序章 『呪法大虎からの依頼』 その9
シーグ・ラグウ。彼はゆっくりと入室し、その大きな手でドアをやさしく閉じていた。礼儀は正しそうだ。
シアン・ヴァティは例外なんだろうが、基本的にハイランド人は目上の者には丁寧な態度を取るものだからね。
ロロカ先生が、彼とオレのためにイスを用意してくれる。そこで、向き合うような形となって我々は座るよ。
竜太刀を手放すことはない。抜き身じゃないが、いつでも抜ける。横柄な蛮族そのままの態度だが、服を着ているから許してくれないか?……分かりやすいメッセージでもある。
厄介事とは関わるつもりはないぞ。
言葉を使わずに、そういう意思表明しているつもりだ。でも、シーグ・ラグウは帰らない。脅したぐらいで須弥山暮らしの、上位の『虎』が怯むとは考えてはいなかったけどね……。
「……それで、何をしに来た?」
「『呪法大虎』さまからの依頼を伝えに来ました」
「依頼を受けるとでも?」
「それは、もちろんソルジェ・ストラウス殿の気持ち次第。我々は残念だと感じますが、それも仕方のないことです」
「……まあ。内容次第ではある。だが、こんな形でやって来るんだ。きな臭い依頼だろうなとは、予想している」
「きな臭いと申しますか……率直に申しますと、帝国軍を分裂させるための策が、『呪法大虎』さまには一つあるのです」
「……そいつは、オレのような傭兵ではなく、ハント大佐に告げるべきことだろうよ」
「ええ。もちろん、ハント大佐にも報告済みです」
「……なに?」
……緊張が緩まる?
いいや。緊張感は強まったよ。ハント大佐まで、この件に関わっているのか……?ロロカ先生に一瞬だけ視線を向けた。彼女も、考え中らしい……この状況を理解するには、さすがに情報が足りないか。
「……状況が読めんな。もう少し、話してもらうとする。ああ、リエルの弓は気にするなよ。アンタを射抜くためじゃない。オレたちを守るために、アンタを狙っている」
「……怪しいと思われたなら、いつでも射殺して下さい」
「そのつもりだ。心配せずに、正直に話せばいい。死ぬとしても、役目は果たしたいだろう、『呪法大虎』の使者よ」
翡翠色の双眸はうつくしくも鋭さを帯びて、このシーグ・ラグウのことを睨んでいる。リエルは彼が攻撃の意志を示せば、稲妻のように速い矢で彼のことを射殺すよ。
だが、シーグ・ラグウは落ち着いている。
肝が据わっているのもあるだろうが、オレたちが怪しむってことを、十分に承知しているのさ……。
「ええ。では、お話しいたします」
「頼むよ」
「……昨日の15時における軍議にて、私がお仕えする『呪法大虎』さまはエイゼン中佐と対立してしまったことが、そもそもの発端と言いますかな……」
「……ミハエル・ハイズマンの攻撃を、隠蔽しようとしたことか」
「ええ。呪術の有用性を宣伝する……それを、『呪法大虎』さまは懸念しておられた」
「……『呪法大虎』は、呪術を適性に管理する……『呪術の番人』のような存在、そういう認識をしていいのか?」
「はい。ハイランド王国は、古くから数多の呪術を国や民の守護に使っておりました。しかし、中には、悪用する者も数知れず……ソルジェ殿もハイランドで戦われたのでしょう?『呪い尾』、そして、『シャイターン』……」
「ヒトをバケモノに変える。君らの文化は好きだ。須弥山に立ちならぶ武術寺院である螺旋寺に、あの豪勢な料理の数々。それらは大好きだ」
「ありがとうございます。故郷を異国の方に褒められるのは、嬉しいことですね」
「そうか……だが、許容しかねる文化もある。『呪い尾』と『シャイターン』は、その最たるモノだ」
「……ええ。呪術を我々は、邪悪な方面にも使っていますから。ですが、本来、在るべきハイランドの呪術とは、もっと尊く、聖なる存在……」
……王の母親を『シャイターン』化から救ったのも、呪術だったな。
彼女の体に刻まれた守護の呪術と、彼女の夫である王になるはずだった男から渡された婚姻の宝刀。それらが、彼女を絶対的な窮地から生還させたことを、オレは知っている。
「……本来は、多くの者を救うための力として、呪術はあるべきです。人々の生活を支えて、邪悪なる外敵と戦う力を得る……」
「……まあ、理想の通りに世の中が進むとは限らないからな」
「……ええ。残念ながら。だからこそ、『呪法大虎』さまは呪術を取り締まる存在」
「……だが、『呪法大虎』は機能していなかった。『白虎』に、好きなようにやらせてしまっていた」
「……はい。大虎さまも、我々も、力及ばず……」
「君らの文化なのかもしれないが。権力に弱いな。悪宰相アズー・ラーフマや『白虎』に対して、意志をもって力を振るうべきだった。須弥山が総力を挙げれば、ハイランド王国軍も、ヤツらを排除するために力を発揮した」
「……耳が痛い。我々も、腐敗して行く国に、あきらめていた部分がある。我々は、須弥山にばかり引きこもり過ぎていた。武術を極めましたが……世を導く力を発揮することは出来なかったのです」
「ハント大佐がいてくれて良かったな。彼がクーデターを成さねば、君らはまだマフィアなんぞを野放しにしていただろう」
「はい。だからこそ……我々、須弥山の者も世の役に立ちたい。己の武術を極めるだけでなく、社会を律し、正義を実践する。『かつて』のような、そういう存在に戻ろうと決意いたしました」
……なるほどな。
新たな『正義』が目覚めていた。ハイランド王国にある剣士の聖山・須弥山。そこにある武術寺院、螺旋寺の頂点たちか―――。
このシーグ・ラグウは、真っ直ぐな瞳ではある……『かつて』のような存在に戻りたい。この白髪交じりの男は、その時代を知っている男か。
「社会を律し、正義を実践するか―――いい言葉だが、政治的でもあるな」
「……そう、ですな。その辺りも……エイゼン中佐に警戒されてしまったような気もいたします……」
シーグ・ラグウはガッカリと肩を落としていた。オレは彼のトラウマに触れているようだ。でも、気にはしない。
「オレが感じるに、エイゼン中佐はいい軍人だ。冷血かもしれないが、軍全体に対して、合理的に在ろうとしているようだ。新兵たちを危険に晒したが、自分も軍勢を率いて突撃した。自分だけ安全な位置に隠れているような男でもない」
「はい……とても素晴らしい人物だと、私も考えておりますが……」
「須弥山が政治力と指導力を発揮したがることは、王国軍にも影響が大きい。君らの存在は軍隊を奪おうとしている宗教集団のようにも見える」
「……政治的な力を、求めているわけではなかったのですが」
「結果としては、そうなっちまうよ。ハイランド・フーレンは、強さを敬愛する。強さの象徴である須弥山の長たちが表舞台に立ち、強い意志を発揮すれば、軍隊を掌握することも可能だろうよ……」
ハイランド人の悪い癖だ。
権力や権威、そしえ腕力に『弱い』。強い人物に対して盲目的に従うところがある。強さ至上主義というかな……強ければ悪をも許容する。そういう危険な思想を感じるんだよね。
「……エイゼン中佐からすれば、アルーヴァ中佐という有力な軍人を失ったことも、君らに対する恐怖を強めることになっているのかもな」
「……アルーヴァ中佐の、処刑ですな。シアン・ヴァティさまによる」
「シアンが悪いように言うな」
「そ、それは、もちろん……」
聞いているんだしな、すぐ隣の部屋で。この壁越しに、シアンは我々の会話を聞いているはずだ。
「シアンは正しいコトをした。ヤツは、法律的には言い逃れが出来たかもしれないが、新兵やオレたち『自由同盟』の兵を見殺しにしようとしたからな。ヤツは死んで当然の指揮官だ。シアンが斬らなきゃ、オレが斬り殺していた」
「……はい。そうなのでしょうな」
「まあ、ヤツとてお偉い中佐殿だ。その存在が堂々と処刑された。シアンは特務中佐殿らしいが……現実的には、須弥山の伝説―――つまり、アンタ側に近い存在だ。彼女がアルーヴァを処刑したことで、エイゼン中佐は不安に思ったんだろうな」
須弥山側の権力が増大している。
「須弥山に王国軍が乗っ取られると懸念しているのだろう。今まで引きこもっていたアンタたちが、表舞台に立つ。そうなれば……どうしても火種にはなる」
「……そうなのでしょう。我々も、俗世の流れを、読めなかった……『白虎』とラーフマが消えた今こそ、かつてのように衆生救済のため、武術と精神を発揮すべき時と考えていたのですが……」
「アンタたちは、良くも悪くも、武力を持ち、尊敬も集めている存在だ。政治や権力闘争の引き金にはなる……俗世のオッサンどもは、邪悪なほどに欲深いからね」
軍隊の装備品を採用する権利とか?……どれだけの金になるか分からん。戦争中のハイランド王国軍は、ハイランド最大の消費者でもある。
エイゼン中佐が利権を巡って良案を拒絶するような人物かどうかは知らないが、利権を巡る争いが国内の不和を招くことには警戒していそうだ。俗世に疎い須弥山勢力は、商人や政治屋に利用されそうだしなあ。
……ぶっちゃけ、大ベテラン・スパイである、オレたちの友人、アイリス・パナージュお姉さんとかね。
『ルードの影響力をハイランドに残すために、須弥山勢力を利用しようとするかもしれない』……パナージュ家の『パパ』もいるしな、あそこの王都には。
そう言えば、パナージュお姉さんの報告書に、書いてあったしな。『呪法大虎』など、有力な須弥山の『虎』どもを戦場に送れと……。
全部計算かな?だとしたら……なんかこう、パナージュお姉さん、ウルトラ恐え……っ。クラリス陛下といい、ホント、ルードの大人女子は有能というか、烈女っていうか……。
「……我々は、間違っていたのでしょうか?」
「いいや。間違いじゃない。世の中ってのが、ちょっと邪悪で複雑なだけだ」
「ええ……俗世を、我らは知らなかった……」
「ハイランドのお国事情も知れたよ。それじゃあ、本題に入ろうぜ」
「我らの言葉を聞いて下さるのですか?」
「依頼を受けるかどうかはハナシを聞いてからだ。エイゼン中佐と政治的に揉めて、却下されただけで……ハント大佐も内心では納得しているほどの策があるのなら、『自由同盟』の傭兵であるオレたちが実行すべきシロモノかもしれないからな」
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