの傷を思っての行動だし、そもそも夫婦がベッタリと抱き合うのは自然なことだし?」


「そ、それはそうですけど……っ」


「照れる君も可愛いよ、オレのロロカ」


「そ、ソルジェさん……っ。朝から、口説かないでください……っ」


 ロロカ先生はそうつぶやきながら、赤くなった自分の頬を両手でパシパシと叩いていた。朝から昨夜の続きをするのも良さそうだが、ミアが飛び込んでくるタイミングが近づいているかもしれないから注意が必要だ。


 ミアと一緒にカーリーも飛び込んでくるかもしれない。両者には見せていけない状況というものがあるしな。クライアントから預かった子に、夫婦の愛し合っている姿なんて見せるとかマズすぎる。照れるロロカ先生の首筋にキスするだけにしておこう。


 彼女の首筋に唇を当てながら、金色の髪に鼻を埋めたりしたよ。照れて赤くなっている耳を見つけて、舐めてみようかと考えてみたりする……。


「……そ、そういえば」


「……ん?」


「リエルは、もう起きたのですか?」


「ああ。オレが起きたときには、もういなかった。ゼファーのトコロに新しい秘薬を塗りに行ってくれているのだろう」


 『マージェ』らしいな。毎日、薬を塗り込まなくても、竜であるゼファーの傷はすぐに完治するハズなんだが……ちょっとでも、ゼファーの傷の治りを早めたいのさ。起こしてくれたなら、オレもついて行ったハズだが、睡眠不足気味のオレに気を使ってくれたのさ。


「……ゼファーは、どれぐらいで飛べるようになりますか?」


 姉貴との戦いの夜から二晩が過ぎている。ジーンたち海賊と酒盛りしたり、ジグムントと一緒にマジメな会議に顔を出したりと、色々と忙しい時間が過ぎている……しかし、その間をゼファーは休息に費やしている。


 エサは海賊たちが捕らえてくれたクジラがあるから、アレを貪ることで栄養は十分だった。


「……たぶん、もう飛ぼうとすれば飛べるさ。明日か、明後日ぐらいには治るだろう。リエルの秘薬も効き目が良くなっている……オレの右腕も、動かしてもちょっと痛いだけぐらいのものさ」


「そうですか、それは良かったです……って、そ、ソルジェさん……っ」


 動くようになった右腕をロロカ先生のすべすべした背中に回して、彼女のことを抱き寄せる。ヨメといちゃつきたいのさ。


 まあ、少女たちが来たら止めるけど。少女たちが寝坊するかもしれないし……ロロカ先生がその気になってくれるなら……ロロカは青い瞳をとろんとさせて、オレを見ている。彼女がさせてくれるつもりだというのなら、朝から一度―――?


 コンコン!


「……邪魔が入ったな」


「……ふ、フクロウさんが来てますね……っ」


 ちょっと声を裏返しながら、ロロカ先生はそう言った。なんかその気になっていたというのに……まあ、仕事じゃしょうがない。オレは抱き寄せたロロカを仰向けに寝かせながら、彼女の体から腕を抜いた。


 ベッドから下りて、フクロウがくちばしで叩いた窓に近づいていく。港近くの宿屋の窓の先には、街路樹にとまっている働き者のフクロウの姿が見えた。


 そうだ。オレたち『パンジャール猟兵団』は港近くの宿屋を借りている、『岸壁城』に国外勢力の戦士が宿泊するのはマズいからな。ジグムントはそんなことを考えないだろうが、そう考える北天騎士もいるさ……。


 政治的方針でもめないために。そして、帝国人が排除されたせいで、今後、経済的な損がかさみそうな宿屋に対して、銭を落とすためでもあるよ。


 なかなか細かな気の使い方だな。ああ、ルード・スパイである、アイリス・パナージュお姉さんの入れ知恵なのさ。


 『ベイゼンハウド』は帝国の支配をはね除けた状態ではあるが、不安定な状況下だ。対立を煽ることは避けるべきだし、帝国人との商売が無くなり、損をする商人たちにも仕事を与えて、『自由同盟』のイメージを良く保つべきだと教わったからね。


 ……『バガボンド』の戦士たちは、『アルニム』と『ガロアス』、そして、この『ノブレズ』に分かれ、それぞれの土地の宿に泊まっている。帝国人商人たちが常用していた宿にね。彼らの仕事を奪うと、文句を言い出すかもしれないからだ。


 商売人には利益を握らすことで、黙らせる。帝国の属国と化す前は、ほとんど鎖国していたような状態であった『ベイゼンハウド』において、『宿屋』という産業は帝国人商人という『外』からの存在で大きな発展を遂げた職種だ。


 帝国人が消えた今となっては、その商いは破綻するだろう―――そうなれば大勢が文句を言い出すかもしれない。『バガボンド』という特需がいるあいだに、宿屋たちは最後の一稼ぎをしながら、今後の選択を決める。


 悲しいコトに、『バガボンド』が去ると同時に閉店する宿屋も出て来るさ。


 ……帝国の経済圏と、『ベイゼンハウド』は切り離されたのだ。その損害は大きい……オレたちは少しでも、そんな宿屋たちに金を落としてやるべきなのだ。『時間稼ぎ』をしている、微力ながらでもな……。


 ロロカ先生や、ジーンたち『アリューバ海賊騎士団』が『ベイゼンハウド』の経済を『自由同盟』の経済システムに付け替える作業をしている。それは時間がかかる行為ではあるんだよ、商業活動は誰もが得をするようには出来ていないからな。


 ……『ベイゼンハウド』は、貧しい。


 この貧困をどうにかすることも、ジグムントたちの背負った新たな使命の一つだよ。ともかく、ケガ人であり、竜太刀を振り回せないオレがやれるサポートは、各都市の宿屋に外貨を落とさせることだけぐらいだった。


 さてと。


 今はあの働き者のフクロウを窓のなかに入れてやるとしよう。窓を開けると、その白いフクロウはすぐさまに枝を蹴って飛び立ち、この部屋の中へと侵入してくる。


 相変わらず、このフクロウは赤毛の髪に興味あるらしく、その鋭い爪でオレの頭を狙ってくるが、直前で身を屈めて回避するのさ。


『くええ……っ!』


 不満げに鳴かれても困るぜ。毎度、頭皮に爪なんぞ立てられてたまるかものか。


 室内をバサバサと羽ばたきながら飛んだ後で、白いフクロウはテーブルの上にちょこんと着地していたよ。


 ロロカ先生が、毛布を体にかぶったままフクロウに近づき、暗号文が入っているハズの脚輪を外してやった。


 白フクロウは仕事が終わったと分かり、野ねずみでも捕まえて朝食にするつもりか……あるいは夜通し飛んで疲れた翼を休めるために、首を振りながらどこかの梢にとまって寝るためか。


 オレをチラリと恨めしそうな横目で見た後で、開け放たれたままの窓から外へと飛び出していったよ。フクロウの着陸場所として、ストラウスさん家の頭が優れている理由なんて、ひとつも無いと考えているのだがな……。



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