第五話 『狂気の賢者アプリズと失われた禁呪』 その9
想像していたこととは違うがな。まあ、推理なんて空想が、完全に真実を言い当てるなんてことはあり得ん。現実は、空想よりも複雑にして怪奇な時もあれば、より単純なことさえあるのだからな。
「……ミハエル・ハイズマンは、左利きだったか」
その言葉にブルーノ・イスラードラは食い付いて来た。大きな鼻を揺らしながら、善良さが踊る丸っこい顔を近づけて来やがる。
かなりの勢いだった。男にこんな顔を近づけられるのは、久しぶりでな。なんか、イヤだった。
「は、はい!ミハエルは……左利きだったんですよッッ!!」
「……そ、そうか。顔を、離してくれないか?」
「え、ええ。すみません。興奮してしまって……」
「気持ちは分かるよ」
混乱するだろう。彼にとっては30年来続いた、大きな使命感を揺さぶられることだ。それに、親しい人物たちに関わることだもんな。
オレは、この人物にいらない情報をペラペラと喋ってしまったかもしれん。不確定な情報……推理だぞ?……そんな適当なハナシを、このマジメな僧侶にすべきではなかったかもしれない。
えらく興奮状態だったな。
ブルーノは雨のなかをうろつきながら、何度も何度もうなずいている。ああ、話しかけにくい。だが、向こうからはガンガン話しかけて来やがるんだ。
「そ、そのロープを、まとめたのは!!」
僧侶の指が、棒結びされたロープの束を示していた。無視するわけにもいかなかった。
「ほぼ間違いなく、左利きの指だろうな」
「左利き!左利き!なら!……きっと、ミハエルだ……っ!!」
ふむ。しかし、彼がここまで納得するのならば。オレの推理は外れていて、こちらの方が『真実』に対して、より近いものなのだろうか?
……だとすれば。オレの予想とは外れてしまったようだが、まあ、そんなこともあるだろう。オレは本職の探偵でもないし、きっと本職の探偵だって、全てを推理では追跡できん。
外れていたとしても、口惜しくはない。
ただ、納得がいかない『空白』が増えたというか、謎も増える……推理ってのは、しょせん、予想で空想の産物。妄想ってことだな。過度に頼るようなもんじゃないな……。
「……ああ……ミハエル……っ」
ブルーノ・イスラードラは、また空を見ている。
雨が降りつづける空を見あげていた。もしかして、女神イースを探しているのか?……あるいは、死んだミハエルの魂を探しているかのようだったよ。
「……ミハエル。10年前以上に……知っていたのですね……?」
やさしき男の瞳が、苦しみに歪んでいる。
自責の念か?……彼は、自分の推理が正しいと思い込んでいる。オレが、誘導してしまった妄想の世界に囚われていた。いや、もしかしたら、真実を彼は見ているのかもしれないが……。
「ミハエル!……あなたが、あなたが、偉大なるエルネスト・フィーガロ先生の息子であったこと。そして、そのフィーガロ先生が、邪悪なる、『アプリズ3世』という裏の顔を持っていたことも……さぞや、苦しかったでしょうに!」
僧侶殿は、自分なりの答えを見つけた気になっている。
……オレは、その答えに疑問はあるままなのだがな。
オットーを見ると、オットーも考え込む顔になっていた。ふむ、どうやら、猟兵同士の方が、猟兵と僧侶よりも考えが似ているようだ。当然か、オレたちは疑り深い猟兵なんだ。
だが。
オレたちの考えこそ外れている可能性もある。状況証拠だけでは、真実に迫れるはずもない。
……でも、どうしたって気になることが頭にあるから、それぐらいは訊いておこう。
「ブルーノ。ミハエルが、何故かここを掘って『日記』を見つけたとしよう。それだけで彼が、己の出自に気づくことがあるのか?」
「え?」
「……2年前に、初めて気づいたような態度を、アンタに見せたんだよな?アンタはたしかにそう言ったはずだぞ?」
「え、ええ。たしかに、初めて気づいたような素振りでした。ですが、もしかしたら、彼の演技だったのかもしれません。なにせ。私は、この通り、あの件が絡むと、まったく、冷静ではいられなくなる」
たしかに、彼は『フィーガロ先生』が絡むと、感情があふれてしまうようだ。10才の少年には、あまりにも衝撃的な事件であったろうしな。
「2年前に、私は彼の『演技』に騙されて、正確な評価を、出来なかったのかもしれません。そのときは、そう見えたのですが……なにせ、ミハエルは、とても賢かった。私を欺くことも出来たはずです。私は、きっと、騙されやすくもある……」
「……ミハエルが、知らないフリという『演技』をしたか。まあ、あり得なくはない線だがな。それで、もう一つの問いの答えがまだだ。『日記』を読むだけで、彼は理解することが出来るのか?……自分が、どこの誰の子供なのかを?」
「はい。それは、理解することが出来ますよ。だって、あの日記』には、名前が出ているんです。四つの名前です」
「四つか、そのうち二つは、セバスチャンとミハエルだな」
「はい」
「となれば、後の二つは女の子の名前ってわけだな」
産まれたのは男の双子だったが、女の双子が産まれる可能性はあったはずだからな。
「そうです。フィーガロ先生とメリッサさんは、お子さんが双子であろうと予測していましたから……『マリエル』と『エリーゼ』という名前も、考えていました」
「……団長、それならば、『日記』を読めば、ミハエルは自分の出自を予想できますね」
オットーの言葉に、オレはうなずく。
「ああ、たしかにな。自分の名前が乗っているのだから」
「30年前の事件を、覚えている人物たちも多いでしょう。大人に訊けば、その事件についての概要は知れる。図書館に行き、過去の資料を探ることでも分かります」
「パズルのピースをつなぎ合わせることは、とても簡単だろうな」
「ええ。数日でもあれば、確信に至るでしょう」
「ならば、やはり!……私は、彼の家に遊びに行くことも多かった。彼を弟のように感じていましたし……ハイズマンさんの家は、貧しいけれども、家族愛の温もりを感じることが出来て、子供の頃の私には、最高の場所だった」
……ミハエルの育ての父親は、腕のいい鍛冶職人だったというが、貧しかったか。オレは、それを深く考え過ぎていたのかもしれない。
思い出を語る僧侶は、オレから質問の言葉を使うタイミングを奪っていた。
「何度も寝泊まりしました。私のことを、ハイズマン夫妻は、とてもよく可愛がって下さいました。私は、あの家や、その他の場所で、いつの間にか……自分でも気がつかないうちに、ミハエルに、この場所のヒントとなるようなことを、つい、教えていたのかもしれない……」
「……そうか。仮にそうだったとしても、アンタは何も悪くはないと思うぜ」
「……そうでしょうか?……私は……私が、あの『日記』を、フィーガロ先生の言いつけに従って処分していれば……彼の人生にあった苦しみは、より少なくなったかも。知るべきことと、知るべきではないことが、あの『日記』にはありましたから……」
「2年前は、知るべき情報だけを、かいつまんで教えたか」
「え、ええ。嘘は言っていません。ただし、全てを話してはいません。フィーガロ先生の名誉も、それに……ミハエルも苦しむことになる。先生の、殺人の記録なんて……」
「気に病むな。そう言っても、ムリだろうな」
「はい……おそらく……ミハエル…………私は……先生…………」
「……それで。今、ハイズマン夫妻は?ミハエルの育ての親である二人には、会えるのかな?」
首を振られる。希望とは異なる方向に。ノー。否定の言葉だった。
オレのような野蛮人を、彼らに会わせたくないという意味ではなかろう。ブルーノの表情は、あまりにもさみしげであったからな。
「……お二人は、4年前に、相次いで亡くなりました。流行り病でしたよ。ミハエルは、その頃、南方戦線での任務についていて、戻ることは出来ませんでした。彼は、お二人の死に目には会えませんでした。お二人は、私が看取る形に……」
「そうか。残念だった」
「ええ。お二人とも、素晴らしいヒトたちでしたのに……」
「それもある。だが、訊きたいこともあったんだがな……」
「……ミハエルが、10年以上前に、持ち出した『呪刀・イナシャウワ』と『研究日誌』について、ですね?……それの脅威を、この世から排除する。それが、貴方のしたいことのはずだ」
「……ああ。オレは、どんな事実があろうがなかろうが、とにかく『アプリズの遺産』を排除したい。竜が『夢』で告げるような呪いだ。脅威としか感じられない」
「……私も、先生の言いつけを守らねばなりません」
その点では、オレたちは完全に一致しているな。だからこそ、チームを組めている。帝国人のイース司祭と、ガルーナ人の魔王だというのに。
「しかし。ハイズマン夫妻は、もう鬼籍に入られていたか。その二人ならば、『アプリズ3世』の『遺産』を知っているかもしれないと考えていたんだが……」
「狭い家です……ミハエルほど賢くても、あそこに隠し切れたでしょうか?」
「腕の良い鍛冶職人の家だろ?」
「ええ」
「刀も打っていたのか?……刀だらけの家ならば、隠せそうだ。木を隠すなら、何とやらのハナシでな」
「ハイズマン氏は……刀の方は、あまり人気が無かったようです。基本的には、フライパンや鍋などの依頼が多かったようです。でも……何故か、時々、剣士が直々に訊ねて来られることもあったようです」
「いい腕なんだよな?」
「は、はい。依頼人の方は、いつも、彼を褒めていました。たまにしか来られない剣士の方々さえも……『レントン・ハイズマン』は天才だと……思えば、不思議なハナシですね。それならば、刀剣を打つ仕事も、もっと多くあったはずなのに……?」
「……腕が良くても。閑古鳥。まあ……多分、そうなるだろう」
「何か、お気づきに?」
「まあな。彼が天才なのに、貧乏だった理由は想像がつく。だが……訊かなかったのか、レントン・ハイズマンに、その理由を?」
「い、いや。レントンさんに直接なんて、とても訊けませんよ?……そんなのって、ちょっと失礼でしょう?」
「それぐらい貧しかったわけかい?」
「ええ……子供の私も、気を使うほどには。パンとか、差し入れていましたし」
「そいつは……転職を進めた方が良かったんじゃないか?」
あるいは、『ヴァルガロフ』に流れていたら、かなり儲けていたかもしれないが。アッカーマン。あいつなら、心の底から気に入っただろうな。使い方次第で最高の職人になったさ。
「レントンさんは、鍛冶屋として生きていたかったんですよ!……いいじゃないですか、彼は、貧しい者たちの味方でした。素晴らしい職人です……!」
「……まあ、個人の選択だからな。好きに生きたらいいんだがね……」
「団長。情報は、かなり集まって来たんじゃないですか……?」
「ん。そうだな、『呪い追い/トラッカー』をもう一度、試してみようか」
「その力が出せれば、追いかけられるんですね?……フィーガロ先生の『遺産』を」
「ああ。そのはずだ。オレの読みと勘が、外れていなければ……どっちも、この土地にあるんじゃないかと考えているんだ」
「……ミハエルは、『ヒューバード』で亡くなられましたからね……」
「……持っていた可能性もありますよね、団長」
「……可能性は十分だ。彼は、それを所持していたかもしれない。『受け継いでいる』形でな」
「ミハエルが、アンデッドの知識を、使うとでも?」
「……違うよ。そういうつもりでは言ってない。オレは、彼の人となりも知らない。予想も出来んよ」
「ミハエルは、呪術に傾倒するような人物では、無いと思います!」
「感情的にならずに、彼を評価することがアンタに出来るのか?ミハエル・ハイズマンという人物は、アンタにとって友人であり、『弟』だぞ?」
「……そ、それは……っ」
僧侶殿は押し黙ってしまう。この御仁に困り顔を浮かべられると、ムダにいじめてしまったような罪悪感が、心に転がり込んで来やがるな。
善良な人物だからな。愛嬌もある丸顔ということも大きいのかもしれん。
「とにかく。推理の時間は終わりだ。追跡に取りかかるぞ」
「では、団長?」
「ああ。見えている。『呪い追い/トラッカー』を使って、追いかけることが出来そうだぞ」
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