第二話 『囚われの狐たち』 その18
状況は大忙しだ。オレとキュレネイとアイリスは、ルーベット・コランに対する救命処置で精一杯だった。
縫い合わせた傷口が固まるようにと手で押さえて圧をかける。脚を高くして、彼女の胴体に血が回るように心がけた。造血の秘薬が効果を発揮するには、時間がかかるんだ。
エルフの秘薬だって、どこまでも万能であるわけじゃないからね。基本的な措置は必要だ。とにかく、彼女の体をエルフの秘薬がその特別な効能の支配下に置くまで、耐えさせなくてはならない。
キュレネイがその両肩に彼女の脚を乗せる。オレは傷口を押さえながらも、彼女の呼吸と脈拍、そして魔力の流れで心臓の動きを見守っていた。かなりの失血量だから、いつ心臓が止まってもおかしくはない。
エルフの秘薬が機能するのが先か、心臓が止まってしまうのが先なのか……どう転ぶか分からない状況だ……心臓が止まれば、心臓マッサージだ。胸の骨を手のひらでへし折るほどに圧迫して、彼女の心臓を無理やりに動かす。
……それでもダメな時は、『雷』をつかう。『雷』は人体を動かすときの燃料らしい。『雷』を打ち込めば、止まった心臓が動く時も多々ある……しかし、『雷』は『炎』の魔力が潜在的に高い人物には効きが薄い。彼女は……。
「『炎』の魔術の才があるか?」
「……『風』使いです……」
「そうか」
『雷』は有効だ。心臓が止まった時は、うん、心臓マッサージより先に『雷』を使うとしようか。
……時間が要る。時間が要るな。そして、彼女自身の生きることへの執着がいる。彼女は見つかるつもりだったか……敵に見つかり、敵に対して混乱させるための嘘を吹き込む。
この砦に立て込んだのは、スケルトンが出ると知っていて、少しでも敵に損害を与えるためなのだろうか……?
「……任務に失敗したのに……すみません……アイリス……それに、サー・ストラウス」
「構わない。スパイの矜持に囚われ過ぎるな。今の君に出来る最良の選択は、どうにかこの場を生き残ることだ。オレたちの新しい作戦を、失敗させてはいけない。オレたちは、君を助けるために来たんだ」
「……は、はい」
意志の力を頼るのだ。ヒトは使命感を燃やすことで、命を長らえさせることもあるのだからな……。
アイリスも分かっている。そして、オレよりもルーベット・コランに詳しい。だから、彼女はアイリスの精神力を強くするための言葉を使う。
「……エド・クレイトンはどこにいるの?私たちは、彼のことも助けたいのよ」
その言葉に、ルーベットは顔を歪める。
口惜しそうに噛まれた白い歯列を見せるのだ、その屈辱の痛みに歪む唇の奥に。
「……彼と私は、ここから東にある丘で、帝国兵の待ち伏せと遭遇したの」
「待ち伏せ?」
「ええ……あいつらは二人だけだった。私たちが道を使うと踏んでいた。予想されていたわ……もう少し、南で…………敵に見つけられるハズだったのに……っ」
「元・北天騎士たちだ。この黒い森については詳しかろう」
「……それで。エド・クレイトンは?」
「……私たち、戦って……そいつらとは相討ちね。敵を殺して……私たちも深手を負ったわ。私の方がヒドいけど……エドの方も、それなり以上の傷……その後、傷口に応急手当をしてもらって…………うろ覚えだけど、彼に支えられて……この砦近くまで来た」
エド・クレイトンも負傷しているのか、しかも浅くない傷。
「……彼は、私にこの砦にいろと答えた。殺してくれと頼んだけど、彼はイヤだったみたい……本当の夫婦じゃないのに。夫婦ゴッコが……馴染んでたみたい。私のことを、この砦に向かえと指示を出して、自分は南に進んだ……猟犬が追いかけて来ていたから」
「いい判断ね。この土地の猟犬は、砦を荒らさないように躾けられている」
……戦死者の死体だらけだからな。犬なら喜びそうな環境だ。ヤツらは牙え骨の硬さを試すのが好きだからな。
「それで、エドは?」
「敵の情報を混乱させるために……ヤツらを誘うため、どこかに向かったの。私を犬のエサにするのは……イヤだったのね…………私の出血を使って、この砦のスケルトンを起こせば……敵に損害を与えられる……私も呪いに呑まれて、ゾンビになったら、帝国兵とまだ戦えるかも……」
「君はアンデッドにはならないよ」
「……はい……」
「……それで、エドについてだけど。どこに向かったのかは、分からないの?」
「……分からない……彼もあては無かったのかもしれない……本来の作戦なら、南に向かうけれど…………あの細い街道の先には……きっと、帝国兵がいるって、分かっていたもの…………どこか、防衛戦闘に向くトコロに陣取ってるかも。帝国兵を一人でも多く道連れにするために……」
……あるいは、すでに捕まっているかもしれない。紳士的な男で、ルーベットの言葉によると、夫婦の演技に影響されて、彼女を愛しているかのようだったそうだ。まあ、そうなってもおかしくはない。何年も共に暮らせば、愛情ぐらいわいても不思議じゃないさ。
それに、それは尊いようなことにも思える。
「だ、団長、スケルトンが来ます!こ、交戦します!!』
ボヒュン!!ジャンがノーマル・サイズの狼に化けていた。
カラカラと錆び付いた剣を引きずりながら、白骨の幽鬼がこのフロアに入ってくる。
『悔恨の鬼火騎士/ソード・ゴースト』だった。その炎に包まれた骸骨のおかげで、フロアが明るくなっていたよ。
階段を歩いて上って来やがった。狼に化けたジャンは、がるるるう!と唸っていたが、戦功を求めている『悔恨の鬼火騎士/ソード・ゴースト』には、その威嚇の歌は足止めにはならない。
ジャンも分かっているさ。分かっていて、試している。『ヴァルガロフの闘犬殺法』の基礎的な戦術なのだろうな。敵を怯えさせれば、幸運だし、そうでなくても、周囲の味方に敵の接近を悟らせることが出来るから。
だが。
『ソード・ゴースト』はその白骨化した腕で、剣を持ち上げていた。錆び付いてはいる剣であるが、両手持ち―――『銀月の塔』で敵対した、元・北天騎士団の人間族どもと同じ動きだった。
やはり、北天騎士の鍛錬は高度にして濃密らしい。骨にまでその記憶が残っているのだろう。このアンデッドも、生前通りの技巧を再現している。
強い敵だな。
だが、ジャン・レッドウッドはそれよりも強い。
だから、安心している。
『……いきます』
うなり声を止めたジャンが、突撃を開始する。声が震えているせいで、誤解を受けがちだが、ジャン・レッドウッドにとって戦闘行為は恐怖を感じるものではない。
戦場の混沌でも、平常心を失わない。声が揺れるのは、対人関係を構築するのが苦手なだけで、別に勇敢さが無いわけではない。
いや、それどころか。命令に対して忠実に自分を捨て去るところは、キュレネイと同格ではある……まあ、技巧の面や経験値の蓄積を考えれば、キュレネイのそれとは違うのだが。
ジャンは命令を愚直なまでに実行する、『攻撃型』の人材だよ。
ジャンは『ソード・ゴースト』に向かって走る。白骨の騎士は、そのステップ・ワークと斬撃を連携させる。踊るような動作で、優雅な大振りではあった。だが、ジャンはその斬撃を横っ跳びで躱した。
狼の影を切り裂きながら、床石をも古き騎士の剣が叩き割っていたよ。そして、躱されたことを悟ると、体を回転させて、剣も振り回す。ジャンの突撃を防ぐために、鋼と共に旋回することで防御にしようとした。
だが。
『狼男』、ジャン・レッドウッドは勇気のカタマリみたいな存在だ。戦い方は、いつだってシンプル。正面から、その誰にも負けない力を帯びた、強靭な牙と共に突撃するのさ。
北天騎士の伝統に、大振りの斬撃からつなげられる横への薙ぎ払いという防御技に対してだって、ジャンの牙は怯むことがない。
ガギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイインッッ!!
鋼が歌わされていた。北天騎士の命とも呼べる剣、防御の軌道にいたそれに対して、ジャンは荒々しい『闘犬殺法』を成功させていた。
騎兵対策の技巧の転用だな。敵が振るう長い剣だろうが、槍であろうが―――騎兵キラーである『ヴァルガロフの闘犬』は、その強靭な牙で噛みついて『掴み取り』、そのまま騎兵を引きずり落とす。
戦いの血筋を受け継ぎ、鍛錬に磨かれた闘犬ならば、敵の鋼を掴めるのさ。しかも、ジャンは闘犬どころか怪力無双の『狼男』だ。
閉じられ白い牙の列に、『ソード・ゴースト』の斬撃が閉じ込められていた。鋼と、鋼よりもはるかに強靭な『狼男』の牙が衝突し、硬い音が流れていた。そして、勝負は決まるのだ。
バギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイインンッッッ!!!
強靭なアゴの力により、『ソード・ゴースト』の……北天騎士の剣が、粉々に噛み砕かれていたのさ……。
『ぎぎぎぎいぎぎいぎいいいい!?』
『ソード・ゴースト』が悲鳴を上げる。『剣塚』に捧げるための剣が、噛み砕かれてしまったのだからな。あまりにも、彼にとっては辛いことだった。ジャンは容赦しない。それも『攻撃型』の人材の優れた点だ。
まあ、ジャンは未熟だから、悠長に考えているヒマはない。最速で最強の技巧を叩き込む。それだけがジャンの戦術である。狼は鋼を失った剣霊に跳びかかる。その無敵の牙の列が狙ったのは、燃え盛る頭骨であった。
勇敢なる牙は、怯むことなく、その炎をまとった頭骨を、一瞬のもとに噛みつぶす!!瞬間的に炎が口のなかで暴れただろうが、唾液が焼き尽くされるよりも、ヤツの炎が消えるのが先だった。
ジャンの完全勝利である。当然のことだな。猟兵は、負けるようには出来ちゃいない。
「ジャン、その調子で頼むぞ。『ソード・ゴースト』が来たら、仕留めろ!」
『イエス・サー・ストラウスッッ!!』
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