序章 『呪法大虎からの依頼』 その15


 風呂に入った。何だか、結果的にオレも早起きサンだったからな。微妙に酒臭いし、体をキレイに洗っておこう。まあ、皮膚から酒の臭いがするわけじゃないんだろうが……?


 ……そう言えば、どこからこの酒の臭いがするのだろうな……?


 ……あれ?


 ……本当に分かんねえ。肌から漏れていやがるのだろうか、アルコール成分が?……いや、オレの胃袋とかその先のはらわたからか……アルコールは蒸発しやすいからな。


 オレのお腹のなかで、今、アルコールさんたちは、さらなる熟成モードとなったというワケか……?


 ……ふむ。竜騎士さんテイストの酒か、度数が高くなってそう。


 そんなアホなことを考えながら、スポンジで体をこすっていたよ。でも、多分だけど。このアルコール成分じゃなくて、フレーバーの残存なんじゃないかと考えている。


 アルコールって、すぐに蒸発しちまうしなあ……。


 ククク!……理性ってのは、夢がないもんだぜ。酒樽の気持ちにもさせちゃくれないんだからなあ……?


 体を洗ったオレは、バスタブに潜水する。遊び心を忘れたくないオトナの男の、マヌケな遊びさ。全身が温かいと、何だか心もホカホカする……緊張しないでいいときは、脱力する。


 そいつも、師匠であるガルフ・コルテスから教わったことだ。


 ヒトの体は張り詰めっぱなしでも壊れてしまう。硬いは、脆い。脱力した柔軟さは、ときに頑丈さへと化けるからな。そして、不思議なことに鋭さにもだ。


 シアンの動きがいい例だな。


 脱力して崩れるように重心を下げながら、前に走るための反動を生む。影のように低くしゃがむからこそ、強く素早く大地を蹴りつけることが可能ってことなのさ。


 そうなれば……風よりも速く、剣士は地上を駆け抜けることも出来るんだよ。難しい。とんでもなく難しい。最近、ようやく出来るようになった技巧。やると体中の関節に痛みが走ることもある。


 ……本来ならシアンみたいな、『ハイランド・フーレン族』の女に適した技巧なのだろうな。オレのは……厳密には、ちょっと違うような理屈が混じっているような気もするんだよね。


 技巧とは、難しい。


 同じような動きに見えても、違う筋肉を使うことがある。その差が、運動能力の違いとして反映されることになるんだよ。


 たとえば。


 そうだな……水中つながりで言うと、泳法か。速く泳いでいるヤツも、そうじゃないヤツも、同じようなフォームで泳いでいる。きっと、水の抵抗とかもあるのだろうけれど。


 それだけじゃない。


 同じような動きでも、使っている筋肉の場所が違っている。それが、大きな差を生む。威力を上げ、鋭さを増すこともある。オレはガキの頃、腕で竜太刀を振るもんだと考えていた。


 バカで浅慮。


 クソがつくほどのマヌケだったよ。


 剣は、全身で振るのさ。


 手指から、足指まで。


 全部だ。


 全部を使って、踊るからこそ。最大限の力を出せる。最速にして、最強。最も鋭く、避けられもしない斬撃を組み上げるためには、それが『始まりの位置』だな。


 ……道はまだ遠い。進むほどに、先が見える。おそらく一生、こんな感じで考えながら進む。過信と自己嫌悪の螺旋階段さ。そういうものを得て、少しだけ強くなっていく。


 ……ジャン・レッドウッド。


 強くなっている。


 強くなっているが、技巧の螺旋階段で言えば、過信の時期でもある。慢心しているワケじゃないが、早足に強くなろうとしている。それはそれでいいのだが……しかし、うむ。


 どうしたものかな?


 あの『弱点』……強くなった。一月前のジャンが二人いても、今のジャンには勝てないだろう。だが……オレやシアン、ロロカやオットーあたりには……一ヶ月前よりも早く負けちまうんだろうな……。


 ……動きに技巧が見える。


 そいつは……つまり…………ああ、チクショウめ。


 息が苦しくなってきたものだから、ゴボゴボと空気をバスタブのなかで吐く。そのまま、湯から顔を上げて、何度か息を吸ったり吐いたりするのさ。


 すぐに呼吸は落ち着いた。


 思考も落ち着く。


 そうなると、やはり思う。


「……アンタがいてくれたら、ジャンに上手いこと『弱点』を教えてやったような気がするぜ、ガルフ・コルテス……死ぬのが、早すぎだ」


 ガルフがいてくれたら、昨日の酒もますます美味かっただろうな……ジャンに武術といい道にある、剛と柔の矛盾やら、技巧を磨くほどに陥る弱点やら、色々な法則を教えてやれたと思うぜ?


 ……間違いなく、それは、アンタが誰よりも得意なものだよ。全ての猟兵の父、ガルフ・コルテスよ。あの海のように広くて深い経験値……天衣無縫の発想力。全てを欺き、全てを操る、謎の感性。


 ……オレには、おそらく無いものだ。


 憧れても、手を伸ばして掴んでも―――このお湯みたいに、オレの手のひらからこぼれてしまう種類の『力』だよ。


 ……それでも。


 手のひらには、一欠片ぐらいの水滴は残る。あきらめなくてはならない。自分の本性だけでは、ジャンを強くすることは出来ないだろう。ガルフのマネをする必要が、オレにはきっとある。


 オレの本性よりも、ガルフの影をマネたオレの方が、それでも指導力においては優れていると思うんだよな……。


 ああ……まったく。


 人手不足だぜ。


 ガルフ・コルテスが生きていればなあ……オレも、色々と楽になれていたのだが。それでも、継いだ以上は……オレが後輩どもの指導もしなければな。


 オレの技巧のなかで、オレの知識のなかで、オレの経験値のなかで、オレの思い出のなかで―――。


 力を貸してくれ、ガルフ・コルテス。オレにはない、『器用さ』に秀でていた偉大なる猟兵よ。オレを導いてくれると助かる……。


 あらゆる力を使いこなして、色々なコトをして。


 柔軟に戦場を見回して、敵も味方も把握する……その『器用さ』。オレには、アンタの10%ぐらいしか、マネすることは出来ないだろうが、それでもいいから力を貸せよ。


「…………面倒くさいって、言うんだろうなあ」


 ―――んなことしなくても、なるようにしかならん。猟兵を信じろよ。


 生きていても、それぐらいのアドバイスしかくれなかったような気もするが。それでも十分だったんだがな……。


 ……さあて。


 死んじまった師匠に頼るのは、止めよう。オレはアーレスにも頼っているしな。死んでも、未だに一緒に戦ってくれている。オレの左眼にかがやく、魔法の目玉となり、オレの竜太刀のなかで暴れる強大な力となって。


 ……いい師匠どもに恵まれたな。


 ……メシを食いに行くとしようじゃないかね。


 オレは風呂を上がり、体を拭いて、服を着る。足早に、宿の大食堂に行く。バイキング形式の朝メシ、再びだった。


 皆で好きな食事にありつくんだよ。ギンドウとジャンは、もうそれなりに腹一杯になるまで食べていたよ。ギンドウは、イスに座ったまま眠っていた。やがて、朝稽古と湯浴みを終えたシアン・ヴァティに怒鳴られることになるか―――。


「―――だらしないマネをするでない、ギンドウ・アーヴィング」


 ポカリ!……ああ、オレの正妻エルフさんの拳で叩き起こされていたよ。


 ああ見ると、オレの正妻エルフさんがやさしく見える。シアンの常人の首なら軽くへし折るような拳による、ギンドウへの『躾け』を見た後では、微笑ましい威力だな……。


 まあ。色々と騒がしい朝食であったが、それだけに楽しかったよ。


 もちろん、あのシューマイもあった。椎茸と豚の背脂……ああ、たまらない甘味と旨味のコラボレーションだ。


 オレとミアのストラウス兄妹は、舌鼓を打つのさ。最高の味だよね。このシューマイを作れるようになりたいが―――あの『ハイランド・フーレン族』のシェフに聞いたら、10年かかるとか言われそう。


 これだけ美味い料理を再現する腕前になるためには、それぐらいはかかるだろうな。何にしても技巧ってのは、一日にしてならずだ。


 やがて、オットーとシアンも合流して、オレたちはそれぞれの持ち場へと分かれる前に乾杯していた。酒じゃないよ、ココアとミルクとフルーツ・ジュースと紅茶でね。


 朝から呑むわけにもいかん。コップをぶつけて、儀式は完了だったよ。


「……それぞれの持ち場に向かうぜ。仕事を果たそう!」



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