第一話 『ベイゼンハウドの剣聖』 その9


「へっくし!」


 六月の半ばとは言え、北海沿岸を吹く風は冷たいのさ。まして、雲より高い場所の風ではな。


 『狼男』のくせに寒がりなジャン・レッドウッド、彼はクシャミをすることにより久しぶりに存在感を表していた。


「……寒いのでありますか?」


「う、うん。少しだけ。でも大丈夫」


「……ゼファー。高度を下げよう。ジャンも寒そうだし、先頭のカーリーは子供だ。北海の風に体温を奪われる」


「わらわは平気。須弥山の朝も夜も、冷たい風が吹くもの」


「そうだとしてもだ。普段と違う環境に晒されている。それだけで体力が減るものだ。人生最大の遠出に、竜に乗っている。体力は気づかないうちに減っている。武術家ならば、体調管理を学べ。それだけで負ける可能性を消せる」


「……わかったわよ!」


「いい子だ」


『じゃあ。すこし、ひくくとぶね!』


「そうしてくれ。もう『ベイゼンハウド』は見えている……」


 視界の先に、灰色に沈む土地が見えた。高くはないが無数に山が連なり、その斜面には深い森が広がっている。平地は少なく、暗く沈んだ森のあいだを切り裂くように細い街道が走っている。


 それの街道の敷石は灰色。灰色の道が、黒い森を這うように走る。山からはときおり巨大な岩が突き出していて、そいつらもまた灰色だった。この岩山を削り、敷石にしたのだろう。


 森から突き出すのは岩山だけではなく、あちこちに古びた砦がある。どれもが小さな砦だった。そして、その砦のどれもが四階建て以上の高さがあり、物見の塔も多く作っている。


 狭いスペースを有効に活用しようとしているのかもしれない。崖のような部分にさえも、なかば無理やりに建てた砦があった。それらの古い砦の多くは使われていないように見えたよ。荒れ果てていたからね……。


 『北海騎士団』が解体された時に放置されたのか、ハイランド王国軍との戦に備えて、あの古び過ぎて廃墟のようにも見える砦にいる兵士たちも、すっかりと南に動員されてしまったというのだろうか……?


 分からない。調べるべきだな。


 黒いほどの森が広がる、空の明るさをも奪い、灰色によどませるような陰気さが、この『ベイゼンハウド』の土地には存在している。


 獣とモンスターが多く彷徨い、人々が細々と暮らさねばならない土地―――さみしげな場所?……いいや、もっと悲惨な言葉が合う。


 この世の果てのような土地だ。


 うねるように連なる山と、それを覆い尽くす森ばかり……ヒトの気配がしない、未開の原野が広がっているようだ。


 わずかな平地には、岩壁に囲まれた小さな農村が見えたよ。十都市連合には含まれぬものだろな。魔眼の『望遠』の力を使うと、小さな畑と数軒の家が見えた。


 平和だな……ヒトの姿はほとんどまばら。若者はいない。徴兵されたからか?……あるいは、元からいないのか。老人と、中年の終わりに差し掛かっているような者たちばかりが、クワを使い痩せた土地の畑を耕している。


 その農村からも、海は近かった。視線を左に―――つまり西にずらして行くと、北海が見えた。これもまた灰色を思わせる海の色をしているな。


 相変わらず、冷たそうな海だ。そして、よく荒れていた。暴れる白波が押し寄せる開眼の石は、大きくて丸いものばかり。強い波に転がされて、ほかの石たちとぶつかりながら流されて、丸みを帯びていったのさ。


 その丸石たちも、当然のように灰色だった。そうだ。『ベイゼンハウド』の土地は、あらゆるものが灰色にくすんでいるように見える……空さえも、晴れているのに薄暗さを覚えるのは不思議だな。


「……何だか、さびれている土地ね。静かで、誰もいないみたい」


 カーリー・ヴァシュヌは、子供らしい素直で無遠慮な意見を述べる。でも、子供の意見は真実を射抜いていることが多い。たしかに、ここは、さびれて、静かで、誰もいないみたいだった。


 ヒトよりも獣やモンスターの方が、はりかに多くいるだろうよ。


「カーリーよ。『ベイゼンハウド』とは、それほど豊かな土地ではないのだ。ここよりは栄えている都市部も幾つかあるだろうが……地図で見る限り、国土の8割はこんなものらしいぞ」


「そうなのね……厳しい土地。あの深い森のあちこちに、何か大きく邪悪な気配が動いている。原初の森ほど命にはあふれていないけど。モンスターが多く、古い呪いも残存していそう」


「カーリーちゃんは、呪術が分かるの?」


「……わらわは『十八世呪法大虎』になる『虎』なのよ?……呪いについては、詳しいのよ。悪しき呪いは、私の背中に彫られた『呪印』が察知してくれるわ」


「へー。ハイランドの王妃サマみたいなヤツ?」


「そんな感じ。あの方のは呪術から身を守る力。わらわの印は、悪しき呪術を嗅ぎ取らせてくる力。見つけ出したら、呪いを破りに出向くのよ」


「……それが十七代もつづく、『呪法大虎』の役目か」


「……うん。お祖父さまは、その役目を果たせなかったという自責の念もあるの。『白虎』をのさばらせて、悪しき呪いを好きに使わせた―――あの『悪鬼獣シャイターン』まで」


「お兄ちゃんが倒したから、安心して?」


「……だから、嫌いなの!……お祖父さまや、わらわたちが……本来ならば命がけでも封じるべき呪いだった……」


「……『シャイターン』は、フーレン族の尻尾を持つ者には殺せないんだろ?……殺しても、近くの者に憑依して、新たな『シャイターン』と化す。フーレン族以外で、倒した方が手っ取り早い」


「正論ね。文句の余地もない。だから、嫌い!」


 正論を言う男は女に嫌われるってのは、その女が12才のガキでも同じことか。彼女がオレを嫌いな理由の一つが分かった。『呪法大虎』の役目を、知らないうちに奪っていたからだ。


 この話題を深く掘り下げるのは止めておこう。


「……カーリー、ここらの森にいる呪いは、古いのか?」


「……っ」


 無視される。困ったな。


 だが、ミアが動いてくれた。


「カーリーちゃん。ここね、作戦地域。戦場。プロフェッショナルは、質問に答えなくちゃダメ。じゃないと、無能って思われる」


「……っ!!」


「カーリー、もう一度訊くけど、ここらの森の呪いは―――」


「―――古いわ。数十年とか、数百年とかよ。誰かが作った呪いも、動いている気がするけれど、ほとんどは自己発生的な呪い」


「自己発生的な呪いってのは、どういうものなんだ?……頼むぜ、十八世。専門的な知識を持った『プロ』のアドバイスが聞きたい」


「……『プロ』……っ」


 金色のフーレンしっぽが、楽しそうに揺れる。きっと、嬉しいんだろう。『プロ』って言葉が心に響いたようだ。一人前として承認される。それはどんな道に邁進する者にとっても喜びだからな。


「……自己発生的な呪いっていうのは、そのままの意味よ。たとえば、古戦場みたいな場所ね。死と怨念が、呪術を刻む……そういう場所は、呪いに引かれて悪運が呼び込まれ、獣やモンスターを呼ぶ」


「……つまり、それがあちこちにあるってことは……?」


「古戦場だらけなのね。きっと、『北天騎士団』たちが、この森のあちこちで、何百年ものあいだに戦い、命を落として来たの。皮肉なことだけど、彼らの戦いそのものが、新たなモンスターを呼んでいるし、新たなモンスターにもなった」


「彼らのスケルトンがいる?」


「ええ。死霊たちになりながら、『北天騎士団』の古株どもは、彷徨っているのよ、あの深い森のなかを……たぶん、永遠に」


「……さすがだな、カーリー。『呪法大虎』の候補というだけはあるようだ」


「ふ、ふん!褒めたって、喜んだり、し、しないんだからね!?」


 そう言いながらもしっぽは揺れる。頼られたり、褒められて伸びるタイプなのかもしれない。挫折の少ない天才タイプだな。脆さも含むが、好調なときはどこまでも伸びるタイプさ。


 ……ジャンに、『呪い追い/トラッカー』を教えるときに、ちょっとコツとか教えてもらえるかもしれないな。


「ヒドい土地だわ。戦いの歴史と、貧しさと、さみしさに満ちている。でも。ここに、『北天騎士団』はいるのね……?」


「そうだ。数々の伝説を打ち立てた北の勇者たちがな。彼らは、この貧しく痩せた土地を守るために、ひたすらに剣を振り、その肉体を盾にして、人々を守った。見返りを求めず、正義と信じる道を進み、勝利に命を捧げてきた」


「……無敗なのよね?」


「ああ。帝国との戦いは、途中で終わったからな。彼らは、敗北はしていない。結末が勝利とは言いがたいものであっただけさ」


「……そうでなくちゃ、会いに来た甲斐がないわ。それで……どうするの?情報収集からするんでしょ?」


「……そうだ。あの集落から当たるぞ。若者が徴兵されているかどうか、そういったことも知りたいからな」



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