第二話 『囚われの狐たち』 その23


 穴の上空で羽ばたくゼファー。その口が咥えてくれているロープを伝い、キュレネイを追いかけるように地上へと向かう。


 長く時間をかけるつもるはない。少々、大胆な行動も使うんだよ!……敵の拠点のただ中に、まっすぐ降りていく。竜がいなければあり得ない行動だ。敵サンたちは想定することは出来んよ、現状ではな。


 ロープに手袋とブーツをこすらせながら、『ベイゼンハウド』の大地に開いた風を噴き出す裂け目のなかに吸い込まれる。


 裂け目の内側はゴツゴツとしていたよ。崩落と風に削られて、その肌は粗い。植物が繁茂しているな……月や星の光を浴びて揺れる、小さな白い花や。岩盤にさえ根を張る逞しい雑草なんかが棲息している。


 ……『ベイゼンハウド』の生き物は、植物だって逞しいようだ。


 何故だか納得することが出来る。この土地では、命は強くしたたかでなければ存続することを許されないのだ。


 闇に堕ちる。


 ロープを滑り、篭手の内側にある魔獣の革で摩擦の音を奏でつつ、闇の底に……『隠し砦』の底へと到着していた。


 近くの壁にはキュレネイが背中をつけている。安全に隠れられる場所さ。オレは彼女のとなりに走り、身を死角に隠すと共に魔眼を押さえた。ゼファーに『上昇しろ』と伝えるのさ。ロープが上に向かう。視界からあっという間に消え去っていた。


 準備は完了していた。


 キュレネイの肩を叩き、オレに続けと合図を告げる。無言のままの連携がスタートする。キュレネイは戦術を理解し、ヒトの動きを読み取る能力に長けている。死角から飛び出したオレの後ろを無音でついて来てくれるのさ。


 ……この『隠し砦』は大きくはないからね。敵も人手不足気味のようだしな。帝国のスパイと『ゴルゴホ』は、セルゲイ・バシオンの海兵隊や正規軍とは疎遠そうだし、ジークハルト・ギーオルガも野心のために帝国のスパイたちを利用している様子だ。


 敵は一枚岩ではないようだな。


 三すくみとまでは言えないが、それぞれの目的と組織哲学は三者で異なっている。つけ込む隙はありそうだ―――そんなことを考えている内に、矢の入った木箱や鋼の錆を防止するためのオイルが入った壺なんかの隣りを駆け抜けていた。


 風洞を改造した、この『隠し砦』。


 その最も深い場所の部屋へと続くであろう扉に辿り着いた。そこにあるのは監獄の一種だ。監視用の鉄格子がついた窓が、扉に開いている。


 倉庫とは言え、軍事施設。宿舎と敵を閉じ込めておく場所ぐらいは造られているらしい。北側には宿舎があるのだろうな。この洞窟の北側にある扉は間隔が短く、十数人単位のベッドが並ぶ部屋があった……。


 戦力と物資を管理するための施設。そういう拠点なのだろうな、ここは。『北天騎士団』の戦略を学べている気がする。


 さてと……オレはその扉のとなりに背中をはり付ける。音を頼るのさ。この中にはあの大男がいるはずだ―――周りには見張りはいない。200メートル先の入り口に兵士たちが集まっているだけ。


 ……人払いをしている。スパイが尋問している環境としては、納得が行くな。耳をすます……野太い声が聞こえてきたな。低いが、知性を感じさせる声だった。


「―――いい加減、吐いたらどうだい?……ルードの『狐』と呼ばれるのは、アンタのことかな、エド・クレイトン?」


 ……正解らしい。エド・クレイトンは捕まっていた。彼の予定通りではある、捕まって偽の情報を渡そうとしている。


「……ボクは……ルードのスパイなんかじゃない。帝国人だよ……帝国人として、生まれた記録があるだろう?……納税記録だって、取り寄せてみろよ。アメイローゼの城下で生まれてる。靴職人のクレイトンの三男坊さ」


「ふむ。たしかに、アンタの持っていた書類によると、そうなのだろう。よく偽造されている……というか、おそらく本物なのだろう」


「……本物なら、疑いは解けているんじゃないか?」


「アンタの造り上げた虚構の通りに、記録は出て来そうだ。靴職人のクレイトン家も実在していそうだ。その三男坊もいるかもしれない……戸籍上はな。ルードの『狐』は、小さな町の役所の書類にまで、手を入れるようだ」


「……ボクの手は、帝国人のエド・クレイトンさ。ルードになんて、行ったこともないよ……」


「そうか?……それでは、何故、逃げたんだ?……多くの書類を暖炉で燃やしていたんだろ?」


「……ボクが逃げたのは、北方野蛮人どもが襲いかかって来たからさ……彼らはボクと違って生粋の帝国人じゃない……そもそも、帝国市民権を持っていないじゃないか?……彼らは貧しい。ボクたちの財産を、奪おうとしている。君も、そういうヤツなのか?」


「ハハハハ!……ああ。本当に、なかなか強情な男だ。ルードの『狐』は……アンタなのか?それとも……もう片方の女なのか……」


「……弁護士を呼んでくれないか?法律家と相談したい。帝国市民権を持つ商人には、どんな状況下でも、法律のエキスパートに相談する権利がある。そのために、ボクたちは帝国軍の行動を支持して、政治家にも献金して来ているんだ」


「……いいや。それは帝国市民の特権で、ルードの『狐』かもしれないアンタには適応されない。なあ、これ以上、ムダなハナシをするのは止めないか?……女の方も捕まったらしいぞ?」


「…………っ」


「……アレは、本当にお前の妻なのか?……それとも、長い潜伏期間のせいで、愛情を抱いてしまったのかな、エド・クレイトン?」


「……彼女は幼なじみだ。私の可愛い妻なんだ。何か、誤解があるよ。ボクたちが帝国軍に拘束されるなんて、間違っている……」


「演技が上手だな。それほど妻が大事なら、目の前で我々が彼女を痛めつけたなら、『狐』の口も開いてくれるかもしれん。期待しておくとしよう。アンタの演技力は、どこまで機能するのか……オレは、女を痛めつけるのも嫌いじゃないんだぜ?」


 ……拷問野郎は必死になっているな。顔面がボロ雑巾と熟したトマトのモンタージュみたいになっちまっているエド・クレイトン、彼はルード・スパイらしく手強いようだ。顔面をしこたま殴られたようだが……演技は揺らがないらしい。


 エド・クレイトンは冷静だ。追い込まれているからこそ、演技力に磨きがかかっているようにも思える。


 ただの帝国市民であることを怯えた声と、そして、しっかりとした態度で主張している。拷問野郎も困っているのかもしれない。彼にはあまり拷問のバリエーションが無いのかもしれんな。


 協力者と違い、『ゴルゴホ』特製の自白剤とやらも、エド・クレイトンには聞かない可能性もある。自白剤を打った後につかれた嘘を、拷問野郎は警戒している。だからこそ、しらふな状態で情報を吐かせたいと考えているのさ。


 ……捕まった『ルーベット・コラン/アイリス』を道具にしようとしているが、どうだろうな……本物のルーベットがどんな目に遭わされようとも、エド・クレイトンは己の虚構を崩すことは無いように思える。


 ルード・スパイの矜持を、ルーベットも持っている。そして、それは彼女のパートナーであるエド・クレイトンもそうだろう。死をも織り込み済みなわけだ……。


 選択の時ではある。


 オレが、ルード・スパイだったら?……このままエド・クレイトンとアイリスが拷問される光景を見続けながら、情報の採取に邁進するかもしれない。


 しかし、本職のルード・スパイじゃないもんでな。そういう状況を許容できるほど、オレの心はスパイとして完成しちゃいないんだろう。


 それに……。


 『パナージュ家/ルードの狐』がこの土地にやって来ているのだと、あの拷問野郎の大男は気がついているようだ。


 アイツが自分についての情報を、エド・クレイトンやアイリスに語る可能性はゼロだろうな。備えられてしまっている……このまま時間を費やしても、何にも得られるモノはなさそうだよ。


 エド・クレイトンの歯が全て折られてしまうよりも先に……彼を救出しておこうじゃないか。


 ……この男を拷問することで、何かを得られる可能性もある…………いや、多分、無いが……拘束しておけば、何かに使えるかもしれない。本職たちに任せればいいことだな。


 ……オレは扉の前に座り、その鍵穴にガルフ・コルテスが作ったピッキング・ツールを差し込んだ。シンプルな作りだから、開けるのは難しくない。三秒もかからず、鍵は開いた……。


 ゆっくりと、その扉を開いていく。


 エド・クレイトンに対して、全神経を集中している大男はオレの無音の潜入に気がつくことはない……エド・クレイトンを睨みつけ、何かの反応を示さないかと集中している。


 呼吸のブレや、目の動き。肌に走る揺れ……そういった、あらゆる徴候を見逃すまいとしている。


 ……だから。困ったことが起きるのさ。エド・クレイトンは拘束されて、殴られていて怯えきっている演技をしているが、心は冷静そのもの。だから、大男より視野が広かった。


 彼の視線は、反射的に動いていたのだろう。扉が開いたことに気がついていたのかもしれないが、無反応を貫こうとしていた。だが、それも限界だ。本能的な好奇心が、目玉をわずかに動かしていたようだな。


 それに、拷問野郎は気がついた。彼もまた天才的なスパイであるようだ―――早撃ち勝負になる。手練の大男を一瞬で殺すのは容易いが……生かして捕らえるのは難しい。


 オレは加速した、床を強く蹴って加速した。


 振り返りながら当てずっぽうの裏拳を放つ、大男の腕を躱しながら、ヤツの胴体に組みついて押し倒してやった。


 キュレネイ・ザトーはオレの攻撃に連携してくれたよ。床に背中から倒れたヤツの頭に残酷な蹴りを叩き込む。殺すのは簡単だが、アゴ先を蹴り、脳震とうで気絶させるのは難しい。


 でも、そこはさすがキュレネイ・ザトーだった。素早い蹴りを放つことで、ヤツのアゴを強打していた。大男のアゴごと頭が揺れて、後頭部が床に衝突する。絶妙な力加減だったよ。大男は意識を失ったが、生きている……。


 オレはヤツの体をひっくり返すと。その太い両手首を縄で縛り上げていく。足首も続けて縛り、口にも猿ぐつわを噛ませた。キュレネイが魔力を抑制する薬物を、ヤツの体に注射する……続けざまにオレも麻痺毒をヤツに注射していた。


 これで完成、40秒ほどの襲撃だったな。長い夜のなかでは、一瞬みたいな時間だった。


 イスに拘束されたままのルード・スパイは、腫れた顔で瞬きしながら、オレを見つめていたよ。


「……赤毛に……眼帯……まさか……」


「ソルジェ・ストラウスだ。救出しに来た。余計なお世話だとしても、生きて戻ってもらうぞ、エド・クレイトン」



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