第四話 『この復讐の雨に、名前を付けるのならば……。』 その19


 大きな鼻を揺らしながら、ブルーノ・イスラードラはハンカチで鼻をかんでいた。彼にとって、あの悲劇はとてつもなく重たい事件であったのだろう。


 10才で受け止めることは、あまりに難しい。それでも、彼は全うしたようだ。しかし、災いの種を、後世に残してしまってもいるな。


 おしゃべり野郎のオレは、久しぶりに口を開いていたよ。


「ブルーノ・イスラードラ……」


「……なんです、ソルジェ・ストラウス殿……」


 悲しみのせいか、彼からはオレに対する刺々しさが弱まっている。親近感や仲間意識までは存在しちゃいないだろうが、我々は、あの夜の秘密を共有する関係性にはあるからね。


 だから。


 オレは訊いてやる義務があると思う。


 『アプリズ3世/エルネスト・フィーガロ』に代わって、この僧侶殿に訊いてやるのさ。


「……その日記を、どうしたんだ?……まだ、手元にあるのか?……アレには、アンタの敬愛する人物の、邪悪な側面の研究も残っている。残存していれば、世に災いを導くかもしれないシロモノだ」


「……ええ。そうでしょう。先生の研究は、難しくて魔術や呪いの専門家である私には理解が及ばないものでしたが―――危険性は、把握出来ました」


「やはり、記してあったようだな。『アプリズども』が創り上げた、邪悪な怪物たちの製法が」


 僧侶はうなずいていた。否定することはない。隠す必要も無いことだった。この人物には、それを悪用するつもりはないらしい。


「……多くの、アンデッドを生み出す手法が、そこには羅列してあることは、分かりました。ヒトを……どういう風に、『材料』にするかなどが…………私のようなシロウトではなく、十分な能力を持った魔術師ならば……」


「悪用することも出来る」


「そう、なのでしょうね……」


「そうだ。アプリズたちは、高性能なアンデッドを使役して、兵隊代わりにも使う。彼らは、あくまでも生命の謎を探求するために作ったのだろうが、兵器利用も十分に可能だよ。フィーガロの先代が、未熟な若い頃に創り上げたモノでさえも、十分に強靭だった」


 『醜き百腕の忌み子/ヘカトンケイル』―――アレの製法も、その『研究日誌』にはあるのではないだろうか?そうなれば、かなり厄介なことになる。


 しかも……アプリズ2世、アプリズ3世と、その研究は引き継がれてきたのだ。もしも、次の『醜き百腕の忌み子/ヘカトンケイル』が造られたら……?


 そいつは、オレたちが『シェイバンガレウ城』の地下ダンジョンで倒した存在よりも、はるかに強力な怪物となっているのではないだろうか……?そして、その原材料は?……おびただしい数の人間ということになるわけだ。


「……アンデッドを、兵器に、する?……おお、なんと、おぞましい!!」


 ブルーノ・イスラードラは、その言葉を聞いて、あまりの嫌悪に体を揺らしていた。


「アンタが、そんな感性をしていて良かったよ」


「私は、僧侶ですよ?……争いを好みません。それに、アンデッドは、死を、生命を冒涜している。イーズの教えには、そうあります。偽りの不死者を作ることなかれ」


「いい教義だな。その部分は、共感してやれることが出来る」


「…………あの手帳は……やはり、危険なモノだったのですね」


「当然な。『アプリズ3世』の『過去』を知った後で、アンタはその『危険物』をどこに隠した?……狂気の禁呪だらけの『研究日誌』を。処分はしなかったのだろう?」


「……ええ」


「……どうしてだ?おぞましいモノだということは、理解していただろうに?」


「……最初は、あまりにも恐ろしい存在だったからです。ある場所に隠して、そのままにしていました……」


 まあ、当時は10才かそこらの子供だからな。そういう発想になったとしても、仕方がなくはあるか。子供に押し付けるには、あまりにも重い任務だな―――他に手段はなかったとしてもね……。


「……『研究日誌』も、そして……」


「……『呪刀・イナシャウワ』もか」


「……はい。あまりにも、おぞましい遺産たちです。隠したいと思った。隠して、遠ざけた。誰の目にも、それらは晒されることはない。だからこそ、私は安心していました。ですが……月日が経つにつれ」


「どう心境が変わった?」


「…………街では、フィーガロ先生と奥様、そして、あの哀れなセバスチャンのことが、長く噂されていました。彼らの死は、あまりにも悲劇的であり、それだけに、皆の興味を長く引いたのです」


「……ゴシップとして消費されたか」


「……単純に、悼む者たちが大半ではありましたが、そういう輩もいたのです。ヒトの悲劇を面白おかしく、適当な嘘で飾り立てる連中が……」


「よくあることだ、悲しいことにな」


「ええ。私は、その無責任な誹謗中傷を聞く度に、激しい怒りと、耐えがたい嫌悪……そして、大いなる不安に脅かされました」


「不安か」


「分かりますかな、私の気持ちが?」


「……彼らのテキトーな噂話のなかに、アンタが知ってしまっていた『事実』も含まれていたからか」


「……ええ。ヒトの想像力とは、バカに出来ません。空想であり、虚構に満ちたモノの中には、荒唐無稽なモノも多くありましたが―――先生の『過去』を言い当てるモノもありました。先生は、邪悪な組織の一員であり、その研究を狙う仲間に襲われたのではないか」


「……なるほどな。真実ではないが、『アプリズ3世』の『過去』に遠からず、符合する噂もあったか。彼は、過去に、世間一般が判断するところの、邪悪な研究に勤しんでいた」


「ええ。それに、先生が流れ者であったことから……かつて殺人を犯していて、その復讐を成されたのではないか、とも」


「完全な真実だな」


「はい。そういうことが、耳に入る度に、私は不安に苛まれた。街の多くのヒトにとっては、先生は偉大な人物でありつづけていたのです」


「……アンタは、その名誉を守りたかったか」


「もちろん。私にとって、先生は、とても偉大な人物です。そう信じると決めていましたから」


「大した覚悟だ。気に入ったよ。それで、『遺産』をどうした?」


「……刀の方はともかく、あの『研究日誌』だけは世間の目に晒してはいけないと考えていました。あまりにも、先生の不名誉になる。先生と奥様、そして、あの哀れなセバスチャンのことを、『ヒューバード』の街の人々に、嫌って欲しくなかった」


「思い出は美しいままにか」


「そうです。先生たちを、侮辱して欲しくなかった。あんなに、彼らは愛に必死だったのですから」


「……その気持ちは、分かる」


「……ストラウス殿」


「オレも、彼らを侮辱されたくはない。そんな気持ちは、あるよ」


「……ありがとうございます」


「……なぜ、そんな言葉を使う?」


「よくは、わかりません。きっと、嬉しいからでしょう」


「そうか。そいつは良かったな」


「はい……孤独さが、薄らいだ気持ちです」


 30年もの沈黙を、コイツは守り続けたわけだしな……話せて、感情の一部でも共感してもらえるだけでも、大きな救いになるのだろう。


「……それで、ブルーノ・イスラードラよ?」


「…………ええ。3年ほど、ある場所に埋めていましたが、私はやがてそれらを掘り起こす決意を固めました。それらを、完全に焼き払うために」


「いい判断だ。だが、どうしてそれを断念した?」


「……掘り起こして、それを手にしたときに、考えました。先生の日記には、邪悪な側面も多々、書かれています。ですが……それだけじゃなかった」


「何が書いてあったんだ?」


「先生が、どれだけ奥様を愛しておられるか。先生が、どれだけ子供たちの誕生を待ち望んでいるか……」


「……まさか、それで処分を躊躇したのか?」


「ええ。非合理的かもしれませんね。ですが……ミハエルを見ていると、私は、その日記を処分していいものかどうか、深く迷ってしまった」


「……本当の両親の、日記だからか」


「そうです。しかも、ミハエルに対しての愛が、あれだけ強く書かれているのですよ?私は……いつか、ミハエルに真実を伝えたくなった。ミハエルも、いつか自分がハイズマン夫妻の子ではないと気がつく、その頃は3才でしたが、髪の毛の色も、瞳の色も、違っている。夫妻には、似ていなかった」


「……ミハエルが、養子であることを自覚したときに、伝えたかったのか?」


「……はい。必要な時が、来ると考えていました。私は……私は、ですね」


「……なんだ?」


「……私も、捨て子なのです。この『エルイシャルト寺院』の軒先に、雨の日に捨てられていた。毛布もなしに、産まれたままの姿で。ヘソの緒も、処理されていなかったそうです」


「産まれた直後に、捨てられたか」


「名前も、ありませんでした。先々代の司祭さまが、私の親です。名前も彼がつけて下さりました。ですが……私は、いつも、さみしく思っていた。自分が、親に愛されることなく捨てられた存在だと思う度に、とても苦しくなったのです。貴方には、きっと分からないでしょう」


「……ああ」


 ヒトの痛みは、固有の感覚だ。そいつだけの痛みであり、他人は絶対に理解してやることは出来ない。


 ……捨て子ではなかったオレには、このブルーノ・イスラードラのような捨て子であったことの苦しみも痛みも、理解することも共感してやることも、真の意味では出来やしない。


「……私は、知って欲しかったのです。いいえ。もしかしたら、それは、自分自身の自己満足のためかもしれない。私は、ミハエルを『代役』とすることで……自分が得られなかった、本当の両親からの愛が……存在しているということを、証明してみたかったのかもしれない」


「……ブルーノ」


「あ、ある意味では、とても卑劣な行い!……私は、か、彼らの親子愛に、じ、自分も混ぜて欲しかったのかもしれない……っ。私の生みの親も、私を、愛していたんだと、思い込みたかったのかもしれません。彼らの、愛を、証明することで……っ」


 僧侶は、再び涙を流す。自嘲の涙だった。それを拭いながら、彼は語る。


「……そ、そんな、無様な感情から……っ。私は、それらを再び、土の下へと埋めたのです……次に、掘り返したときに……そ、それらは……消えていました……」



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