第四話 『パシィ・イバルの氷剣』 その12


 その扉は黒かった。オレの好きな色だ。ゼファーとアーレスの色だから。しかし、この黒い扉は分厚く、オレに対して閉鎖的である。


 拒絶の意志を現すように強く閉じられた扉のあいだに、『呪い追い/トラッカー』が見せてくれる呪いの赤い『糸』が差し込んでいたよ。


 その場にしゃがみ込む。『風』の質を帯びた油のおかげで、『竜鱗の鎧』は獲物に忍び寄る悪蛇のように無音だった。


 ……オレは『突入』を選択しているのさ。ジャンの力でこの扉を破壊しようと考えている。何故か?……この空間自体が病院内からも隔絶させている場所だからである。


 どんなに暴れようが、どんなに大きな音で戦いを繰り広げようとも……誰にも悟られることはない。見張りは排除し終わってもいるからな。


 目指すべきは作戦時間の短縮だ。忍び寄るよりも、圧倒的な速度と力で打ち崩してやろうと考えている。


 目標の気配は二つ。赤い糸が導く『呪いそのもの』。そして、その呪いの前にいる気配の持ち主―――帝国軍のスパイだか、もしかすれば『ゴルゴホ』の人物。何であれ、殺す。


 情報を獲得し、その人物も呪いも破壊する。


 ……室内は、かなり広いようなことは分かっている。呪いまでの距離はまっすぐで、50メートルはあるからな。魔力の気配も、その呪いの近くにある。隠れる場所は少ないだろうし、コソコソしていては時間が勿体ない。


 3対1と呪い……3対2かな?……とにかく、攻撃能力の高いオレとジャンが突撃して、ピアノの旦那が退路を防げばそれで良いのだ。


 手の指をそろえて、ジャンに合図した。突入しろ。その命令を受けたジャンは、その体を4メートルの大きさに変化させると同時に、矢のような速さとなって駆け始めていた。


 鼻先で分厚い木の扉を破壊する!!


 吹き飛ばされた扉がくるくると、その広大な地下空間の宙を舞っていた。オレはジャンの隣を駆け抜けて、ターゲット目掛けて駆けていく。


「誰だッ!?」


 ターゲットの一つが叫んでいた。ロープを着た男だった。いかにも魔術師だとか錬金術師の様相を示している……『ゴルゴホ』だろうか?それともスパイなのだろうか?考えても判別はつきそうにない。


 ヤツは剣を抜きやがった。ローブを身にまとった、茶色い髪の男だ。頬には刀傷が走っているが、そういう医者もいるかもしれない。


 職業を予想する根拠にはならないな。旅する『ゴルゴホ』どもが、武術を極めていたり、野盗との戦に傷ついていても不思議はないだろうから。


 決めつけないことが推理を円滑に行うときのコツだろう。柔軟な思考と幅広い視野で環境を探る―――そう、見えてはいる。剣を構えている男と、その背後にある呪いのカタマリ。


 呪いのカタマリは、一種の球根のようにも見えた。その肉質は……ああ、そうだな。樹皮や植物の根っこというよりは、動物の肉やら内臓っぽい。血なのかは分からないが、轟としていそうな粘着質の赤い液をまとっている。


 ……この空間は、薬の臭いが強かった。あちこちに大きなランプがあるおかげで、広大な場所は闇に沈んではいない…………得体の知れないものが、あちこちにあった。何というべきだろうか。そうだな、日用品でほど近いのは、バスタブかな。


 風呂に入るときにつかう、あのバスタブ。お湯を入れて、体をつけるための道具に似ているし、実際、そのなかに人体は入っている。


 湯ではなく、赤い液体に満たされているのだがね……それにリラックスしているわけじゃなくて、永眠しているのだが。


 数十体の死体が、何やら怪しげな金属の棒なんかに串刺しにされたまま、バスタブにつかっている。その串刺しにされた棒の先端からは、鎖が長く伸びているんだよ。錆びているのか赤くなった鎖どもがね。


 鎖は宙を不気味に走り、あの巨大な肉塊である『呪い』へと接続されているな。『呪い』にも金属の棒が突き刺さっていて、その棒と鎖は連結している。


 呪いについては、ほとんどシロウトなのだが。このローブを着込んだ『スカーフェイス/傷顔野郎』は、亜人種の北天騎士たちの死体と、あの巨大で醜い肉のカタマリを繋いでいるようだ。


 ……生け贄にしていたのだろうか?……いや、死者となった北天騎士たちをも、道具として利用している?……分からんね。理解したくもない、狂気の産物でしかない。子供たちを連れて来なくて良かったよ。


 こんな不気味で邪悪な呪いを破壊するための戦いは、『十八世呪法大虎/カーリー・ヴァシュヌ』ちゃんには、まだ早すぎる!!……世界の裏側に潜む闇の味を知り尽くす、魔王サンに……今夜は任せておけよ!!


「……北天騎士たちの遺体を穢しやがってよ……ッ!!死にやがれええええええええええええええええッッッ!!!」


 ザクロアの騎士たちの奥義を借りる。あまりにも怒りが強くてね。あのスカーフェイスのことを一秒でも早く殺してやりたいのさ!!


 疾走しながら翡翠色の『風』を抜き放った竜太刀に集めていく。呪いの鋼の一種であろう、赤い鎖どもがガキンガキンと揺さぶられていく。『ベイゼンハウド』の英雄である北天騎士たちの死を穢す、邪悪な鋼どもがな。


 怒る『風』が竜太刀を翡翠の輝きに染めている。オレは……怒りのままに容赦することなく、そのスカーフェイスに目掛けて、激しい殺意の暴風を放つのみだ!!


「『魔剣』、『ストーム・ブリンガー』ああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」


 翡翠の一閃がこの邪悪な呪いの地下空間を両断していた!!天井も床も斬り裂きながら、我らと同じ北方の騎士道が到達した奥義の一つが暴れて狂う!!


 ―――壊してしまえッッッ!!!


 気高きアーレスの怒りの形相が、鋼のなかからそう叫ぶのが分かる。そうだ。ぶっ壊してしまえばいい!!


 我らの騎士道をどこまでも愚弄する、この邪悪な罪の空間を……その呪術に関わっていたであろう、あのスカーフェイス野郎も!!


「裂かれて消えやがれえええええええええええええええええええええええええええええええええッッッ!!!」


「ひ、ひいいいい―――――」


 ザギュシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!


 翡翠の風刃が、スカーフェイスの体を袈裟斬りに切断し、その背後にある邪悪な肉塊をも深々と斬り裂いていたよ。血潮が吹き上がっていた。スカーフェイスからもだし、あの肉塊からも―――あれは、まるで、動物のようである……。


 何を『召喚』したというのか……?


 ……あんなものに、ルルーシロアは呼べぬような気もするが、呪いのコトなどに理解はどうも及ばない。


 ルルーシロアが、こんなものに呼ばれて欲しくなどはないというのは、オレの願望にしか過ぎないものであろうが、そう考えてしまうことは竜騎士として正しいさ。


『……やりました、一刀両断です!!す、スパイも……あと、なにか、よく分からない不気味なモノも……』


「ジャン。敵を見張るぞ。『呪い追い/トラッカー』でもだ」


『は、はい!」


 立ち止まる。たしかに致命傷を与えたとは思うが、帝国スパイの生き意地の汚さは知っているからな。


 殺したぐらいでは安心することは出来ない。先ほど得たばかりの教訓だった。スカーフェイスは……その肉体を深々と断ち斬られているが、まだ意識があった。『ストーム・ブリンガー』で狙ったのは、どちらかと言えば、ヤツよりも奥の『呪い』だからか。


 致命傷だ。


 『ゴルゴホ』の蟲がいたとしても、体を上下に分断されては死ぬのだろうな。切断されたヤツの体の断面で、蟲がうごめいている。蟲も壊れているらしい。だが、延命しようと必死に、傷を縫い合わせようとしているのかもしれんな。


「……話せるか?」


「…………おまえ……なに、しやが……るんだ…………」


「帝国のスパイか?それとも、『ゴルゴホ』か?」


「…………あかげ…………それに……このつよさ…………おまえ……そるじぇ・すとらうす…………?」


「そうだ。帝国のスパイよ、何をしていた?……これは、何だ?……教えてくれたら、その蟲ごと、お前にトドメを刺してやってもいい。無意味に苦しむことは、お前にとって楽しいコトじゃないだろう?」


「…………ハハハハ…………ああ、そうだけどよ…………おしえられねえなぁ…………おれは……ギー・ウェルガーと……なかよかったんだぜえ…………」


「……分かったよ。気に入った。口を割らない男は、好きだぜ」


 そう言いながら、ヤツのそばに歩き、ヤツの体に竜太刀を叩き込み、蟲ごとスカーフェイスの命を消してやる。無意味な時間は不必要だ。呪術師かもしれない男を、長生きさせて得をすることはない。


 ……この邪悪な『呪い』に対して、何かの細工をするかもしれないからだ。


 オレは睨んでいる。


 『呪い追い/トラッカー』の、呪いの赤い糸は、まだ消えちゃいないからだよ。そこにある巨大な肉塊。豪快に真っ二つに斬り裂いたぐらいでは、死なないらしい。肉塊のなかで、何かがうごめいていた。白く見えたな……。


「ジャン」


『はい!!敵が、来ます!!』



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