第六話 『北天の騎士と幻の竜』 その17


「……負けちゃった…………っ」


 夜風に掻き消されそうなほどに弱々しく、カーリー・ヴァシュヌの声がつぶやかれていた。勝つ気でいたのだろう。あの蹴りは、おそらく彼女にとって最高の攻撃だった。だが、ジグムントには及ばなかった……そのことが口惜しい。


 うなだれたカーリーの瞳から、涙がボロボロとこぼれ落ちていく。


「カーリーちゃん……っ」


 ミアがカーリーに近寄ろうとしたが、その役目を果たすべき人物はとっくの昔にカーリーのそばにいた。ジグムントの大きな手が、カーリーの頭を撫でてやる。


「……いい技だったぞ」


「……でも、ぜんぜん、届かなかった……ッ」


「それはオレの実力というよりもなぁ、経験の差から来るものだ」


「経験……?」


「ああ。オレは、さっきのアレと同じ攻撃を見たコトがあるんだ」


「そ、そんな……わらわの、オリジナルだったのに……?」


「自分だけの技というものは、無いものさ。いつかどこかで、誰かがやっていたりする。オレは、さっきの蹴りを見たコトがあるから、止められただけだ―――見たことがなかったら、もらっていただろう」


 そうだろうな。若い反射神経ならば、あの攻撃を初見でも防ぐことがあるかもしれないが……今のジグムントの年齢では、どうしたってキツいのさ。さっきの戦いは、実のところカーリーが勝つ確率も少なからず存在していた。


 カーリーは全く歯が立たなかったように感じているかもしれないが、そうでもない。あと数年先には……間違いなく、カーリー・ヴァシュヌはジグムント・ラーズウェルを超えるだろう。ジグムントは、全盛期ではないからな……。


 大いなる才能を秘めた『チビ虎』は、『ベイゼンハウドの剣聖』に抱き寄せられて、彼の鎧に額を押し当てながら悔し涙を流していた。


「……おじうええ……っ」


「なんだ、カーリーよ?」


「……わらわの、おりじなるじゃなかったやつ……っ。ほかの、だれが、やってたの……っ!!」


 ……そのことに腹を立てているのか。シアンもやっていたと教えてやれば、喜ぶだろうか?……いや、今は止めておこう。今は、オレたちの時間じゃないんだ。カーリーの元に行こうとして、ミアも止めている。あの二人の『虎』の時間だからな。邪魔しちゃいけない。


 ……ジグムントは苦笑していた。


「……そう怒るな」


「……うん。でも……誰が、やったのか、気になる……っ。だから、教えて……そいつとも戦って、わらわは勝つんだ……っ」


「それは、もう出来ない」


「……どうして?」


「12年前に、死んでいるからだよ」


「……え。12年前…………」


「ああ。我が妻である、ユヴァリ・ヴァシュヌさ」


「……っ!!」


「彼女も、『十七世呪法大虎』殿の娘……孫であるお前と同じように、彼と彼の高弟たちから手ほどきを受けて育った。オレと手合わせした時も、アレを喰らいそうになってなぁ……いや、というか。いい一撃をもらったよ。負けそうになったが、若かったから、耐えられた」


「―――も……同じ技を出したの?」


「ああ。もう少し、手足が長くなった頃にだがなぁ。須弥山の女戦士は、足技も得意になるらしい……アレほどの技は、そう多くの者が出せないだろうが」


「……そうなんだ。そうなんだ!……うれしい!!とても、うれしいわ……なんだか、とても、うれしい……っ」


 一つの流派が行き着く、最良の形というのは何処か似てくるものなのだろう。まして、『親族』だしな。師匠も『十七世呪法大虎』と同じとくれば、同じ技巧に辿り着くのも必然ではある。


 カーリーは大喜びしている。彼女の大きな瞳からは涙は今も流れているが、その由来となる意味は全く違うものになっていたよ。


 そして。


 喜んでいるのは、ジグムントも同じだったようだ。それはそうだろうな。戦いの技巧、色っぽくはないが、剣士として生きている者からすれば、何とも心に響くものだ。


 ジグムントは、愛する者の魂を北天の空に探す。彼女と同じ青い色の瞳で。その口元は、戦の前であるというのに、とても安らぎ穏やかな笑みを浮かべていた。


 冴えて澄み渡る北天の空には、無数の星がきらめいている。星を探した後で、男の瞳は足下にいる少女へと戻ったよ。


「……ありがとう、カーリー。12年ぶりに、ユヴァリに会わせてくれて……」


「…………うん。私も、初めて……会えたような気がするの」


「……そうか」


「……はい。そうなんです。初めて……会えた。だから、とても……とても嬉しいの。わらわたちは、つながっていたって、何だか分かって……あのね、説明するのが、とても難しいのですが……とても、とても……幸せな気持ちなの!」


 笑顔になった少女の瞳は、星よりも輝いたよ。だから、ジグムント・ラーズウェルも大きな口でニヤリと笑う。フーレンの牙を見せるような、野性味たっぷりさでな。


 そして、カーリーのことを抱き上げていた。高い高いさ。


 ……カーリーは、顔を真っ赤にしている。水色のリボンが巻かれた金色の尻尾も、恥ずかしそうに、くるりと曲がっていたよ。


「……は、はずかしいです……っ」


「スマンなぁ。イヤか?」


「……い、いいえ。ただ、ちょっと照れるんです……」


「……そうか。なら、少しだけこうしていてもいいか?……オレが、子供にしてやりたかったことだからなぁ……」


「……は、はい……そ、そうでしたら。あ、あと15秒だけ……」


「15秒かよ?」


「そ、それ以上は、恥ずかしくて……ちょっと、耐えられないですからぁ……」


「ハハハハ!そうか、お前も、もう12才だもんなぁ……」


「はい。わらわは、もう12才なんですから……」


 15秒にしては長い時間が過ぎて、ジグムントはゆっくりと彼女のことを甲板に戻していた。カーリーは恥ずかしそうな、少し残念そうなという実に子供らしい態度をしていたのさ―――。


「―――な、なあ、サー・ストラウス?」


「ん?」


 微笑ましい時間の余波を浴びながら、ニコニコしているストラウス兄妹の前に、ジーロウの巨体が現れていた。


「おー。ジーロウちゃんのお腹、久しぶり」


 ミアはジーロウの腹に敬礼して挨拶していたよ。よく育っているもんな。


「お腹触っていい?」


「戦いの前だから、今度にしてくれるかい?」


「ラジャー。戦いの後は、つつきまくるね!」


「……まあ、それは別にいいんだけど……」


 ジーロウは引きつった顔をオレの顔面に近づけてくる。むさ苦しいが、まあ許してやろう。


「……あのさ。あのフーレン族のヒトってさ……ユヴァリさまの旦那なワケだよな?」


「そうらしいぞ。お前の方が詳しいんじゃないのか、須弥山育ちよ」


「……ま、まあ、少しは知っているというか何というか……でも、それって、つまり……えーと、言っていいのか、コレ?……あの子とジグムント・ラーズウェルは―――って、痛タタタタっ!?」


 ボリューム感あふれるタイプの頬肉が、ビヨーンと勢いよく引き延ばされていた。ジーロウの『上官』である、アイリス・パナージュお姉さんの指が、ヤツの太った頬肉を痛めつけていた。


「痛い、痛いってば、アイリスさん!?」


「はいはい。こっちに来なさい。空気を読むの。色々とややこしい政治的な事情とか、あるんだからね。考えなさい。アンタ、ルードのスパイ候補なのよ?」


 ジーロウ・カーンはルード・スパイか。『ルードの狐』の部下として、長くシビアな生活させられるのだろうか?……大変そうだな。


「……痛いってば!!なら、口で言えばいいじゃないかよ!?」


「言葉にしたら、ややこしいことがあるのよ。それに、口で言うよりも、手の方が速く動くし、確実なときもあるでしょ?」


「……パワハラだ」


「あら。亡命を受け入れてあげたのは、事実上、私よね、ジーロウ?」


「……は、はい。『アイリスさんは、オレの恩人。若くて美しく賢い女性です』……」


 パワハラだ。部下にあんなことを言うように仕込むのか?……ルード・スパイって怖いぜ。アイリス・パナージュお姉さんは、とても喜んでいた。


「よろしい。今後も、素直かつ従順であるように」


「イエス・サー……っ」


 ジーロウの悲しい就業スタイルを目撃して、ちょっと愉快な気持ちになってしまったな。だが、ジグムントとカーリーは二人して見つめ合いながらニヤニヤしていた。さすがにそっくりな顔でな。


 その様子をミアがうらやましそうにして眺めているから、オレはミアの前に立ち膝を折ってしゃがむのさ。ミアはピョンと背中に飛び乗り、そのままお兄ちゃんと肩車モードに移行するんだよ。




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