第五話 『狂気の賢者アプリズと失われた禁呪』 その6
……『正義』とは、どうあるべきなのか。悪人どもを自分の手で世界から排除せずに、法律とやらに委ねる。もしかすれば、ヤツらが逃げて、再び誰かを襲うのかもしれないのにな。
ヤツらは学習している。二度と、武装した獲物を襲わない。襲うとすれば、武装していない者だろう。弱き者を襲うに決まっている。女子供に老人病人負傷者。それを狙う悪人になる可能性は否めない。
それなのに?
バカバカしくもある。騎士道とは、これで良いのだろうかな?悪人が、善の心に目覚めることなど、万に一つも無いのにな……。
……まあ、ヤツらが改心するのなら、それでいいんだが。ありえないと思うよ。
「……さて、団長!」
「……ああ。本題に取りかかろう。邪魔者が入った。ブルーノ・イスラードラ、それでいいな?」
「ええ。掘り出しましょう、あの箱を」
僧侶の瞳は、オレが斬り殺した山賊どもを見ていたから、アレを弔いたいとか言い出すかと不安だったが―――オレがそんな行為に賛成しないことも理解してくれたらしい。
オレたちにも時間が無限にあるわけじゃない。
この謎を追いかけることに使えるのは、おそらく今日一日だけ。ハイランド王国軍の主力は、今夜か明日の早朝にでも、北へと向けて出発するだろう。
……休息に使う日など、一日で十分だ。ハント大佐の指揮下にあった2万は、無傷なまま残っている。あの部隊を中心に、北上し……北の軍港を奪うための戦を始める。帝国の軍勢が集結するよりも先に、攻め込みたいところだからな。
そのために、小細工を弄したのだ。もちろん、オレたち『パンジャール猟兵団』も、その戦に参加するぞ。ハイランド王国軍の損耗を、少しでも防ぐためにな……。
……だから。
今日しかないんだよ、アプリズ一派の呪いを追いかけるために使える日はね。
オレとオットーは、あの掘っていた穴から、木箱を持ち上げる。防腐処理の錬金薬が放つ金属の粉みたいな臭いが、その木箱からは漂っていた。
しかし、さすがの防腐処理も、三十数年間の土中生活のせいで、あちこちがボロボロに痛み始めている。
乱暴に扱ったわけじゃないのだが、箱を構成する木材がやわらかさを帯びて軋む。表面に張りついていた土と一緒に、繊維に沿って縦に長く割れた木の破片が、ボロリと崩れていく……。
「……かなり、古くなっている」
「『呪い追い/トラッカー』は、使えますか?」
「……やってみないと分からないな。でも、まずは情報集めだよ」
「そうですね!」
「さて、ブルーノ。これには、鍵は?」
「かかってはいません。貧者の持ち物を、盗む者は、いません。それに、彼らは病死した人々ですからね……」
「……だとしても、不用心だな。アンタが呪いの品々を埋める時に、鍵をかけたほうが良かったんじゃないか?」
「……反省しています。そのせいで、盗まれたのかもしれない」
「まあ、『呪刀・イナシャウワ』と『研究日誌』を求めているような人物なら、この箱を砕いてでも、盗んだだろう。気にするな」
「……ええ」
「では、とにかく開けてみますね」
オットーはワクワクしているようだった。この四方が一メートル以上はある長方形の箱を、開いて行く。箱は、オットーの力に対して、一瞬の抵抗を見せたが、すぐにこじ開けられてしまう。
オットーは以外と筋肉質。細身に見えるが、体脂肪が少なく、筋肉しかないような人物だ。その隠れ怪力の指が、木箱を開けていた。古い衣類の臭いだな。虫除けの樹脂を混ぜていたのか、杉の葉をすり下ろしたモノが、腐敗したような臭いがする……。
とにかく変な臭いさ。
「……失礼します」
オットーは死者たちに詫びるような言葉を使い、その木箱の中から、遺品を取り出して行く。服が多いな。そして、古い日記もある。興味本位に手を伸ばす。開く前から予想はしていたが、日記の内容は読めない。
水溶性の安いインクが、雨やら湿度にぼやけていき、虫に食われたページの中で、虫食い穴ごと茶色に変色していたな。
「木箱の防腐処理が甘かったようだ。貧乏人用だからって、露骨に手を抜いていた」
「そのようですね。箱に塗られている錬金薬の質が悪く、そもそも、ムラがヒドい。薄めて、使っていたようです」
業者の不正を三十数年ぶりに暴いている。オットー・ノーランの三つ目を使ってまで、暴くことじゃないが、僧侶さまにはいい社会勉強かもしれない。
「……貧しい者のために、皆が出し合ったお金で、作られたハズなのですが……」
「悪徳業者に説法する機会があれば、語ってみるといい。痛みを伴うハナシならば、悪人を律することもあるかもな」
「……そう、ですな」
「……さて。朽ちかけの衣類、読めないほどにボロボロになってしまった故人の日記。そして……オレより『長生き』のブルーベリーパイ……」
ブルーベリーパイのミイラってのは、さすがに初めて見たよ。そいつは基本的に、黒い。それ以上を調べる気は失せた。何の臭いもしないが、硬く乾いていたな……。
いいや。
「とくに、何も無いな。空になってしまったワインの瓶には、後ろ髪が引かれるぐらいだな」
「……私の三つ目でも、とくに不審なものは見当たりませんね」
「……オレの魔眼でも、難しそうだ。今のところ、木箱業者の手抜きしか発見出来ていないな……」
「進展は、無いのですか?」
ブルーノ・イスラードラは不安そうな顔をしていたよ。オレも居心地が悪いから、言い訳がましく小さな発見を口にする。
「……小さな進展は、ある。呪いを追跡するための赤い『糸』……まあ、そんなモノがオレには見えるんだが。その『糸』は、まだ見えていないが、これらの衣類に染み付いている『呪刀・イナシャウワ』の魔力は、感じている」
「『イナシャウワ』の呪いの質を、さっきより把握出来ているわけですね?」
「そうだよ、オットー。オレたちの穴掘りと山賊退治はムダではなかった」
大きな進展は、無いわけだがな……。
オレは、そのキレイに折りたたまれている『リネン/亜麻布』のシーツを手に取る。赤茶色く変色しているが、コレには異常なほど『呪刀・イナシャウワ』の魔力が染みついているのが分かったよ。
他には何も分からない。とりあえず、ブルーノに確認してみようか。
「……この布で、『呪刀・イナシャウワ』を包んでいたわけだな?」
「え?……ええ!たしかに!……聖水をかけたリネンのシーツに、グルグル巻きにしていたんです」
聖水で『呪刀・イナシャウワ』を錆びさせようとしていたのか?……10才の僧侶見習いらしい発想ではある。
「……では、常に、コレは『呪刀・イナシャウワ』を梱包していたと?」
「ええ。このベッドシーツにくるんで、ロープでがんじがらめに縛っていました」
「呪刀を、抜いたことは?」
「あ、あるわけないでしょう?……さ、鞘に収めることさえ怖かったんです。布越しに触ることも、躊躇われた……」
とてつもない嫌悪と、恐怖の対象だったらしい。
「……かつて、二度掘り起こそうとしましたよね?」
「え、ええ。処分するために。一度目は、埋めてから3年後。掘り起こして、そのとき、決心が変わった」
「ミハエルのために、『研究日誌』を……いや、『日記』を残したくなったんだな。産科医エルネスト・フィーガロの妻子への愛が詰まった日記を、処分できなかった」
「ええ、ある意味、私のためかもしれませんが……とにかく、躊躇してしまい、埋め直しました」
「……一度目は、そのまま『イナシャウワ』も『研究日誌』もあったんですか?」
「はい。たしかに、そのときは存在していた」
「リネンのシーツに、『イナシャウワ』は梱包されたままでしたか?」
「はい。聖水を、あらためてかけて、湿らせておきました」
「……そうですか」
「じゃあ。縛っていたロープは、コレか?」
オレは木箱の底近くにあった、古くて粉っぽい臭いのするロープを手に取る。結わえられているな……。
「え、ええ?それだったような……」
「さすがに、覚えちゃいないか。『イナシャウワ』の気配も、他よりは、やや強く感じるのだがな……?」
「ま、まあ。ただのロープです。私も、それまでは記憶しておらず……」
たしかに、『どんなロープだったか?』……何ていう問いは、底抜けに難しいものではあるよな。どれも同じに見える……。
「……二度目に掘り起こしたのは、埋めてから20年近くが経ってからですよね?」
「ええ。10年前に」
「どうして、掘り起こそうとしたんだ?」
「……ミハエルが、独り立ちして、軍に入りました。彼は、私から見る限りはご両親を誇りに思っていました。ハイズマンさんは、いい鍛冶職人でしたから」
「……そうか」
「いつだって、貧しい方たちの依頼を、断れずに……本人もまた貧しかったのですが……」
「つまり、ミハエルには、育ての親たちへの愛情がある。だから、『日記』を処分すべきだと思ったのか?」
「……ええ。そもそも、フィーガロ先生の遺志は、そうだったのですから。彼の遺志を果たすべきタイミングだと思ったのです。私も、子供ではなかった。勇気がありました。悲しい過去に決別しようと、考えて……」
「だが。穴を掘り、この木箱を開けてみると……?」
「ええ。どこにも、なかったんです……」
ブルーノ・イスラードラは、ガックリと肩を落とした。今日の空よりも沈んでいる。『アプリズ3世』……いや、エルネスト・フィーガロとの約束を果たせないことが、どうにもこうにも辛いらしいな。
「……考えたくはなかったのですが」
「ん?」
「……あの夜のエルフたちの組織が、これを見つけてしまったのでしょうか……?ストラウス殿のように、呪いを追いかける力もある。ならば、先生の『遺品』たちも……?」
「いいえ。それは、おそらく無いと思います。99%以上の確率で、それは無いと思います」
オットー・ノーランは、そう断言していた。どうやら、オレには分からなかった何かを彼は見つけているようだな。さすがは、オットーだ。
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